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2018年2月 8日 (木)

「FUN HOME」はアメリカの「サザエさん」か?

アリソン 瀬奈じゅん
ブルース 吉原光夫
大学生のアリソン 大原櫻子
ヘレン 紺野まひる
ロイ 上口耕平
ジョーン 横田美紀
小学生のアリソン 龍 杏美
クリスチャン 若林大空
ジョン 大河原爽介

2015年のトニー賞授賞式はWOWOWで録画して観た。だからミュージカル作品賞に「FUN HOME」が輝いた場面も見ていたが、まあ、これは観なくてもいいかな、と感じていた。

レズビアンの漫画家が、ホモセクシャルの父親を中心に家族の暮らしを回想する話、と聞いて、きほん明るく楽しくばかばかしいエンターテインメントが好きな自分としては食指が伸びなかったのだ。実際、この作品の上演期間中にニューヨークに行っているが素通りした。

別にLGBTの話題を避けている訳ではない。90年代後半以降、この問題については過剰なぐらいに主張しているブロードウェー界隈だが、ある意味それが「ブロードウェーらしさ」になっていて、どちらかというと考え方の古い自分に、この問題をニュートラルに考えさせてくれているのはありがたく感じている。素通りしたのは、単純に「なんか地味そうだから」だ。

そうこうしているうちに、フィリピンでこの作品が上演されることになり、そこにレア・サロンガが出演する、というニュースを聞いてへえーと感じ、いつかは日本でも上演するのかな、とぼんやり考えていた。そして日本での上演が決まり、吉原光夫が出ると聞いて、ちょっと観てみようかな、という気になり、開幕2日目にいそいそとお久しぶりのシアタークリエに出かけてきた。

演出を手掛けるのは日本演劇界のホープ中のホープ、小川絵梨子。今年夏に最年少で新国立劇場の演劇部門芸術監督に就任予定で、どちらかというと真面目な芝居のイメージが強い。ミュージカルは今回が初めてだ。それを聞いて、この舞台、もともと難しいテーマを扱っているし、自分には高度過ぎて理解できないんじゃないか?と不安になった。

結論から言うと、やっぱり高度過ぎて、この作品の魅力の、たぶん半分も自分は理解できなかったと思う。

とはいえ、今年はこれまでいろんな事情であまり書けなかったブログを少しは真面目に書こう、と決心したので、がんばって書く。以下ネタバレあり。

女性の漫画家が家族を描く、というと、あほな自分としては「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」がすぐ頭が浮かぶ。

しかしこの作品で描かれるのは、表面的には仲睦まじく見えるが、それぞれの心はすれ違っており、すれすれのところでバランスを取っているという家族だ。

そこに大きく影を落としているのは、まだ現在よりもずっと偏見が大きかった、同性愛者がいるということ。同性愛者の父は、妻、そして家族、さらには地域社会の信頼を徐々に失っていく。

すれ違う家族たちの姿は見ていて非常につらい。

ところが面白いことに、舞台が進行するにつれて、だんだんそのつらさが薄らいでくる。ここがミュージカルという手法のスゴいところだ。決して分かりやすいとは言えない旋律の音楽が、絶妙に舞台上の緊張と、観客の心をほぐしていく。そこにプラスして、3つの時間軸が交差しながら進んでいくという、パブリック・シアター発らしい実験的な構成が観客の心をつかみ、ぐいぐいと引っ張っていく。1幕のみ、全体で100分という長さもあいまって、重い話だけど胃にもたれない。

そして、ここで重要なことに気づく。

家族って、だいたいこんな感じじゃないのか?

目の前に描かれている家族は、一見、特別なものに見える。同性愛者が2人いて、葬儀屋が遊び場で、常に遺体が身近にある。そんな非日常につい目を奪われがちだが、世の中のほとんどの家族って、常にすれ違いながらも、絶妙なところでバランスを取っているのが普通なんじゃないか。

舞台の後半では、主人公が自らがレズビアンだと両親に告げ、それを両親がどう受け止めるか、が大きな見どころとなる。それはつまり、すれ違ってきた家族が、果たして真に向き合えるかどうか、ということだ。

原作にもある、車の中で父と娘が語り合うシーンは象徴的だ。「向き合う」のではなく、互いに前を見ているからこそ、ぎこちなくはあるが何となく会話が成立し、心が通い合う。

このシーンに、そういえば自分もそうだったよな、と思い出す観客は多いのではないか。家族の会話なんて、だいたいぎこちないものだ。しかし、何となくつながっている感じはある。

無理に向き合う必要はない。でも、向き合おうとする姿勢が家族をつなげている。残念なことに、父は無理に向き合おうとした結果、悲劇へとつき進む。娘は、その悲劇が自分に向き合おうとした結果であることを知って、そこに救いを見出す。そこで幕は降りる。

父の死後、長い年月を経て、またもすれすれのところでバランスをとって、家族が再生した瞬間だ。

重い部分だけを見て、この家族は普通と違う、と考えてしまいがちなところを、原作は漫画という手法で、この舞台はミュージカルという手法を使って、実はみなさんの家庭と同じなんですよ、と示す。それが自分が感じた「FUN HOME」という作品だ。

「サザエさん」といえば、自分は火曜の再放送で流れていた、堀江美都子の歌う主題歌が好きだった。

♪うちと おんなじね 仲良しね 私もサザエさん あなたもサザエさん

この歌詞が子供のころサッパリわからなかったわけだが、今ならわかる。どんな家族も、それなりに問題を抱え、それなりに秘密もあり、でも何とかうまくやっている。お互いに、そこを分かったうえで同じ「家族」としてつきあう。それがオトナの社会だ。

もっとも、長谷川町子はこのテレビ版サザエさんがあまり好きではなかったという。自分も原作の単行本は全巻持っているが、マンガでは「いじわるばあさん」と同様、かなり毒のあるギャグが満載だ。ことさら家族の仲の良さを強調することはない。それでいて、家庭の温かみは伝わってくる。

「ちびまる子ちゃん」も、さくらももこの幼少体験そのものではなく、むしろ「こういう家族だったらよかったな」という理想を交えて描かれたものだ。あの、ほのぼのした世界観の中で、時おり流れるシニカルな空気はその辺りに起因しているのではないかと思う。

そういう意味では、「FUN HOME」と「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」は、そんなに距離のあるものでもないのかもしれない。

ところで、吉原光夫の演技は今回も最高だった。「夢から醒めた夢」の暴走族のころから見ていたけど、当初は粗削りで、力任せな感じだけど目が離せない、そんな役者だった。それがこんな繊細な演技のできる素晴らしい役者に成長してきたのは感無量だ。

最後、トラックに飛び込むところで見せた鬼気迫る表情は、そのまんまセーヌ川に飛び込むジャベールだった。あの場面であの演技が正しいのかどうかはちょっとわからないが、いいもの見た感じではある。

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FUN HOMEのウェブサイト
http://www.tohostage.com/funhome/

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