2009年8月29日 (土)

「20世紀少年 -最終章-ぼくらの旗」

※ばれます。

前作は木南晴夏演じる小泉響子の印象が強すぎて、映画全体のことをよく覚えていないほどだったが、面白かったのは間違いない。そして最終章となる本作では、原作と異なる展開が用意されるという。指折り数えて初日を待ち望んでいた。

観終わってみると、確かに主要なエピソードの描き方など、原作と異なる部分は多い。しかし、大筋は同じである。そして、ラストシーンについても、ある意味で原作と同じ、と言ってよいのではないかと思う。

漫画のラストは、「21世紀最大の肩透かし」と言えるほど、意表を突いたものだった。それは計算されたもので、あのスッカスカの終わり方をしたがゆえに、読者は多くのことを考え、あるいは議論することができた。

だが、映画でそれができるか、といえば、まあ不可能ではないだろうが、やはり難しい。学校の教科書を引っ張り出すようで申し訳ないが、かつてマーシャル・マクルーハンは「メディア論」の中で、「冷たいメディア」と「熱いメディア」という表現を用いた。新聞のように、情報量が限定され、受け手の想像や考察の余地が大きいメディアは「冷たいメディア」であり、映画やテレビのように、情報の密度が濃く、受け手にそのまま伝わるメディアは「熱いメディア」であるとした。この軸を用いて考えれば、漫画は映画より確実に「冷たい」。もし、そのラストを映画でそのまま再現したとしたらどうだろう。観客は、ただガッカリして帰る結果に終わるのではないか。だから、堤幸彦監督は、あえてこの部分を温めて出すことにしたのだろう。熱い料理の味を壊さないように。

これによって、より映画らしい終わり方になった。なのに、観終わった後の印象は、原作を読み終えたときとほとんど変わらない。そしてそこには、ストーリーへの思いだけでなく、漫画同様、長い時間をかけてラストシーンにたどり着いた作品への、尊敬と、そして愛着が含まれている。3部作構成という壮大な計画も、原作の味わいを伝えるのに貢献したわけだ。

自分としては、ひょっとして映画「デスノート」のように、原作と全く異なる終わり方を迎えるのではないかと期待していたフシもあったが、その期待は裏切られた。でも全く失望感はない。この終わり方でいい。いや、この終わり方でよかった。心からそう感じている。

さて、自分にとってはもはやこの3部作の中心は小泉響子である。本来、この最終章をカバーする原作の中では、小泉響子の出番はほとんどない。だが監督もきっと木南晴夏を気に入ったのに違いなく、全編にわたりちょこちょこと顔を出してくれている。これは嬉しかった。そういえば、第二章の公開後、堤監督が演出した朗読劇にも木南は出演していた。白状すると、そのチケットを俺は買っていた。体調悪くなって行けなかったのをとても後悔している。舞台志向があるらしいので、いつかきっとステージで観たい女優さんだ。

女優、といえば、今回序盤でサナエを福田麻由子が演じている。これがまた、小泉響子並みに原作の雰囲気とソックリで驚いた。これは恐らく彼女の演技力のなせる技だと思う。いくつかの映画でその芸達者ぶりには感心していたが、その力量はすさまじいものがある。今後の活躍が楽しみだ。

この日、レイトショーにもかかわらず、劇場はほぼ満員だった。地方のシネコンでレイトショーが一杯になる、というのは非常に珍しい。日本映画の歴史に残る三部作になったことは間違いないだろう。とりあえず、俺は発売になったばかりの第二章のDVDを買って、小泉響子を堪能しようと思う。

「20世紀少年」公式サイト
http://www.20thboys.com/

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2009年6月27日 (土)

映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」

「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」

でもすいません、逃げます。

これほどの圧倒的な作品について、感想めいたものを述べられるほど俺は自信家じゃない。そして、それだけの知識も分析力も表現力もない。全然足りない。俺は今まで何をやってきたんだ、というぐらい、無力感を痛切に感じる。ただただ、すごかった。面白かった。楽しかった。そんなコドモみたいな言葉しか出ない。それが恥ずかしくて、結局沈黙するしかない。

「LCLの中」

途中、かなり救いのない展開にもなるが、この映画を観ている間、自分は妙な心地よさを感じていた。劇中、碇シンジがエントリープラグの中にいるとなぜか落ち着く、と口にするが、まさにその感覚だ。なぜかと言うと、ここには庵野秀明総監督が幼少のころから体験してきた、昭和40年代から平成20年代までのありとあらゆるアニメーションや特撮その他のポップカルチャーが生み出してきた文脈・文法を、これでもかとばかりに詰め込んでいるからだ。さながら日本オタク文化のアカシック・レコードである。もちろんそれらを知らなくてもこの映画を楽しむのに何の支障もないし、自分も2~3割ぐらいしか分かってないと思う。しかし、多少なりとも分かっている身にとっては、感動や興奮よりも、どこかホームタウンにいるような安心感が先に立つ。LCLの満たされたエントリープラグの中にいるように、これまで自分が愛し、自分を育んできたものに包みこまれているようだ。

