「スパイダーマン」と同様、今回の旅行の大きな目的のひとつは「レ・ミゼラブル」の新演出を観ることだ。
これは2010年がレ・ミゼラブル25周年になるのをきっかけに、ツアー公演ができるように新しく作られたバージョン。2009年末から英国内でツアーが始まり、一時はロンドンで従来バージョンと新バージョンの両方が上演される、という状況もあった。そのツアーがついに今年11月、米国に上陸したのだ。
その公演地がニュージャージー。マンハッタンからは電車で小一時間で行ける距離である。となれば、これは行くしかあるまい。チケットは劇場のウェブサイトで買えた。
26日の夕方、ニューヨーク中心部のターミナル、ペンシルバニア駅から「ニュージャージー・トランジット」に乗車。目指すはニュージャージーのミルバーン駅だ。
乗車するとき、すでに雪が降り始めていた。やや不安になったが、予定どおりに発車。大丈夫だ、とひと安心。そして目的地には、5分ほど遅れて到着。それぐらいならこっちの感覚だと十分オンタイムである。
しかし、電車を降りた瞬間、安心が吹き飛んだ。
ホームに降りた瞬間、いきなり足が雪に埋まったのだ。
それがどんな様子か、動画で紹介しよう。
これはマズいかもしれない。そう思いつつ駅を出ると、もう車もほとんど走っていない。道が完全に雪で隠れていて、どこまでが車道でどこから歩道なのかも分からない。
そんな中、劇場へ向かう。地図はあるが、どこもかしこも真っ白でどう行っていいのか見当もつかない。駅から劇場までは1回曲がるぐらいで5分ほどの道のりのはず。大きな方向性さえ間違わなければ大丈夫のはずだ。念のために持参したコンパスで当たりをつけて歩き始める。
「ガラスの仮面」で、速水真澄が嵐の中、歩いて劇場に向かったエピソードがあったが(「失われた荒野」の初日)、そんな気持ちで吹雪に立ち向かった。
しかし、どうも間違ったようだ。どんどん寂しいところに入ってしまう。これはいかん、と引き返し、別の方向へ。雪は激しさを増し、吹雪になった。足元の雪は深いところは20~30センチぐらいになっていて、道路に溝や穴が空いていても気づかないため、危険である。危険といえば、周りは街灯もまばらでかなり暗い。しかもどんどん寒くなっている。
もう真澄様を気取っている場合じゃない。ウルトラセブン25話「零下140度の対決」で、基地に歩いて向かうモロボシ・ダンの心境はこんな感じだったのだ。そして、映画「八甲田山」では、地図とコンパスだけに頼り、現地ガイドを断って遭難する部隊が描かれた。多少フィクションも混じっているのかもしれないが、こういう極限状態においては、地図やコンパスといった明示的な情報は役に立たず、現地の人のカン、といった暗黙知が大きくものを言うのだ、ということも学んだ。
このあたりの様子もビデオに撮っておけばよかったが、とてもそんな余裕はなかった。植村直巳氏はどんな極限状態でも8ミリカメラの撮影を忘れなかったというが、ここが偉大な冒険家と凡庸なブロガーの違いである。
その状態で40分ほどぐるぐる回っているうちに、意識がもうろうとしてきた。ああ、これはもうダメかもしれない。ここで倒れたら、現地の警察は発見してくれるだろうか?パスポートは持っている。日本大使館経由で茨城の本家に連絡が届くのはどのくらいになるだろう。遠くの民家から明かりがもれ、そこからかすかにクリスマス・ソングのようなメロディーが聞こえてきた。そうか、これが格差というやつか。きっとあの部屋の中では、暖炉の火の前で古き良きアメリカ人の一家が団らんの最中なのだろう。まさか家の外で怪しい東洋人が遭難しかかっているなどとはつゆにも思うまい。
薄れゆく意識の中で、そうだ、なんかブログに面白いことでも書いておこう、と考えた。しかし、イマイチ切れのあるギャグが思いつかない。これではいかん。ひとつみんなの記憶に残るような、洒落とユーモアとウィットとエスプリの効いた、飛び切りのエントリーでなくては。
そんなことを考えているうちに、頭の中が活性化されてきた。そして駅を出て約1時間後、ようやく「Paper Mill Playhouse」と、そこに向かう人たちを発見したのである。
大喜びで劇場内に入ると、多くの人でごった返している。ロビーが狭いのかな、と思ったら、違う。
公演が雪のためにキャンセルになったというのだ。
立ちつくした自分の姿を見て、ある女性が驚いたような顔をしていた。そして別の人が「かわいそうにね」というような意味(と思われる)声をかけていた。
