2015年4月17日 (金)

「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」特報第2弾 JJエイブラムスのJを1つ足したい

今年はスター・ウォーズイヤーということでいろいろ盛り上がってきているが、4/16に公開されたこの映像は、これまでのところ一番の盛り上がりを見せている。まだ観てない人はまず見てください。



はい、見ましたか?

もうね、最後の最後でぶっ飛びましたよ。ハン・ソロ大復活。

もちろん、ハリソン・フォードが再びハン・ソロを演じるのはみんな知ってたけど、少なくとも自分は、「元船長」のハン・ソロを演じるのだと何となく思っていた。ところがどっこい、バリバリ現役じゃないですか!

72歳のハリソン・フォードに、普通にハン・ソロの衣装着せるとか、完全に裏をかかれた。さすがはJJエイブラムス。もはやJJエイブラムスじゃない、じぇじぇじぇエイブラムスだよ!( ‘ jjj ’ )エイブラムス!

それにハリソン・フォードがまた素晴らしい。ちゃんとソロの顔になってる。最近のシブい演技とはもちろん違うし、ジョーンズ博士ともちょっと違う。インディは好漢に見えてワルがのぞくけど、ソロは悪漢に見えて人の好さがにじみ出る。うーん楽しみ。でもケガで撮影を離脱したとのニュースも伝えられているが、そこが心配ではある。

今年は年末まであっとうい間の1年になりそうですな。



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2014年6月15日 (日)

「アナと雪の女王」ブロードウェイ開幕はいつ?

公開前は行く気まんまんだったのが、大ヒットでロングランしているのをいいことに先延ばししていた「アナと雪の女王」。レイトショーでやっと観てきた。0時過ぎだとさすがに子供の姿はなく、まばらすぎる客席でのんびり楽しむことができた。

観る前から、いろんな人が「『ウィキッド』と共通する部分が多い」と指摘するのを聞いてはいたが、予想以上にウィキッドだった。ダブルヒロインで、エルサが自分の魔力を恐れ殻に閉じこもり、アナが天真爛漫にその心を開こうとする構図は、まんまウィキッドのエルファバとグリンダの関係である。

エルサが力の解放を高らかに歌い上げる「Let It Go」と、ウィキッド最大の見せ場、エルファバが魔女として生きる決心を歌う「Defying Gravity」を重ね合わせたくなるのはいたしかたあるまい。何しろエルサ役がウィキッドのエルファバ役でトニー賞主演女優賞を受賞したイディナ・メンゼルだ。

こうなると、真似たとかぱくったとかいう話ではなく、「インスパイアされた」と開き直っているレベルだ。時代に合った新たなプリンセスストーリーを生み出すのに苦心したディズニーが、ウィキッドに学んだということだろう。

ウィキッドのブロードウェイの人気は圧倒的だ。開幕から10年、オンの劇場の中でも最大級の客席数を誇るガーシュイン劇場をずっと満席にし続け、しかも1階席のかなりの部分を「プレミアムシート」として200~300ドルで販売している。

一方でディズニーの演劇部門は「美女と野獣」で華々しくデビューし、実験的な要素を取り入れた野心作「ライオンキング」を世界的にヒットさせてたところまではよかったが、そのあとはメガヒットに恵まれてはいない。「アイーダ」は日本でしかウケてないし、現在日本で「フエルサブルータ」を上演しているアルゼンチンのパフォーマンス集団デ・ラ・グアルダの一員をスタッフに迎えた「ターザン」はなかなか痛快だったものの早期に打ち切り。満を持して送り出した「リトルマーメイド」は作品の出来自体がどうしようもなかった。「メリーポピンズ」はヒットしたが、銭ゲバのキャメロン・マッキントッシュと共同制作のため、ディズニーにふさわしいビッグマネーは得られていないのだろう。さほどヒットを期待せず、制作費も低かったと思われる「ニュージーズ」は意外にスマッシュヒットとなっている。そしていよいよ「アラジン」が開幕した。これがディズニーミュージカルの置かれている状況だ。

そんなディズニーにとって、ウィキッドは眩しすぎる存在に見えることだろう。思えばイディナ・メンゼルは2007年の「Enchanted(邦題「魔法にかけられて」)にも出演している。このころから、ディズニーは彼女に新たなプリンセス・ストーリーを演じさせるプランを練っていたのかもしれない。