「ありがとう」

いま、とにかく自分の中にあるのは感謝の言葉だ。もちろん、庵野総監督を始め、この作品を生み出してくれたスタッフ・キャストへの感謝もある。が、それだけじゃない。この日本に生まれてきたこと、そしてこの時代を生きられたことへの感謝。海外でも注目されることは間違いないだろうし、エヴァンゲリオンが今後歴史に残るものになることも確実だ。だがやはりこの映画を一番楽しめるのはこの国で、この時代を生きている自分たちにほかならない。だから本当に感謝したい。

「ポップカルチャーの域を超え、神話に近い存在に」

この「新劇場版」がエヴァの作りなおしにとどまらないことは、今回の「破」を見てみんなが納得したことだろう。庵野総監督らは、日本の40年間のポップカルチャーの集大成を作ろうとしているのだ。そこにできるものは、もはやポップカルチャーではないだろう。ジョージ・ルーカスがスター・ウォーズを「新たな神話を作る」としているのと同じレベルに立っている。今年、来年にはすぐに出来ないであろう続編が今から楽しみになるのも、スター・ウォーズと同様である。

とにもかくにも、エヴァを見たことがある人ならすぐに劇場に直行、見たことがない人はテレビシリーズと「序」を復習した上で劇場へ行くべし。日本の誇るエンターテインメントが、そこにある。

新キャラクターの真希波・マリ・イラストリアス。坂本真綾って偉大だわ

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」公式ウェブサイト
http://www.evangelion.co.jp/index.html

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2009年4月18日 (土)

映画版「ひぐらしのなく頃に 誓」公開初日舞台あいさつ

(映画の内容少しバレます)

作年公開された映画「ひぐらしのく頃に」実写版の続編となる「誓」が公開になった。前回、初日の舞台あいさつを見たので、今回もひとつ見てやろうじゃないか、と早々に前売り指定券をゲット。目当てが小野恵令奈であることは今さら言うまでもない。

今年は池袋のシネマサンシャインではなく、渋谷のシアターTSUTAYAに参戦。映画ファンにはユーロスペースのビル、といったほうが分かりやすいか。もっともユーロスペースというと移転前の場所のほうが馴染みがあるかも。その旧ユーロスペースでは昨年「魁!!男塾」の舞台あいさつを見たものだ。

今回こちらにしたのは、座席が指定できたから。発売日の発売時刻ジャストにログインしたところ、前から2列目の席を購入できた。昨年と同じような並びになるだろう、と予想し、押えたのは下手側の通路席だ。

だが、よく考えたらこの席で映画も観なくてはいけないわけで。そうなると前から2列目ってどうなのよ、と思ったが意外に見やすくてよかった。

さて映画本編の上映。基本7作のパラレル・ワールドと1作の前日譚で構成されるサウンドノベル「ひぐらしのく頃に」。前作の映画はその1作目である「鬼隠し編」をベースにしていたが、今回の原作は「罪滅ぼし編」だ。

この罪滅ぼし編のひとつの特徴は、竜宮レナが罪を犯すという点だ。映画でものっけからレナは暗い表情で登場し、ほぼ全編に渡って「かあいいモード」は封印され、イッちゃってる演技が続く。もっとも映画ではもともとあんまりかあいいモードは描写されていない。

そのレナに前作と同じ松山愛里。原作の雰囲気とはだいぶ隔たりがあり、前作ではかなりの違和感もあったが、今回の狂ったレナはなかなかの熱演で心に響いた。キャスティングの際に、「嘘だ!」以降の演技を計算して起用したのだろうか。

レナ以外も、主要キャストはほぼ前作と同じ。なのでてっきり2作同時に作ったのかと思っていたら、そうではなくきちんと前作が公開されてから撮影したのだという。園崎魅音の飛鳥凛も良かった。「罪滅ぼし」編の魅音は、どちらかといと強さよりも弱さが印象的だ。まあ双子の妹である園崎詩音との関係を考えれば基本的に魅音というキャラクターは弱い存在なのだけれど。そして今回、それとは紹介されていないがちょっとだけ詩音も登場している。無類の詩音好きとしては本作一番の見所だ。

古手梨花のあいか、北条沙都子の我らがえれぴょんも、依然出番は少ないが、前作よりもキャラクターの色を出せて、それぞれ印象的な演技ができていたのではないかと思う。えれの影のある表情にぐっとくるのは俺だけではあるまい。

唯一、主要キャラクターの中で俳優が変わった、大石蔵人の大杉蓮。前作の杉本哲太はどうしても若いイメージがあるのと、脚本上人の良さを前面に出した設定だったのとで、ある意味レナや魅音よりも違和感があった。好きだけどね。しかし今回の蔵人はかなり原作のイメージに近い。大杉の演技はもちろん一級品で、映画全体をうまく引き締めている。

