2015年8月 4日 (火)

2015年劇団☆新感線35周年 オールスターチャンピオンまつり 「五右衛門vs轟天」

作:中島かずき
潤色・演出:いのうえひでのり
作詞:森 雪之丞 いのうえひでのり
音楽:岡崎 司
振付:川崎悦子

出演:
古田新太 橋本じゅん  松雪泰子 池田成志 賀来賢人  高田聖子 粟根まこと  右近健一 河野まさと 逆木圭一郎 村木よし子 インディ高橋 山本カナコ 礒野慎吾 吉田メタル 中谷さとみ 保坂エマ 村木 仁 川原正嗣 冠 徹弥 教祖イコマノリユキ 武田浩二 藤家 剛 加藤 学 川島弘之 安田桃太郎 伊藤教人 南 誉士広 熊倉 功 上田亜希子 嶌村緒里江 谷 須美子 吉野有美

あえて役名は書きません。新感線観てる人にはそれだけでネタバレになるから。

というぐらい、新感線観てる人にとってはくすぐられまくりの作品。でももちろん知らなくても十分楽しい。

で、知らない人のためにちょっと解説。今回の「五右衛門vs轟天」は、97年、99年、2001年と3作上演された「直撃!ドラゴンロック」シリーズの主役である「剣 轟天(つるぎ ごうてん)」と、2008年、2010年、2012年と3作上演された「五右衛門ロック」シリーズの主役である石川五右衛門の2人を同じ舞台に登場させたスペシャルな新作だ。

劇団☆新感線のメインストリームは「いのうえ歌舞伎」と称される、主に時代劇をベースとした笑あり涙あり殺陣ありロマンありドラマありのゴージャスな舞台だ。近年はテレビや映画でもおなじみのスター俳優も客演し、そのゴージャスっぷりに磨きがかかっている。一方、最近は4~5年おきにしか制作されない、ただ馬鹿馬鹿しいだけの「ネタもの」と言われる作品群がある。いい歳をした大人たちが全力で馬鹿な笑いを追求するため人気が高い。さらに、楽曲を前面に出したロックミュージカルの色彩が強い「新感線☆RX」など公演名に「R」が付く作品群がある。

ちなみに「ドラゴンロック」は「ネタもの」で、「五右衛門」は「R」の系譜に入る。その2つが入り混じっているのはスタッフ陣にも現れており、通常「ネタもの」はいのうえひでのりが脚本・演出の両方を手掛けていることが多いのだが、今回は「いのうえ歌舞伎」のほとんどを書き下ろしている中島かずきが脚本を書いている。

こうしたことからも、今回の作品が35周年記念の集大成的な作品であることがよく分かる。ただ全体を包み込むテイストはあくまで「ネタもの」。それは作品名の前に「チャンピオンまつり」と付ることで示している。これがついていればネタもの。語源は東映まんがまつりに対抗して東宝がはじめた「東宝チャンピオンまつり」だ。

待ちに待ったネタもの作品。もうそれだけで自分としては嬉しいわけだが、そこに轟天と五右衛門が共演ときた。というわけで本論に入る前にもう少しこの2つのシリーズについて語らせてください。

「わたしと轟天」

自分が新感線を観始めたのは94年の「星の忍者」。確か、そこで主演した橋本じゅんが海外に留学し、戻って来て作られたのがこの「ドラゴンロック」である。いったい海外に何をしにいったんだ、というぐらいの馬鹿馬鹿しさ満載の作品だったが、実は自分は劇場で観ていない。まだ新感線を観始めたばかりで、ちょっと甘く考えており、当日券出るかな、と思って直接シアターアプルに行ったら1枚もなくて観られなかったのだ。ポスターのビジュアル、そして「直撃!!ドラゴンロック」というタイトルを見ただけでわかる、千葉真一の空手映画のパロディー。そして轟天という名前。言うまでもなく「海底軍艦」の轟天号から来ている。いや、惑星大戦争の轟天号かな。まあ一緒。特撮で育ち、いい歳になっても特撮から離れようとしなかった世代には堪らないネーミングだ。惜しいことをしたな、と思っていたところ公演が終わってしばらくしてNHKが深夜に放送してくれた。NHKは以前、深夜などによく舞台の映像を流していた。

2作目の「九龍城のマムシ」はきっちり前売りを購入してサンシャイン劇場で鑑賞。これは本当に面白かった。馬鹿馬鹿しさにプラスして様々な映画や特撮、そしてミュージカルまで、これでもかというほどのパロディーの嵐。個人的には新感線のベストプレイに推したいほどだ。3作目の「轟天VSエイリアン」は、ちょうど仕事でへばっていた時期で行けなかった。

後日、この3作は「轟天BOX」としてDVDが発売された。大事にしていたのだが、どこかへ行ってしまった。

「わたしと五右衛門」

一作目は新宿コマ劇場での上演。コマ劇場という場を使い切ってやるぜ、というかなり肩に力の入った作品で、しかも北大路欣也に松雪泰子に江口洋介、とゲストも豪華そのもの。あまりに力が入り過ぎて、自分としてはノリきれずに終わった。

二作目は天海祐希をゲストに迎え、フランスに渡った五右衛門が大立ち回り。今度は力が入りつつも、ところどころ力の抜けた、新感線らしいいい舞台になった。神田さやかも出演し、歌のうまいところを見せていた。

三作目はつい先日の2012年。実は観ていない。

・・・とまあ、轟天にも五右衛門にもそれなりに思い出はあるのだが、ぱっと見てお分かりのように、自分は断然轟天への思いが強い。だから五右衛門vs轟天と聞いて、ベースが五右衛門だったらちょっとイヤだなあ、と不安だった。

が、ここから本題に入ると、幕が上がってすぐ、それは杞憂だと分かった。突然登場した悪の秘密結社の幹部たち。それらは完全に「ドラゴンロック」の世界、ネタものの住人だ。

五右衛門が出てくると、少し空気感が変わるものの、そこは古田だからしっかり舞台をつくる。あくまでネタものの枠組みの中で、五右衛門のキャラクター、世界観をにじませていた。

松雪泰子は五右衛門ロックの第1作目と同じ峰不二子のような女泥棒「お竜」役で登場。あまりネタに流されることはなく、さすがに大女優に馬鹿なこともさせられないのかなあと思ったらとんでもない、クライマックスのあの姿はもう最高でした。アレ見るだけでもこの舞台には価値がある。

