2018年2月 8日 (木)

「FUN HOME」はアメリカの「サザエさん」か?

アリソン 瀬奈じゅん
ブルース 吉原光夫
大学生のアリソン 大原櫻子
ヘレン 紺野まひる
ロイ 上口耕平
ジョーン 横田美紀
小学生のアリソン 龍 杏美
クリスチャン 若林大空
ジョン 大河原爽介

2015年のトニー賞授賞式はWOWOWで録画して観た。だからミュージカル作品賞に「FUN HOME」が輝いた場面も見ていたが、まあ、これは観なくてもいいかな、と感じていた。

レズビアンの漫画家が、ホモセクシャルの父親を中心に家族の暮らしを回想する話、と聞いて、きほん明るく楽しくばかばかしいエンターテインメントが好きな自分としては食指が伸びなかったのだ。実際、この作品の上演期間中にニューヨークに行っているが素通りした。

別にLGBTの話題を避けている訳ではない。90年代後半以降、この問題については過剰なぐらいに主張しているブロードウェー界隈だが、ある意味それが「ブロードウェーらしさ」になっていて、どちらかというと考え方の古い自分に、この問題をニュートラルに考えさせてくれているのはありがたく感じている。素通りしたのは、単純に「なんか地味そうだから」だ。

そうこうしているうちに、フィリピンでこの作品が上演されることになり、そこにレア・サロンガが出演する、というニュースを聞いてへえーと感じ、いつかは日本でも上演するのかな、とぼんやり考えていた。そして日本での上演が決まり、吉原光夫が出ると聞いて、ちょっと観てみようかな、という気になり、開幕2日目にいそいそとお久しぶりのシアタークリエに出かけてきた。

演出を手掛けるのは日本演劇界のホープ中のホープ、小川絵梨子。今年夏に最年少で新国立劇場の演劇部門芸術監督に就任予定で、どちらかというと真面目な芝居のイメージが強い。ミュージカルは今回が初めてだ。それを聞いて、この舞台、もともと難しいテーマを扱っているし、自分には高度過ぎて理解できないんじゃないか?と不安になった。

結論から言うと、やっぱり高度過ぎて、この作品の魅力の、たぶん半分も自分は理解できなかったと思う。

とはいえ、今年はこれまでいろんな事情であまり書けなかったブログを少しは真面目に書こう、と決心したので、がんばって書く。以下ネタバレあり。

女性の漫画家が家族を描く、というと、あほな自分としては「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」がすぐ頭が浮かぶ。

しかしこの作品で描かれるのは、表面的には仲睦まじく見えるが、それぞれの心はすれ違っており、すれすれのところでバランスを取っているという家族だ。

そこに大きく影を落としているのは、まだ現在よりもずっと偏見が大きかった、同性愛者がいるということ。同性愛者の父は、妻、そして家族、さらには地域社会の信頼を徐々に失っていく。

すれ違う家族たちの姿は見ていて非常につらい。

ところが面白いことに、舞台が進行するにつれて、だんだんそのつらさが薄らいでくる。ここがミュージカルという手法のスゴいところだ。決して分かりやすいとは言えない旋律の音楽が、絶妙に舞台上の緊張と、観客の心をほぐしていく。そこにプラスして、3つの時間軸が交差しながら進んでいくという、パブリック・シアター発らしい実験的な構成が観客の心をつかみ、ぐいぐいと引っ張っていく。1幕のみ、全体で100分という長さもあいまって、重い話だけど胃にもたれない。

そして、ここで重要なことに気づく。

家族って、だいたいこんな感じじゃないのか?

目の前に描かれている家族は、一見、特別なものに見える。同性愛者が2人いて、葬儀屋が遊び場で、常に遺体が身近にある。そんな非日常につい目を奪われがちだが、世の中のほとんどの家族って、常にすれ違いながらも、絶妙なところでバランスを取っているのが普通なんじゃないか。

舞台の後半では、主人公が自らがレズビアンだと両親に告げ、それを両親がどう受け止めるか、が大きな見どころとなる。それはつまり、すれ違ってきた家族が、果たして真に向き合えるかどうか、ということだ。

原作にもある、車の中で父と娘が語り合うシーンは象徴的だ。「向き合う」のではなく、互いに前を見ているからこそ、ぎこちなくはあるが何となく会話が成立し、心が通い合う。

このシーンに、そういえば自分もそうだったよな、と思い出す観客は多いのではないか。家族の会話なんて、だいたいぎこちないものだ。しかし、何となくつながっている感じはある。

無理に向き合う必要はない。でも、向き合おうとする姿勢が家族をつなげている。残念なことに、父は無理に向き合おうとした結果、悲劇へとつき進む。娘は、その悲劇が自分に向き合おうとした結果であることを知って、そこに救いを見出す。そこで幕は降りる。

父の死後、長い年月を経て、またもすれすれのところでバランスをとって、家族が再生した瞬間だ。

重い部分だけを見て、この家族は普通と違う、と考えてしまいがちなところを、原作は漫画という手法で、この舞台はミュージカルという手法を使って、実はみなさんの家庭と同じなんですよ、と示す。それが自分が感じた「FUN HOME」という作品だ。

「サザエさん」といえば、自分は火曜の再放送で流れていた、堀江美都子の歌う主題歌が好きだった。

♪うちと おんなじね 仲良しね 私もサザエさん あなたもサザエさん

この歌詞が子供のころサッパリわからなかったわけだが、今ならわかる。どんな家族も、それなりに問題を抱え、それなりに秘密もあり、でも何とかうまくやっている。お互いに、そこを分かったうえで同じ「家族」としてつきあう。それがオトナの社会だ。

もっとも、長谷川町子はこのテレビ版サザエさんがあまり好きではなかったという。自分も原作の単行本は全巻持っているが、マンガでは「いじわるばあさん」と同様、かなり毒のあるギャグが満載だ。ことさら家族の仲の良さを強調することはない。それでいて、家庭の温かみは伝わってくる。