もっとも「ウィキッド」も、ディズニーの成功がなければ生まれなかった作品である。ディズニーは、それまでのブロードウェイの制作環境を一変させてしまった。巨額の制作費を集めて派手な仕掛けと話題性でヒットを狙う作品が続々と制作されるようになったのだ。それはむしろハリウッドの制作手法に近い。ウィキッドもその代表的な作品であり、プロデューサーはハリウッドの出身だ。この「ブロードウェイのハリウッド化」が起きなければ、ウィキッドは実現しなかった作品である。

ディズニーが作った新しい流れに乗って成功した作品に、今度はディズニーが助けられる。米コンテンツ産業には、こうしたエコシステムがビルトインされており、その枠に収まっている限り「パクリ」にはならないのだろう。

当然、ディズニーはこの作品の舞台化も検討しているはずだ。いや、むしろ最初からそのつもりでこの映画を作っているとも思える。

それはスタッフ、キャストを見てもよくわかる。ディズニー映画は「リトルマーメイド」でブロードウェイからアラン・メンケンを迎えて大きく流れを変えたわけだが、今回はそれに匹敵する大きな動きを見せている。楽曲を提供しているのがロバート・ロペスだという点だ。ロバート・ロペスといったら、「アベニューQ」と「ブック・オブ・モルモン」で短期間に2度もトニー賞を受賞した作曲家。彼を迎えた時点で、舞台化を見据えているのは明らかだろう。

そしてイディナ・メンゼルだけではなく、今回のメインキャストには舞台俳優が多い。クリストフ役のジョナサン・グロフは「Spring Awakening(春のめざめ)」のメルヒオールだし、オラフのジョシュ・ギャットは「ブック・オブ・モルモン」のカニンガムだ。

すでにディズニーのトップはFortuneのインタビューでそれをほのめかしている。
http://fortune.com/2014/01/13/disney-ceo-iger-frozen-has-restored-our-mojo/
http://www.huffingtonpost.com/2014/01/13/frozen-musical_n_4589718.html

この手の話は発表から5年~10年かかるのが当たり前だが、大ヒットが約束されていることを考えれば、爆速で進んでいく可能性が高い。ブロードウェイで最大のネックになる「劇場の確保」も、常に複数館押さえているディズニーならノープロブレムだ。ブルーレイでも観ながら、楽しみに待とう。

そうそう、劇団四季には今から資金を蓄えておいてほしいなあ。日本での過熱ぶりを考えれば、なるべく早期に日本に持ち込むことをディズニーは考えるはずだ。四季なら劇場にも困らないしね。四季劇場「夏」に氷の城ができるなんて、今から胸熱だよ!

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2013年1月 6日 (日)

映画「レ・ミゼラブル」は「アマデウス」以来の傑作だ

前評判どおりの傑作である。

近年相次いでいるヒットミュージカルの映画化は、おおむね出来がよく、あまりがっかりした記憶がない。「オペラ座の怪人」「シカゴ」「ヘアスプレー」「マンマ・ミーア」・・・どれもそれなりによく出来ていた。しかし、舞台版を超える感動をもたらす作品になったのは久しぶりだ。ミュージカルではないが、舞台の映画化としては「アマデウス」以来の快挙かもしれない。

盛大にネタばれになるので、とくに舞台を観たことがあって、これから映画を観る人はここから先は読まないでください。

まずヒュー・ジャックマンがいい。ブロードウェイ経験もあるから歌えるのは知っていたし、昨年末、結局渡航を断念したため見逃したが、「Hugh Jackman, Back on Broadway」のチケットも持っていたぐらいだから、彼のエンターテイナーとしてのポテンシャルは十分に理解していたつもりだ。しかし、いきなり「独白」をオリジナルキーで歌ったところで度肝を抜かれた。もちろん「彼を帰して」も。演技と歌の両面でここまで魅了できる俳優は、いま世界中で彼しかいないんじゃないかと思えるほどだ。

ジャベールのラッセル・クロウは歌はヒュー・ジャックマンに及ぶべくもないが、その表情、雰囲気、さすがの貫録。ジャベールは演じる人によって、冷徹さが前面に出る場合と、職務への忠実さが前面に出る場合があるが、彼のジャベールは冷徹さを押し出しながらも、その影に言い知れぬ「怒り」を感じさせる。劇中、ひとことだけ過去に触れている(「対決」の中で、牢獄で生まれたことを明かしている)が、そのエピソードの延長にある、社会へのどうしようもない憤りが伝わってくるのだ。

アン・ハサウェイもアマンダ・セイフライドも、そして25周年コンサートに出ていたサマンサ・バークスも、みな素晴らしいのだけれど、最終的にこの映画を成功に導いたのはやはり監督・トム・フーパーだろう。