轟天に五右衛門、そしてお竜以外にも、かつての作品に登場したキャラクターが次々と出てくる。両シリーズだけではない、「踊れ!いんど屋敷」や「レッツゴー!忍法帳」など他のネタものからも懐かしいキャラクターが登場だ。コアな新感線ファンはキャスト表を観ないで舞台に臨んだほうがいろいろ発見やオドロキがあって楽しいのではないか。

そうそう、ネタもののときは、懐かしの特撮やアニメだけではなく、メジャーなミュージカルのパロディーもよく出てくる。「オペラ座の怪人」や「ライオンキング」など。そして今回は、あっと驚く作品のパロディーが。これは日本で上演していないので、かなり通なネタだ。わかった人も少なかったと思う。

その「オペラ座の怪人」パロディーでクリスティーヌを演じたこともある中谷さとみが、今回も娘役で登場。今回、本編内でもいじられていたように結構な歳ではあるが、入団以来ずっと少女役だ。新感線内の時間はウラシマ効果で止まったままなのだ。

個人的には、2007年の「犬顔家の一族の陰謀~金田真一耕助之介の事件です。ノート」以来の傑作だと思った。そして99年の「直撃!ドラゴンロック2」に匹敵する、新感線ベストプレイと言っていい。あくまで個人的にだけど。別にいのうえ歌舞伎が嫌いなわけじゃないが、やっぱりネタものは新感線の真骨頂だ。

もっとも、今回はネタものでありながら、中島かずきの脚本によっていのうえ歌舞伎のテイストも存分に織り込まれている。後半の、裏切りが裏切りを呼ぶスピーディーな展開はまさに中島の得意技。もう観ててぞくぞくするぜいたくさだ。

前置きが長いわりに、本論に入るとネタバレになりそうなのであまり書けないのが歯がゆいところだが、とにかくこれは新感線をずっと観てきた人なら何を置いても観に行くべき作品。カッコいい新感線が好きな人にはお勧めしないけど。いやあ楽しかった。

「五右衛門VS轟天」公式サイト
http://www.vi-shinkansen.co.jp/UserEvent/Detail/110

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2015年5月17日 (日)

山本耕史&堀北真希「嵐が丘」 これは観ないと損

キャサリン 堀北真希
ヒースクリフ 山本耕史
ヒンドリー 高橋和也
エドガー 伊礼彼方
ヘアトン 矢崎  広
ジョウゼフ 小林勝也
イザベラ ソ ニ ン
ネリー 戸田恵子
   

自分は「ケータイ刑事(銭形舞)」や「逆境ナイン」のころからのヘビーな堀北真希ファンである。近年、舞台に挑戦しているので、いつも見たいと思いながら実現できていなかった。そして山本耕史の舞台俳優としての力量はよく分かっているつもりだったが、考えたら2003年のレ・ミゼラブル以来見ていなかった。

その2人が共演、となればこれは足を向けないわけにはいかない。しかも、演目は「嵐が丘」。「ガラスの仮面」で読んだのと、松田優作主演の映画でぐらいしか予備知識がなかったが、いつか劇場で観たいと思っていた。数年前、松たか子主演で上演されたときも、チケットを買ったが行けなかった。

しかし、特に松田優作主演の映画で、重ーい話というイメージがあったので、ちょっと不安でもあった。このところ寝不足気味だったし、寝ちゃうだろうなあと。

ところが、一睡どころか、眠いとすら感じなかった。最初から最後までずっと舞台に引き込まれ、実に幸せな観劇の時間を過ごすことができた。

大きな理由は2つ。ひとつは俳優たちの演技の心地よさだ。

山本耕史が見せるスゴ味と、その奥に覗かせる人間味は、ヒースクリフの深い闇と愛の深さを余すことなく伝えてくる。無駄な演技は何ひとつなく、すべてが表現となって観客の心に響く。

堀北真希の演技は一挙手一投足がすべて演技の基本に忠実な、折り目正しいものだった。しかし、なぜかあまり「演劇的」ではない。だがそれがいい。キャサリンの純粋さ、純粋すぎて罪になってしまうその性根が全身から漂う。

高橋和也の役どころは悪役といえば悪役だが、どこか憎めない、心の弱さを前面に出した演技が印象的だった。ソニンを舞台で観るのは久しぶりだったが、相変わらずの存在感で、舞台に大きなアクセントを添えていた。

小林勝也のひょうひょうとした演技は決して笑いを取るものではないが、どうにもおかしい。「君となら」の演技を思い出してしまうとなおさらだ。

そして語り部となるネリーの戸田恵子は、もはや名人芸の域。淡々とした語り口で観客の興味をぐっと引き付ける。

これら各様の演技を楽しんでいると、あまりに楽しすぎてとても眠くなんてならない。

そしてもう一つ、G2氏の職人的な演出が見事にハマっている。つい先日、博多座の「めんたいぴりり」が千秋楽を迎えたばかりだが、その直後にこれだけの仕事をするのだからまさに職人という言葉がふさわしい。「めんたいぴりり」もとても評判がよく、ぜひ観たかったのだがかなわなかった。

原作のセリフを重んじ、正面から向き合い、決して奇をてらうことなく、一方で大胆にエピソードを取捨選択し、冗長にならずテンポよく物語を進めていく。それだけでも眠くならない要因になるが、今回の演出で最も素晴らしかったのは、登場人物ひとりひとりに向けられた眼差しがとても温かい。この物語に出てくる人物はみなそれぞれに悲しい。だがその悲しい生き様を見ながら、不思議に温かな気持ちになるのは、演出の勝利だ。だから観劇後、決して暗い気持ちにならずに劇場をあとにできた。

ストレートプレイを観てこんなに豊かな、満たされた気持ちになったのは何年ぶりだろう。これは観ないと公開する傑作と言える。あー楽しかった!なんて言葉が「嵐が丘」を観て出てくるなんて!