「ちびまる子ちゃん」も、さくらももこの幼少体験そのものではなく、むしろ「こういう家族だったらよかったな」という理想を交えて描かれたものだ。あの、ほのぼのした世界観の中で、時おり流れるシニカルな空気はその辺りに起因しているのではないかと思う。

そういう意味では、「FUN HOME」と「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」は、そんなに距離のあるものでもないのかもしれない。

ところで、吉原光夫の演技は今回も最高だった。「夢から醒めた夢」の暴走族のころから見ていたけど、当初は粗削りで、力任せな感じだけど目が離せない、そんな役者だった。それがこんな繊細な演技のできる素晴らしい役者に成長してきたのは感無量だ。

最後、トラックに飛び込むところで見せた鬼気迫る表情は、そのまんまセーヌ川に飛び込むジャベールだった。あの場面であの演技が正しいのかどうかはちょっとわからないが、いいもの見た感じではある。

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FUN HOMEのウェブサイト
http://www.tohostage.com/funhome/

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2017年6月 9日 (金)

何度目の帝劇か? レ・ミゼラブル2017

ジャン・バルジャン 吉原光夫
ジャベール 岸 祐二
エポニーヌ 松原凜子
ファンテーヌ 知念里奈
コゼット 生田絵梨花
マリウス 海宝直人
テナルディエ 橋本じゅん
テナルディエの妻 鈴木ほのか
アンジョルラス 上原理生

前シーズンは結局持っていた日すべて行けず、チケットを無駄にしてしまったのでだいぶお久しぶりなレ・ミゼラブル。

今回のキャスト発表では衝撃を受けた。コゼットに生田絵梨花、テナルディエの妻に鈴木ほのか、そしてテナルディエに橋本じゅん!キャストを聞いてテンションが上がったのは何年ぶりだろう。福井晶一や吉原光夫の起用はもちろん嬉しかったが、ある意味それは順当といえば順当だった。むしろ堀内敬子と安達祐実がコゼットとして舞台に立った2000年キャストの衝撃に近い。

というわけでこの3人がそろう日に帝劇に足を運んだ。

まず生田コゼット。アイドルの起用には拒絶反応を示す人も多いだろうが、自分は言うまでもなくアイドル大好きなのでウェルカムだ。

それに、以前もこのブログで書いたけど、コゼットなんて可愛けりゃいいのである。異論は認める。

だってフルのソロナンバーもないし、芝居もだいたいバルジャンがカバーしてくれるから、さほど高い演技力も必要としない。一方、マリウスが一瞬で人生見失うレベルでベタ惚れするわけだから、可愛くないと説得力がない。だから可愛さがいちばん重要なのだ。まあ最初に観たコゼットが斉藤由貴だったという刷り込み効果もあるとは思うが。

どちらかというとこの舞台でのコゼットは振り回され役なので、ぽわーんとした表情の子のほうが合っていると思う。そういう意味では、生田のきりっとした表情はコゼット顔ではないかもしれない。

けど、とにかく可愛い。可愛さのレベルを測る尺度として、コゼット登場前にどれだけ目立てるか、というのがある。ご存知のように、レ・ミゼラブルではメインキャストもアンサンブルをこなしており、コゼットはコゼットとして出てくる前に、工場労働者や娼婦の役を演じている。ここで「あーいるいる」と気づかれてしまうレベルだったらそれはいいコゼット。もちろん芝居的にはそれじゃ駄目なんだけど、その隠しきれないぐらいの可愛さがあってこそ、マリウスを瞬殺できるのだ。

生田はもうどの場面でも「アイドル通ります!」ってオーラが出ていて、ラオウがヒリヒリしておるレベル。そうそうこれだよ!と序盤からニヤニヤしながら観ていた。

演技もメリハリの利いた表情で、吉原の濃いめのバルジャンと相性がぴったり。そして歌は、さすが乃木坂一の音楽家、音程はばっちりだ。ただ、やっぱり舞台をばりばりこなしている役者の中に入ると、どうしても声の細さは否めない。自分としては許容範囲だが、物足りないと思う人もいるだろう。

次に鈴木ほのかのマダム・テナルディエ。コゼット、ファンテーヌに続く3役目。もちろんコゼットもファンテーヌも見ている。そして、東宝でイマイチいい役につけなくて、もったいないなーと思ってたら突然四季のマンマ・ミーア!のドナに引き抜かれたときはぶったまげたものだ。

鈴木ほのかは決して歌や演技に派手さはないが、とても安定感があるし、美人なのにどんな役にも自然になじむ顔立ちなので、もっと多くの役を演じて欲しいものだ。日本で上演されるミュージカル作品は役そのものがやっぱり少ないのかなあ。ミス・サイゴンのエレンとか、役不足もいいとこだろ。

で、そのマダム・テナルディエだが、この役はこうあるべき、というイメージを持って、その輪郭をはっきりさせている雰囲気だった。見ようによってはデフォルメし過ぎ、と感じるかもしれない。個人的には、もっと自然に、鈴木ほのからしい、チャーミングなマダム・テナルディエでもいいかな、と思った。

そして橋本じゅんのテナルディエ。自分が橋本じゅんを最初に観たのは1995年の新感線「星の忍者」だった。その後海外に渡り、帰国していきなり「ドラゴンロック」シリーズの轟天として強烈な印象を残して新感線内の地位を確立させた。テレビなどの仕事も増え、今ではすっかり有名人だ。とにかく轟天が大好きな自分としては、舞台でも映像でも橋本じゅんが出てくるだけでうれしい。その橋本が、これまた大好きなテナルディエを演じる。これは最高すぎる。