俺はそんな悲しい表情をあからさまにしていたのか。まだまだだな。まずは冷え凍ったため当然発生する生理現象のため、トイレに入った。
その鏡に映った姿を見て納得。コートだけでなく、頭の上の雪が、寒さのために氷になっている。スノーマン、というより、なんかクリスマスツリーを擬人化したコスプレイヤーのようだ。これは確かに周囲に驚きと、別の意味で同情を買いそうだ。氷を頭から落とそうとしたら、髪の毛が凍りついているため一緒に毛も抜けた。
多少身づくろいをしてふたたびロビーにもどると、係員と何やら言い争う人もいる。もちろん払い戻しは可能だが、千秋楽が30日で、それまでの公演はソールドアウトのため、別公演への振り替えができないからだ。
どの係員も、誠心誠意対応している。それもポーズではない。自分も悲しいが、どうすることもできないのだ、という気持ちが英語はよく分からなくても伝わってくる。
だんだん人も減ってきて、自分の体もだんだん温まってきたので帰ろうと思ったが、抗議ではなく、記念に劇場の人となにか話でもしよう、と考え(英語もできないのに)、目が合った初老の女性係員に声をかけた。「非常に残念ですね、楽しみにしてきたのに」と言うと「いつもなら、他の公演に振り替えられるのに…」と悲しそうな顔をした。どこから来たのか、というので(自分のたどたどしい英語を聞いて、現地の人ではないことが分かったのだろう)、日本からだと言うと「ジャパンから!この公演だけのために?」とびっくりしてたずねてきた。そうだ、と言うと(ちょっと嘘。ごめんなんさい)、少し待っていてくれ、と、ボックスオフィスの担当者のところに行き、何やら話し始める。こっちにいらっしゃい、と呼ぶので行ってみると、ボックスオフィスの担当者も、何とかしてあげたい、と親身になってくれている。
アメリカ人というのはどうも不親切なイメージがあったが、とんでもない。もう気持ちだけで十分だ、と思ったのだが、担当者はマネージャーらしき人にかけあってくれている。そのマネージャーは渋い顔をしていたが、「○○の判断に任せるよ」というようなことを言った。そして担当者が○○さん(女性)のところに行って話をすると、その女性がやってきて「ああ、あなたが▲▲ね?」と笑いながら声をかけてきた。
実は、○○さんとは、メールで何度かやりとりをしていた。チケットがうまく届かなかったので、それで問い合わせたのだ。自分のいいかげんな英文メールにも、○○さんは丁寧に対応してくれて「チケットがなくても、購入したのときの完了メールとIDがあれば大丈夫だから心配しないで」と言ってくれた。だから安心してこの劇場まで来られたのだ。
そして○○さんは、この日の自分が来たら渡そうと再発行したチケットをちゃんと用意してくれていた。ボックスオフィスの担当者は「○○と話したんだけど、28日のチケットなら何とか用意できると思う。もしそれでいいなら、これを持ってまた来てくれるかな?」と言ってくれた。
28日も当然観劇予定があるが、この好意を受けて断る理由はない。ありがたくその申し出を受けて、再び来ることにした。最初に話を聞いてくれた女性にもお礼を言って、劇場をあとにした。
電車ももう止まっている可能性があるが、実はもともと本数が少なく、マンハッタンに戻るのが深夜になる可能性があるので、日本人ドライバーのハイヤーを頼んでいた。予定時間までだいぶあるが、少し早目に来てくれないか、と電話をすると、なんともう劇場まで来ているという。大雪なので、ひょっとしたらそういうこともあるのでは、と予測し、開演時間に間に合うようにマンハッタンを出たのだという。何というプロ意識か。
おかげで寒い中時間をつぶすこともなく、マンハッタンに戻ることができた。
公演はキャンセルになったが、それに代わる貴重な体験をさせてもらった。そして、雪の中ひとり歩いていたときは実に心細かったのだが、そのときも実は劇場の○○さん、そしてハイヤーのドライバーの方たちが、自分を支える準備をしてくれていたのだと思うと、実に不思議な、そして有難い気持ちになった。世の中、いつも誰かに支えられているという感謝の気持ちを忘れてはならんという教訓だ。本当にありがとうございました。
28日、ひょっとしたら状況が変わって観られないかもしれないが、それでももう一度劇場に足を運ぶ予定である。
Paper Mill Playhouse ウェブサイト http://www.papermill.org/
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