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「嵐が丘」公演情報ページ

http://www.shochiku.co.jp/play/others/schedule/2015/5/post_203.php

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2012年6月17日 (日)

劇団☆新感線「シレンとラギ」

作・中島かずき 演出・いのうえひでのり

ラギ 藤原竜也
シレン 永作博美
ゴダイ大師 高橋克実
ギセン将軍 三宅弘城
シンデン 北村有起哉
ミサギ 石橋杏奈
ダイナン 橋本じゅん
モンレイ 高田聖子
モロナオ執権 粟根まこと
キョウゴク 古田新太
ショウニン 右近健一
ヒトイヌオ 河野まさと
ギチョク 逆木圭一郎
トウコ 村木よし子
アカマ インディ高橋
ヨリコ 山本カナコ
コシカケ 礒野慎吾
モロヤス 吉田メタル
マシキ 中谷さとみ
セモタレ 保坂エマ
ヤマナ 村木 仁
トキ 川原正嗣
北の王国の貴族・宮女/
南の王国の民・教団員
上田亜希優子、須水裕子、中野真那、
西田奈津美、松尾杏音、吉野有美
北の王国の貴族・兵士/
南の王国の民・兵士・教団員
蛯名考一、小林賢治、桜田航成、
二宮敦、武田浩二、藤家剛、加藤学、
川島弘之、安田桃太郎、伊藤教人、
菊地推人、南誉士広
 

お久しぶりの新感線。昨年の「髑髏城の七人」(小栗旬主演)はそりゃもう見たかったわけだが、チケットを確保していたにもかかわらず行くことができなかった。今回もいったん行けなくなったが、別の日程で買い直して無事観劇。

今回は藤原竜也、永作博美という2人の客演によるダブル主演。気合の入り方が伝わってくるキャスティングだ。

舞台の藤原はこれまた数年ぶり。相変わらず素晴らしい存在感だ。テレビや映画で見ているととても舞台向きには見えないのだけれど、なぜか舞台でまばゆいばかりの輝きを見せる。こういう人がいる限り、日本の演劇もまだまだ捨てたものではない。

永作の舞台は初めて。最近演技力に磨きがかかってきたが、俺にとってはやっぱり「ribbonの子」だ。そのribbonが新感線の舞台に出演したのは1993年の「Timeslip 黄金丸」。俺が新感線を見始めたのは94年なので、間に合わなかった。

藤原は蜷川仕込みの狂気さをケレン味たっぷりに、一方で永作は「伝説の殺し屋」をあくまで普通の女性として演じる。この2人の対象的な演技が絡み合う面白さは、実にぜいたくな味わいである。

もう一人、高橋克実の客演も実に生きている。離風霊船の出身だから舞台での実力はあるのだろうと思っていたが、これは想像以上。鬼気迫る圧倒的な迫力で巨大な青山劇場を実に演劇的な空間に変えていた。

「いのうえ歌舞伎」は、2005年の「吉原御免状」以降、「いのうえ歌舞伎第二章」として、それまでの何でもアリのド派手な娯楽作品から、様々な方向性を試しつつ人間ドラマを重視するものに変わってきている。しかし、今回の作品を観て感じたが「第二章」はその長い旅路を終え、次第に「第一章」に戻りつつあるのではないか。人間ドラマをきっちり描ける実力を持った人たちが作る単純な娯楽作品ほど面白いものはない。「いのうえ歌舞伎第三章」の誕生はもうすぐそこまで来ているのではないか。

「シレンとラギ」の登場人物たちはみな、濃い陰を抱えながらしぶとく人生を渡っている。そんなクセ者どもが、中島かずきの真骨頂である裏切りと信頼のらせん構造の中で実にイキイキと殺し合いを演じている。それぞれの陰影は、エンターテインメントの光の中でうすぼんやりとしたものに見える。だが目をこらしてみるとその陰影がくっきりと読み取れる。この多重構造は、いのうえ歌舞伎、そして劇団☆新感線ならではのものであり、商業演劇と小劇場の2つの文化が盛りたててきた日本演劇界を象徴するものでもある。

さらに、今回のストーリーには、藤原竜也を迎えたからだろうか、シェイクスピアへのオマージュが随所に見てとれる。そしてそれが消化不良にならず、いのうえ歌舞伎の雰囲気に溶け込んでいる。「メタルマクベス」はじめ、新感線、いのうえひでのりもシェイクスピアとさまざまな局面でかかわって来た。だからそんな芸当も可能なのだ。

ちょっと面白かったのは、この舞台の世界観だ。日本のいつかの時代の話のようにも見えるが、そうでないようにも見える。大河ドラマ「平清盛」では、皇室を「王家」と呼称して話題を呼んだが、その賛否はともかく、そうすると明らかに日本の話なのに、どこか異国の話のようにも感じ取れることが分かった。「シレンとラギ」はその手法をうまく活用している。

7年ごとの節目で上演される「髑髏城の七人」を昨年見逃したのは悔やまれるが、予定どおりに行けば来年は3年ごとに上演される「ネタもの」の年。前回の「鋼鉄番長」は主演の橋本じゅんはじめ怪我人続出で一時公演中止に見舞われたが、その前の「犬顔家の一族」は死ぬほど面白かった。2作品ともDVD化されていないのが全くもって悲しい。「犬顔家」は歴史に残るバカバカしさで、ぜひ多くの人に見てもらいたいのだが――。

そうそう、アンサンブルに上田亜希子がいた。四季を卒業してから地味に活躍しているが、こういう実力ある人がもっと前面に出る機会が増えれば、日本の演劇がもっと面白くがなるのに!

あと、どうも自分が観た回を、松井玲奈が観ていたようだ。それに気付かなかったとは、何たる不覚。仕事以外の時はもっと神経を研ぎ澄ませておこう、と心に誓った。

劇団☆新感線「シレンとラギ」公式サイト
http://www.shiren-to-ragi.com/

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2012年5月 5日 (土)

演劇銭団Doリンク場 「そらあい~暁月夜に巣掻く想い~」

博多の知人が参加している劇団の公演がちょうどゴールデンウイーク期間中にあるというので足を運んだ。キャナルシティのすぐそばにある、ぽんプラザホール。100人ちょっとが入る大きさで、ザ・スズナリよりちょっと大きいぐらいだが、天井も高く、キレイで見やすいホールだ。

演劇銭団Doリンク場は2006年の結成。立ち回りを含むエンターテインメント性の高い時代劇を得意としている、と聞いていた。

今回の公演はオリジナル作品「そらあい~暁月夜に巣掻く想い~」。幕末の土佐藩を舞台に、倒幕に動く志士たちの情熱と苦悩を描く。

近藤勇も坂本龍馬も登場しない。主役は名もない若者たちだ。歴史の大きなうねりの中で、名もない者たちは結局名もないまま消えていく。それはどうしようもない真実であり、数限りなく演劇という手法でも語られてきたモチーフだ。