轟天や「阿修羅城の瞳」の祓刀斎のイメージがあるから、ついギトギトの背油ノリノリなテナルディエを想像してしまっていたが、予想に反してマイルドなテナルディエだった。何というか、小物感が強い。どこか人の良ささえ感じてしまう。いや、これはこれでアリではないか。テナルディエは悪党は悪党だが、激動の社会をしなやかに力強く生きている、という側面もある。小悪党は小悪党なりにうまく立ち回り、隙あらば這い上がろう、としている、そんな逞しさを感じるテナルディエだ。アドリブもちょいちょい入っていて、今後も楽しみ。

というわけでこの3人はそれぞれに面白かった。今回の帝劇ではあと2回チケットを持っている。福井晶一の声も聴きたいし、やはり初登板のシンケンブルーも気になる。ただ、コゼットは3回とも生田絵梨花です。

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レ・ミゼラブルのウェブサイト

http://www.tohostage.com/lesmiserables/index.html

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2015年6月21日 (日)

イディナ・メンゼル ジャパンツアー @武道館

そうそう、このこと記録してなかった。6月4日、武道館でイディナ様のコンサートをばっちり聴いてきましたよ。

19時スタートという社会人にも嬉しい開演時間、しかしとっとと仕事を切り上げ早めに入場。10分ほど遅れてスタート、オープニングの映像はこれまでの彼女の仕事をダイジェスト的に紹介するものだったが、ウィキッドのナンバーがちょこっとかかるだけで客席から歓声が上がる。

あれっ。きょうはてっきり「アナと雪の女王」でイディナ様を知った人が大勢詰めかけるんだろう、それも仕方ないな、と思ったが、そうでもないみたいだ。ミュージカルファンが結集しているのか?これはちょっと嬉しい。

1曲目でいきなり 『ウィキッド』のDefying Gravity。もうテンション上がるどころか、全身の血液が沸騰しそうだ。かなりアレンジかかっていたが、初代エルフィーのDefying Gravityをリアルに聴けるなんて。もう、これだけで帰ってもいいや、と思った。

しかし帰らなくてよかった。

それから2時間、彼女はステージに出ずっぱり。一度も袖にはけることなく、途中から裸足になって舞台上を駆け回っていた。こんなに長い時間ステージに立ちっぱなしのワンマンショーなんて、イッセー尾形以来だ。

ステージだけじゃない。『RENT』のTake Me or Leave Meでは、武道館のアリーナに降り立って(裸足のまま)、観客にマイクを向け、一緒に歌い、さらには観客を舞台上に引っ張り上げる。

まあ、マイクを持って歌った観客は仕込みかもしれないが、RENTのナンバーを原語で歌える人が自分の周りにもけっこういて、いやいや俺なんてミュージカルのファンだなんて言えないレベルじゃん、とショックを受けた。だがそれも嬉しかった。

ウィキッドからは、ほかにWizard and IとFor Good。For Goodでは驚きのアカペラ、マイクなし。そして観客にも一緒に歌うよう呼びかける。しかし、これはさきほどのTake Me or Leave Meや、このあとのLet it Goで一緒に歌うのとはちょっと意味合いが違う。

For Goodはエルファバとグリンダのナンバーだ。そう、ここで観客はグリンダ役を任されたのだ。これに気付いたとき、もう沸騰しっぱなしだった血液が全身から吹き出そうだった。しかし周囲に迷惑をかけてはいけないと全身のアナという穴をふさいでいたら、またしてもみんなグリンダパートを歌い始めているのではないか。いかん、俺も歌わなくては!しかし英語が出てこない。ごめん、俺の中でグリンダはクリスティン・チェノウェスじゃなくて沼尾みゆきなんだよなー。あとAlli Mauzeyも。結局一緒に歌えたのは「For good」だけ。オリジナルで勉強しとくんだったわ。でもこれは武道館にいたみんなのいい思い出になったと思う。何しろオリジナルのエルフィーと一緒にグリンダを演じられたのだから。ふと、Glee第2部の最終回で、レイチェルとカートがガーシュイン劇場の舞台で歌ったFor Goodを思い出した。あれは名シーンだった。

それにしても、イディナ・メンゼルのエンターテイナーぶりには本当に圧倒された。紅白でもじゅうぶんにお茶目なところは見せていたが、コンサートはどこまで本気でやってくるのか不安でもあった。しかしとんでもない。ここまでサービス精神旺盛で、かつとんでもない実力がある人が、想像を絶する努力をして、そのうえで役に恵まれてようやく表舞台に出てこられる。それがブロードウェイだ。

ちなみに、たぶんこの日のイディナ様のコンディションはおそらく55%~60%程度。のどの調子が悪く、ずっと咳払いをしていた。それでもこれほど観客を楽しませるのだからもう降参するしかない。

年末、「IF/THEN」観てきてホントよかった。ラミン・カリムルーやジェームズ・モンロー・アイグルハートが観られなくて残念、とか思ってたが、その残念さを補って余りある幸せな体験をさせてもたった。ブロードウェイのトップスターの舞台を生で観られて、しかもそのスターが油が乗り切った状態で日本に来てくれる。何とも嬉しい時代になったものだ。

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2015年4月19日 (日)

コルム・ウィルキンソン 日本スペシャルコンサート

レ・ミゼラブルの初代バルジャンであるコルム・ウィルキンソンが待望の初来日。ライブで彼の歌を聴けるなら海外遠征してもいいぐらいだが、日本で聴けるというのだからよい時代になったものだ。

自分が彼の歌声を初めて聴いたのは、多くの日本人がそうだと思うが「レ・ミゼラブル10周年コンサート」。NHKがハイビジョン収録していたこともあり、パッケージ発売より早くBSで放送された。

当時、日本でしかレ・ミゼラブルを観たことがない人にとって、あの歌声にはびっくりさせられた。鹿賀丈史や滝田栄の歌に比べてレベルが段違いなのはもちろんだが、バルジャンの歌があんなに高いキーだということを初めて知ったからだ。

