劇団ゲキハロ第4回公演「携帯小説家」 前半は本年度ベストプレイ
片瀬真琴 | 梅田えりか(℃-ute) |
浅丘清香 | 矢島舞美(℃-ute) |
竹下広海 | 中島早貴(℃-ute) |
栗原彩音 | 鈴木愛理(℃-ute) |
秋吉久美 | 岡井千聖(℃-ute) |
京 伊織 | 萩原 舞(℃-ute) |
樫山小巻 | 有原栞菜(℃-ute) |
吉原健三郎 | あいざわ元気 |
吉原田ゆり | 村上東奈 |
光本誠也 | 久保木秀直(大人の麦茶) |
岸慶子 | 眞賀里知乃(大人の麦茶) |
藤村俊平 | 谷中田善規(散歩道楽) |
携帯小説の登場人物 | 郷志郎、椎名茸ノ介、植木まなぶ、 キムユス、ヒルタ街(すべて散歩道楽) |
惜しい。実に惜しい。前半は今年のベスト・プレイになりそうな素晴らしいものだった。後半のやや凡庸な展開のために、全体的には佳作どまり、といった舞台である。
Hello! Projectと小劇場系劇団とのコラボレーション企画「ゲキハロ」の第4回公演。今回は℃-uteと「散歩道楽」がタッグを組む。作・演出は散歩道楽を立ち上げた太田善也が担当している。太田は高橋愛ほかが出演したネット配信ミニドラマ「おじぎ30度」の舞台化やメロン記念日主演の舞台化も手がけており、ハローとの縁は深い。
それにしても興行的にはさほどうまみがないと思われるこの地道な取り組みをハローはなぜ継続しているのか。その真意は不明だが、ともすればマニアックになりがちな演劇の世界を、ふだん芝居など観ない層が触れるきっかけになっていることは間違いなく、今後も大いに頑張ってほしいものだ。
今回の話は「ケータイ小説」の作者である7人の少女が主人公。7人が共同ペンネーム「夢野美鈴」を名乗り作り出した「サムライ☆ベイビー」は大ベストセラーとなった。その第二弾を出すことになり、これまでケータイサイト上でしか会ったことのなかった7人が始めて顔を合わせる。すると急に話がかみ合わなくなり、創作は行き詰まってしまう。中心人物である清香は何とか物語をまとめようと、かつてファンレターの返事をもらった文豪・吉原健三郎にアドバイスをもらうため、山奥にある彼の書斎を訪れる…。
文学や社会学の文脈でさかんに議論されている「ケータイ小説とは何なのか」という命題に正面から取り組んでいる。これはまた難しいテーマに足を突っ込んだものだ。だがちょうど仕事がらみで自分もこれを考え始めていたところだったので個人的には実にタイムリーでもあった。
冒険小説並に主人公を重大事件が次々と襲い、レイプ、援交、リストカットがお約束のように織りこめられるケータイ小説。それが「面白い」という理由でヒットするなら分かるが、興味深いのは多くの読者がそこに「リアリティー」を感じている、という点だ。なぜそんな荒唐無稽なものがリアルと感じられるのかについては、ジャーナリストの佐々木俊尚氏がいくつかのコラムで紹介している考察がよく知られているが(http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2007/12/20/entry_25003250/)、それによればケータイ小説の支持層の多くは大都市圏よりも地方に住む若者たちであり、彼女らにとってはレイプも援交もリストカットも決して遠い世界の話ではないのだそうだ。それは確かに説得力があるのだが、どうもそれだけでは現象としてのケータイ小説を説明しきれないような気がする。そこにはやはりケータイというメディアの特性がより深くかかわっているのではないか。そういう視点では、かつて国際大学グローバル・コミュニケーションセンター(GLOCOM)の研究員だった濱野智史氏の考察(http://wiredvision.jp/blog/hamano/200809/200809121600.html)に共感を覚えた。残念ながらブログ上ではその考察が途中で終わってしまっているのだが、まもなく出版されるその著書に納められるというのでぜひ読んでみたい。
これ以上深く突っ込んでいくと自分の頭が追いつかないところに行ってしまうのでここで踏みとどまっておくが、この舞台は冒頭からこの「ケータイ小説のリアリティー」に疑問を投げかけ、それを読み解いていこうとするのである。「ケータイ小説は文学か」といった、比較的考えやすい切り口ではなく、一番深いところにいきなり切り込んでいくあたりに、作者の意欲を感じた。
そして、前半の設定と演劇的手法がまた面白い。
まず設定についてだが、7人が共同で1つの作品を書くというのは非現実的かもしれない。しかし、多くのケータイ小説は、読者の反応を受けて展開を変えていく。ある意味マッシュアップ的な要素を本質的に含んでいるのだ。だから、この「7人で1人」というのも、それを象徴的に示すものと考えれば、あながちウソとも言えないのである。そして序盤の、実際に会ったら突然そのマッシュアップが機能不全に陥る、というのが面白い。ネットがリアルの代替ではなく、ネットならではの協調促進作用があることを端的に示している。これがおそらく「ケータイ小説のリアリティー」にもかかわっているのだと思われる。