だがこの作品はそれらとは一味異なる。名もない若者たちの、家族や身近な人々への思いをこれでもかと描き込むことに多くのエネルギーを費やしている、という点においてだ。序盤は、幕末ものにしてはその部分があまりに強調されているため、なんだか甘ったるい舞台だな、やはり関東の人間には博多の味は甘いのか、と感じていた。しかしそれは大きな間違いで、その甘さがしっかりと作りこまれているからこそ、後半の大立ち回りや、悲劇的な展開が強烈に引き立ってくる。

そして、悲しいだけでは終わらない。この作品では、セリフの中で何度も比喩として「空」という言葉を語っており、それを通じて何か大きな無常感のようなものを提示している。今まで、無常という視点は厭世的な、あるいは達観した、冷めた見方だと考えていた。しかし、無常を認識することで、人は目の前に広がる大きな悲劇から、少しだけ救いの光を見出すこともできるのだ。この作品のメッセージを、自分はそう感じ取った。

エンターテインメント性の高い時代劇、といえば、劇団☆新感線に代表されるような、笑いあり、ドラマありのエキサイティングな舞台を想像しがちだ。しかし、彼らは強く娯楽を意識しつつも、笑いを重視することはせず、正攻法で物語に取り組んでいる。1幕のみとはいえ2時間を超える大作にもかかわらず、正攻法だけで最後まで見せるのは個々の役者だけでなく、演出も含めた劇団全体の実力が相当に高くなければできない。セリフもひとつひとつが実に丁寧に紡ぎだされていて、観客の心の中に詩を読んで、あるいは聞いているときのようなイマジネーションを広げてくれる。

前日のどんたくでも感じたことだが、博多の芸事に対する姿勢は歴史的に見ても極めて真摯であり、それが今日の演劇にも脈々と息づいているのだろう。これからはキャナルシティ劇場や博多座だけではなく、小劇場の公演にも積極的に足を運んでいきたいと思う。

演劇銭団Doリンク場のウェブサイト
http://dolinkba.ehoh.net/

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2011年7月 1日 (金)

北区つかこうへい劇団解散公演「蒲田行進曲」

銀四郎 武田義晴
ヤス 相良長仁
小夏 木下智恵

北区つかこうへい劇団がいよいよその千秋楽を迎える。最後の演目は「蒲田行進曲」。北区にある滝野川会館で観てきた。

解散公演シリーズ、結局観たのは最初の「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」とこれだけで、飛龍伝やロマンスはチケットを確保しながら行けなかった。残念。

さて「蒲田」である。熱海(オーソドックス版)や飛龍伝が自分の中では上を行くが、世の中的にはつかこうへい作品の中で最もポピュラーと言ってさしつかえなかろう。

微妙な位置の映画スターである銀ちゃん、その彼女の小夏、そして小夏をお腹の赤ん坊ごと「押しつけられた」ヤス。3人の関係、銀ちゃんと小夏、銀ちゃんとヤス、そして小夏とヤス、それぞれが実に折り目正しく、じっくりと描かれているという構造的にも美しい作品だ。

つかこうへい作品に流れるものを「前向きのマゾヒズム」と称する向きがある。その言葉自体への好き嫌いはあるだろうが、言わんとすることは分かる。

映画版「蒲田行進曲」では、特にヤスの演技がまさしくそれだったが、原典である舞台を見ると、実は3人ともMであることがわかる。

MとMとMとの関係が、幸せなものになるわけがない。

話が突然それるけど、SKE48のメンバーが勝手に結成したサークルに「2次元同好会」というのがある。無類のアニメ好きで知られる松下唯を中心としたグループだ。先日、それを番組化する文化放送の企画で公開収録が行われ、松下唯、中西優香、古川愛李、秦佐和子という俺セレクションのようなメンバーが出演。当然見に行ったわけだが、そこでSとMの話になった。ゲストとして呼ばれた声優・森久保祥太郎が、「Sというのは、相手を攻撃するのではなく、『コレが欲しいんだろ?』相手の望むものを与えることに快感を覚える人のこと」と解説していた。それを思い出した。

話を戻すと、つまりこの3人の関係性では、望むものを与えてくれる人が誰もいない。3人とも、ずっと何かを求め続けるだけの悲しい関係なのだ。

だから蒲田行進曲の終盤は、とても悲しい。誰かが死ぬとか、誰かと別れるとか、そういう問題ではなく、人生の本質に絶望を感じさせる。

だがつか作品はどんなに悲しいラストを迎えても、観客が劇場を出た時、前に向かって歩きだせるように、エンターテイメントらしく、華やかに、カッコよく終わる。この日はアリスの「青い稲妻」で締めくくった。

94年からつか作品に出演しているベテラン、武田義晴の銀ちゃんと、劇団15期生というホープの相良長仁のヤスという組み合わせは、これからつか作品を日本演劇界がどう演じていくのか、その姿勢を示しているようで興味深い。木下智恵の小夏はいかにもつか作品のヒロインだし、吉田学やとめ貴志といった北区つかこうへい劇団を支えてきた熱い男たちの演技も心地よかった。

さて、7月3日をもって北区つかこうへい劇団は解散となり、一部の団員は新生「北区 AKT STAGE」へと移って活動を続ける。解散には賛否両論もあるだろうが、中の人たちが納得しているなら外野があれこれ言うことではない。18年間、500円や1000円といった金額で熱のこもった公演を続けてきたすばらしい劇団の面々に、心から感謝したい。北区も、時に役所としては問題になりそうなセリフも数多いつか作品を、18年もよく支えてきたものだ。ハコものではなくソフトを、というかけごえは全国の自治体で聞かれるが、それに成功した事例は数えるほどしかない。北区つかこうへい劇団は、間違いなくその成功事例だと言えるだろう。

本当にありがとう。

北区つかこうへい劇団のWEBサイト
http://www.tsuka.co.jp/index.html

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2011年2月11日 (金)

「熱海殺人事件」NEXT ~くわえ煙草伝兵衛捜査日誌~

木村伝兵衛部長刑事 山崎銀之丞
熊田留吉 武田義晴
片桐ハナ子 長谷川京子
大山金太郎 柳下 大

紀伊國屋ホールに木村伝兵衛が帰ってきた。演じるのは90年代に「熱海」を復活させたシアターXの公演で大山金太郎を演じ、その後「銀ちゃんが逝く」にも主演した山崎銀之丞だ。山崎はもう48歳。伸び盛りの若手が演じることの多かった木村伝兵衛としては間違いなく最高齢での挑戦だろう。

