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2015年5月30日 (土)

劇団四季「アラジン」開幕 結構いけるぞ

ジーニー 瀧山久志
アラジン 島村幸大
ジャスミン 岡本瑞恵
ジャファー 牧野公昭
イアーゴ 酒井良太
カシーム 西尾健治
オマール 斎藤洋一郎
バブカック 白瀬英典
サルタン 石波義人
 

アラジン東京公演開幕。

四季が超大作ミュージカルを新たに投入するのは「ウィキッド」以来、実に8年ぶりだ。「リトルマーメイド」はちょっと小ぶりだから。しかし、もうあれから8年も経つなんて信じられないなあ。

チケット料金値下げ以来、資金力も低下していたのだろうと思うが、やはり8年も大きな話題がないと四季の会会員の忠誠度も下がってくる。

昨年、事実上の分裂騒動もあったわけだが、とりあえず経営体制も変わり、吉田新社長のもと新たなチャレンジもしよう、ということなのだろう。その意気やよしである。

だが「アラジン」の上演が発表になったとき、実は不安もよぎった。

そのころ、日本に伝わってきた「アラジン」の噂は「まずまず」と「イマイチ」が半々だった。いずれにしても「ライオンキング」や「美女と野獣」のような、衝撃的なものではないようだ。

となると、吉田新社長が功をあせって、評判が固まらないうちに売り抜けようとしているディズニーの口車に乗っちゃったんじゃないか。そんな不安が自分の中で渦巻いたのである。

しかし噂はあくまで噂。この目で観なきゃあな、と昨年末にニューヨークへ。そのときの感想は以下の通り。

http://kingdom.cocolog-nifty.com/dokimemo/2014/12/aladdin-3a89.html

この時はあまり書かなかったけど、正直、作品全体の印象としてはイマイチかなあ、と感じていた。ジーニーはすごいけど、それ以外はどうもとっちらかった感じて好感を持てなかった。ジーニーというキャラクターも、果たして日本で受けるかどうか。それ以前に四季の水と合うかどうか。不安は全く払拭されなかったどころか、より濃くなってしまった。

そんな不安を抱えて電通四季劇場[海]へ。

キャストボードを見ると、瀧山久志がジーニー役という。あれってっきり道口瑞之だと思ってたのになあ。分からないものだ。

まだ未見の人も多いと思うので、微妙にネタばれする前に結論を先に言う。

感想を一言でいえば「結構イケる」だ。チケットを持っている人は期待していいし、まだの人は前日予約でトライして一度は観てみることをお勧めしたい。

で、どんなだったかというと。

幕が上がり、さっそくジーニー登場。ほほう、こんな感じか。瀧山久志という役者、いい存在感である。何と言うのだろう、出てくるだけでどこかちょっと面白い。それは吉原光夫にも通じるものがある。(吉原ジーニーちょっと見たいぞ!)そのあたりはこの役にぴったりといえそうだ。

歌はもともとオペラ歌手だからさすがだけど、ちょっと声が本調子じゃないような気がした。オペラ歌手の喉すら消耗させるほどの苛烈なレッスンをこなしたのだろうか。

そしてその語り口は、ブロードウェイのジーニーに比べややマイルドというか、ソフトでゆっくりしている。マシンガントークで客を圧倒させるのではなく、客の反応を見ながら一緒に盛り上げていこうとする。ジーニーはもともとキャブ・キャロウェイがイメージとしてあったらしいが、日本のジーニーはキャブ・キャロウェイというよりトニー谷だ。あっちで見たとき、こういうボードビリアンは日本にいないよなーと思ったけど、そうかトニー谷という手があったか!

もちろん往年のエンターテイナーだけでなく、最近のお笑い芸人のスタイルなど、さまざまな要素を貪欲に取り込んで、日本人の口にあうものになっている。これは役者だけでなく、四季のスタッフが相当に「日本人に受けるジーニー」を研究した成果ではないか。ふーむ、これはなかなかいいぞ!

そしてジーニーだけでなく、作品全体もとてもまとまりのあるものに感じられた。そこはやはり劇団の強みだろうか。演出もだいぶアレンジを加えているらしいが、正直向こうで1回観ただけだから、違いを具体的に指摘することはできないが、ジーニー同様、こちらも日本人のメンタリティーに合うように、細かく検証したのだと思う。

しかし、ディズニー相手にそこまでのアレンジを認めさせたというのは、四季もなかなかやるじゃないか。

もっとも、それはあくまで小幅修正なので、大きく演出が変わったりはしない。2幕はだいぶ退屈なシーンもあるし、「プリンス・アリー」は映画で大好きだったシーンだったので、もっと派手に演出してくれても、と思ったが、そのあたりはそのままだ。しかし、今回は小幅修正を認めさせただけでも大いに評価したい。