今回のプログラムに掲載されているジョン・ケアードのインタビューにもあるように、当初バルジャンの歌はもっと低い声を想定していたようだ。しかし彼の歌声に魅了されたスタッフが、その高音域を生かすために曲のほうを変えてしまった。さらに彼のために新たな曲まで用意された。それが「Bring him home」だ。

自分は以前、それほどあの曲がいいとは思っていなかった。しかし10周年コンサートの映像を観て、こんなにも素晴らしい、もはや崇高とさえ言える曲だったのだと知り、以来すっかりお気に入りとなった。その後、山口祐一郎バルジャンが登場したことで、帝劇でもオリジナルのキーで聴けるようになったが。

上記のインタビューの中で、ジョン・ケアードは「後のバルジャン役者たちは(キーが高くなったことで)みんなコルムを恨んでいたよ」と述べているが、当時のコルムをいちばん恨んでいるのは今のコルム自身ではないか。第一線を引き、世界をコンサートで回るというこの上ないシニア時代を過ごしているのに、行く先々でこのキツい歌を歌わされるのだから。

今回のコンサートでは、レ・ミゼラブルからはこのBring him home、オペラ座の怪人からはThe music of the nightだけしか歌っていないが、やはりこの2曲を聞くと全盛期の力はない。しかし現在70歳という年齢を考えればそれは当然だ。

ところが、それ以外のビートルズ・ナンバーや懐メロを歌うと、その声の響きは全盛期をもほうふつとさせる素晴らしいものに。レ・ミゼラブルやオペラ座の怪人が、歌う者にとってどれだけハードルの高い、過酷なナンバーであるか、ということを思い知らされた。

MCでは終始ニコニコと話し、歌う楽しさを前面に出したパフォーマンスは観ていて心がはずんだ。最後の最後に歌うBring him homeではフランスの軍服、つまりバルジャン衣装を着て登場するサービスっぷり。やはり一流のエンターテイナーは違う。

このコンサートは、もともと2007年から米国ツアーとして行われた「Broadway and Beyond」がベースとなっている。ゲストにも多くのナンバーを歌わせ「コルム・ウィルキンソンとステキな仲間たち」な感じで進行していく。

今回のゲストはまずアール・カーペンター。よくキャスティングできたものだ。昨年から始まった「レ・ミゼラブル」の新演出版ブロードウェイ公演で、ジャベールを演じ、またこの5月からジャベールに復帰することが決まっている、現役ジャベールである。

そして米国ツアーのBroadway and Beyondから参加しているスーザン・ギルモア。日本での知名度はないが、ファンティーヌほか多くの役を経験している実力派だ。

さらに日本から則松亜海。最初誰?と思ったが宝塚の夢華あみだ。たぶん映像でしか観たことがないのだけど、スカイステージでは時々見かけて、歌の実力が図抜けてるな、と思っていた。いろいろあって早々に退団してしまったが、今後の活躍に期待したい。

でもクリスティーヌのナンバーとか歌ったので、やっぱりクリスティーヌ経験者に出てきて欲しかったよ。沼尾みゆきとか沼尾みゆきとか沼尾みゆきとか。なんで元ジェンヌ?と思ったが梅田芸術劇場プロデュースだからか。梅芸は近年ほんと頑張ってる。一昨年の「4stars」(ラミン・カリムルー、シエラ・ボーゲス、レア・サロンガ、城田優のコンサート)も梅芸プロデュースだった。

今回のコンサート、ミュージカル界では神様レベルの人の声に触れたという満足感はもちろんだが、それ以上に本当に楽しい時間だった。コルムは何度も「アリガトウ、ドウモアリガトウ」と繰り返していたが、御礼を言いたいのはこっちである。日本に来てくれて本当にありがとうございます。

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公式サイト

http://www.umegei.com/schedule/451/

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2015年3月 1日 (日)

ビリー・エリオット ミュージカルライブ

昨年12月から全国で順次公開されてきた「ビリー・エリオット」のライブビューイング。昨年9月にロンドンから衛星中継したときの映像をコンテンツ化したものだ。

きほんライブ原理主義者なので、こうした映画館で舞台を観る、というのはあっていいというかもっと機会が増えたらいいとは思いつつも、個人的にはあんまり行こうという気にならない。でも以前ライブで観た舞台となれば話は別。実はハロー!プロジェクトやAKB48のコンサートも、実際に行ったものはDVD・ブルーレイを買うけど行かなかったものは買ってない。

自分がこの作品を観たのは2010年末。大雪で遭難しかけた翌日だ。懐かしいなあ。

http://kingdom.cocolog-nifty.com/dokimemo/2010/12/billy-elliot-39.html

上のエントリーでも書いたけど、原作の映画「リトル・ダンサー(邦題)」は、炭鉱の労働争議を描いてはいるけど、全体的には静かなタッチで、田舎の少年が都会に出るまでのしみじみした物語、といった印象だった。しかし舞台はがらりと印象が異なり、労働争議はガチムチなタッチで力強く描かれ、ダンスシーンはより激しく、コメディー要素がふんだんに盛り込まれ、と圧倒的な情報量で迫るエンターテインメント色の濃いものになっている。

今回、映像化された特別上演では、ロンドン初演時のビリーが2幕のハイライトとなる「白鳥の湖」の場面で、成長したビリー役で登場。当時の演技を観たわけではなくても、こうした演出にはテンションが上がる。

この場面は本当に美しく、舞台史に残る名場面だと思う。ただ自分はこの曲が流れると「熱海殺人事件」で木村伝兵衛が電話に向かって怒鳴ってる姿ば浮かんでしまうのだけれど。

映像だと伝わってくる熱量はライブには及ぶべくもないが、その分カメラワークで様々なアングルから堪能できるのがいい。特にこの「白鳥の湖」は実に3D的な演出なので、この場面の魅力を存分に味わうことができた。

