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2010年2月28日 (日)

三谷幸喜 作・演出「TALK LIKE SINGING」

ターロウ 香取 慎吾
ダイソン 川平 慈英
ニモイ 堀内 敬子
ブラザー 新納 慎也

昨年11月にニューヨークでの初演を果たした、三谷幸喜の新作ミュージカル「TALK LIKE SINGING」。その凱旋公演という触れ込みの東京公演は1月半にも及ぶ長い期間なので、いずれ見ようと思っているうちに千秋楽が近づいてしまい、慌ててチケットを確保し赤坂ACTシアターへ。

「歌うようにしか話せない」特異な体質を持つ青年をめぐり、精神科医と言語学者が奮闘する騒動のてんまつを描く、ミュージカル・コメディー。音楽をピチカート・ファイヴの小西康陽が担当している。

この作品はかなり実験的な要素が強い。日本語の分らないニューヨークの人たちに、日本語のミュージカルを見せて感動させる、という実験だ。だから、この日本公演の持つ意味は、その実験内容を日本人に報告する、というものである。普通に「演劇を楽しむ」という姿勢とは異なる、より客観的に、冷静に見守ることが要求される。そもそもオフ・ブロードウェーの小さな劇場で観ることを前提に設計されているから、そこも脳内補正が必要だ。

そしてこの実験が、そのまま舞台のテーマにもつながっている。人間にとって「言葉」とは何か。そして「言葉」の本質的な限界をどう乗り越えるか。1幕2時間のみのライトなコメディーの中に、そんな深淵にして壮大なテーマが流れている。ミュージカル、という手法はそのテーマを表現するために必要だから採用されただけのようにすら見えた。

英語と日本語がごちゃまぜになって進行するのも、このテーマを掘り下げるための実験のひとつだ。オペラやミュージカルの来日公演で活躍する「字幕ボード」のパロディーも。

今回、三谷の力のかなりの部分はそれら実験的な手法に注がれており、彼の脚本の緻密な構造で魅了するという持ち味に期待して観劇するとやや肩透かしを食らう可能性が高い。いや、ひょっとしたらより高度な見方をすれば、その緻密さに圧倒されるのかもしれないが、自分ぐらいの素人レベルでは、それを読み解くことはできなかった。

こういう、明確な意図をもって作られた舞台は、その意図を理解しないとなかなか評価を得にくい。三谷でいえば、「恐れを知らぬ川上音二郎一座」がそうだった。あれは「大衆演劇とは何かを問う」という意図をもって作られていたのだ。

だから、この作品も評価としてはあまり芳しいものにはならないかもしれない。しかし、自分は三谷幸喜の、人気作家になってなおこういうあくなきチャレンジを続けるその姿勢に、大いに敬意を表したいと思う。

あくまで個人的な感想を言えば、もう堀内敬子に尽きる。俺が堀内敬子をどれだけ好きかということについては、このブログでさんざん述べてきたのでくどくど書かないが、ベルもマコもジェリーロラムも、木村花代が出てくるまでは彼女以外に考えられなかったほどである。その堀内敬子の歌が存分に、とまではいかないが、かなり堪能できるのがまず嬉しい。ソロもある。本当に嬉しい。また、彼女の役どころは「歌」を決して歌おうとしない言語学者。ミュージカル女優としてトップクラスの実力を持つ彼女が、そういう役を演じるというのも、作品のテーマに通じるものがある。

三谷に見いだされて以降、舞台女優として、コメディエンヌとして、ますます活躍の幅を広げているのも、ファンとしては嬉しい限りだが、それでもなお、やはり彼女が立つべき舞台はここではない、と思っているのも事実だ。郷愁だと言われてもいい。やはり堀内敬子にはグランドミュージカルに戻ってほしい。四季では坂本里咲や五東由衣がベルを演じているのだ。まだまだ役は豊富にある。エビータも見たい。グリンダも諦めてはいない。時間がたったら、ドナやロージーでも見たい。四季に戻らなくたって、ファンティーヌという手もあるだろう。

とにもかくにも、日本の新作をニューヨークで初演する、という野心的な試みを成功させたスタッフ・キャストの皆さんには、心から称賛の拍手を送りたい。いま日本に一番欠けている元気が、劇場にはあるのだということをこれからも示していってほしいと切に願う。

「TALK LIKE SINGING」公式サイト
http://www.tls2010.jp/

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2010年2月27日 (土)

