2011年8月 6日 (土)

第51回 水戸黄門まつり

震災復興への祈りを込めた今年の黄門まつり。しかし直前に「水戸黄門」の終了が決定され、水戸市長がTBSへ継続の要請に行く、といった騒動もあった。

とりあえず8月6日の水戸黄門パレードを見学してきたが、自分が毎年撮影するポイントでは市長が番組終了について言及してくれず、それを言ったときのは自分が遠く離れた地点にいたときだった。ぎりぎり声だけは拾えたので、動画はこちらで。

http://kingdom.cocolog-nifty.com/gojappe/

今年のゲストは、内藤剛志(風車の弥七)、雛形あきこ(楓)、林家三平(八兵衛)。至近で雛形を見られたのは収穫だったといえよう。

Hinagata

水戸黄門まつりのウェブサイト
http://www.mitokoumon.com/maturi/koumon/koumon.html

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2011年3月26日 (土)

3月25日 茨城県北部(北茨城市)の模様

常磐自動車道がいわきまで復旧し、自分が住んでいる千葉県柏市近辺ではガソリンを普通に給油できるようになった。そこで茨城県北部の親類や友人のところへ見舞いに行った。

柏インターから乗り、北へ走る。途中、守谷SA(茨城南部)、友部SA(同中部)で様子を見たが給油所に列ができている気配はない。しかし中郷SA(同北部)は閉鎖になっている。

北茨城インターを降りて海岸部に向かうと、途中ガソリンスタンドに長い列ができていた。県の北部にはまだガソリンが行き届いていないのだ。被災地に入っていくほど燃料不足が深刻になる、という状況を目の当たりにした。

海沿いを走ると、多くの民家が被害を受けている。倒壊した家屋、ひっくりかえったままの車、倒れたブロック塀、砂だらけの道路。南部や中部の状況とは全く異なる「被災地」の光景があった。

茨城ゆかりの文化人、岡倉天心が建てた六角堂消失のニュースを聞き、ショックを受けながらもこの目で確かめようと現地に向かった。近くの五浦岬公園からよく見えるはずだが、がけ崩れなどで危険な状態にあるため、立入禁止になっていた。入れるところで六角堂が見えるはずの場所を探し、確認する。もっともそこもだいぶ危険であり、立入禁止区域だったのかもしれない。

六角堂は、すぐにそれと分かる台座だけ残して消えていた。その映像。

茨城の貴重な文化遺産が失われてしまった。

その近くの漁港、大津港は、とてつもないダメージを受けていた。

何だこれは。

人は、見たこともない光景を前にしたとき、言葉を失う。美しいもの、面白いものであればいいが、悲しいことに悲惨なもの、恐ろしいものであっても、それは起きる。

船が「無造作に」そこかしこに転がっているという現実。地面は割れ、家屋は倒壊したり、津波で壁面を奪われたりしている。

大津の漁業協同組合の事務所には、時計がかかげられている。その時計は、地震発生直後の2時48分で時を刻むのをやめていた。停電の影響だろうか。

しかし、そこに生きる人々の時間は、決して止まってはいない。復興に向けての作業が、重機や、人の手によってもう始まっていた。

家屋を破壊された人たちは生活の場を失ったし、港は漁業を支える機能を失った。完全な復興にはどれほどの労力と時間がかかるのか見当もつかないが、しかし一歩ずつ、前に向かって足を踏み出している。その足音に耳を傾け、一緒に歩いていきたい。

今後、茨城の被害についてのエントリーは、こちらのブログに集約することにする。4年前に立ち上げながら、ほとんど放置していた第二ブログだ。しかし今後は、真面目に更新していくつもりである。

こっちのブログは、もともとのあるべき姿、つまりノウテンキにくだらないことを書きつづる状態に戻す。もっとも、あちらのブログでも、もう被害状況を伝えることはないだろう。復興へ向け、雄々しく励む茨城の人々の営みを明るく紹介できたら、と思う次第である。

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2011年3月21日 (月)

3月19日 茨城県中部(鉾田内陸~小美玉)の模様

19日(土)になって、やっと茨城県の中部、鉾田市(内陸側)にある本家に行くことができた。常磐高速道が復活したが、ガソリン不足は相変わらずだ。朝早く並んで給油していこう。

早朝、家を出たら車の行列ができている。2キロほど先のガソリンスタンドの営業開始を待っているのだ。しかし営業する保障はない。これでは無理だと、高速のサービスエリアに望みを託して高速に乗る。