個人的には、女性陣の衣装が露出度高めなのが大いに気に入った。それにほら、岡本瑞恵が美人さんだし。ヘソ出し衣装、というだけでニヤニヤ笑いたくなる(←久しぶりに正常ではない観劇姿勢)。

そうそう、アラジンの友達役で白瀬英典が登場。「春のめざめ」以来、注目してきたというかつい目が行ってしまうユニークなキャラクターの役者だが、今回も相変わらずイイ声を響かせていた。白瀬のジーニー、見たいものだ。きっとアンダーで練習には入っているような気がする。

全体として、せっかくの「NEW MUSICAL COMEDY」なのに四季の悪いところが出て、カクカクした無粋なものになったらいやだなあ、と思っていたが、全くそんなことはなかった。むしろ、四季の良さでもともとの作品のアラを埋めている感じだ。観終わって、すぐにまた観たいと思ったのは久しぶりのことである。

ジーニーありきの舞台であることは間違いないので、今後も新たなジーニーが出てくるたびに劇場に足を運ぶことになるだろう。そうしないと、リピーターの動員も難しいはずだ。外部からの積極的な登用にも期待したい。もちろんOBもな!

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「アラジン」のウェブサイト
https://www.shiki.jp/applause/aladdin/

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2015年5月18日 (月)

舞台「マジすか学園 」~京都・血風修学旅行~ つかこうへいの遺伝子

ゲキカラ 松井玲奈
おたべ 横山由依
ガッツ 田野優花
サンカク 大島涼花
オオイリ 川本紗矢
ボテ 高橋朱里
ヘコ 谷口めぐ
近藤 中西智代梨
土方 永尾まりや
沖田 岡田奈々
サーノ 武藤十夢
シンパチ 飯野雅
ハジメ 梅田綾乃
瓜坊 西野未姫
カミソリ 小嶋真子
ゾンビ 大和田南那
   

マジすか学園4が、何とも期待はずれ(そんなに期待もしてなかったけど)に終わった。マジすか学園の1や2が奇跡的に成功した要因を「解ってないなあ」というのがその感想。じゃあお前は解ってるのか、と言われたら答えに窮するけど、解ってるなら放送作家にでもなってるって。

しかし性懲りもせずこの舞台化にはちょっと期待していた。

というのも、主役がおたべ(横山由依)とゲキカラ(松井玲奈)と発表されたからだ。マジすか学園シリーズで、抜きんでて印象的なキャラクターといえばこの2人だ。この企画は「解っている」人によるものだ。そう確信した。スタッフが発表されるとさらに期待感が高まる。マジすか4のスタッフが手掛けることを憂慮したのだが、脚本・演出とも演劇関係者だ。もっともマジすか4の脚本の一人はマジすか1、2にもかかわっている人なんだが・・・

そしてもうひとつある。自分が「動くゲキカラ」をライブで観るのはこれは初めてではない。もう5年も前のことになる。2010年1月24日、毎年の恒例行事「AKB48 リクエストアワーセットリスト ベスト100」のアンコール企画で、マジすか学園の出演者たちが、ドラマの衣装そのままでステージに乱入してくる、という演出があった。

このとき、出演者(AKBメンバー)は、衣装だけでなく、表情や話し方まですべて役柄に合わせていた。この年の1位は「言い訳maybe」で、やや拍子抜けだったが、この茶番に真剣に取り組むメンバーたちの姿には心を打たれた。

だが、ただ1人、ゲキカラ役の松井玲奈だけは、へらへら笑っている。ダメだなあ、みんな役になりきっているのに。その時はそう感じた。

しかし、後になってわかった。実は玲奈は誰よりも役になりきっていたのだ。

実は、マジすか学園の放送は1月開始。ゲキカラが登場したのは終盤なので、このときはまだゲキカラがどういう人物像なのか分からなかった。だからこの誤解が生じた。

ゲキカラのキャラクターはヤンキーという枠を超えている。それはもはやバットマンのジョーカーのごとき、クレイジーな殺人鬼だ。へらへら笑いながら相手を再起不能に落とし込む。指原莉乃演じるチームホルモンのオタをやりこめるシーンは、放送当時つらくて観ていられなかったほどだ。このシーンはBPOでも問題となり、再放送ではカットされている。

話がそれた。その「動くゲキカラ」を見たのは、今はなくなってしまったSHIBUYA-AX。今回、マジすか舞台が上演されるAIIAシアターは、AXがあった敷地の隣にある。またあの地でゲキカラに会えるのだ。約束の地である。これは行かないわけにはいかない。