コッラ・ヴォーチェ ウィンターコンサート J.シュトラウス「こうもり」

このへんの中の人から、オペラ練習グループの発表会に出るので来いと言われて早稲田にやってきた。会場はキリスト教系の財団が管理する早稲田奉仕園だ。

出演は「コッラ・ヴォーチェ」というグループで、演目はヨハン・シュトラウスによるオペレッタの金字塔「こうもり」。オペラにあまりなじみがない自分なので、オペレッタというとだいぶ昔に「メリー・ウィドウ」を見たぐらいだ。「こうもり」の序曲はそんな自分でもよく知っているメジャーな曲だ。特に、映画「帝都物語」のエンディングで流れていたのが印象的だった。

練習グループといっても、なかなかの実力だ。自分は素人だが、こういう力のある人たちが市井に息づいているのだから、日本の文化レベルは決して低くない。もっと発表の場が多ければ、世の中面白くなると思う。youtubeやUSTREAMといったネットサービスでさまざまな才能が世に出てくるようになったが、やはり感動の波及はライブがもっとも強力だ。

今回の舞台となったのは奉仕園内のホールで、恐らく礼拝や結婚式にも使う会場なのだと思う。アメリカでは、教会でミュージカルの公演が行われることもあると聞く。日本も公民館など公共施設が多いが、それらが十分に活用されていないように感じている。これらを生かし、さまざまな「場」をつくっていくことが、地域の活性化につながるはずだ。そのためには、もっとそうした空間を「使おうとする」努力をしなければいけないのかもしれない。俺もなんかやろうっと。とりあえずUSTREAMでこのブログのライブ版とか近々できたらな、と考えています。

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早稲田奉仕園

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高田馬場で昼食×3

高田馬場で昼飯を食うことにした。学生が多い街はどこもそうだが、うまい昼飯を食える店が多い。最近はチェーン店やブームのつけ麺の店などが増えたが、自分が学生だったころから営業している店もまだまだがんばっている。

電車の中で、どの店に行くかずっと考えていたが、3軒に絞ってから先、どうも1つに決められない。

相当真剣に悩んだ末、出した結論はこうだ。

「全部食べよう」

俺も社会人だ。学生のころよりは金銭がある。昔からこんな贅沢を一度やってみたいと思っていたのだ。

というわけで一軒目は、中華の老舗「秀永」。実は学生時代には入ったことがなかったが、あとで噂を聞き、そのあと何度か訪れている。

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注文したのは「白果鶏飯(とりめし)」。「おかずのクッキング」土井善晴先生もテレビでホメていた逸品だ。730円。

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鶏肉、玉ねぎ、ピーマン、マッシュルーム、そして銀杏を炒め、とろみをつけてご飯にかけたものだ。口に運ぶと、これが実にうまい。生姜のきいた鶏と、玉ねぎの甘さ、銀杏のほろ苦さを絶妙の味付けでつつみこんでいる。ご飯にもぴったりで、そこそこボリュームもあるのだがぺろりと食べてしまう。食欲のないときなど、超お勧めである。

                      ◇    ◇

次に向かったのは早稲田通りの「鳥やす」。さかえ通りにある「鳥やす」の支店だ。ここはランチ営業をしているので、学生時代から相当数通っている。

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代表メニューの焼き鳥丼は現在570円。自分が大学に入学したときは500円だったが、消費税導入に伴い520円に。この時点で5円便乗値上げしている。しかし、その後5%に税率がアップしたにもかかわらず、そのまま520円だった。つまり、この時点で本体価格は500円を割り込んでしまっている。近年ようやく570円になった。物価の優等生と言って差し支えないであろう。

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実にシンプルだが、七味とうがらしをかけて食べると本当にうまい。学生のころは大盛りにしていたが、普通盛りでも十分なボリュームだ。

                      ◇    ◇

そして3軒目。やってきたのはさかえ通りの「洋包丁」。カウンターのみの小さな店だが、自分が学生時代から人気の店だ。

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ボリューム重視であれば「ジャンボ焼」「スタミナ焼」などがお勧めだが、味で選べばやはり「からし焼」ランチであろう。620円。

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豚肉をさっと炒め、黒胡椒で味付けしたもの。濃いめの味付けとコショウの香りが実に食欲をそそる。ぱくぱくと食べ始まったが、さすがに腹がきつくなってきた。

だがうまいので箸を止めるわけには。いやしかし・・・

が・・・

ま・・・

おかずは完食しましたが、ご飯はかなり残してしまいました。すいません。

                      ◇    ◇

高田馬場もずいぶん様変わりはしているが、変わらないものもある。しかし一番変わっていないのは俺の精神年齢だったというオチだ。

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2010年2月21日 (日)