作品としてどうかというと、前作と同じように「うまく作っているな」という印象だ。世界観の説明をすっとばしている分、展開もテンポがよく、飽きさせない。

ただこれも前作同様「部活」のシーンがないため、主人公たちの絆の深さを描ききれていないきらいはある。オカルト的な恐怖感をあおるよりも、何やら巨大な陰謀が動いている、というところをにおわせるあたりは原作の雰囲気を踏襲している。

また原作の持っている「美少女ゲーム」という側面のかわりに、ここかしこにさりげなく挿入されるエロチックな映像によって風味づけられているのがミソだ。

雛見沢村の美しい自然もよく再現できていたと思う。特に今回は夕日の使い方が印象的で、クライマックスの屋根の上での格闘戦は実に美しかった。まあ戦っていたのはどちらもスタントマンだが。また、夕映えの中、台所で夕餉の支度をする梨花と沙都子の姿は、絵画のような完成度の高い映像で息を呑んだ。

できればこのキャスト、スタッフでもう1作できないかな、と思う。昨年は原作の「鬼隠し編」しかプレーしていないだけのライトなファンだったが、今年は原作は全編プレー済み、アニメ版も全部おさえたそれなりのファンとして観たわけだが、そう感じることができた。実写化、映像化はどうしても抵抗がある、という人にはお勧めしないが、それなりに魅力的な映画に仕上がったのではないか。

上映終了後の舞台あいさつ。監督の及川中、原作の竜騎士07、前原圭一役の前田公輝、松山愛里、飛鳥凛、あいか、えれが登場。狙いどおり、えれは自分の席から至近の位置だ。

発言要旨は次のとおり。

及川「感想は人それぞれだと思うが、『ひぐらしのく頃に』という壮大な原作があり、それを基に映画づくりをせいいっぱい頑張ったということは分かっていただけると確信しています。皆さんが観に来てくれたことは本当に幸せ。心から感謝しています」

前田「自分はどちらかというと人を『ドンマイ』と励ますタイプ。今回の圭一は自分を犠牲にして人のために戦うという役どころで、自分にリンクするものがありました。友達に対する熱い気持ち、親友への信頼は自分に近いと感じています」

松山「(今回のレナ役は)すごく難しかった。トーンの落ちた状態から入っていくので、そこからどう変化をつけていけばいいのか分かりませんでした。撮影現場では、みんなとわいわいさわぐような楽しいシーンがなかったので寂しかったけれど、その分役に入り込めたのかな。最後の屋根のシーンはとても印象的でした」

飛鳥「(続編が決まって)とても楽しみでした。前回も楽しかったし、たくさんのことを吸収でき、役に対する気持ちも沸いてきた。新しい『ひぐらし』で、新しい自分をどう見つけられるだろう、という気持ちで撮影に臨みました。撮影期間の約1カ月、いろんなことがありました。前作よりも、自然な気持ちを表現するシーンが多くて難しいと感じましたね、普段の自分が持っているはずの感情なのに。でもゴミ山のシーンではレナへの熱い気持ちが自然に出てきて、本当に号泣してしまいました。こういう風に気持ちを作るのか、と発見することができました」

あいか「このスタッフ、キャストの方々とまた仕事ができた、ということで、感謝の気持ちでいっぱい。演じるときは監督に言われて、素の自分の『謎っぽさ』をありのままに出して頑張りました」

小野「(最初、マイクがなくてエアーマイク。飛鳥が気づいてマイクを渡す)フー、何度目でも(舞台あいさつは)緊張するものですね。えっと何でしたっけ。AKB?はい、AKB48です。(質問を聞き直す)はい、前作が公開されてすぐに、メンバーのみんなとは続編やりたいね、って話をしてて、そのためには大ヒットしてくれないと、って願ってたんですけど、大ヒット?になったんですよね。そのおかげで続編ができました。1作目を自分で見たとき、悔いがいっぱいあったんですよ。もっとカツゼツがよければ、とか、もっと沙都子っぽくできたんじゃないか、とか。2作目では必ずこうしよう、と決めていて、それができたんじゃないかと……60%ぐらい(笑)。次は恋人でも友達でも会社の同僚でも、一緒に誘って来ていただいて、そのときはそこに注目して欲しいです」

竜騎士07「当初、続編の話はなかったので、最初聞いたときにはびっくりしました。それで聞いたんですよ『採算は取れるんですか?それならいいんですけど』って。そしたら『大丈夫です』って言っていただいて。嬉しかったですね」

冷静に考えると、メモ取っててえれをあんまり見ていられなかったのはやや失敗だったと思う。

200904192312000

いろいろ買っちゃったよ

「ひぐらしのく頃に 誓」公式ウェブサイト
http://www.higurashi-movie.com/

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2009年3月21日 (土)

映画「ワルキューレ」

最近はすっかりサイエントロジーの人というイメージがついてしまっているトム・クルーズ。しかし彼の演技力は本当に素晴らしいと思う。

そのトム・クルーズが、実際にあったヒトラー暗殺計画の首謀者を演じる。そして監督は「ユージュアル・サスペクツ」のブライアン・シンガー。これは期待しないほうが無理というものだろう。