おたべに関しても少し。マジすか学園2は、まさにおたべのために用意された話と言ってよかった。京都人らしく本心を見せないが、すべてを見通す頭脳を持っている。そのシャープな迫力は「仁義なき戦い」の武田をほうふつとさせる。

それがマジすか4で復活すると聞いたときには小躍りして喜んだものだ。初回にはかつての雰囲気を残し、さらに「留年」をイジられるといきなりキレるというナイス設定まで加わって、これがまた面白かった。まるで髪型をイジられるとキレる、ジョジョ第4部の東方仗助のようではないか。

ところが、物語が進むにすれてただの真面目キャラになってしまい、全くその持ち味が生きなかった。実に残念。だからこそ、この舞台で昔のおたべが見られるのではないかと楽しみにしていた。

前置きが長くなりすぎた。チケットを何とか入手していざ渋谷へ。

オープニング。客電が明るいうちから「桜の栞」のメロディーがアコースティックギターで奏でられる。次第に暗くなる客席と、反対に大きくなる音量。

これは!

ぴんと来た。この雰囲気は、つかこうへいの名作「飛龍伝」のオープニングだ。飛龍伝は、つか作品の中でも自分が最も好きな作品。自分の中で一気にテンションが上がった。

まずゲキカラが登場。これはマジすか2の後の、少し落ち着いたゲキカラの表情そのままだ。乃木坂46の「16人のプリンシパル」への参加はあったものの、本格的な舞台はこれが初めてとなるはずだが、いい演技をしている。ああ、ゲキカラにまた会えた。実はちょっと泣きそうになった。

続いておたべの登場。演技に少しマジすか4の余韻が残ってはいるが、きちんとマジすか2のおたべを再現しているように見える。何しろ髪型が当時のままだ。

そんな感じで始まった舞台。最終的に演出、演技、脚本、それぞれに見るべきところが多く、好感を持てた作品だった。

まず演出。最初に感じた「つか作品のようだ」という予感は当たり、随所につか的な演出が見られた。特にクライマックスの、何だかよく分からないがただただ美しい演出は、映像ではできない、まさに演劇ならではの力技だ。そして最後の最後の役者紹介。あの紹介のナレーションの口調は、もろにつか作品のそれだった。

演出の茅野イサムは横内謙介の門下生のようだが、これまでの演出記録を調べてみるとつか作品は見当たらない。だがネットでいろいろ調べてみると、やはりつかの影響をかなり強く受けているようだ。もっとも、つかこうへいは日本の演劇界における手塚治虫のような存在だ。多かれ少なかれ影響を受けているのは当たり前田敦子のクラッカーかもしれない。

脚本も、マジすか1を観た多くの人が気になっていた「ゲキカラの過去」に踏み込んだところがグッドジョブである。勝手に想像していたものとは違ったけど、なかなかの壮絶な過去で、ゲキカラ誕生のエピソードとして十分に納得できるものだった。

そして演技の面では、松井玲奈、横山由依以外のメンバーもなかなか良かった。岡田奈々や西野未姫の捨身の演技は笑いよりも感動を呼んだ。

しかし何といっても出色の出来は田野優花であろう。

「オズの魔法使い」の主役にも抜擢されたほどだから、それなりに実力はあるのだろうと思っていたが、想像以上だった。最初はあまりにうざい存在で、これ最後まで続くのはつらいなあ、と思っていたが、終盤では全く違和感がなくなっていた。決戦に挑むゲキカラに傘を差しだす場面では、セリフだけでなく全身の身のこなしで場の空気を作っていた。これにはしびれた。

と、こうしてみると手放しに褒めたくなってくるが、それぞれにいささか物足りない部分も多かったのは事実だ。

演出で言えば、随所につかテイストは見えたものの、全体を通すと一貫性がなく、だれた部分も少なくなかった。恐らく、AKBのステークホルダーが多すぎて、演出家といえど好き勝手にはできなかったのだろう。「AKB歌劇団」のころとは時代が違う。

最後の最後の役者紹介、あれは本来なら舞台の序盤、今回の脚本で言えばゲキカラがマジ女に復帰して修学旅行の話を聞く場面と、京都に付いた場面の間に挟まれるべきものだ。あそこのつながりは良くなかったし、おそらく初期段階ではそうなっていたのでは、と想像される。じゃあなぜそればできなかったのか。そこはいろんな大人の事情や思惑や我儘が交錯した結果に違いない。

脚本はまずまずだったが、無理やりマジすか4につなげるためにカミソリ(小嶋真子)、ゾンビ(大和田南那)を出したことで、全体のバランスが崩れてしまった。逆に、マジすか4につなげるなら永尾まりやは4の最終回に登場したキャラクターにつながる役で出て欲しかった。またおたべがなぜ留年を繰り返しているのか、につながるエピソードも欲しかったところだ。これも何となくだが、もともとは含まれていたのでは、という気がしている。