ユーゴーの大河小説「レ・ミゼラブル」は、人間模様を縦軸にしながら、フランス革命以降のフランスの歴史、そしてパリという大都市の生態を描いた作品だといわれている。舞台では、その歴史と都市の部分をごっそり削って、人情劇の部分だけを取り出している。そのため、あれだけ原作が長いわりには、実はストーリー的にはあまり省略がないのだ。かつて奇才漫画家・上野 顕太郎が「夜は千の目を持つ」の中でレ・ミゼラブルを1ページで描くという離れ業を演じることができたのも、そういう事情がある。トム・フーパーは、映像化にあたり、この舞台が捨て去った部分をていねいに拾い上げ、そのエッセンスを加えることで、この映画をよりリアルに、深みのあるものにすることに成功した。

また脚本の面では、舞台版では語られていないエピソードや描写も盛り込んでいる。ガブローシュが「バスティーユの象」に住んでいること、下水道の中をマリウスを抱えて歩くバルジャンが溺れかけること、といった細かいエピソードから、コゼットをテナルディエ夫妻から引き取ったあと、ジャベールに追われて修道院に身をひそめるといった重要なエピソードがまでが書き加えられた。ヒュー・ジャックマンはインタビューの中で「どうしても舞台には『ストーリーの穴』ができてしまうが、監督はその穴をうまくふさいだ」と話しているが、おそらくこの修道院のあたりを指しているものと思われる。舞台と映画の両方を知る彼ならではの言葉だ。

さらに、穴をふさいだだけではない。修道院のくだりには、唯一の新曲「Suddenly」が添えられた。これが実に名曲で、これによってバルジャンのコゼットへの思いが実に明確に描かれることになる。

舞台版と比較すると、いくつか曲順の変更があったり、このシーンに出るべき人が出ていなかったり、という演出上の違いがある。しかし、そのすべてに意味がある。そして、そのすべてが狙い通りに決まっていて、実に小気味いい。プログラムの中で、萩尾瞳氏がエポニーヌの扱いに異を唱えているが、これも監督の計算内で、最終的にエポニーヌというキャラクターから受ける感動は、決して小さなものにはなっていないと思う。

ロンドンのオリジナル・キャストであるコルム・ウィルキンソンが出演することは早い段階で明らかにされていたが、これもファンへのプレゼント、というレベルのカメオ出演ではない。その起用に、あんな意図があったとは!もう脱帽するしかない。

しかし、そのトム・フーパー監督が、自分より4歳も若いと知って愕然。「英国王のスピーチ」などの作風から、「巨匠」と呼ばれるにふさわしい年齢かと勘違いしていた。

とにかく、これはかならず劇場で、できれば音響のいい映画館で観ておくべき作品。だけど、デートで観るのはやめたほうがいいだろう。男性はみっともない泣き顔をさらすことになるリスクが高いし、女性はメイクが崩れる可能性大だから。

ふだん、あまり映画で感動することのない自分も、小学生のとき「ドラえもん のび太の恐竜」を観たとき以来、久しぶりに泣きそうになった。

舞台版を観ている人のほうが、感動は大きいかもしれない。舞台での感動を思い出しながら、さらに新たな感動がそこに加わるからだ。

そしてもうひとつ。日本のミュージカル「レ・ミゼラブル」ファンの多くがそうだと思うが、本田美奈子さんが天国へ旅立って以来、エポニーヌのエピソードは冷静に観ることができなくなった。この映画でも、サマンサ・バークスの丁寧な演技を、ふと彼女を思い出しながら見つめていた。出演がかなわなかった2005年の帝劇公演ではファンティーヌを演じる予定だったが、美奈子さんのファンティーヌはどんなだったろう。これからは、舞台だけでなく、この映画を観る度ごとにも彼女を思い出すことになる。それでいい。

今年は新演出で幕を開ける帝劇のレ・ミゼラブル。映画が生んだ新たな観客も劇場に足を運ぶことになる。その期待に、新キャストが応えることができるか。新演出が受け入れられるかはやや不安もあるが、その不安を吹き飛ばす力強いパフォーマンスに期待したい。

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2011年8月 6日 (土)

映画「夕凪の街 桜の国」

自分たちの世代では、多くの人が「原爆」を「はだしのゲン」で学んだと思う。子供にはショッキングな内容だが、その衝撃が原水爆へのイメージを形作っている。

今年の広島での平和記念式典に、「はだしのゲン」原作の中沢啓治氏が初めて出席したというニュースが流れた。ずっと出席を拒んできた氏が、なぜ今年参加したか。その意味するところは大きい。