サービスエリアでは給油を行っていた。大行列にはなっていたが、整理誘導が非常に行きとどいていて、混乱もストレスもなく待つことができた。1人で運転している身には、トイレの不安はあったが。1時間20分ほどで給油できたものの、2000円が上限のため、13リッターあまりしか入らず。

道路は50キロの速度制限だが、渋滞はしていかった。あちこちで道路が波打っており、補修工事もまだ行われている最中だ。地震のエネルギーの強大さを改めて感じる。

本家に到着すると、この地域はかなり日常を取り戻していた。スーパーにも、トイレットパーパー以外はおおむね物資がそろっており、鮮魚などが並んでいた。

だが、両親とも口には出さないがやはり電気が復活するまでは、寒かったり、食べ物がなかったりして大変だったようである。やはり会社なんぞ休んで茨城に駆けつけるべきではなかったかと反省した次第。

しかし父の野次馬根性は相変わらずで、別にブログをやっているわけでもないのに地震直後の家の様子を克明にデジカメで撮影していた。「この父親にしてこの息子あり」ってやつだな。

そんなわけで、父の写真と、この日撮影した動画をつないで記録映像にしてみた。



ちょうどお彼岸の時期だが、墓地は墓石がほとんど転倒してしまい、大変なことになっているそうだ。この日、自分は墓参りには行かなかったが、守ってくれたご先祖様のためにも、復旧が急がれる。しかし父が石屋さんに連絡したところ、「すでに200件ほど修理依頼が来ている」と言われたという。

帰りに、本家から車で10分ほどの茨城空港(小美玉市)に寄ってみた。その様子。


茨城の状況は、あまりメディアで伝えられていない。しかし、沿岸部や県北部では相当な被害が出ている。

東北のニュースを見ていると「茨城だって被害を受けているんだ」と声高に叫ぶのは気が引ける。でも、比較的被害の少ない県中部を歩いただけでも、少しは声を出さないといけないのではないか、と感じた。

もっともネットで大きな声を出している人もいる。鉾田市出身の磯山さやかだ。

http://ameblo.jp/sayaka-isoyama/entry-10832410591.html

あまりクレバーでない印象を持たれることの多い彼女だが、とんでもない。誤解を恐れず、勇気を持って言うべきことを言っている。そして、以降このブログは茨城からの被害状況が伝えられる貴重なソーシャルメディアとして機能している。素晴らしい。

また、このエントリーは重要な指摘をしている。「ローカル放送局がないのも理由の一つかもしれません。」そうなのだ。コミュニティーFMは頑張っており、地域内の生活情報の共有に大活躍している。しかし、それを全国に発信するには映像の力が必要だ。

すでにメディアでは、被害の状況だけでなく、そこで起きた様々なエピソード、人間模様を伝えはじめた。これからを生きる人たちにとって、それらは教訓であり、心の支えにもなる。

我が本家の周囲でも、スーパーが無償で食糧を提供したり、物流が途絶えて出荷できなかった納豆工場が、納豆を近所に配り歩いたという話を両親から聞いた。こういうことを、全国や、後世に伝えていきたいものだ。

あと、自分は何もできないが多くのブロガーが募金の呼び掛けに協力している。俺も真似をしてみることにした。茨城復興義援金への募金の呼び掛けビデオを作ったので、茨城出身の人は見てみてください。そうでない人は、意味分からんと思いますが。

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2011年3月13日 (日)

3月11日~13日 千葉県北西部から茨城県南部の模様

今回の大震災の映像を見て、何かコメントする資格も語彙も自分にあるとは思えない。いや、言葉を失うのが普通だろう。

だから、自分の覚え書きとして、身の回りに起こったことだけをブログに記録しておきたい。

11日は翌朝まで会社にいた。動き出したJR常磐線に乗って自宅のある北柏に戻ったのは昼前。普通に営業を開始した食堂で、朝食だか昼食だか前日の夕食だかよくわからない飯を食った。コンビニに寄ると、弁当やサンドイッチなどが何もなかった。物流が混乱しているせいだろう。まだこの時点では、飲食店が普通に営業しているのにコンビニから食糧が消える、ということの違和感に気付いていなかった。

マンションに入ると、エレベーターホールに壁の塗料と思われるクズが散乱している。激しく揺れたのだろう。

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マンションの8階にある自室に入ると、いろいろ倒れている。千葉県北西部に位置する柏市の震度は5強と伝えられていたから、これは覚悟していた。室内灯のカサはすべて傾き、ホコリを撒き散らしていた。普段から見えないところも掃除しとかなきゃな、とくだらないことを反省。