自分も彼を舞台で観るのはずいぶんと久しぶりだ。「銀ちゃんが逝く」の東京再演以来だと思うので、もう10年以上前の話だ。

その演技、体のキレは昔のままだが、声がかなりダメージを受けていた。もう声を張り上げるつか作品はさすがに厳しいのだろうか。自己陶酔、狂気、正義感、卑屈さ、尊大さ、そして遊びの部分と、七色に変わるこのキャラクターをきっちり演じ分け、その上に自分の色を出すあたりはさすがの一言である。

対する熊田留吉に北区つかこうへい劇団の大ベテラン、武田義晴。こちらも40オーバーだが、声の張りに衰えはみじんもなく、山崎の声を補うようにして舞台全体を活気づけていた。

驚いたのは、長谷川京子の演技だ。テレビで見せる美人オーラとは全く別の、妖しい輝きを放っている。舞台経験は少ないはずなのに、大きな演技は観客の目を引き、よく通るカツゼツのいいセリフ回しは耳に心地よい。日本演劇界は大きな掘り出し物を手に入れたというべきだろう。

柳下大はD-BOYSで、「テニスの王子様」ミュージカルの出身。「銀河英雄伝説」のときも感じたが、こうしたポップな舞台が優れた人材を育成している事実を、日本演劇界は直視しなくてはならない。

つかスピリッツを受け継ぐ2人と、新たにその世界に飛び込んできた2人が組んず解れつの大格闘で展開する熱海殺人事件。実にエキサイティングな2時間だった。

さて「片桐ハナ子」とあることから分かるように、今回の熱海は、数あるバージョンを生みだした90年代以降の熱海ではなく、つかこうへい事務所解散前の、70年代―80年代の熱海がベースになっている。90年代に熱海を知ったつか新規の自分は未見だが、その脚本を書き起こしたものは北区つかこうへい劇団のWEBサイトでダウンロードできる。小さな劇団が上演するぶんには上演料はいらない、自由に改編してもいい、というつかのスタンスがここに表れている。

今回の公演パンフレットにも詳しく書かれているが、90年代以降のバージョンの中でも比較的オーソドックスな「ザ・ロンゲスト・スプリング」や「傷だらけのジョニー」と、初演版を比べた場合、決定的に異なるのはその軸が90年代以降は木村伝兵衛と水野婦警の関係に置かれているのに対し、初演では大山金太郎と山口アイ子の関係に置かれている、という点だ。

そのため、クライマックスとなる大山金太郎の回想シーンは、自分がこれまでに観たどの熱海よりも、重く、悲しく、おかしく、せつない場面となった。しかしここまで非常にいい演技と存在感を見せた長谷川京子が、この段階に来てややパワーダウンしたのは残念だ。彼女のキャリアを考えればいたしかたないと思う反面、アイドルの中から名女優を引き出してきたつかこうへいだったら、この素材をもっと生かせていたかもしれない、と思ってしまうは自分の中でまだつかの死に折り合いがついていないせいだろう。

カーテンコールで、山崎は火のついた煙草を部長刑事席の机の上に置き、4人はその席に向かって拍手を誘った。言うまでもなく、つかに対する敬意を表したものだ。

日本演劇界が、これからもつか作品を上演していく、という決意を示したのが今回の公演である。そして、時を同じくして北区つかこうへい劇団は解散を決めた。

その経緯を詳しくは知らない。しかし、劇場で配られた、解散と解散公演を知らせるチラシには「前進か死か」と綴られていた。かつて、つかこうへい事務所写真集のタイトルに掲げられた言葉だ。日本の演劇界も、その門下生たちも、明日に向かって力強い一歩を踏み出した。あとは自分たち観客がどうするかだが、そんなもん決まっている。徹底的に観続けるだけだ。

「抜け目なく見透かしてやろうって腹だから、そりゃあ凄え形相だ」

って言われるぐらいの姿勢でな。

蛇足だが、この1カ月の間に、勤めている会社の仕事で熱海と、大山の故郷である五島に行った。そして熱海殺人事件を観た。特に何の意味もない偶然ではあるが、そこに意味、いや意義を見出してやろうかとも、少しだけ感じている。

Atami2011

公式HP
http://www.rup.co.jp/information/atamisatsujin_next.html


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2011年1月10日 (月)

舞台「銀河英雄伝説」第一章 銀河帝国編

ラインハルト・フォン・ローエングラム 松坂桃李
ジークフリード・キルヒアイス 崎本大海
グリューネワルト伯夫人アンネローゼ 白羽ゆり
ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ 宇野実彩子
ウォルフガング・ミッターマイヤー 中河内雅貴
オスカー・フォン・ロイエンタール 東山義久
バウル・フォン・オーベルシュタイン 貴水博之
ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ ジェームス小野田
セバスティアン・フォン・ミューゼル 堀川りょう
フリードリヒⅣ世 長谷川初範
フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト 吉田友一
エルネスト・メックリンガー 岡本光太郎
ベルンハルト・フォン・シュナイダー 村上幸平
アウグスト・ザムエル・ワーレン 土屋研二
コルネリアス・ルッツ 平野勲人
シュターデン ひわだこういち
オフレッサー 中村憲刀
アルツール・フォン・シュトライト 北代高士
アンスバッハ 高山猛久
オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク 園岡新太郎
ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム 石鍋多加史
 

昨年の発表以来、その出来が注目されていた舞台版「銀河英雄伝説」がついに幕を開けた。原作の序盤、ラインハルトが門閥貴族に打ち勝って権力を掌握するまで(「黎明編」「野望編」)の物語を、銀河帝国パートのみに絞って描く。

主演は「侍戦隊シンケンジャー」シンケンレッド役で、主に女性の大きなおともだちから絶大な支持を受けた松坂桃李。そして「シンケンジャー」でもそうだったが、周囲に「テニスの王子様ミュージカル」で人気を集めた俳優を多数配置していることから、完全に成人腐女シフトと思われた。いざ劇場に足を運んでみると、果たせるかな客層は完全にソレである。かねてよりの銀河英雄伝説ファンと思われる人は極めて少なく、以前「シンケンジャーショー」俳優出演回を観に行ったときの、森田涼花めあてのアイドリングオタよりさらに少数派だ。こりゃあ場違いなトコに来ちゃったかな、という感じが漂った。