ところで、「はだしのゲン」とは全く異なるアプローチで原爆の恐怖を伝える作品が、21世紀になって誕生した。それが「夕凪の街 桜の国」だ。

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自分はこの映画が公開されたしばらく後にCATVで観た。観終わった直後、自分はとんでもない見逃しをしていたことを後悔し、その場でDVDを注文した。高い評価を受けていた原作漫画も読んだ。

この作品は、原爆の悲惨さを直接的に描かない。そういう意味では「はだしのゲン」と真逆の手法だ。しかし、そのあとに人々が味わった思いを描くことで、原爆の恐怖をまざまざと伝えていく。

そしてもうひとつ、この作品は、放射能の威力が人々を数十年に渡り苦しめるという現実をつきつけていることを、もういちど考えなくてはいけないだろう。

「夕凪の街 桜の国」は、昭和33年と、平成の現代との2部構成になっている。被爆者、そしてその子らの受けた重く、つらい運命がテーマだ。

だがそれを見守る目線はあくまでやさしく、おだやかだ。それだけに、強い憤りが心に訴えかけてくるのである。

一般的に、映画では昭和33年の部分のヒロインを演じた麻生久美子が高い評価を受けている。確かに彼女の演技は至高のものだが、自分は後半のヒロインを演じた田中麗奈も負けず劣らず素晴らしい演技だったと思う。自然すぎる(ように見える)演技の中で、ふと見せる母や祖母との悲しい思い出がよぎるときの表情が実に印象的だ。役の中に入っていくタイプの麻生と、役を自分の中に取り込むタイプの田中という、対象的な2人の女優の共演が、映画としての魅力をぐっと高めている。

そして、堺正章が名優であることは今さら言うまでもないが、この映画でも大きな存在感を発揮している。平成の世で、50年前を思い出しながら広島の街を訪ね歩くその姿は、まるで「ビルマの竪琴」の水島上等兵のようだ。

また今年も8月6日がやってきた。久しぶりにDVDで観て、これから毎年、この日にこの作品を観ることにしよう、と考えた。

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以前広島を訪れたとき、映画のロケにも使われている、原爆スラムのあった地域に行ってみた。現在、ここは美しい遊歩道になっている。

映画「夕凪の街 桜の国」のウェブサイト
http://www.yunagi-sakura.jp/index.html


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2010年12月11日 (土)

「SPACE BATTLESHIP ヤマト」 良くも悪くも黒木メイサの映画

賛否両論渦巻く、というよりかなり否定的評価を受けつつある「ヤマト」実写版。

俺はといえば、実に楽しく観た。終わったあと「もう1回観ようかな?」と本気で思った。

この「楽しく観た」「もう1回」が、人によっては不満のもとになっているようだ。つまり、ヤマトらしい緊迫感に欠ける、そしてそこそこの上映時間にもかかわらず、オナカ一杯にならない、ということだからだ。

しかし、もう肉より野菜を好んで食べるようになっているヤマト世代には、このぐらいのマイルドさがちょうどいいんじゃないか、という感じだ。

そういう映画である。

ここからちょっとばれるので、これから観る人は読まないことを推奨します。

何が楽しかったかといえば、この作品が、アニメ版ヤマトに対する愛にあふれている点だ。そこかしこに、アニメ版へのオマージュと思われるセリフやエピソードが盛り込まれ、それらを探しているだけでもわくわくする。

発表当初話題を呼んだキャスティングについても、自分は「面白い布陣だな」と感じていた。古代進の木村拓哉が特に議論の対象になっていたが、自分はそれはアリかも派だった。古代というキャラクターは、実は大いなる宇宙戦争のかたわらで地球人・宇宙人入り乱れて繰り広げられる群像劇の、いわば狂言回し役で、特殊能力を持っているわけでも、とりわけ魅力的なキャラクターでもない。薄いキャラなのだ。もし声が富山敬でなかったら、あんまり印象が残らなかったかもしれない。だから、ある意味古代進は誰が演じてもいい。木村拓哉という強烈なキャラクターを持ってくれば、すなわち強烈な古代進の誕生を意味するのだ。どんな古代になるのか、大いに楽しみにしていた。それ以外のキャラクターも、おおむね納得がいくものだったし、真田さんが柳葉敏郎と聞いたときにはもうそれだけで劇場に足を運ぶ価値があると思った。