本棚から飛び出していたのは入りきらずに平置きにしていた数冊だけだったので少し安心したが、居間に入るとカラーボックスに毛が生えたような組み立て式本棚が、それぞれ数十センチ前に出たり横に移動したりしていた。それ自体は倒れていなかったが、中に入っていたものはだいぶ派手にばらまかれていた。小さなダイニングテーブルもナナメになっている。どうやらぎっちり中身の詰まった重い本棚はどっしりと腰を据えていたが、軽い家具はここでダンスを踊っていたようだ。

そして、昨年購入したばかりの東芝REGZAが床に突っ伏して居眠りしていた。

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おいおいこういうときこそ君の出番だろ、と抱え起こすと、液晶画面は無事で映像の受信にも問題ない。フレームの一角が破損しただけで済んだ。どうやら近々ゴミ捨て場に持っていこうと思って縛ってテレビの前に置いた古雑誌がクッションになったようだ。ありがとう、山田太郎。

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まず風呂に入ろうと思ったが、給湯システムが作動しない。一瞬ガスが途絶えたかと思ったが、単にマイコンメーターが自動的にロックされただけだった。手順に従って復旧。

仮眠をとって、近所のスーパーに車で向かった。途中ガソリンを入れようとスタンドに立ち寄ると、数台が並んでいたがすぐに順番が回ってきた。聞けば20リッターまでしか売れないという。満タンにはならなかった。

夕食に、スーパーに近い「幸楽苑」でラーメンを食べる。いつもどおりの味である。

スーパーは、普段どおりの品ぞろえのように見えたが、カップラーメンとミネラルウォーターだけがきれいになくなっている。菓子やお茶、ジュースなどはいつも通りにあるのに、そこだけないというのがちょっと奇妙に思えた。そして近所で暖かいラーメンが食べられるのに、その近所でカップラーメンが品切れしているという状況もヘンといえばヘンだ。

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つまり、食糧がないのではなく、みな非常時に備えて備蓄を始めたということである。激しい揺れを体験し、余震も続き、ひっきりなしにテレビで悲惨な映像を見ているのだから、そういう心理が働くのは無理からぬことである。

コンビニにも寄ってみたが、同じような状況だった。

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翌13日。自分は茨城に向かった。自分の本家は茨城空港の近くにある。天井の崩落する様子が繰り返し放送された、あの茨城空港である。11日はこの空港の1周年セレモニーだったため、テレビカメラが入っていたのだろう。

家族の安否については、地震の2時間後ぐらいに母親から「大丈夫」というひとことがメールで送られてきた。しかしその後は電話もかからず、どういう状況か分からず不安だった。兄が水戸にいるので、様子を見に行ったところ無事と分かったが、まだ停電が続いているという。自分も様子を見に行くことにしたのだ。

茨城空港は、県の中部より少し南の小美玉市にある。千葉県北西部の柏から向かうには常磐自動車道で行くのが普通だが、この高速道路は緊急車両専用になっており、一般車両は入れない。そこで国道6号で北上する。

普段から渋滞の激しい道だが、この日は尋常でない混みようである。常磐高速だけでなく、JR常磐線も不通なので、南北の移動はこの国道に頼らざるを得ないのだ。

しかも、途中ガソリンスタンドに長蛇の列ができている。満タンにならずとも、前の晩に入れておいたのは正解だった。そして、そのガソリン待ち列がまた渋滞を引き起こしている。ガソリンスタンドは、どれも長蛇の列か、すでに売り切れで閉店となっていた。

途中、牛久駅のあたりで線路修復工事をしているのが見えた。土浦あたりまでは早期に復旧するかもしれない。

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4時間ほど走ったが、目的地にたどり着かない。ふだんなら2時間ほどで着くはずだが、まだ半分ぐらいの地点である。給油もままならない以上、これ以上行くのは不安だ。兄の話では特に急を要するほどでもないようなので、引き返すことに決めた。

帰り道になると、もうほとんどのガソリンスタンドが閉まっていた。

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茨城を抜けて、千葉県に戻ると、営業中のガソリンスタンドがちらほら出てきた。俺も給油していこうかな、と思ったら、前を走っている車が突然止まった。運転手が降りてきて「すいません、ガス欠で動かないので、脇に寄せるのを手伝ってもらえませんか」。

その人にハンドルを握ってもらい、自分が押す。ちょっと上り坂でランドクルーザーを押すのはなかなかの重労働である。なんとか脇に寄せ、幸いガソリンスタンドが目前だったのでそこに救援を求め、事なきを得た。

