映画「夕凪の街 桜の国」
自分たちの世代では、多くの人が「原爆」を「はだしのゲン」で学んだと思う。子供にはショッキングな内容だが、その衝撃が原水爆へのイメージを形作っている。
今年の広島での平和記念式典に、「はだしのゲン」原作の中沢啓治氏が初めて出席したというニュースが流れた。ずっと出席を拒んできた氏が、なぜ今年参加したか。その意味するところは大きい。
ところで、「はだしのゲン」とは全く異なるアプローチで原爆の恐怖を伝える作品が、21世紀になって誕生した。それが「夕凪の街 桜の国」だ。
自分はこの映画が公開されたしばらく後にCATVで観た。観終わった直後、自分はとんでもない見逃しをしていたことを後悔し、その場でDVDを注文した。高い評価を受けていた原作漫画も読んだ。
この作品は、原爆の悲惨さを直接的に描かない。そういう意味では「はだしのゲン」と真逆の手法だ。しかし、そのあとに人々が味わった思いを描くことで、原爆の恐怖をまざまざと伝えていく。
そしてもうひとつ、この作品は、放射能の威力が人々を数十年に渡り苦しめるという現実をつきつけていることを、もういちど考えなくてはいけないだろう。
「夕凪の街 桜の国」は、昭和33年と、平成の現代との2部構成になっている。被爆者、そしてその子らの受けた重く、つらい運命がテーマだ。
だがそれを見守る目線はあくまでやさしく、おだやかだ。それだけに、強い憤りが心に訴えかけてくるのである。
一般的に、映画では昭和33年の部分のヒロインを演じた麻生久美子が高い評価を受けている。確かに彼女の演技は至高のものだが、自分は後半のヒロインを演じた田中麗奈も負けず劣らず素晴らしい演技だったと思う。自然すぎる(ように見える)演技の中で、ふと見せる母や祖母との悲しい思い出がよぎるときの表情が実に印象的だ。役の中に入っていくタイプの麻生と、役を自分の中に取り込むタイプの田中という、対象的な2人の女優の共演が、映画としての魅力をぐっと高めている。
そして、堺正章が名優であることは今さら言うまでもないが、この映画でも大きな存在感を発揮している。平成の世で、50年前を思い出しながら広島の街を訪ね歩くその姿は、まるで「ビルマの竪琴」の水島上等兵のようだ。
また今年も8月6日がやってきた。久しぶりにDVDで観て、これから毎年、この日にこの作品を観ることにしよう、と考えた。
以前広島を訪れたとき、映画のロケにも使われている、原爆スラムのあった地域に行ってみた。現在、ここは美しい遊歩道になっている。
映画「夕凪の街 桜の国」のウェブサイト
http://www.yunagi-sakura.jp/index.html
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