で、実際にスクリーンで見ると、期待どおりの演技が次々に繰り広げられ、嬉しくなった。いくつかアニメとは設定上の変更がなされているが、古代進の年齢上昇に伴い島もオジサンになり、森雪の役割変更とツンデレ化、佐渡先生の性転換などなど、いずれもストーリー上、演出上の理由があってのこととであり、さほど違和感は(個人的には)感じなかった。

一方で、柳葉敏郎の真田さんのように、アニメキャラの忠実なコピーもある。何といっても、山崎努という名優が完コピをしているのが興味深い。見る人によっては「あんなの沖田艦長じゃない」というかもしれないが、豪胆にして冷静、情は深いが自分の感情を表現するのが苦手で、でもちょっとお茶目、というあたりが、そのまま沖田十三だと感じた。

ストーリーもうまくまとまっていてテンポよく進むし、CGもまあまあの出来ばえで、最後まで眠くならずに楽しむことができた。

が、全体として何か物足りないという指摘は確かにその通りだと思う。いろいろ足りないところはあるが、自分が一番足りないと感じたのは、ヤマトの物語に満ち溢れる、戦争映画のロマンチシズムではないか。沖田・古代とデスラー、そして七色星団で激闘を交わしたドメル将軍といった、フィクションの戦争に欠かせない男と男の濃ゆーい関係。そういう暑苦しい要素はすっかりそぎ落とされ、すっきりさっぱりした味わいになっている。

だがそれはあくまで個人の趣味の問題であって、○○がないからこの映画は駄目、という批判にはあまり共感しない。

とはいえ、ではこの映画がすべて狙い通りに出来上がった快作かと言われると、それにもちょっと疑問符がつく。

おそらくこの映画は、「娯楽としての戦争映画」だった旧作とは異なり、ヤマトという閉鎖空間の中で展開する密室劇を目指したものと思われる。それを、迫力あるCGの戦闘シーンで包み込んで、一大エンターテインメントに仕立てよう、という寸法だったのではないか。問題は、その群像劇の軸を、古代と森のラブストーリーに置いてしまったことだ。いや、それは問題ではなかったかもしれない。そこに、ひとつの計算違いが起きたことが問題だったのだ。それは、森雪を演じるのが黒木メイサになったことである。

当初、森雪は沢尻エリカが演じる予定だったと伝えられている。彼女の人格や亭主のことはさておき、その演技力は大いに評価できる。もし予定どおり、彼女があのツンデレな森雪を演じていたらどうなっていただろう?

それを想像するのは意味のないことだが、黒木メイサになったことで、重大な祖語が生じた。沢尻エリカと黒木メイサは2歳しか実年齢は変わらないけど、黒木メイサはやっぱりカワイイのである。いや、沢尻エリカがかわいくないと言ってるのではなく、黒木メイサは、ちょっと大人っぽく見えるがその表情や動きが、どちらかというと少女っぽいのだ。木村拓哉との間に16歳差という実年齢差以上のものを感じてしまう。それがどうにも、2人のラブストーリーの説得力を失わせることになり、結果、群像劇の軸としてはあまりにも軟弱なシャフトになってしまった。ラストシーンで「おいおい!」とスクリーンに突っ込みたくなったのは観客の9割以上と推定される。もちろん沢尻が演じていれば丸く収まったかといえば、それは保障の限りではないのだが・・・

じゃあ黒木メイサのキャスティングは失敗だったのか。とんでもない。あのかわいらしいツンデレぶりは、日本映画界に残る魅力的なヒロインだった。俺が「もう1回観ようかな」と思った理由のほとんども、あの森雪をもっと見たいと思ったからだ。

あまりにも魅力的でありながら、その魅力ゆえにこの大作の根幹を揺るがすことになってしまった黒木メイサの森雪。本当に映画というのは何かひとつの要素で大きく味わいを変えてしまうのだ、とつくづく思う。

結局、この映画の楽しさは旧作へのオマージュでしかないことを考えると、旧作が好きな人には大いにおすすめしたいが(ただしあまり思い入れが強くないことが前提)、旧作を知らない、という人は、あんまり観ないほうがいいのかもしれない。

なんだかネガティブな結論になってしまったが、黒木メイサの森雪はほんとにカワイイので、女優さん好きな人はぜひ劇場で目撃すべき。あと真田さんもな。


俺が観た日、シネコンの受付も乗組員のコスプレをしていた。いいぞいいぞ!