しかし、始まってみるとこれがなかなかの出来栄えだった。

原作のほんの一部とはいえ、壮大なスケールの物語を2時間半あまりで描くわけだから急ぎ足にならざるを得ないが、重要な場面や、観客に訴えかける演出には時間を割いてじっくりと見せる。「銀英を舞台にする」だけに満足せず、芝居としていいものにしよう、という姿勢が大いにうかがえた。しかも、それがカラ回りせず、原作の世界観とうまく融合している。

演出面において特徴的なのが、宇宙空間での艦隊決戦の様子を、冗談のように人数の多いアンサンブルがその肉体で表現していることだ。さらに、彼らが口をそろえて、重要な「語り」を担当する。

この手法を可能にしたのは、演出の西田シャトナーだ。演劇好きなら耳に覚えのあるであろうその名前。90年代を駆け抜けた劇団「惑星ピスタチオ」の中心人物である。

小劇場ブームが去り、唯一生き残った劇団☆新感線がひとり勝ちを収めつつあった中で、それに対抗しうる勢力と目されたのがピスタチオだった。自分はその活動期間の中では後半のほうで1作観ただけだったが、西田シャトナー、平和堂ミラノ、腹筋善之助、佐々木蔵之介といった中心メンバーの豊かな才能がぶつかりあう、エネルギッシュな舞台だった。その演出の最大の特色が、すべてを人間の肉体で表現する「パワーマイム」だった。

ちなみに自分はその作品を観たとき、非常に面白いが、それぞれの才能が別々の方向を向いているな、と感じた。そこがいのうえひでのりの方向性をみなが共有しちている新感線との大きな違いだった。その後、平和堂ミラノ、佐々木蔵之介らは退団し、ほどなく劇団は解散した。それぞれの活動をまた観てみたいものだ、と思っているうちに、平和堂ミラノが病気により急逝してしまう。演劇界における大きな損失だった。佐々木蔵之介の活躍はご存じのとおりだが、西田シャトナーは最近どうしているかな、と感じることも少なくなるほど、自分の記憶から消えかかっていた。

話が長くなったが、その西田シャトナーと「パワーマイム」が、この舞台で突然、目の前に現れたのである。イゼルローン要塞の間近にガイエスブルグ要塞がワープしてきたようにびっくり仰天だ。

かなりアバンギャルドなこの手法は、下手をすれば失笑を禁じえない。しかし、ギリギリのところで踏みとどまり、この舞台に大きな生命力を与えるのに成功した。演出技法としてだけでなく、この表現によって、何百万、何千万という途方もない数字が飛び交う恒星間戦争においても、結局は人と人との戦いであることを象徴的に示すという役割も担っていた。

三枝成彰の手による重厚感あふれる音楽も実に効果的に銀河英雄伝説の世界観を支えていた。忠臣蔵もオペラにしたこの人の手にこの舞台の音楽を依頼したのは大正解だったように思う。ただ、劇場の施設の問題か、音響がいまひとつだったのは残念だった。

俳優たちの演技に目を転じると、主演の松坂桃李が実にいい。まあかなりシンケンレッドとだぶる演技ではあるのだが、声がよく出ていて、セリフが聞き取りやすい。舞台向きの人かもしれない。テニスの王子様出身の俳優たちも、みなとてもいい声を出していた。そうした若い人に人気の舞台が、着実にいい舞台俳優を養成していることがわかる。一方で、東宝ミュージカルに出演している東山義久の声が聞き取りにくい。何やってんだ東宝。とはいえ彼の場合もともとダンスの人である。オフレッサーとの死闘で繰り広げる殺陣では、その美しい身のこなしが、凄惨な「ミンチメーカー」と不思議なコントラストを成して妖しい美しさを醸し出していた。あの美しさが、セリフや演技にももっと感じ取れれば、実にいいロイエンタールになるかもしれない。とりあえず、ラインハルトが皇帝になるまでには「マイン・カイザー」と美しく発音できるようになっておいてほしい。

そういえば、「特捜戦隊デカレンジャー」のデカブレイク、吉田友一が、これまたデカブレイクな感じの演技で、この舞台の唯一ともいえる「笑い」を担当していた。原作やアニメ版の雰囲気とは違うが、ビッテンフェルトを愛されキャラとして使うあたりは、この作品の世界観をよく理解していると評価していい点だろう。

総じて、実にまじめに、いい舞台をみなで作り上げているという印象がある。さっそく「外伝」で6月にミッターマイヤーとロイエンタールを主役にした舞台を製作するそうだが、第二章、自由惑星同盟編?も大いに楽しみになってきた。

ただ、個人的に、ちょっとものたりない部分もある。それは、おそらく、この作品はきら星のごとく立ち並ぶいいオトコたちを堪能して、ちょうどお腹いっぱいになるように設計されているからだ。自分が女性だったら、さぞもっと満足できただろうになあ、と思うとちょっとくやしい。次の外伝は、ぜひカーテローゼ・フォン・クロイツェルを主役にしてだな、女性士官のオリジナルストーリーを……

Ginei

舞台版「銀河英雄伝説」の公式サイト
http://www.gineiden.jp/index.html

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2010年11月 3日 (水)

北区つかこうへい劇団「飛龍伝」

つかこうへい永眠後、初めて迎える北区つかこうへい劇団の本公演。その演目が「飛龍伝」になると聞いたときは嬉しかった。「熱海殺人事件」と並び自分の好きな作品だからだ。もし、数年に一度しか登場しないこの作品がもっと頻繁に上演されれば、「熱海」を大きく上回り、自分の最も好きな作品と言えるようになるのかもしれない。

今年、黒木メイサ主演で上演された「ラストプリンセス」は観ていないため、この作品を劇場で観るのは2003年の広末涼子版以来。その前に観たのが1994年の石田ひかり版。考えたら、俺この作品観るのまだ3回目じゃないか。しかし、そのセリフひとつひとつまでが強烈に印象に残っており、タイトルを聞くだけで軽い興奮を覚える。そのぐらい「飛龍伝」は特別な存在だ。

日本中が熱かった安保闘争の日々。そのさ中に出会った、全共闘委員長・神林美智子と機動隊隊長・山崎一平の壮絶な恋の行く末を軸に、若者たちの熱い心を描きだす群像劇、それが「飛龍伝」である。

一時の活動休止ののち、演劇を再開したつかこうへいが「初級革命講座飛龍伝(1973年)」を大幅に改稿し、1990年に上演した「飛龍伝’90 殺戮の秋」。以来、山崎一平は一貫して筧利夫が演じてきた。飛龍伝の山崎といったら、筧そのものだった。

