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2010年8月 6日 (金)

つかこうへい「広島に原爆を落とす日」初日

つかこうへい氏が7月10日、この世を去った。

演劇界の巨星墜つ――メディアがこぞってこのニュースを取り上げ、多くの関係者が弔意を示した。

それはそうだろう。竹熊健太郎はかつて「サルでも描けるまんが教室(サルまん)」の中で、「戦後のストーリーまんがは、その手法において全て手塚治虫氏の“パクリ”だからだ」と述べている。それと同じように、70年代後半以降に作られた演劇作品のほとんどは、つかこうへいの影響を直接・間接に受けていると言ってもいい。と俺は考えている。

とはいっても、自分がつか作品を見始めたのは、そのブームが去ってずっとあと、90年代の北区つかこうへい劇団設立と相前後してのことである。だから、三浦洋一や平田満、風間杜夫らと演劇界を席巻していた時代は知らない。自分が大学に入るころには「つかこうへい事務所」はすでに閉じられていた。もし、時間と妄想にはこと欠かない学生時代にその舞台に触れていたなら、自分は別の人生を歩んだかもしれない。

その程度のにわかファンである自分ですら、その訃報に接し大きな衝撃を受けた。古くから彼の作品に親しんできた人々の嘆き悲しみはいかばかりだろう。不思議にそんなことが気になった。

そのつかこうへいの死から約1カ月で、つか芝居の幕が上がる。「広島に原爆を落とす日」。長く上演されていなかったこの作品が、再び脚光を浴びたのは97年。つか自身ではなく、劇団☆新感線のいのうえひでのりの演出、主演は稲垣吾朗だった。翌年に再演、広島でも上演された。インドとパキスタンの核実験競争が起き、核問題に世界が揺れているときだった。

いのうえの演出はもとより大好きだし、フレッシュな役者陣の奮闘ぶりもあって印象的な舞台だった。それだけに、つか自身の演出でも見たいものだ、と思っていたが、それは叶うことがなかった。

しかし、今回の公演について知ったとき(まだつか氏は存命中だった)、これは期待できそうだと直感した。主演が筧利夫だったからである。テレビのバラエティー番組で見せるアホな一面しか知らない人は信じられないかもしれないが、舞台上の筧利夫はすさまじい。人智を超えた存在感を発揮するのだ。筧利夫とつかこうへい、と言えばそう、「飛龍伝」である。「熱海殺人事件」と並んで大好きなこの作品に欠かせない筧が「広島に原爆を落とす日」に主演する。興奮するなといっても無理な話である。

今回の公演は、8月6日という、この作品にとって、そしてすべての日本人にとって重要きわまりない日に幕を開けた。これは演劇界にとって記憶されるべき日になるに違いない。そう思った自分は、体調が最悪なのもかまわず初日の席に着いた。

他のつか作品同様、「広島に原爆を落とす日」にも複数のバージョンがあり、ストーリーや人物設定が大きく異なる。今回は、初演後につかが書き下ろした小説版に近い。主役は白系ロシア人・ディープ山崎ではなく、朝鮮人・犬子恨一郎である。

卓越した作戦能力と指揮官としての力量を持ち、誰よりも強く日本への愛国心を持ちながら、その出自ゆえに決して報われることのない男、犬子恨一郎。そして卑しい身分と蔑まれる一族に生まれ、第一級の工作員として養成された百合子。2人の愛が、戦火を交える日本、アメリカ、ドイツ、さらには世界中の行く末を大きく変えていく。

いのうえ版では休憩を挟んで2時間半を超えていたと思うが、今回は休憩なしの1時間50分。また、「誰が原爆投下のスイッチを押したのか」「なぜスイッチを押したのか」「誰がそうさせたのか」という背景は、あくまで人間同士のドラマチックなやりとりの背景・モチーフに過ぎないという印象があったが、この舞台ではその謎解きが重要な要素となっている。これらのことから、全体的にエンターテインメント色がより強くなった。そのかわり、つか作品独特で、いのうえ版ではさらに加速していたくだらないギャグの数々はやや抑え気味ではある。

そして、つか作品に共通していることではあるが、セリフひとつひとつが実に美しく、そして重く、心につきささる。筧利夫はもちろん、ヒロインに大抜擢の仲間リサ、「モンテカルロ・イリュージョン」以来つか作品常連の山本亨らが、早口ながらも実に丁寧に、そうした珠玉のセリフを繰り出してくる。それはつかの発した言葉ではない。つかが、役者の中から引き出した言葉だ。だからこそ、心に響くのだ。もうすっかり自分の中では過去の人になっていたリア・ディゾンまでがいい演技をしていたのに驚いた。もしつか先生のもとで性根を鍛えられたら、素晴らしい役者になったかもしれない。今後に期待だ。

つか作品の魅力や、そこに流れるメッセージについては、多くの人が無数の解釈を語っている。だから今さら自分の考えを述べても意味はないのかもしれないが、あえてここに記録しておくと、やはりつか作品の基本的な姿勢は「力強さ」にあると思う。

差別や戦争を憎みながら、それらに「反対」するのではなく、それらを正面から直視し、その上で蹴散らそうとする力強さ。愛情も憎悪も、全力を通り越して、その力は世界規模、宇宙規模に広がっていく。そしてそれをも超えると、その力は自らの、内なるものへと帰ってくる。これによって、つか作品を象徴するキーワード「前向きのマゾヒズム」が完成する。

舞台上の役者も常に全力だ。力があふれ出ることで、いつしかその動きはダンスになり、その声は歌となる。それがまた観客を楽しませる。ミュージカルでもないのに、と初めて見る人は驚くが、つか作品には歌とダンスがつきものだ。今回、会場で販売されていたプログラムには、多くの俳優がつか先生との思いでをつづっているが、その中で池田成志は、つかの「役者ってのはF−1カーみたいなものだ」という言葉を引用している。速さを競うだけに特化し、公道では決して走れない車がフルスロットルで走るのを見て観客は興奮し、舞台を見てくれるのだ、という意味だそうだ。このエピソードを聞くと、つかこうへいという人が、いかにエンターテインメントをよく理解していたか、しみじみと伝わってくる。

この日も、全力で演じきった役者たちの表情は充実感にあふれていた。リア・ディゾンは泣いていた。そして何度かカーテンコールを繰り返した後、筧利夫があいさつをした。

 

「最後にひとことだけ、言わせてください。『つかさん、初日の幕あいたよ!』」

 

筧らしい、そしてつか作品にふさわしい、飾らないが心に響く言葉だと思った。

 

ロビーにはこれまでのつか作品のポスターが展示されていた。

「広島に原爆を落とす日」ホームページ
http://hiroshima2010.com/index.html

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コメント

初めてです。
いつも読ませていただいてます。
感動しています。ミュージカルの話も好きですが地方では今回のような演目はなかなか伝わってきません。ほんとうにありがとうございました。
From Hiroshima

投稿: J | 2010年8月 7日 (土) 07時49分

Jさんこんにちは。コメントありがとうございます。
いい加減なブログでお恥ずかしい限りです。

広島にお住まいなのですね。私はまだ二回しか伺っていないのですが、大好きな街です。これからもお邪魔させていただきますのでどうぞよろしくお願いします。

投稿: ヤボオ | 2010年8月 8日 (日) 02時08分

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