SPACE BATTLESHIP ヤマトのウェブサイト
http://yamato-movie.net/top.html

 

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2010年8月14日 (土)

映画「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」駄作?珍作?だから何?

待ちきれなくて先行上映で観てきた。

これだよこれこれ。こういう馬鹿映画を俺は求めていたのだ。

そもそも「Aチーム」を21世紀の現代に映画化する、という発想がまず馬鹿でいい。邦題にきちんと「特攻野郎」とつけているところがまたいい。吹き替えが羽佐間道夫だったらもっとよかったが、年齢も年齢だしそれはあきらめよう。でもちょっと参加してくれたようだ。自分が観たのは字幕版だったが。

単純明快、どちらかというとお子様向けなAチーム。それだけに、何ともいえない愛着というか懐かしさを感じさせてくれるシリーズだ。今回の映画版は、そのシリーズへのリスペクトに満ち溢れている。

リーアム・ニーソン演じるハンニバルは、ちょっとオリジナルのジョージ・ペパードに比べ真面目すぎてお茶目さに欠けるし、フェイスマンはやさ男というよりちょいマッチョだ。しかし、それはそれで魅力的である。コングとクレイジー・モンキーはかなりオリジナルのイメージに近い。

映画としても、最初から最後まで、ほぼノンストップで大掛かりなアクションの連続。じっくりと人間ドラマを見せるなんていう余計な場面は全くない。でもいいのだ。マンガチックなアクションの中で暴れまわる男たちは、それだけで「友情」「絆」といったこのシリーズの分かりやすいテーマを体現しているのだから。

それにしても、こういう海外ドラマにおける吹き替えの役割は本当に重要なのだと再認識した。日本のファンにとって、ハンニバルはジョージ・ペパードというよりも羽佐間道夫なのではないか。今回の映画が、オリジナルの雰囲気を忠実に再現していればいるほど、自分の耳が羽佐間ボイスを求めているのに気付いた。もちろん、モンキーの声は富山敬でな!

無理やり彼らの声を今回の映像に合わせたらどうなるだろう、と思っていたら、いたいた、作ってる人。これ、映画を観たあとでも全く違和感なく受け入れられるのでびっくり。こういう素晴らしいMADを作れる人は本当に尊敬に値する。

 

関連で、ブラックですがこの動画にも笑わせてもらいました。

http://www.youtube.com/watch?v=XHzMVWLqiNs

  

Ateam

パンフレットにもAチームへの愛があふれているぞ!

「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」のウェブサイト
http://movies.foxjapan.com/ateam/

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2010年2月11日 (木)

劇場版「涼宮ハルヒの消失」

角川といったら、昔ハルキ、今ハルヒ。もはや角川グループの看板コンテンツになった「涼宮ハルヒ」シリーズがいよいよ映画に登場だ。

(ばれまくりなので、たたみます)

続きを読む "劇場版「涼宮ハルヒの消失」"

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2010年1月 9日 (土)

年末年始映画特集

この年末年始は、金もなく体調も悪いので旅行にも行かず、大掃除以外は映画ばかり観ていた。

劇場で観たのは下記のような作品だ。最近物忘れがひどいので、記憶から消えないうちにメモしておこう。

 

「2012」 http://www.sonypictures.jp/movies/2012/

2012

ローランド・エメリッヒといえば、「インディペンデンス・デイ」「GODZILLA」といった愛すべき馬鹿映画を生み出した名匠だが、「デイ・アフター・トゥモロー」はいまいちおとなしかったので、もうあの荒唐無稽っぷりは見られないのかな、と残念に思っていた。

しかし、本作は久しぶりにやってくれた。特段のストーリーもなく、ただひたすら世界が崩壊していく様子をこれでもかと描くだけの映画。いやなんとも潔く、男らしいすがすがしさ。

クレジットされていないし、誰もそんなことは言っていないが、エメリッヒはこの作品を撮るにあたり、確実に日本の特撮映画「地震列島」(1980年)からインスパイアされているに違いない。崩壊シーンの雰囲気が、なんとなくそんな印象を与えるのである。USA版ゴジラを撮っているぐらいだから、エメリッヒが観ていてもおかしくはないが、それを確信したのは最後のあのシーンだ。あれは表立ってそうとは言えないエメリッヒの、精一杯のオマージュに違いない。

 

「アバター」 http://movies.foxjapan.com/avatar/

Avatar

そんなに期待しないで観たが、実に面白かった。もともと、ジェームス・キャメロンは「ターミネーター」を高校生当時、茨城の映画館で見て以来大好きな監督だ。しかし、今回の予告編を見る限り、どうもCGばっかりのつまらない映画のように見えて仕方がなかったのだ。

しかし、始まってみるとどんどん引き込まれた。映像も確かに美しいが、緩急の付け方など演出の妙が実に冴え渡っている。CGだから、3Dだから、ということにとらわれず、純粋に面白い映画を作ってやろう、というキャメロンの本気がびりびりと伝わってきた。映画を観ていてこんなにわくわくしたのは何年ぶりだろう?