しかしこの舞台、なぜ日本公演が実現しないんだろう?エルトン・ジョン作曲ということで、ライセンス料が高いんだろうか?韓国では早々と韓国人キャストでの公演を行っている。もっともロングランするには常時3~4人のビリー役をそろえる必要があるので、日本の男性バレエ人口を考えると難しいのかもしれないが。

硬派な社会派ドラマの要素を背景に、父と子の関係、少年の旅立ちを描くという日本でもウケる要素は満載だ。時間が経っても色あせる作品ではないと思うので、いつか上演してほしいものだ。

ビリー・エリオット ミュージカルライブのウェブサイト
http://littledancer-m.com/

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2014年3月12日 (水)

「ラブ・ネバー・ダイ」憎めないB級感

ファントム 市村正親
クリスティーヌ・ダーエ 濱田めぐみ
ラウル・シャニュイ子爵 橘 慶太
メグ・ジリー 彩吹真央
マダム・ジリー 鳳 蘭
グスタフ 松井月杜
 

「ラブ・ネバー・ダイ」日本公演の初日を観てきた。

いちおう解説しておくと、「オペラ座の怪人」の続編にあたる。前作はガストン・ルルーの小説を原作にしているが、今回はオリジナル。最初A・L・ウェバーが原案をフレデリック・フォーサイスに依頼し、後にそれが「マンハッタンの怪人」として出版されたが、結局その話ではなく異なる脚本が別途作られた。ただ、ニューヨークが舞台、という点は共通している。

90年代から制作が噂されていたが、ようやく幕を開けたのが2010年のロンドン。ご存知の方も多いと思うが、その評価はさんざんで2011年夏に終了。ブロードウェイは劇場を開けて待ってたけれど上演されることはなかった。

しかし演出をがらりと変えてメルボルンで上演されたバージョンは「まあまあ」の評価を受けた。それは早々にブルーレイ化されている。ブロードウェイでの上演や各地でのロングランは望めないと踏んで、コンテンツビジネスでの回収にかかったのだろう。

で、そのブルーレイは発売されてすぐ買った。映像だけで舞台を判断するのは危険だが、確かにこれは受けないわな、という感想は持った。

とはいえ、個人的には気に入った点もいくつかあり、リアルで観る機会があったら行きたいものだ、とも考えていた。

そこに、日本人キャストによる上演のニュース。

しかも四季ではなく、ホリプロの制作という。

ふーん。

四季でオリジナルのファントムを演じた市村正親が登板するという。

へー。

鹿賀丈史とダブルキャストとか。

はあー。

クリスティーヌは濱田めぐみ。

何とッ!それは行かなくては!

というわけで、気張って初日のチケットを獲得して日生劇場へ。

ファントムは市村だ。彼の怪人を見逃したのは、自分の観劇史の中では悔やまれる点である。その前に上演した「ハンス(現:アンデルセン)」は観てるわけだから、何で行かなかったのか不思議だが、金のない大学生だった時だからそういうこともある。

声楽出身ではない彼は、当時から歌より演技で見せるファントムと言われていた。その後、四季のファントムは多くが歌重視だったから、演技重視のファントムは沢木順ぐらいしか知らない。あのファントムは好きだった。

初めて見るその市村ファントムは、26年のブランク、そして65歳という年齢を感じさせない、心に響く存在感だった。この数年、彼の舞台はいくつか観たが、その中では断然一番だと思う。もちろん声楽家のような声は出せないけど、ボイストレーニングもこの役のために重ねたようで、聞いていて心地よかった。

そして濱田めぐみのクリスティーヌ。もう彼女が出てきて動くだけでニヤけるほどのめぐ推しな自分だから、歌ったりした日にはもう幸せいっぱいなわけだが、こちらも四季退団後の舞台の中では一番、という印象。今年はこの後に数本の舞台を控えていて、休む暇がないほどだが、もちっと仕事を選んでもいいんじゃないか。

ただプログラムで彼女自身も語っているが、クリスティーヌの歌い方は濱田めぐみの声には合わない。それを乗り越えての熱唱熱演には頭が下がる。ただ、シャレじゃなく、この作品ではめぐ様にはクリスティーヌよりメグ・ジリーを演じて欲しかったなあと。じゃあクリスティーヌは誰?そりゃ沼尾みゆきに決まっとろうが。

なぜメグを演じて欲しかったかはネタばれになるから控える。で、ここから少しネタばれを含むので、何の予備知識もなく舞台を観たいという人は読まないでください。

作品自体どうかといえば、ブルーレイで見たときとそんなに変わらない。まあ、一般的に言って失敗作だろう。で、俺がそのどこを個人的に気に入っていたのかというと、作品全体に漂う「B級感」だ。

舞台は壮麗なパリのオペラ座から、猥雑な遊園地へ。そこで行われているショーは、悪趣味というか、「野望の王国」の橘征五郎が「なんという醜悪な!」と評した饗宴のようである。

そして前半の情緒も何もない唐突な展開と、後半のほとんど昼メロな展開。どこをとっても安っぽくて、前作の資産を全部食いつぶした二代目の放蕩息子みたいな作品だ。

だがそれがいい。

「オペラ座の怪人」は、何度観てもこちらが緊張するピリピリした作品だ。それが魅力なのだが、この「ラブ・ネバー・ダイ」はなんかぬるい。俺も年を取ったのか、ぬるいのが好きになってきたっぽい。ウェバー作品で同じぬるさを持っているのは、「スターライト・エクスプレス」だ。あれも好きなんだよなあ。両者に共通して言えるのは、自分の趣味だけで作っているということ。今回のプログラムに寄せたコメントで、これは「最も私的な作品である」と述べている(the most personal of all my stage works)。

それにもともと、ガストン・ルルーの「オペラ座の怪人」はB級ホラーだ。そこに回帰したのだと考えれば、世界観はさほどブレていない。というか、こっちのほうがしっくりくる。