そしてその期待通り、久しぶりに骨のある男の映画を観た、という確かな手ごたえを感じさせてくれる映画だった。実話に基づいているだけに、過度にエピソードを盛り込むことは避け、この世紀の暗殺計画について、その発端から終了までを目一杯の緊迫感で描いている。

この映画には、余計な味付けのない、レアのステーキを一気に食らう快感がある。しかしそれは味付けをしていないのではなく、素材のうまみを、最小限の調味料だけで最大限に引き出しているのだ。だから自分もつべこべ言わない。

ただ一言、男なら迷わず見るべき傑作。

Valkyrie

映画「ワルキューレ」公式サイト

http://www.valkyrie-movie.net/

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映画「釣りキチ三平」

ドラゴンボールだ、ヤッターマンだと騒いでいるが、この春、「実写化」で何といっても注目なのはこの「釣りキチ三平」だろう。

原作が好きということもあるが、最大のポイントは一平じいさんを渡瀬恒彦が演じる、という点だ。

原作の三平一平は、その風貌から一見好々爺のようだが、実はなかなかダンディーで、ちょっとお茶目な側面もあるという魅力的な人物である。そして三平に向けるまなざしは優しいが、家族を次々に亡くした三平に対し、決して人の同情に甘えるなと諭す厳しさもある。そして全国の釣り師があこがれる和竿づくりの名人。とにかく、どこまでもカッコいいキャラクターなのだ。

そのイメージからすれば、渡瀬恒彦というキャスティングはばっちりだ。「タクシードライバーの推理日誌」の夜明日出夫も、最近はすっかりいいおじさんになってしまったが、シリーズ開始当初は、常に美女につきまとわれる色男だった。渡瀬なら、厳しさ、優しさ、チャーミングさを全て表現できるだろう。そう期待していた。

そしてスクリーンの三平一平は、全くもって期待どおりだった。冒頭から味のある表情と印象的なセリフで、見事に一平名人が実体化している。脚本、監督、俳優すべてがこの役に対しぶれのない共通認識を持っているからこそできた業だろう。

さて、この映画のテーマは原作と同じ、自然の中でのびやかに生きることの素晴らしさ。そして三平という決して幸福な星のもとに生まれたわけではないが、常に明るく前向きに生きる少年と、それを見守る一平という二人の人物の魅力に誘われてかかわってくる人物たちの人間模様を描くことだ。

全編の秋田ロケは、そのテーマの前半部分を理屈ぬきに実現した。そして後半については、やや原作よりも三平と一平、そして鮎川魚紳をやや子供っぽく描き、この「3人の子供」と、対極的な存在である愛子というオリジナルキャラクターによって、より鮮明に描き出していた。

ストーリーとしては、他愛のない、と言っていいほどシンプルなものだ。しかし、脚本、演出、俳優の演技が一体となって作り出した完成度の高さは、なんともいえない心地よさを観る者に与えてくれる。昨年「おくりびと」を観たときにも書いたが、滝田洋二郎という監督は特にお気に入りというわけではないのに、常にその作品を劇場で観てしまう、そしてそれなりに満足感を与えてくれる、フシギな縁のある監督さんである。

Sanpei

映画「釣りキチ三平」公式サイト

http://www.san-pei.com/

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映画「ヤッターマン」

かなり早い段階からプロモーションがスタートし、もはや食傷気味になってきたところでやっと公開された実写版ヤッターマン。

タイムボカンシリーズは好きだけど、特段ヤッターマンに思い入れもないので当初はさほど興味はなかったが、深田恭子のドロンジョというナイスなキャスティングが発表されてからは大いに興味がわいていた。恭子りんのエッチなコスプレ姿が観られるというだけで、劇場に足を運ぶ理由は十分すぎるほどだ。そこに、「櫻の園―さくらのその―」の初日舞台あいさつで見てだいぶ気に入っている福田沙紀がヤッターマン2号というおまけつきだ。こりゃあ楽しみである。

その恭子りんのコスプレは期待以上の出来で、ドロンジョ姿もいいが、他にもいろんな衣装で楽しませてくれる。そして胸の谷間は常に全開。そして恭子りんだけでなく、三池崇史監督は観客のツボをよくお分かりのようで、福田沙紀や、オリジナルキャラクターの翔子を演じる岡本杏理にも、微妙にエロな演出をほどこしている。こりゃあ実に教育によくない映画だ。

なので十分に満足した。「天才ドロンボー」の恭子りんのふしぎなおどりと調子を外した歌声だけでも、この映画は観る価値がある。

実際のところ、なかなか面白かった。クライマックスの戦闘シーンがちょっとダレた以外はテンポもいい。本編の演技はかなりアレで、特に福田沙紀は相変わらずやる気が感じられず(だがそこがいい)、アクションシーンも全体的に真剣さがなくユルユルだけれど、CGの出来の良さで救われている感じだ。実写版ドラゴンボールのエントリーで「本編の出来の悪さをポストプロダクションで救うことはできない」と言ったけれど、さっそくその認識を改めなくてはいけないようだ。

