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2011年3月21日 (月)

3月19日 茨城県中部(鉾田内陸~小美玉)の模様

19日(土)になって、やっと茨城県の中部、鉾田市(内陸側)にある本家に行くことができた。常磐高速道が復活したが、ガソリン不足は相変わらずだ。朝早く並んで給油していこう。

早朝、家を出たら車の行列ができている。2キロほど先のガソリンスタンドの営業開始を待っているのだ。しかし営業する保障はない。これでは無理だと、高速のサービスエリアに望みを託して高速に乗る。

サービスエリアでは給油を行っていた。大行列にはなっていたが、整理誘導が非常に行きとどいていて、混乱もストレスもなく待つことができた。1人で運転している身には、トイレの不安はあったが。1時間20分ほどで給油できたものの、2000円が上限のため、13リッターあまりしか入らず。

道路は50キロの速度制限だが、渋滞はしていかった。あちこちで道路が波打っており、補修工事もまだ行われている最中だ。地震のエネルギーの強大さを改めて感じる。

本家に到着すると、この地域はかなり日常を取り戻していた。スーパーにも、トイレットパーパー以外はおおむね物資がそろっており、鮮魚などが並んでいた。

だが、両親とも口には出さないがやはり電気が復活するまでは、寒かったり、食べ物がなかったりして大変だったようである。やはり会社なんぞ休んで茨城に駆けつけるべきではなかったかと反省した次第。

しかし父の野次馬根性は相変わらずで、別にブログをやっているわけでもないのに地震直後の家の様子を克明にデジカメで撮影していた。「この父親にしてこの息子あり」ってやつだな。

そんなわけで、父の写真と、この日撮影した動画をつないで記録映像にしてみた。



ちょうどお彼岸の時期だが、墓地は墓石がほとんど転倒してしまい、大変なことになっているそうだ。この日、自分は墓参りには行かなかったが、守ってくれたご先祖様のためにも、復旧が急がれる。しかし父が石屋さんに連絡したところ、「すでに200件ほど修理依頼が来ている」と言われたという。

帰りに、本家から車で10分ほどの茨城空港(小美玉市)に寄ってみた。その様子。


茨城の状況は、あまりメディアで伝えられていない。しかし、沿岸部や県北部では相当な被害が出ている。

東北のニュースを見ていると「茨城だって被害を受けているんだ」と声高に叫ぶのは気が引ける。でも、比較的被害の少ない県中部を歩いただけでも、少しは声を出さないといけないのではないか、と感じた。

もっともネットで大きな声を出している人もいる。鉾田市出身の磯山さやかだ。

http://ameblo.jp/sayaka-isoyama/entry-10832410591.html

あまりクレバーでない印象を持たれることの多い彼女だが、とんでもない。誤解を恐れず、勇気を持って言うべきことを言っている。そして、以降このブログは茨城からの被害状況が伝えられる貴重なソーシャルメディアとして機能している。素晴らしい。

また、このエントリーは重要な指摘をしている。「ローカル放送局がないのも理由の一つかもしれません。」そうなのだ。コミュニティーFMは頑張っており、地域内の生活情報の共有に大活躍している。しかし、それを全国に発信するには映像の力が必要だ。

すでにメディアでは、被害の状況だけでなく、そこで起きた様々なエピソード、人間模様を伝えはじめた。これからを生きる人たちにとって、それらは教訓であり、心の支えにもなる。

我が本家の周囲でも、スーパーが無償で食糧を提供したり、物流が途絶えて出荷できなかった納豆工場が、納豆を近所に配り歩いたという話を両親から聞いた。こういうことを、全国や、後世に伝えていきたいものだ。

あと、自分は何もできないが多くのブロガーが募金の呼び掛けに協力している。俺も真似をしてみることにした。茨城復興義援金への募金の呼び掛けビデオを作ったので、茨城出身の人は見てみてください。そうでない人は、意味分からんと思いますが。

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