音楽に詳しい人なら、また違った感想もあろう。自分は音楽は素人なので、分かりやすい旋律の多い前作のほうが好みだが、ブルーレイで観たときから表題曲は素晴らしいと思ったし、1幕終わりのロックな「The Beauty Underneath」はかなり気に入っている。

この日は、初日ということで市村が口上を述べた。「26年ぶりに、この仮面をつけることができました」という一言だけだったが、感動的な重みを持つ言葉だった。

そのあと、演出家や技術スタッフを舞台上に招き、紹介。ひととおり紹介して終わりかと思ったら、最後にA・L・ウェバーがサプライズ登場。この時の歓声は、この日一番大きかったかもしれない。俺も驚いたし、いいもん見たわーという満足感いっぱいだった。

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「ラブ・ネバー・ダイ」のウェブサイト
http://lnd-japan.com/index.html

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2013年6月15日 (土)

魁!!レミゼ塾 福井vs吉原、パリは燃えている

ジャン・バルジャン 福井晶一
ジャベール 吉原光夫
エポニーヌ 昆 夏美
ファンテーヌ 和音美桜
コゼット 青山郁代
マリウス 山崎育三郎
テナルディエ KENTARO
テナルディエの妻 森公美子
アンジョルラス 上原理生
 

 開幕前からトラブル続き。ようやく落ち着いたと思ったら、アンサンブルキャストの一人が逮捕されるという事件が発生した。今回のレ・ミゼラブル東京公演はいったいどうなっているのだ。

 半分自ら招いた暗雲を吹き飛ばすべく、ついにこの男がパリに降り立った。福井晶一、ついに帝劇に参戦である。

 開幕前の稽古で怪我をし、1カ月以上遅れての出演となってしまったが、いよいよ文字通り役者がそろった感じだ。

 山口祐一郎降板を巻き返すため、東宝が打った起死回生の一策は、福井晶一のキャスティングに加え、福井と吉原光夫によるバルジャンとジャベールの交互出演だ。1987年の初演で、四季OBの大先輩、滝田栄と鹿賀丈史がやってのけた離れ業に再び四季出身の2人が挑む。

 序盤のごたごたがあまりにもお粗末だったので、もう東京では観るのをやめようと思い、持っていたチケットはすべて手放して福岡、大阪、名古屋でチケットを買いなおした。しかし福井vs吉原の対決が予定されていた福岡公演が、仕事の都合で行けなくなってしまったので、やはり東京で観ようとチケットを確保した。

 昨年8月の「アイーダ」以来の福井は、あいかわらず太いマユ毛と薄い髪、硬派度200%のイイ男である。不屈の精神を隠すことなく全身にまとった、ギラギラしまくりのバルジャンだ。

 迎え撃つのは吉原ジャベール。世の中のすべてを向こうに回すような不敵な表情を浮かべた、すこし映画のラッセル・クロウに通じるところもあるジャベールである。

 男の匂いムンムンの2人が、ガチで相まみえる「対決」のシーン。いやあ、しびれる。クローズZEROかマジすか学園かという、ベアナックルで殴り合う面白さ。いや実際に殴りあうわけではないが、互いの闘気がぶつかりあって、久しぶりにヒリヒリしておるわ。追悼、内海賢二氏。

 福井も吉原も、細かい演技より存在感で魅了するタイプだが、四季時代よりも個性が際立ち、存在感は増したように思う。歌声については、これは素人だからあまり自信がないけど、四季時代のほうが声が伸びていたように思う。四季のボイストレーナーなどのスタッフが優秀なのだろうか?

 いずれにしても、こういうガチムチな、おとこ教室な展開は嫌いじゃない。2人で大いにレ・ミゼラブルを、そして演劇界を熱く盛り上げていってほしい。

 カーテンコールで、バルジャンが出てきたときにジャベールと軽くからむのはお約束だが、福井が差しだした手に、吉原がハイタッチ(もしくは握手=ブラックレインのラストシーンのあの握手)だと思って高めに手を出したら、実は普通の握手(AKB握手会の握手)で、おっとそっちだったのかと思わせていきなりハグに移るという、腐女子向けの萌え展開。君らいったいこの舞台をどうしたいのだ。

 今のところ吉原バルジャンと福井ジャベールの対決を観るのは中日劇場になるのだが、ちょっと待ちきれなくなってきたなあ。

 男の話ばかりでは何なので、女優陣について。注目の昆エポニーヌは、期待どおりのチャーミングなエポニーヌ。フレッシュな演技が目を引く素敵なエポニーヌの誕生だ。「オン・マイ・オウン」はまだ磨きをかける必要がありそうだが、きゃしゃな体にパワフルな歌声で、ふと本田美奈子さんのことを思い出した。

 和音ファンティーヌは前回も観たけど、演技にも歌にももう一歩踏み込んでほしい気がする。日本のファンティーヌは岩崎宏美が形作ってしまったので、ハードルが高いのだ。青山郁代のコゼットはキュートさに欠けるように感じた。前にも書いた暴言だけど「コゼットなんてな、可愛けりゃいいんだよ!」というのが俺の持論だ。異論は認める。彼女はコゼットというより、ファンティーヌのタイプだと思う。

 また男の話に戻るけど、KENTAROのテナルディエは、歴代有数の出来ではないのか。ついに斎藤晴彦の築いた日本のテナルディエ像を崩すパワーを感じた。そうそう、加藤清史郎のガブローシュが、驚くほど良くなっていた。カッコイイのである。そこにはカリスマの萌芽も見て取れる。かつて山本耕史はガブローシュからマリウスになったわけだが、できればアンジョルラスを演じて欲しかった。ぜひ将来、彼のアンジョルラスを見てみたいものだ。

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『レ・ミゼラブル』公式ウェブサイト
http://www.tohostage.com/lesmiserables/