できればさらにブラッシュアップして再演などして欲しいが、今のAKBがそこまで舞台を重視しているとは思えない。せめてゲキカラ・おたべ以外のメンバーをSKE版、NMB版、HKT版としてそれぞれの土地で上演してくれるのを望むだけだ。そうしたらたぶん、なんだかんだ言いながら遠征して観に行くと思う。

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舞台「マジすか学園 」~京都・血風修学旅行~のホームページ
http://www.nelke.co.jp/stage/maji/

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2015年5月17日 (日)

山本耕史&堀北真希「嵐が丘」 これは観ないと損

キャサリン 堀北真希
ヒースクリフ 山本耕史
ヒンドリー 高橋和也
エドガー 伊礼彼方
ヘアトン 矢崎  広
ジョウゼフ 小林勝也
イザベラ ソ ニ ン
ネリー 戸田恵子
   

自分は「ケータイ刑事(銭形舞)」や「逆境ナイン」のころからのヘビーな堀北真希ファンである。近年、舞台に挑戦しているので、いつも見たいと思いながら実現できていなかった。そして山本耕史の舞台俳優としての力量はよく分かっているつもりだったが、考えたら2003年のレ・ミゼラブル以来見ていなかった。

その2人が共演、となればこれは足を向けないわけにはいかない。しかも、演目は「嵐が丘」。「ガラスの仮面」で読んだのと、松田優作主演の映画でぐらいしか予備知識がなかったが、いつか劇場で観たいと思っていた。数年前、松たか子主演で上演されたときも、チケットを買ったが行けなかった。

しかし、特に松田優作主演の映画で、重ーい話というイメージがあったので、ちょっと不安でもあった。このところ寝不足気味だったし、寝ちゃうだろうなあと。

ところが、一睡どころか、眠いとすら感じなかった。最初から最後までずっと舞台に引き込まれ、実に幸せな観劇の時間を過ごすことができた。

大きな理由は2つ。ひとつは俳優たちの演技の心地よさだ。

山本耕史が見せるスゴ味と、その奥に覗かせる人間味は、ヒースクリフの深い闇と愛の深さを余すことなく伝えてくる。無駄な演技は何ひとつなく、すべてが表現となって観客の心に響く。

堀北真希の演技は一挙手一投足がすべて演技の基本に忠実な、折り目正しいものだった。しかし、なぜかあまり「演劇的」ではない。だがそれがいい。キャサリンの純粋さ、純粋すぎて罪になってしまうその性根が全身から漂う。

高橋和也の役どころは悪役といえば悪役だが、どこか憎めない、心の弱さを前面に出した演技が印象的だった。ソニンを舞台で観るのは久しぶりだったが、相変わらずの存在感で、舞台に大きなアクセントを添えていた。

小林勝也のひょうひょうとした演技は決して笑いを取るものではないが、どうにもおかしい。「君となら」の演技を思い出してしまうとなおさらだ。

そして語り部となるネリーの戸田恵子は、もはや名人芸の域。淡々とした語り口で観客の興味をぐっと引き付ける。

これら各様の演技を楽しんでいると、あまりに楽しすぎてとても眠くなんてならない。

そしてもう一つ、G2氏の職人的な演出が見事にハマっている。つい先日、博多座の「めんたいぴりり」が千秋楽を迎えたばかりだが、その直後にこれだけの仕事をするのだからまさに職人という言葉がふさわしい。「めんたいぴりり」もとても評判がよく、ぜひ観たかったのだがかなわなかった。

原作のセリフを重んじ、正面から向き合い、決して奇をてらうことなく、一方で大胆にエピソードを取捨選択し、冗長にならずテンポよく物語を進めていく。それだけでも眠くならない要因になるが、今回の演出で最も素晴らしかったのは、登場人物ひとりひとりに向けられた眼差しがとても温かい。この物語に出てくる人物はみなそれぞれに悲しい。だがその悲しい生き様を見ながら、不思議に温かな気持ちになるのは、演出の勝利だ。だから観劇後、決して暗い気持ちにならずに劇場をあとにできた。

ストレートプレイを観てこんなに豊かな、満たされた気持ちになったのは何年ぶりだろう。これは観ないと公開する傑作と言える。あー楽しかった!なんて言葉が「嵐が丘」を観て出てくるなんて!

Sdsc_2190

「嵐が丘」公演情報ページ

http://www.shochiku.co.jp/play/others/schedule/2015/5/post_203.php

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