そして手法の部分。前半、彼女らが何とか物語をつむぎだそうと悪戦苦闘する様は、このように描かれる。まず、℃-uteメンバーの誰かが自分の考えた物語を語り始める。そうすると、そこに登場する人物(散歩道楽の役者たち)が舞台上に出現し、芝居を始める。さりげなくその語り手である℃-uteメンバーも芝居の中に混じっていく。この間、他の℃-uteメンバーはそれを遠巻きに眺めている。調子よく話が進み、盛り上がってくると、今までそれを眺めていたメンバーの一人が「その時だった」と割り込んできて、自分の好きな方向性にいきなり話をねじまげる。それをえんえんと繰り返していく。
これは素晴らしい。ネットの世界を舞台でどう表現するかには、かつて武田真治主演の舞台版「電車男」もチャンレンジしたが、あのときよりもぐっとスマートに、そしてごく自然にネット世界を3次元化している。さらに、ケータイ小説の「自分自身をベースにしたフィクション」「主人公の心象も含め、突然展開が大きく変わる」といった側面を、見事に伝えている。
しかも、ここは完全にコメディータッチになっており、テンポのよさと℃-uteメンバーの息の合った演技にも支えられ、会場は爆笑に包まれていた。それがえんえんと30分近く続くのだ。こんなに笑った舞台は久しぶりである。
だが後半、大御所の小説家のもとを訪ねるくだりに入ってからは、急激にテンションが下がる。前半の演出が見事すぎたために、普通のシーンが実につまらなく思えてしまう、ということもあるかもしれない。物語の展開が陳腐なうえ、結局「ケータイ小説は文学か」という分かりやすい議論、さらには「ネット上の誹ぼう・中傷」「ケータイ普及によるコミュニケーション不全」といったところにまで欲張って手を伸ばしてしまったために消化不良に陥ってしまった。
ただ、最終的にはそうしたいくつかのテーマを投げかけながら、ケータイ小説やネット社会を否定も肯定もせず、すべてをありのままに「よし!」と受け止めて前向きに終わる。これは個人的には好きな結論のつけ方だ。しかし、どうも観客の反応を見ると、その現状肯定的な姿勢はうまく伝わらなかったようで、「説教くさい作品」というイメージで受け止められていた感じだ。
できれば、前半の手法を最後まで突き通し、その中で徹底的に「ケータイ小説のリアリティー」について考えさせる内容にしてほしかった。若年層が多く劇場にいることを想定して、より分かりやすい方向へテーマも物語もシフトしたのかもしれない。そう考えると、ぜひ作者には、前半の展開を膨らませた形で、この作品を完成させてもらいたいものだ。そうしたら、ハローのメンバーが出ていなくたって自分は必ず観に行くだろう。太田善也という人は力ある劇作家だと思う。今後の活躍に期待だ。
後半が残念だったのは、℃-uteメンバーの出番が非常に少ないということにも起因している。恐らく、直前までツアーを行っており、練習時間があまり取れないことも考慮し、後半は劇団員中心の展開にしたのかもしれない。そう考えるとますます残念だ。
℃-uteメンバーの演技はどうだったか。主役である矢島舞美の演技は完璧だ。発声はプロの役者にはまだ及ばないが、セリフにも動きにも全くソツがなく、安定感が抜群である。しかし、それは観る前から分かりきっていたことだ。矢島はどんな仕事にも、常に全力で真摯に取り組む。その姿には尊敬すら覚える。AKB48で言えば、高橋みなみと完全にかぶるキャラクターだ。そして、梅田えりかが面白いのも、鈴木愛理が可愛いのも、萩原舞が落ち着いているのも、やはり分かりきったことである。今回、注目すべきはなんといっても岡井千聖であろう。
もともと面白い子だとは思っていたが、彼女がすごいと思ったのは、テレビ東京で3月から10月まで放送された「ベリキュー!」の6月26日(25日深夜)放送の回を見たときだ。そのときはBerryz工房が罰ゲームで肝試しに参加し、℃-uteは驚かす側に回っていた。岡井は犬の気ぐるみを着て突然現れてびっくりさせる、という役だったが、当初他の出演者はこんな気ぐるみで誰が驚くか、と思っていたそうだ。しかし、彼女はいきなり四つん這いで現れるという予想外の動きをして、Berryz工房のメンバーのみならず、視聴者まで恐怖に陥れたのだ。
だから今回は最初からその動きに注目していた。そして、その期待に十分に応えてくれた。彼女の存在感は実に大きく、舞台に登場するだけで独特の空気を作る。表情も豊かで飽きさせない。後半、岡井は重要な役割を演じるが、やはりその才能を評価された結果に違いない。
普段はやや影の薄い中島早貴や有原栞菜も大いに輝いていた。これは脚本の力もあるのだろうが、改めて℃-uteのポテンシャルの高さを思い知らされた気分だ。
とにかく、前半の展開は演劇ファンにとっても℃-uteファンにとっても、あるいはケータイ小説というメディアに興味のある人にも、実に刺激あふれる素晴らしいものだ。公演はすぐに終わってしまうが、DVDもいずれ発売になると思うので、ぜひ確認してほしい佳作である。
ハロー!プロジェクト公式WEBサイト
http://www.helloproject.com/
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