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2013年5月 2日 (木)

レ・ミゼラブルがミゼラブルな状況に

これは、アクシデントではない。

事業の失敗である。

レ・ミゼラブルが開幕早々とんでもないことになっている。

開幕前から予兆はあった。まず山口祐一郎の降板。制作発表会見にばっちり出席しておいて、「体調を整えるために休養」はないだろう。何かあったと考えるべき。

しかし、その穴を補って余りある「神の一手」を東宝が繰り出した。四季の看板だった福井晶一の起用である。しかも、初演の滝田栄と鹿賀丈史を思い出させるかのように、同じ四季出身の吉原光夫と、バルジャンとジャベールを交互に演じるという。

これはいい。久しぶりに心が躍った。

が、これは純然たるアクシデントではあるが、4月に入って福井が怪我。6月初旬まで降板を余儀なくされた。

残念だが、仕方ない。自分は福井が戻ってから、大阪や博多で観よう、と思い手持ちのチケットは手放した。ここまでは、よくある話だ。

ところが、開幕してすぐに、プレビュー公演初日の舞台に立ったキム・ジュンヒョンが、怪我のため数日出演できなくなったという。そして、5月3日、4日の夜の部2公演中止が発表された。

そうか、アクシデントが重なって東宝も大変だな・・・とはならないムードが漂っている。キム・ジュンヒョンはプレビュー初日(23日)に出演したあと、27日に韓国で「アイーダ」に出演。そして30日に「怪我のため休演」発表である。怪我が問題なのではない。そんな強行スケジュールを認めた契約に問題大ありだ。

自分は彼を四季時代に「ジーザス・クライスト=スーパースター」と「アイーダ」で見ているが、どちらも素晴らしく、四季を離れたのは残念だったけどバルジャンを演じると聞いてとても嬉しかった。無理なかけもちは本人の問題ではなく、事務所や周囲の人の問題だと信じたい。

東宝は、情報公開の面でもかなり下手を打っている。まず公式ウェブサイト、いまだにどーんとメインビジュアルが出てくるが、休演という重大な情報を掲載しているのに、ビジュアル重視って。

しかも福井降板によるキャスト変更は、直接購入者に対するメールすらなかった。自分も、それを知ったのはウェブサイトでの発表からしばらくたってからである。あのまま知らずに劇場に来てしまった可能性も低くはなかった。

さすがに公演中止のお知らせはメールが来たが、結果的に「やればできる」ことを示してしまったため、最初のキャスト変更を知らせなかったのは「返金しろ、というクレームを避けるため」というのが見え見え。クレーマーは当日ねじ伏せた方が楽だと思っていたのなら、その段階で危機管理能力が欠けていると言わざるを得ない。

まだある。大事件に埋もれてしまったが、開幕直前にはエポニーヌ役である笹本玲奈と昆夏美の出番の日を一部入れ替えた。まあ大人の事情なんだろうとは思うが、それをウェブサイトで「演出上の都合」と説明したのだ。おいおい、役者を変えたならまだしも、出番の日を交代してクリアできる「演出上の都合」って、おかしいだろ。この時点で、多くの人は主催者発表にしらじらしさを感じ始めていたと思う。

そこへ来て公演中止の重大発表だ。その説得力は当然欠ける。にもかかわらず、またしてもその説明に「サー・マッキントッシュの~」とか「壮大なオペラであり」などと、責任回避とも取られかねない文言が見え隠れ。どんどん火に油を注いでいる。

四季のキャスト発表中止の一件でもたいがいあきれたが、あのときは多くのファンが冷静かつ愛情ある行動を取ったことで、結果的にそれなりに納得のできる結果に落ち着いた。

でも、今回は、もう怒る気力すら起きない。何か言ってどうなるとも思えない。

見たいキャストが見られないのは仕方ない。それは演劇が生ものである以上、常に観客が覚悟しなくてはいけないリスクだ。

しかし公演中止とはあまりにもお粗末だ。人数の少ない小劇団の話をしているのではない。何のためのダブルキャスト、トリプルキャストか。単にチケットを何枚も買わせるためだとしか言えなくなるじゃないか。

1日も、いや一刻も早く、このゴタゴタが落ち着いてほしい。

問題の公式ウェブサイト
http://www.tohostage.com/lesmiserables/index.html

つうわけで、こっから暴言&妄想タイム。

べつに吉原光夫は、意味不明な「連続8回ルール」なんて無視して50連投でも100連投でもできると思うよ?ああ、東宝は平日昼の部が多いから厳しいのか。確かに平日しか休みの取れない人もいるだろうし、専業主婦で家族が会社や学校に行ってる時間しか観られない人もいるだろうから平日マチネは必要だけど、毎日やらなくてもいいのでは。有閑マダムのための公演なら、まずそれを中止に・・・ごにょごにょ

バルジャンやりたい人、やれる人、あるいは過去にやった人がいっぱいいるじゃないか、とも思うが、他の舞台に立っているなどして、そう簡単にはキャスティングできないようだ。演出も変わってるから、昔やった人がすぐ、というわけにもいかないかもしれない。

そこで提案。日本には一晩で役をものにしてしまう優秀な役者を多数擁する大劇団があるじゃないか。意外と助けを求めたら「貸しを作っておこう」と誰かまわしてくれるかもよ?