Ytm

映画「ヤッターマン」公式サイト

http://www.yatterman-movie.com/

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2009年3月15日 (日)

残念映画「DRAGONBALL EVOLUTION」

とっても残念な映画、実写版ドラゴンボール。

でもそれは、世間で言われるように「原作と違いすぎ」「馬鹿映画を超えたトンデモ映画」といった理由ではない。

自分が感じているのは、この映画はうまく作れば大傑作、とはいかなくても、自分の大好きな映画にはなったのに――という残念さだ。

もともと自分は漫画や小説を映像化した場合、それは違う作品として見ることにしている。メディア・イズ・メッセージ。メディアが変わればコンテンツが変わるのは至極当たり前のことだ。

だからといって、原作に忠実たらんとする姿勢を否定するわけではない。同じ世界観を別のメディアで再現する、というのは、それはそれで新しい価値を作り出す行為だからだ。

本作は、事前に「別物として見るべき」という噂が先行していた。だが実際に見てみると、この映画は驚くほどドラゴンボールである。

原作初期の、ドラゴンボール争奪戦を面白おかしく描く、という雰囲気がとてもよく出ている。登場人物も、チョウ・ユンファ演じる武天老師は強さとスケベさが同居したハマリ役だし、ブルマやヤムチャも漫画のイメージをうまく実体化していたと思う。チチは原作の雰囲気とはずいぶん違うが、悟空に対し一歩も引かない強い女性、という面はまさしくチチだ。悟空はもっと原作の素朴な感じが欲しかった気もするが、米国人が吹き替え版で見たアニメ版の悟空は、意外とあんな雰囲気なのかもしれない。

時代錯誤の日本や中国のような街や人も出てくるが、もともとドラゴンボールの世界は無国籍的、無時代感覚的なのだから、違和感はない。悟空が高校に通っているのは変だろう、という人もいるだろうが、悟空の息子・悟飯はオレンジスターハイスクールに通っているから、学校がドラゴンボールの世界観と全く相容れないわけではない。

原作序盤の様々なエピソードを、87分という短い時間にまとめあげるためにだいぶ無理はしているが、破綻しているとまでは言い切れない。むしろ、そこはうまく構成したと言える。

なのに、この映画は面白くなかった。

コレといった明確な理由があるわけではない。映画は総合性の芸術だし、数百人、時には数千人という人が協力して作り上げるものだ。自然にうまくいく確率のほうが低い。あえて原因を探ろうとすると、脚本はエピソードを詰め込むことには成功したが、セリフ回しやシーンの展開にはかなり荒削りなところがあり、洗練されていない。演出は、ポストプロダクトのCGの使い方は非常にうまいが、肝心の本編でのやりとりが迫力に欠けている。スター・ウォーズのエピソード1~3のように、CGの中に人間の演技をはめこんだ映画ならまだしも、やはり生身の演技の出来の悪さをCGでごまかすことはできないのだと実感した。

一時、この映画はクオリティーが低いためお蔵入りになるのではないかと噂された。想像するに、メキシコで行われた本編ロケが、うまくいかなかったのではないか。脚本家も監督もその実力を十分に発揮することができずに終わってしまったように思う。狙いはいいのに、全てが中途半端に終わっているからだ。制作予算や期間も、現場で自由にできたのはかなり限られたものだったのではないだろうか。だとすれば、それはプロジェクトマネジメントの失敗だ。

もし、狙い通りのものになれば、原作の雰囲気を押えつつも意外性を持った、観終わったあとに何も残らない見事な馬鹿映画になったかもしれない。連載開始から最終回までジャンプで読み続けた原作ファンであり、馬鹿映画の大好きな自分にとって、これ以上の幸せはない。

だからこの映画の出来の悪さは本当に残念だ。日本人キャスト・スタッフで作り直せ、という声も上がっているようだが、自分はむしろ同じスタッフ、同じキャストで、失敗した点をリカバーしてもう一度作りなおして欲しいぐらいだ。

日本人が映画化すれば違うものになった、というのは確かにそうだろう。しかし、日本映画界はそのチャレンジをしなかった。だからハリウッドがやったのだ。文句を言える筋合いではない。残念というなら、その日本映画界の現状こそ残念というべきだ。自分たち観客ももっと積極的に日本映画に足を運び、意見を述べ、大いに盛り上げていかなくてはいけないだろう。

Dbe

この映画について「ベスト・キッド」っぽい、という意見があるが、同意だ。どうしてもドラゴンボールとして観ることに抵抗がある人は、ベスト・キッド5として鑑賞したらどうか。悟飯(初代)と悟空の修行はまさしくノリユキ・パット・モリタとラルフ・マッチオを思い出させるし、チチ役のジェイミー・チャンは「ベスト・キッド2」のタムリン・トミタを彷彿とさせる。まあこの映画に抵抗のある人は、ベスト・キッドシリーズにも抵抗あるだろうからダメか。

「DRAGONBALL EVOLUTION」公式サイト
http://movies.foxjapan.com/dragonball/

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2009年2月14日 (土)