しかし、今回は北区つかこうへい劇団の団員のみによる上演である。筧も、有名女優もいない。その飛龍伝がどう自分の目に映るのか。そしてこれからの北区つかこうへい劇団はどうなるのか。興味を持って初日の舞台に足を運んだ。

先日もNHKの番組で取り上げられるなどこの公演に対する注目度は高く、チケットは売り切れの盛況ぶりだ。初日とあって関係者の顔もちらほら。広末版で高崎俳句大学の学生活動家を演じていた及川以造の姿もあった。

そして開幕。

休憩なしの2時間半。

終演。

感想は――

素晴らしかった。

初めて、本当の飛龍伝を観た気がした。

山崎一平を演じる筧利夫の演技は、神業と言っていいすさまじいものだった。それ無しで、はたして飛龍伝の魅力を感じられるか疑問だったが、これはその問題意識自体が大間違いだったことに気付いた。

筧の山崎は確かにすさまじい。しかし、それは飛龍伝という作品自体のすさまじさとは全く別のものだったのだ。これまで、筧はその演技力と存在感によって、飛龍伝の強烈すぎる刺激から、観客を守ってくれるフィルターの役を果たしてくれていたのだ。

その筧が今回はいない。観客を守るものがない。その結果、「飛龍伝」に直接さらされることになった。直射日光をもろに浴びるどころか、太陽を直視するような、人間の許容能力を超えたエネルギー。真の感動とは、それほどの刺激を受けたときに生じるものだということを、今日自分は学んだ。これに比べれば、ふだん「感動した」「泣けた」と言っているレベルの感動など、もはやゴミ同然である。

そう、ゴミだ。自分の全存在を掛けた行動を伴わない思想も、理想も、恋愛も、青春も、結婚も。飛龍伝は圧倒的な説得力で、そう語りかけてくる。そのセリフ一言一言が、なかなか一歩踏み出せずにただ漫然と年を食っているだけの、リアルな社会を生きる人間の心にいちいち深く突き刺さる。

これが飛龍伝だったのか。自分が、たった2回しか観たことのないこの作品になぜこんなにも惹かれるのか、少し分かった気がする。同時に、この作品が好きでいたことを、誇りに思う。

もうひとつの関心事項だった、北区つかこうへい劇団の行く末。北区がつかこうへいなきあと、今後この劇団をどう支えていくのかは、今回の公演が大きく影響するように思う。行政判断だから、その地域に住んでいない自分の言えることではないが、あえて言おうじゃないか。今回の公演を観て、この劇団を投げ出すような判断をするなら、その見識を疑う。

つかこうへいは逝った。しかし、その精神はかなりの濃度で凝縮され、彼ら北区つかこうへい劇団の団員たちの中に宿っている。劇団としてのまとまりもある。飛龍伝は群像劇という側面があることを、今回の公演で強く感じた。それは、団員たちの結束がなせる技だった。そう考えると、今回の公演に飛龍伝を選んだのは大正解だったと言える。

今回の公演が北区にどう評価されるかは分からないが、それがかんばしいものであったとしても、今後常に厳しい波風にさらされていくことになるだろう。頑張ってほしい。自分は観に行くことしかできないが、応援したい。

だが試練を受けているのは彼らだけではない。つかこうへいという存在を失った、日本の演劇界自体が試されているのだ。そこでもまた、自分は観ることしかできない。それがわずかでも演劇界に貢献していくことだと信じて、これからも全力で多くの舞台を観ていきたい。

北区つかこうへい劇団のホームページ
http://www.tsuka.co.jp/

 

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2010年10月11日 (月)

2010年劇団☆新感線30周年興行(秋)豊年漫作チャンピオン祭り「鋼鉄番長」

出演:橋本じゅん、坂井真紀、池田成志、高田聖子、粟根まこと、田辺誠一、古田新太ほか

<ネタばれします!これから観る人は読まないでください>

3年に一度のお楽しみ、新感線の「ネタもの」公演。しかしもっとも新感線らしさが味わえるのがこの「ネタもの」だ。3年前の「2007年夏休みチャンピオン祭り『犬顔家の一族の陰謀~金田真一耕助之介の事件です。ノート』」は見事だった。なぜDVD化してくれないのか本当に疑問だ。何か問題なところがあるのならそこをカットしてでも発売してほしい。もっとも問題だらけで、発売したら目黒のさんまのようになっているかもしれないが――。

今回のタイトルは「鋼鉄番長」。そして主演は橋本じゅん、と聞けば、何やら「ドラゴンロック~轟天」シリーズを思い起こさせる。不良のたむろする学校が舞台、とのことなので、「クローズZERO」や、それにインスパイアされた「マジすか学園」のような作品になるのかと予想していた。

しかし、ちょっと違った。ネタもとはずっとさかのぼった。「不良番長」まではさかのぼらない。80年代ジャストミート。東京公演も続いているし、大阪公演・福岡公演も控えているので、書くのやめようかと思ったけど、話が進まないから書いてしまおう。

メーンのネタは「スケバン刑事Ⅱ 少女鉄仮面伝説」である。

自分は知らないで観たのだが、途中でそれに気付いて小躍りしたくなるほど嬉しかった。自分がスケバン刑事をいかに好きだったかは話が長くなるので省略するが、まあそのぐらい好きだったのだ。

で、南野陽子の役を務めるのが坂井真紀。これがもう、普通に可愛い。笑っちゃうぐらい可愛い。これ見るだけで、ネタものとしては高額なチケット代ももとを取った気がする。

ほか、ネタものらしく70年代から2000年代まで幅広くさまざまなパロディーが炸裂する。かなり自分が試されている気がする。もちろんかなり分からないものもある。「犬顔家」では舞台のパロディーも多かったが、今回も「ヘアスプレー」などが取り入れられている。

笑いのインパクトと凝縮度は前回のほうがあったほうが強烈だったかもしれない。しかし陰謀渦巻く悪の学園、という設定は新感線にジャストフィットした世界観であり、見ていてずっーっとうすら笑いを浮かべながら安心して観ていられる作品だ。

ネタものを知らない新感線ファンも増えており、作品の評価は割れるだろう。いや、そもそも評価するべきものでもないのかもしれないし、いのうえひでのりも観客を引かせてなんぼだと思っている部分もあるだろう。

ただ、ネタもとが分からなかったので笑えなかった、というのは、あまり気にしなくていいのではないか。ネタもとが分かれば確かによりおかしいが、そうでなくても十分楽しいように作ってある。そもそも、評判のいい「轟天」シリーズだって、あれのネタもとが千葉真一のアクション映画だということを理解して観ている人はそう多くないハズである。

今回は、全般的に女優陣の活躍が目立ったように思う。高田聖子の制服姿は、坂井真紀のとは違った意味でこれだけでもとが取れた気がする。保坂エマは主役を食う存在感。中谷さとみもいい味を出している。村木よし子は本領発揮の怪演。山本カナコは久しぶりに持ち味の可愛いボイスを披露していた。今回、パンフレットに新感線に何年前から参加しているかが載っているが、保坂エマってまだ11年しか経っていないと知って驚いた。なんかもっと前からいたような気がしていたからである。ということは、劇団では中谷さとみのほうが先輩ってことか!