そうそう、「リトルマーメイド」で一人だけ場違いな空気を発していた、ナントカ王役の、芝ナントカいう人、あの人とか連れてきたらどうだろう。

少なくともディズニー作品より、こっちのほうがあってると思うんだけどなあ。



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2013年2月16日 (土)

宝塚雪組「ブラック・ジャック ~許されざる者への挽歌~」@シアター・ドラマシティ

大劇場を後にして、そのまま阪急電車で梅田駅へ。シアター・ドラマシティでまさかの宝塚はしご観劇。

「オーシャンズ11」も、宝塚を知らない人にとっては「そんなのもやるのか!」と驚くだろうが、こっちはもっとすごい。「ブラック・ジャック」である。

だいぶ前、まだ宝塚を観たことがなかったころ、舞台に詳しい人から「宝塚を観ない人は、何か特殊な集団で敷居が高いと思いがちだが、実はなんでもありのエンターテイメント集団。『ブラック・ジャック』までやりましたからね」と教えてもらった記憶がある。まあ、そこで引き合いに出すぐらいだから、宝塚の中でも特殊な作品ではあるのだろう。もっとも、すでに逆転裁判や銀河英雄伝説に挑み、この秋には「戦国BASARA」まで控えていることを考えると、もうブラック・ジャックぐらいでは驚かないかもしれないが。

というわけで、宝塚がブラック・ジャックに取り組むのは2回目。以前は94年に安寿ミラ主演で上演しており、これは映像で観た。今回は再演というわけではなく、まったく別のストーリー。どちらも原作にはない、オリジナルのストーリーだ。

原作にも、如月先生の話とか宝塚っぽいエピソードがあるけど、あえてオリジナルに挑んでいるのは何か事情があるのか、ないのか、そのへんはよくわからない。

前回の公演が1幕のみの短い話だったのに対し、今回は2幕を使った長編。なのでドラマチックな展開を予想していたのだが、まったく正反対の舞台になっていた。

ひとことでいえば「ブラック・ジャックの知られざる日常」を描いた舞台。

一応、軸となる事件はあるのだが、その展開よりも、ブラック・ジャックが毎日どんな生活をしているのか、どんな言葉を口にし、どんなことを考えているのか。それを淡々としたタッチでつづっていく。

だが、これが実にいい。基本的にポーカーフェイスのブラック・ジャックが、原作の中で時おり見せるふっとした表情や、口からこぼれる言葉。それをうまく再現している。作・演出の正塚晴彦は相当原作を読みこんでいるのだろう。しかし、原作のエピソードやセリフは使わず、ブラック・ジャックらしいセリフをオリジナルで作り出している。見事な職人芸だ。

ブラック・ジャックを演じた未涼亜希がまたいい。セリフの言い方もさることながら、何気ないしぐさや立ち居ふるまいが、シニカルな外面に秘めた人情味ある心根が感じられ、実にブラック・ジャックだった。

もうひとり、ピノコを演じた桃花ひなが素晴らしかった。あの難しい役を正面から描こうとするのが宝塚のすごいところだが、それを全身で受け止めて、ピノコになりきっていた。

ブラック・ジャックの日常を描くうえで、ピノコは欠かすことのできない存在だ。ピノコがいたからといって、ブラック・ジャックの孤独は癒されるものではないだろう。だがそれでも、毎日のようにとんでもない事件に巻き込まれているブラック・ジャックが、わずかに心を落ち着かせられる瞬間があるとすれば、やはりピノコと過ごす時間に違いない。あのドラマチックとはいえないラストシーンは、実に心に響いた。

漫画が原作でありながら、決して派手な作品ではなく、実に静かな、心に沁みる珠玉の一品だった。宝塚の「何でもあり」の姿勢は、何でも取り入れてしまうというインプットの部分だけではなく、さまざまな作品を生み出せる、アウトプットの部分にも言えるのだ、と知った。

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宝塚花組「オーシャンズ11」@宝塚大劇場 蘭寿とむのカリスマ性がヤバい

「逆転裁判」以来、すっかりファンになった蘭寿とむ。花組トップお披露目公演の「ファントム」を大劇場で観てからちょっとご無沙汰していたが、久しぶりにそのお姿を拝見した。

演目は「オーシャンズ11」。宝塚のオーシャンズ11なんて、それだけで十分面白そうだ。そこに蘭寿とむが出るのだから、これは観ない道理がない。

で、その蘭寿とむオーシャン。これがもう最高だった。

「ファントム」では、やや子供っぽいオペラ座の怪人を演じており、それはそれでなかなかキュンとする仕上がりだったのだが、今回は「一癖も二癖もある連中に囲まれて、どんな事件を巻き起こしてやろうかな」というルパン三世のオープニングナレーションが頭に浮かぶような、大胆不敵な盗賊団のリーダーだ。

映像も含めれば彼女の出演作はずいぶん観たが、その中でも一番の当たり役のように感じた。カッコよさは今さら言うまでもない。かつて『週刊AKB』でSKE48 チームKIIの秦佐和子が、蘭寿とむのどこが好きかと問われ「走るシーンの、ステレオタイプな走り方」といってポーズをまねていたが、そのとき指先までまっすぐ伸びていた。ここがポイントで、蘭寿とむは指先までカッコよさが行きわたっているのだ。

そして今回は何といっても、蘭寿とむ一流の、トップにふさわしいカリスマ性が生きている。この人についていこう、この人を支えていこうという気持にさせるリーダーの資質がまぶしいほどに発揮され、魅力が数倍にアップしている。

その輝きが仲間たちを演じる花組のメンバーに反射し、舞台上にいる者すべてがぐっと引きたつ。舞台上のみならず、観客席も含めた劇場全体の空気が華やいだものになっていく。これぞスター。これぞタカラヅカだ。

宝塚版「オーシャンズ11」は2011年に星組が上演して以来の再演だそうだが、まるで蘭寿とむのために作られたかのように錯覚するほどのはまり具合である。

映画「オーシャンズ11」はシナトラ版もジョージ・クルーニー版もエンターテインメント性の極めて高く、観終わったあとに余計なものを残さないスカッとした後味が売りだが、この舞台もまさにその方向性を踏襲。幕が下りたあとは「あー面白かった!」という感想しか出てこない。

これはいいものを観た。東京公演にも足を運びたくなってきたぜ!

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「オーシャンズ11」公式ページ
http://kageki.hankyu.co.jp/revue/316/index.shtml

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