家にたどり着くと、電池充電で携帯を復活させた父母から連絡が入った。水道とガスが使えるので、電気がなくても何とかなるという。近所には水が出なくなった家も多く、我が家がちょっとした給水所として活躍しているそうだ。スーパーから食糧は消えたが、米は十分に備えがあり、土鍋で炊いているらしい。野菜はほぼ自家栽培でまかなえるので、しばらく問題ないとのことだった。

母「これぐらいで困ってるなんて言ってられないよ」
父「もともとそんなに文明的な暮らしもしてないしな」

この両親から生まれたことを、自分は誇りに思う。

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2011年3月 5日 (土)

水戸偕楽園 第6回「夜梅祭(よるうめまつり)」

今年の観梅シーズンもいよいよクライマックス。青年会議所が主催するナイトイベント「夜梅祭」を見物しようと偕楽園を訪れた。

本当は天気もいいので昼間から行きたい気もしたが、偕楽園は座って休めるところが少なく、昼から夜までいるのは結構重労働だ。そのあたりは改善できないものかと思う。

水戸をアピールする最高の舞台なのに、あいかわらず水戸駅からのアクセスは悪く、駐車場も狭い。昔から水戸、というより茨城県は観光客誘致が本当に下手だ。なんとかしたいものである。

動画を撮ってきたので貼ってみた。目玉は津軽三味線全国大会でジュニア部門3連覇したスーパー女子高生の川嶋志乃舞さん。演奏している顔つきは真剣そのものだが、トーク力もあって、何よりかわいい。超ファンになった。地元アイドルとして街おこしでも活躍してくれたらと思う。

あと、ついでに水戸出身のあの男も出ているぞ!

「夜梅祭」公式サイト

http://yoruume.com/index.html

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2010年7月25日 (日)

第27回 百里基地航空祭

だいぶ久しぶりに、百里基地の航空祭へ。子供のころはよく行ったものだが、いい大人になってからは初めてだろうか。

茨城空港のエントリーでも書いたが、わが一族の本家は茨城空港≒百里基地まで至近の距離にある。しかし周辺道路は大混雑なので、この日は本家から自転車で向かった。

茨城空港と百里基地は、入り口が違う。滑走路を挟んで、はす向かいの位置関係だ。

炎天下、しかも結構アップダウンもあり、渋滞で自転車といえどすいすいとは進まず、汗だくになって到着。

F-4EJやF-15、RF-4Eなどのデモ飛行やブルーインパルスの妙技など、大興奮のイベントだ。

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詳細は映像をどうぞ(長くて荒いです)

 

新名物登場。茨城空港≒百里基地を活用した街おこしの方向性としては、これで間違ってないと思う。 

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百里基地のWEBサイト

http://www.mod.go.jp/asdf/hyakuri/index.html

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2010年3月13日 (土)

茨城空港 開港

3月11日、国内98番目の空港として茨城空港が開港した。首都圏防衛の空の要・航空自衛隊百里基地と設備を共用する飛行場だ。

このブログは特定のイデオロギーに与しない形をとっているが、自分は茨城空港大賛成派である。

関東にこれ以上空港はいらないとか、税金の無駄づかいだとか、いろいろ言われているが、それに対する反論はしない。

なぜ自分が茨城空港に賛成しているかといえば、わが一族の本家に至近の距離だからだ。車で5分ほどで行けてしまう。しかもこの空港のために作られた新たな高速道路のインターチェンジ「茨城空港北」は家から歩いて行ける距離だ。

そりゃ地元にも反対派はいる。でもウチはどっちかというと体制寄りの気風なうえ、イベント好きなので「近所に空港ができたっぺよ」という非日常な状況を総出で喜んでいるのだ。

体調が悪いこともあり、この週末は「AKB48 桜の栞劇場版発売記念写真会」への参加もキャンセルしておとなしくしていようと思ったが、どうしても本家に顔を出さなくてはいけない用事ができた。それなら見学してこない理由はない。

というわけで、動画を撮ってきたので貼り付けます。

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2009年8月 8日 (土)

第49回 水戸黄門まつり

水戸の夏まつりといえば黄門まつりだ。今年はTBS「水戸黄門」第40部が放送中ということもあり、由美かおる、助さん(原田龍二)・格さん(合田雅吏)、新風車の弥七(内藤剛志)、そしてちゃっかり八兵衛(林家三平)と、5人もゲストが来るという。こりゃあ見学に行かなきゃな、というわけで地元である水戸へ。

その模様を映像にまとめてみました。

なお、昨年の水戸黄門まつりはドラマ放送中ではなかったので、水戸黄門とは直接関係のない高橋由美子・真木蔵人という2人をゲストに迎えた。そのエントリーはこちら。映像を追加しておきました。