男優ゲストの田辺誠一はかなりいい。彼は実にうまい役者なので一度舞台で見たいと思っていたが、期待以上だった。

次に会えるのが3年後というのがほんとに寂しいネタものシリーズ。フルキャストそろわなくていいから、毎年やってくれないかなあ。

「鋼鉄番長」公式サイト(年齢制限あり)
http://www.ko-tetsu.jp/

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2010年8月21日 (土)

蜷川幸雄「音楽劇 ガラスの仮面~二人のヘレン~」

2008年に続き、彩の国さいたま芸術劇場にNINAGAWAガラスの仮面が登場だ。今回のタイトルは「音楽劇 ガラスの仮面~二人のヘレン~」。前回は見逃してしまったが、このタイトルに釣られないようでは姫川亜弓オタ、うんにゃガラスの仮面ファンとしては立つ瀬がない。序盤の大きな見せ場である「奇跡の人」を演じる北島マヤと姫川亜弓をリアルな舞台で観られるのは、想像するだけで興奮する。今回は万難を排してチケットを買い求めた。

観終わっての率直な感想。いやあ、面白かった。

蜷川幸雄の演出作品は過去にも何回か観ているが、いまひとつ好きになれなかった。ケレン味あふれるアバンギャルドな演出は嫌いではなく、むしろエンターテインメントとはこうあるべき、といつも感心するのだが、それがどこかで変化してゲージュツになろうとしてしまうのが気に入らなかったのだと思う。でも今回は違う。最後まで直球でエンターテインメントを貫き通している。逆説的だけど、これぞ芸術だと感じた。

実のところは、「彩の国ファミリーシアター」と銘打っているとおり、子供でも楽しめるよう甘口で作ってあるから、俺のような素人でも受け入れられただけなのかもしれない。これでもかというぐらいに客席を巻き込み、蜷川らしい裸火を使った派手な演出の一方で、ベタで分かりやすいギャグをそこかしこに散りばめた敷居の低さは、実に安心して観ていられた。

もちろん口あたりがよかっただけではない。原作の要素を丁寧に編みこんだ完成度の高い脚本、緊迫感ある劇中劇の演出、タイミングよく挿入される歌の数々など、観客の心をつかんで離さない、上質のミュージカルになっていると思う。

ガラスの仮面ファンをくすぐる要素も満載だ。北島マヤの「嵐が丘」や、姫川亜弓の「王子とこじき」など、印象深いエピソードを巧みに盛り込んでいるあたりが何とも心にくい。また原作にはないが、姫川亜弓が「テンペスト」で怪獣役を演じる場面が追加されている。あれ?このタイミングで原作では「美女と野獣」で使い魔を演じてたんでは・・・美女と野獣にしなかったのは、あえてなのか?「奇跡の人」の劇中劇は期待どおりの迫力で、以前シアターコクーンで観た大竹しのぶ主演(ヘレン役は鈴木杏だった)の実際の「奇跡の人」を思い出した。

役者陣もよかった。劇団○季にいそうな、庶民的なルックスのヒロイン(だがそれがいい)の大和田美帆と、昔の国生さゆりをほうふつとさせる美人の奥村佳恵は、マンガのイメージにとらわれないのびやかな演技で目を引いた。今回からの参加となる新納慎也の速水真澄は、なかなか本心を掴ませない何とも食えない男に仕上がっている。なんといっても圧巻は夏木マリの月影千草だ。テレビドラマ版における野際陽子の月影先生もいい加減すごかったが、これはまた、マンガからそのまま飛び出てきたような劇似っぷりである。演技にも鬼気迫るものがあり、ふと「紅天女」のセリフを口にしたときははっとさせられた。

蜷川幸雄はプログラムに掲載されたインタビューで「家族全員で観られる芝居を」と強調しているが、この作品はある意味で非常に戦略的である。実は、この舞台の主役は北島マヤでも姫川亜弓でもない。「演劇」が主役なのだ。演劇がどのように作られ、どのように支えられ、どのように面白く、どのように難しいのか。それを「ガラスの仮面」の登場人物とストーリーをモチーフにして伝えるのがこの「音楽劇 ガラスの仮面」だ。舞台セットが全くない素の状態を観客に見せ、その奥深さで驚かせたかと思うと、開演時間前から舞台上で役者がウォームアップをはじめ、その流れでいつのまにか物語が始まる――。前回を踏襲したというこの演出は、この作品のねらいを明確に宣言している。そして、度重なる客席を使った演出により、観客は物語の中の「観客」という役を与えられることになる。芝居を見ている、のではなく、芝居に参加する、ワークショップのような感覚を味わえるのだ。

蜷川の「家族全員で」という言葉は、子供も大人もターゲットとして想定している、と読み替えられるだろう。子供には、華やかな表舞台だけでなく、その裏側までも見せたうえで、演劇の世界に興味を持たせようとする。大人には、演劇とは「観客」があって初めて成立するものだということの意味を問い直してくる。インタビューの最後に「客席の成熟」に言及しているのは偶然ではない。

ともあれ、実に楽しかったのでぜ第3弾、第4弾もぜひお願いしたい。「女海賊ビアンカ」や「カーミラの肖像」も観たいが、ぜひこのキャスト・スタッフで「失われた荒野」をお願いしたい。もっともこのペースでやっていたら、そこまでたどり着くのに何年かかるかわからん。ここはひとつ、「コースト・オブ・ユートピア」のように通し上演で10時間とか、そういう実験的な試みも期待するところだ。
 

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ガラスの仮面~二人のヘレン~ 特設サイト
http://www.saf.or.jp/arthall/event/event_detail/2010/glass/index.html

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