 

「ビッグ・バグズ・パニック」 http://www.mushi-panic.jp/index2.html 

Bugs

銀座シネパトスで単館上映されているこの映画。突然街を襲った巨大な昆虫にほんろうされる人々の様子と、主人公の心の成長を描く。

パニック・ムービーというほどの大規模なVFXもなく、ホラーでもサスペンスでもコメディーですらない、非常に中途半端な、素晴らしい馬鹿映画だった。これが2010年最初に観た作品である。今年もいいことがありそうだ。

 

「釣りバカ日誌 20 ファイナル」 http://www.tsuribaka-movie.jp/  

Fishing

ついに大団円を迎えた長期シリーズ。強烈な感動はなくても、西田敏行と三國連太郎の安定した名人芸を眺めているだけで幸せな気分になれる。

本作は、どうもいったん完成した脚本に、最終回のエッセンスを後から付け足したような雰囲気で、ややツギハギな印象もあったが、長期シリーズがこのようにキチンとしたラストを迎えられるのはいいことだ。最後、一瞬だけ登場したかつてのレギュラー、谷啓がかなり弱っている様子で、少し心配になった。

 

「パブリック・エネミーズ」 http://www.public-enemy1.com/

Pe

「ヒート」「インサイダー」「コラテラル」など、男っぽくてカッコいい映画を次々と世に送り出す、マイケル・マン。彼がジョニー・デップががっちり手を組んで作り出した快作だ。全くもって期待どおりの出来栄えである。

実在の人物をモデルにしながら、過度にドキュメンタリータッチに走ることもなく、かといってドラマチックすぎる演出もせず、たんたんと、しかし派手なドンパチも適度にまじえながら展開していく。全体のバランスが非常にいいのだ。マイケル・マンとジョニー・デップという2人の職人の技を心ゆくまでたんのうできる。

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2009年8月29日 (土)

「20世紀少年 -最終章-ぼくらの旗」

※ばれます。

前作は木南晴夏演じる小泉響子の印象が強すぎて、映画全体のことをよく覚えていないほどだったが、面白かったのは間違いない。そして最終章となる本作では、原作と異なる展開が用意されるという。指折り数えて初日を待ち望んでいた。

観終わってみると、確かに主要なエピソードの描き方など、原作と異なる部分は多い。しかし、大筋は同じである。そして、ラストシーンについても、ある意味で原作と同じ、と言ってよいのではないかと思う。

漫画のラストは、「21世紀最大の肩透かし」と言えるほど、意表を突いたものだった。それは計算されたもので、あのスッカスカの終わり方をしたがゆえに、読者は多くのことを考え、あるいは議論することができた。

だが、映画でそれができるか、といえば、まあ不可能ではないだろうが、やはり難しい。学校の教科書を引っ張り出すようで申し訳ないが、かつてマーシャル・マクルーハンは「メディア論」の中で、「冷たいメディア」と「熱いメディア」という表現を用いた。新聞のように、情報量が限定され、受け手の想像や考察の余地が大きいメディアは「冷たいメディア」であり、映画やテレビのように、情報の密度が濃く、受け手にそのまま伝わるメディアは「熱いメディア」であるとした。この軸を用いて考えれば、漫画は映画より確実に「冷たい」。もし、そのラストを映画でそのまま再現したとしたらどうだろう。観客は、ただガッカリして帰る結果に終わるのではないか。だから、堤幸彦監督は、あえてこの部分を温めて出すことにしたのだろう。熱い料理の味を壊さないように。

これによって、より映画らしい終わり方になった。なのに、観終わった後の印象は、原作を読み終えたときとほとんど変わらない。そしてそこには、ストーリーへの思いだけでなく、漫画同様、長い時間をかけてラストシーンにたどり着いた作品への、尊敬と、そして愛着が含まれている。3部作構成という壮大な計画も、原作の味わいを伝えるのに貢献したわけだ。