映画「20世紀少年-第二章-最後の希望」小泉響子まつり開催中

この週末は、14日のチームBバレンタイン公演も、15日のSKE48「手をつなぎながら」初日公演も抽選に外れてしまい、いきおい何もすることがなくなった。これでいいのか俺の人生。仕方ないので映画でも観てやろうと「20世紀少年第二章」に足を運ぶ。

エントリーは上げてなかったけど、第1章もちゃんと観ている。原作も読破した。原作を読んだのは、第一章の映画を観たあとだ。連載時、えらく面白いと聞いて、単行本を買おうと思ったが、完結してから一気に読んだほうがよさそうだと判断。完結したのでサア読もうと思ったが、映画になるというのでどっちを先にするか悩み、結局映画をまず観て、それから漫画を読んだ。結果的にこれは正解だったようだ。第1章は、おおむね原作の1巻~5巻を、そして今回の第二章は5巻~16巻を描いている。もし先に原作を読んでいたら前回の第一章は展開が遅くてじれったくなってしまっただろうし、原作を読んでいなかったら今回の第二章はテンポが速すぎて追い切れなかったと思う。

この映画化では、比較的原作を忠実に映像化することに主眼を置いている。必ずしも原作とその映像化が同じである必要はない、というスタンスの自分だが、忠実な映像化というのもそれはそれで面白さを感じる。

特に、誰がこの役を演じるか、というのはそのダイゴ味のひとつであり、この作品はその期待に十分に応えるキャスティングをしてくれている。前回はまだ原作を読んでいなかったから、自分は今回からやっとその楽しみを味わえることになる。第二章から登場する重要なキャラクターといえば、まずサダキヨだ。それを劇場で確認したいと思い、この映画に関する情報は意図的にシャットダウンしていたおかげでずっとそのキャストを知らずに来たのだが、やっとこれを観る、というその日の昼間、うっかり「王様のブランチ」を観ていてそれがユースケ・サンタマリアだとバレてしまった。「少年メリケンサック」のプロモだと思って油断していたのがいけなかった。

しかし、実はそれ以上にどんな人が演じるのか興味津々だったキャラクターがいる。小泉響子だ。普通の女子高生だったのに、なぜか「ともだち」とレジスタンス勢力の争いにおいて重要な存在になってしまった、典型的な巻き込まれ型のヒロイン。実は彼女は、よく考えると主人公(少なくとも、ケンジが出ていない部分では)である遠藤カンナの分身といっていい。物理的に主人公が首を突っ込めないところに代わりに巻き込まれたり、カンナの表現しきれない感情を体現している存在でもある。ケンジという主役の不在を、2人で埋めているという構図は、さながら「デスノート」でLの不在をメロとニアが埋めているようなものだ。

そして、神がかった存在であるカンナに比べ、響子は実に人間らしく、その分大いに魅力的だ。このキャラクターをどんな人が演じるのかが自分にとってのこの映画に対する最大の興味だったといっても過言ではない。

そして、教室のシーンで登場した小泉響子。スクリーンに映った瞬間、これはヒットだと膝を打った。漫画から飛び出てきたような、そのまんまの小泉響子である。これはびっくりした。どこでこんな人材を見つけてきたのだろう。物語が進んでいっても、声、表情、全身から出る雰囲気、見れば見るほど小泉響子にソックリだ。もう「来ないねえ・・・ボーリングブーム!!」と言っている姿が目に浮かぶようだ。絶対あのシーンやっておくれよ、堤監督。

演じていたのは木南晴夏。自分はその名前を知らなかったが、ちょこちょこ見かけてはいたようだ。現在は「銭ゲバ」に出演中。24歳で、それなりにキャリアも積んでいる。実際、彼女の演技はなかなかのものだった。まあ小泉は「悪魔の毒々モンスター東京へ行く」の関根勤のように、たいていはビックリしている役なので、さほど演技の幅を見せる機会はないが、単に漫画に似ているというだけでなく、ひとつひとつの所作にメリハリがあって印象深い。

そんなわけで、ついつい小泉響子にばかり目が行ってしまったのだが、そういう人は多いのではないかと思う。ネット上でも彼女のソックリさ加減についてはだいぶ話題になっているようだ。

そのあおりを受けてしまっているのが、平愛梨が熱演した遠藤カンナだ。彼女のカンナ役については賛否両論あるようだが、自分は良かったと思う。もともと、浦沢直樹が本気で描いた女の子は、誰にも演じることなど不可能なのだ。それは、浅香唯の「YAWARA!」が不調に終わったことでも証明されている。だから、原作のイメージと若干異なっても、目に力があり、存在感のある平の起用は正解だったと思う。そして彼女の熱演は高く評価されていい。第三章での「氷の女王」が今から楽しみだ。

気の毒だったのは、ストーリーをかなり圧縮したために、本来主人公の分身として、別々に行動することの多かったカンナと響子が、一緒の場面に出る割合が多くなってしまったことだ。そうなると、原作を読んでいた人の目線は響子に行ってしまう。そして、作品全体としても、だいぶ無理して進行させているぶん、ひとりひとりのキャラクターの見せ場を十分に作ることができず、特にカンナは漫画における圧倒的な存在感を発揮する場面が大幅に削られてしまった。平カンナにはぜひ第三章で存分にその魅力を開花させてほしい。

