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2011年3月26日 (土)

3月25日 茨城県北部(北茨城市)の模様

常磐自動車道がいわきまで復旧し、自分が住んでいる千葉県柏市近辺ではガソリンを普通に給油できるようになった。そこで茨城県北部の親類や友人のところへ見舞いに行った。

柏インターから乗り、北へ走る。途中、守谷SA(茨城南部)、友部SA(同中部)で様子を見たが給油所に列ができている気配はない。しかし中郷SA(同北部)は閉鎖になっている。

北茨城インターを降りて海岸部に向かうと、途中ガソリンスタンドに長い列ができていた。県の北部にはまだガソリンが行き届いていないのだ。被災地に入っていくほど燃料不足が深刻になる、という状況を目の当たりにした。

海沿いを走ると、多くの民家が被害を受けている。倒壊した家屋、ひっくりかえったままの車、倒れたブロック塀、砂だらけの道路。南部や中部の状況とは全く異なる「被災地」の光景があった。

茨城ゆかりの文化人、岡倉天心が建てた六角堂消失のニュースを聞き、ショックを受けながらもこの目で確かめようと現地に向かった。近くの五浦岬公園からよく見えるはずだが、がけ崩れなどで危険な状態にあるため、立入禁止になっていた。入れるところで六角堂が見えるはずの場所を探し、確認する。もっともそこもだいぶ危険であり、立入禁止区域だったのかもしれない。

六角堂は、すぐにそれと分かる台座だけ残して消えていた。その映像。

茨城の貴重な文化遺産が失われてしまった。

その近くの漁港、大津港は、とてつもないダメージを受けていた。

何だこれは。

人は、見たこともない光景を前にしたとき、言葉を失う。美しいもの、面白いものであればいいが、悲しいことに悲惨なもの、恐ろしいものであっても、それは起きる。

船が「無造作に」そこかしこに転がっているという現実。地面は割れ、家屋は倒壊したり、津波で壁面を奪われたりしている。

大津の漁業協同組合の事務所には、時計がかかげられている。その時計は、地震発生直後の2時48分で時を刻むのをやめていた。停電の影響だろうか。

しかし、そこに生きる人々の時間は、決して止まってはいない。復興に向けての作業が、重機や、人の手によってもう始まっていた。

家屋を破壊された人たちは生活の場を失ったし、港は漁業を支える機能を失った。完全な復興にはどれほどの労力と時間がかかるのか見当もつかないが、しかし一歩ずつ、前に向かって足を踏み出している。その足音に耳を傾け、一緒に歩いていきたい。

今後、茨城の被害についてのエントリーは、こちらのブログに集約することにする。4年前に立ち上げながら、ほとんど放置していた第二ブログだ。しかし今後は、真面目に更新していくつもりである。

こっちのブログは、もともとのあるべき姿、つまりノウテンキにくだらないことを書きつづる状態に戻す。もっとも、あちらのブログでも、もう被害状況を伝えることはないだろう。復興へ向け、雄々しく励む茨城の人々の営みを明るく紹介できたら、と思う次第である。

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