自分としては、ひょっとして映画「デスノート」のように、原作と全く異なる終わり方を迎えるのではないかと期待していたフシもあったが、その期待は裏切られた。でも全く失望感はない。この終わり方でいい。いや、この終わり方でよかった。心からそう感じている。

さて、自分にとってはもはやこの3部作の中心は小泉響子である。本来、この最終章をカバーする原作の中では、小泉響子の出番はほとんどない。だが監督もきっと木南晴夏を気に入ったのに違いなく、全編にわたりちょこちょこと顔を出してくれている。これは嬉しかった。そういえば、第二章の公開後、堤監督が演出した朗読劇にも木南は出演していた。白状すると、そのチケットを俺は買っていた。体調悪くなって行けなかったのをとても後悔している。舞台志向があるらしいので、いつかきっとステージで観たい女優さんだ。

女優、といえば、今回序盤でサナエを福田麻由子が演じている。これがまた、小泉響子並みに原作の雰囲気とソックリで驚いた。これは恐らく彼女の演技力のなせる技だと思う。いくつかの映画でその芸達者ぶりには感心していたが、その力量はすさまじいものがある。今後の活躍が楽しみだ。

この日、レイトショーにもかかわらず、劇場はほぼ満員だった。地方のシネコンでレイトショーが一杯になる、というのは非常に珍しい。日本映画の歴史に残る三部作になったことは間違いないだろう。とりあえず、俺は発売になったばかりの第二章のDVDを買って、小泉響子を堪能しようと思う。

「20世紀少年」公式サイト
http://www.20thboys.com/

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2009年6月27日 (土)

映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」

「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」

でもすいません、逃げます。

これほどの圧倒的な作品について、感想めいたものを述べられるほど俺は自信家じゃない。そして、それだけの知識も分析力も表現力もない。全然足りない。俺は今まで何をやってきたんだ、というぐらい、無力感を痛切に感じる。ただただ、すごかった。面白かった。楽しかった。そんなコドモみたいな言葉しか出ない。それが恥ずかしくて、結局沈黙するしかない。

「LCLの中」

途中、かなり救いのない展開にもなるが、この映画を観ている間、自分は妙な心地よさを感じていた。劇中、碇シンジがエントリープラグの中にいるとなぜか落ち着く、と口にするが、まさにその感覚だ。なぜかと言うと、ここには庵野秀明総監督が幼少のころから体験してきた、昭和40年代から平成20年代までのありとあらゆるアニメーションや特撮その他のポップカルチャーが生み出してきた文脈・文法を、これでもかとばかりに詰め込んでいるからだ。さながら日本オタク文化のアカシック・レコードである。もちろんそれらを知らなくてもこの映画を楽しむのに何の支障もないし、自分も2~3割ぐらいしか分かってないと思う。しかし、多少なりとも分かっている身にとっては、感動や興奮よりも、どこかホームタウンにいるような安心感が先に立つ。LCLの満たされたエントリープラグの中にいるように、これまで自分が愛し、自分を育んできたものに包みこまれているようだ。

「ありがとう」

いま、とにかく自分の中にあるのは感謝の言葉だ。もちろん、庵野総監督を始め、この作品を生み出してくれたスタッフ・キャストへの感謝もある。が、それだけじゃない。この日本に生まれてきたこと、そしてこの時代を生きられたことへの感謝。海外でも注目されることは間違いないだろうし、エヴァンゲリオンが今後歴史に残るものになることも確実だ。だがやはりこの映画を一番楽しめるのはこの国で、この時代を生きている自分たちにほかならない。だから本当に感謝したい。

「ポップカルチャーの域を超え、神話に近い存在に」

この「新劇場版」がエヴァの作りなおしにとどまらないことは、今回の「破」を見てみんなが納得したことだろう。庵野総監督らは、日本の40年間のポップカルチャーの集大成を作ろうとしているのだ。そこにできるものは、もはやポップカルチャーではないだろう。ジョージ・ルーカスがスター・ウォーズを「新たな神話を作る」としているのと同じレベルに立っている。今年、来年にはすぐに出来ないであろう続編が今から楽しみになるのも、スター・ウォーズと同様である。

とにもかくにも、エヴァを見たことがある人ならすぐに劇場に直行、見たことがない人はテレビシリーズと「序」を復習した上で劇場へ行くべし。日本の誇るエンターテインメントが、そこにある。

新キャラクターの真希波・マリ・イラストリアス。坂本真綾って偉大だわ

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」公式ウェブサイト
http://www.evangelion.co.jp/index.html

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