水戸黄門まつりのホームページ
http://www.mitokoumon.com/maturi/koumon/koumon.html

ドラマ「水戸黄門」ホームページ
http://www.tbs.co.jp/mito/

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2009年5月 3日 (日)

「池沢早人師・サーキットの狼ミュージアム」オープン

茨城にまたひとつ、素晴らしい観光名所が誕生した。

その名も「池沢早人師 サーキットの狼ミュージアム」。もうこの名前だけで説明は不要だろう。あの70年代のスーパーカーブームを彩った名車たちがずらりと並んだ私設博物館だ。クルマ好きにはもちろん、マンガ「サーキットの狼」に心躍らせていた世代、そしてマンガは読まずとも「スーパーカークイズ」に熱い視線を注いでいた人たちにとって、これほど心引かれる名前の私設もないだろう。

場所はカシマスタジアムで全国的に知られる鹿嶋市にほど近い、神栖市。池沢早人師(池沢さとし、という旧ペンネームのほうが馴染みがあるかもしれないが)は千葉県野田市の出身だが、この施設のオーナー、スーパーカーのコレクターとして知られる八幡正毅氏の創業の地がこの神栖市とのことだ。そしてお隣りの潮来市には、マンガの中に「潮来のオックス」として登場する、池沢氏の旧友・関根英輔氏も在住している。

茨城県出身者として、そしてサーキットの狼ファンとして、スーパーカーブームに踊らされまくった身として、これは行かなくてはならんだろう。そう思い、オープン初日に駆けつけた。

俺の自宅は千葉の柏市で、ここから神栖までは利根川沿いをまっすぐ行って1時間半ぐらいの距離。しかしゴールデンウイークということもあって渋滞しており、2時間ほどかけて市内に入る。

当然ナビにはまだ登録されていないので、地図を頼りに車を走らせていると、心躍る看板が目に入った。

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駐車場は広く、初日ということもあって多数の来館者が詰めかけていたが、すぐに車を入れることができた。ここから写真とくどいテキストが並ぶのでたたんでおきます。付いてこられる人だけ付いてきてください。

続きを読む "「池沢早人師・サーキットの狼ミュージアム」オープン"

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2008年8月 2日 (土)

水戸黄門まつり

自分が高校時代までを過ごした水戸市の最大のお祭りである「黄門まつり」を久しぶりに見物してきた。

初日の花火大会、2日目・3日目のパレードと市民参加の踊り、という基本構成は自分が小学生の頃から変わらない。ただ、ずっとパレードの黄門役は市長が務めていたが、自分が高校生の時だったか、新たに市長となった人物が「カツラが間に合わない」という理由で黄門役を拒否。そこで初めて、テレビの水戸黄門役を務めていた西村晃が招かれ、パレードに花を添えた。カツラを作るより西村晃に出演交渉をするほうが大変だろうからたぶん言い訳だったのだろうが。そのときのパレードは間近で見学した記憶がある。

その後も、黄門役は俳優が演じたり市長が演じたりだったようだが、番組ゆかりの役者を招くのは恒例となったようだ。記憶あいまいだが、由美かおるが来たこともあったように思う。

しかしだんだん番組とは離れてきているようで、今年のゲストは真木蔵人に高橋由美子。水戸黄門とは全く無関係だ。まあ真木蔵人は親父のマイク眞木の本籍地が水戸らしいので多少のゆかりがあるが、高橋由美子にいたっては何の接点もない。

そうはいっても、やはり有名人が来ると祭りは盛り上がるものだ。

夜は「黄門ばやし」と「ごきげん水戸さん」を交互に踊る。曲がサンバ調になったが、基本構成は一緒である。

水戸市の市街地もかなりシャッター化しており、祭りの盛り上がりもいまひとつだ。伝統も大事だが、もっと新しい要素を取り入れていかなくてはいけない。

全国で「YOSAKOIソーラン祭り」の成功にインスパイアされ、その踊りのスタイルを取り入れたり、若者中心の企画を取り入れたりする動きはあるが、解はそれだけではないだろう。

せっかく水戸黄門という超メジャーなキャラがあるのだから、やり方次第でもっと面白くなるはずである。あえて若者向けでなく、今後増える一方のシニア層をターゲットにした企画を展開してもいい。60歳以上によるミスター黄門コンテストとか、50歳以上限定の由美かおるコスプレ大会とか。

とにかく、なんだかんだと50年近い歴史を刻んできたのだ。決してその火を絶やすことなく、次の世代に受け継いでいきたいと思う。

<追記>

映像追加しました。

「水戸黄門まつり」のホームページ

http://www.mitokoumon.com/maturi/koumon/koumon.html

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