映画全体としても、十分に面白かった。唯一食い足りない点があるとすれば、少年たちの「万博」への思いが、あまり強烈には伝わってこなかったということだ。子供のころの「万博」の印象は、単なる思い出ではない。限られた期間で終わってしまうからこそ、それは心の中でどんどん大きな存在に成長してしまう。だから「ともだち」が万博を再現しようとする気持ちは、実は痛いほどよく分かる。自分も、もし「何でも叶うから1秒以内に願いごとを言え」といわれたら、つい「つくば万博にもう一度行きたい」と言ってしまうと思う。2秒考える余裕があったら別のことを言うと思うが。

それにしても、第二章を観た感じで、「ともだち」についてはひょっとして第三章で原作とは異なる結論になるのかもしれないと思った。そういえば、この映画化プロジェクトは「20世紀少年」であって「21世紀少年」ではない。そのあたりのサプライズが仕掛けられるかどうか、楽しみである。

しかし、とにもかくにも、この映画は小泉響子である。ひとりの映画の登場人物でここまで心躍ったのは久しぶりだ。今からDVD化が待ち遠しくてしかたがない。

Tomodachi

「20世紀少年」公式サイト
http://www.20thboys.com/

筑波ばんぱくばんざい
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2009年2月 1日 (日)

映画「禅‐ZEN‐」

曹洞宗の開祖、道元の生涯を描いた「禅‐ZEN‐」。中村勘太郎や藤原竜也といった若い俳優がこの地味な映画にどう取り組んでいるのかちょっと興味があり、劇場に足を運んだ。

特に禅宗に造詣が深いわけでもなく、曹洞宗の道元、といわれても日本史の教科書と用語集に書いてある程度の知識しかなかったが、伝えられている著名なエピソードを追う形で綴られる展開のため、予備知識がなくても全く問題はない。そして、禅宗の教えそのもについても、この映画を観れば基本的なことを学ぶことができる。

必要以上にドラマチックに描くわけでもなく、またあえて「普通の悩める若者」として描こうとするのでもなく、また仏教の映画だから多少は説教くさくなっても、それが過剰になることなく、極力ありのままに、その生涯と人物像を伝えようとしている姿勢には好感を持てる。

そして、その制作姿勢はこの映画のテーマにもつながり、それが禅宗の教えをなぞるような格好になっている。

「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」

あたりまえのことを、あるがままに受け入れて生きよ、ということこそが、この映画のテーマである。

本作では、日本の四季おりおりの風景が描きこまれており、それがひとつの魅力にもなっている。しかしその風景は、ことさら雄大なものでもなく、かといって市川崑の「細雪」のような耽美なものでもなく、どちらかというと「男はつらいよ」に出てくるような、普段着姿の日本の原風景だ。宇崎竜童らの手による音楽も、決して前に出すぎずに心に深く沁みる。

観終わった後も、深い感動に胸を揺さぶられるわけではない。ただいい映画を観た、という淡々とした感想のみが残る。観終わったあと「何も残らない」ことがいい映画の条件、というのは、以前何度かエンターテインメントを共に鑑賞した、私の尊敬している人の言葉である。「何も残らない」映画にはこういうタイプの作品もあったのだ。

このように、ほとんど味付けのされていない精進料理のような映画にもかかわらず、観客を飽きさせずに最後までスクリーンに引き付けることに成功しているのは、やはり主役の中村勘太郎の演技に尽きるだろう。淡々と演じているように見えるが、内に秘めた道元の心の強さが確かに伝わってくるその演技は、不思議なまでに目が離せない。

もっとも、精進料理とはいっても最低限の味付けはしてあり、それが業深き象徴として描かれる内田有紀とのエピソードや、藤原竜也演じる北条時頼との邂逅などのシーンだ。この2人の瑞々しい演技が絶妙の調味料になっている。厳しい見方をする人はこれらもいらない、と言うかもしれない。だが、それではもはやエンターテインメントとして成立しなくなってしまい、本当に修行のような映画になってしまう。そのぎりぎりのさじ加減が、監督の力量を示している。

その監督は、かつて問題作を連発したATG作品の中でも、ひときわ印象的な「TATOO<刺青>あり」の高橋伴明。誰もが知っている凄惨な銀行強盗事件を題材にしながら、その強盗のシーンは全くなく、犯人の生涯を追うという、ギラギラした野心あふれる作品を撮った高橋監督も、もう還暦を過ぎた。そのとんがった過去と、深く刻んだ年輪とが、この静かな作品を生み出したのかと思うと感慨深い。

恐らく、テレビやDVDで観ると集中力が持たないと思うので、興味のある人には劇場での鑑賞をお勧めしたい。

Zen

「禅‐ZEN‐」のWEBサイト(音が出ます)
http://www.zen.sh/

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2008年11月 8日 (土)

映画「櫻の園―さくらのその―」初日舞台あいさつ

1990年に著しく高い評価を得た映画「櫻の園」。それを同じ中原俊監督が再度映画化し話題を呼んでいる「櫻の園―さくらのその―」が初日を迎えた。舞台あいさつがあるというので、大島優子(チームK)目当てにマリオンへ足を運ぶ。

1990年、自分はこの映画を新宿の小さな映画館で見ている。当時は自分もフレッシュな大学生だったものだ。舞台はやや保守的な校風の名門女子高・桜華学園の演劇部。創立記念日の恒例行事としてチェーホフの「櫻の園」を上演する日の朝の数時間のみにスポットを当て、その中で部員それぞれの悩みや心情を描いていくという実験的な性格の強い意欲作だった。その印象の鮮烈さは今なお記憶に深く刻み込まれている。

今回の映画は、そのリメイクではない。舞台は同じ桜華学園の演劇部、そして創立記念日にチェーホフの「櫻の園」を上演する少女たちの物語、という設定は同じだが、ストーリーは全く異なる。そして前作の、中原自身が「演劇的な手法」と称する、時間の省略や場所の移動が少ない実験的なアプローチは封印され、ストレートな青春群像劇として生まれ変わった。

しかし、映画の随所に前作を思い出させるセリフや設定、セットや小道具などが登場し、傑作の呼び声高い1990年版「櫻の園」へのオマージュをささげる。そのなぞり方が絶妙で、前作を観た人間にとっては非常に心地よくストーリーが進んでいく。この映画は、結局前作を懐かしむために作られたのか。それならそれで文句はない。

だが後半、ストーリー的には予測できたものの、テイストが突然スポ根風になって愕然とする。まるで前作を否定するかのうような、意表を突く展開だ。

それでも最後は、ふたたび前作の印象的なシーンを思わせる場面が続き、そして前作同様、「櫻の園」の上演前で映画は終わる。

この2008年版「櫻の園」には、1990年版「櫻の園」に対する否定とリスペクトが、共存しているのだ。

中原監督は、なぜそんなことをしたのだろう。

まこと勝手な想像ではあるけれど、中原監督としては前作の評価が高ければ高いほど、こそばゆい感覚があったのではないか。確かに鮮烈ではあったが、前作は映画的な手法を大きく逸脱して作られた。それを評価されるのは、映画人としての矜持を鑑みるに、やや複雑な思いがあったのではないだろうか。「ドカベン」で、八艘飛びでホームを奪い無敗の明訓高校を破った弁慶高校の義経は、その後自分のプレーを「あれは野球じゃない」と悔やんでいたという(「スーパースターズ編」第1巻)。同じような気持ちを中原監督も抱いていたのではないか。

だから、今回は驚くほどの正攻法で、映画的な時間の流れの中で、美しい日本の四季を舞台として、再度同じテーマに取り組んだのだと思う。しかし、前作は決して実験的な手法のみが評価されたのではない。つみきみほや中島ひろ子といった、天才肌の若手女優の演技にも助けられたが、静かに心を打つ珠玉の名場面がぎっしり詰まった密度の濃さが高い評価につながっていったのだ。それらについては、オマージュという形でこの映画の重要な核として残しているのである。

恐らく、本作の出来は、決して前作のような評価を得るものではないだろう。しかし、そんなことは分かりきっている、とばかりに、ベテラン監督が微塵のてらいもなく、決して「天才肌」ではない若手女優とともに取り組んだ青春映画。その姿勢のすがすがしさは、そのまま映画のメッセージとして伝わってくる。

もっとも、前作を観ずにこの映画だけ観たとき、どこまで感動を呼ぶかは自分にはよく分からない。最終的にはこの映画への評価はそこで決まるべきだと思う。

上映後、舞台あいさつが行われ、メインの出演者たちが作品についてコメントした。われらが大島優子は、「この映画をスクリーンで観たとき、桜がとってもきれいだな、と印象に残りました。ぜひそれを思い出しながら、周りのみんなに『櫻の園よかったよ』って伝えてくれたら嬉しいです」と語った。一見ノウテンキに見えるコメントだが、ロケに使われたリアルな桜は、この映画が実験的手法ではなく、正攻法で撮られた映画であることを象徴的に示す重要なアイテムだ。さすが優子、本質を見抜いている。演技の面でも、百面相ともいえる豊かな表情を駆使し、大きな存在感を発揮していた。

舞台あいさつというと、普通は役者と監督がゆるい話をしてなんとなく終わるものだが、この日は演出として、先生役の菊川怜がひとりひとりにこの映画からの「卒業証書」を渡すというイベントがあった。読み上げられるコメントも一人一人異なっておりなかなか感動的で、実はちょっと泣きそうになったのは内緒だ。

映画に登場する制服のレプリカ。53000円。高いなあ、と感じたのは、もし安かったら真剣に購入を検討していただろう、ということだ。

「櫻の園―さくらのその―」WEBサイト
http://www.sakuranosono-movie.jp/

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