AKB48チームK 5th Stage「逆上がり」公演千秋楽

チームK「逆上がり」公演が千秋楽を迎えた。最近は1公演が長期化する傾向にあるので、10カ月で終わるのは短い気もする。その前の「最終ベルが鳴る」は11カ月で、だいぶロングランになったな、と感じたのに。

チケットの抽選も相当な倍率だったと思うが、ありがたいことに最終公演に当選。「最終ベルが鳴る」同様、初日・千秋楽ともに参加できたのはうれしい限りだ。

しかし、今回の千秋楽はこれまでとは異なる重要な意味を持つ。昨年夏の武道館で発表された、新チーム編成に移る前の最終公演だからだ。つまり、現行のチームKはこれで解散ということになる。「団結力」がチームカラーのKだけに、その解散には特別な思いを持つ人も多いと思う。

この公演の名物である、最初の寸劇ではメンバーがひとことずつファンに向けてメッセージ。この寸劇コーナー、途中からコントのようになったり、宮澤佐江らメンバーがシナリオを書いたり、方向性の固まらないまま大団円となった。まあそれはAKBらしくてよかったのではないか。

途中涙ぐむメンバーもいたが、最後まで湿っぽくなることなく、笑顔で解散となった。しかし「虫のバラード」を歌う秋元才加が歌の終盤で涙で歌えなくなったのにはぐっときた。AKBの公演は、基本録音口パクである。だが秋元は肉声で歌っていたことを図らずも証明した形となった。そして、アンコールでのあいさつで、この公演を最後にAKBを離れSDNのキャプテンに専念する野呂佳代が、ギャグなしで本音を語り、その目に涙を浮かべていたのには思わずもらい泣きしそうになった。

アンコールでは、通常の3曲にプラスしてチームKのテーマソングともいえる「転がる石になれ」、そして「支え」を歌った。「転がる石になれ」はコンサートなどで必ず歌われるのでおなじみだが、ひまわり組からの新規である自分は、AKB劇場でこれを聞いたのは多分2回目である。前回は、研究生だった成瀬理沙のチームK昇格がサプライズ発表されたときだった。その成瀬ももう卒業してしまった。時間は確かに流れている。

この公演、大堀恵が仕事の関係で、そして小野恵令奈が体調不良で一部出演に。大堀は途中から参加、小野は当初休演とアナウンスされたが、意地でユニット曲と「支え」に登場。そういえばえれは前回の千秋楽でも体調をこわしていた。無理をしてはいけないが、やはり「わがままな流れ星」はえれカナのコンビで見たい。最後にもう一度見られてよかった。

全体的に、客席の雰囲気も含め想像よりはあっさりしていた印象もある。ひまわり組2ndを終えてチーム制に戻り、「最終ベルが鳴る」が始まったときは、チームKの熱さはもちろん、Kファンの熱さにも圧倒されたものだった。ファンの世代交代も進み、もうあの客席との一体感はもはや感じられない。とはいえ、自然と起こる「チームK」コールには、オールドファンの意地を垣間見た気がする。

さて、いよいよ新チーム編成が始まる。当初10月開始予定だったが、だいぶ計画は遅れた。現在のAKB人気はほとんどバブルであり、チームのシャッフルはそれがはじけた後の成長戦略には不可欠なものだ。まさにそのバブル人気のために新チームが立ち遅れているわけだが、早いところA、Bも新体制への移行しなければ手遅れになる。人気絶頂に見えるが、いままさにAKBは正念場だと思う。

AKB48のホームページ
http://www.akb48.co.jp/index.html

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2010年2月11日 (木)

劇場版「涼宮ハルヒの消失」

角川といったら、昔ハルキ、今ハルヒ。もはや角川グループの看板コンテンツになった「涼宮ハルヒ」シリーズがいよいよ映画に登場だ。

(ばれまくりなので、たたみます)

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2010年2月 6日 (土)

四季「クレイジー・フォー・ユー」花代ポリーの逆襲

ボビー・チャイルド 加藤敬二
ポリー・ベーカー 木村花代
ランク・ホーキンス 川原洋一郎
アイリーン・ロス 八重沢真美
ベラ・ザングラー 志村 要
エベレット・ベーカー 石波義人
ボビーの母 斉藤昭子
テス 恒川 愛
ユージーン・フォーダー 村澤智弘
パトリシア・フォーダー 西田有希
ムース 荒木 勝
サム 吉賀 陶馬 ワイス
ミンゴ 畠山典之
ビリー 厂原時也
バーキンス/カスタス 田中廣臣
ジュニア 大空卓鵬
ピート 大塚 俊
ジミー 田中宣宗
ワイアット 澤村明仁
ハリー 西門宇翔
パッツィー 長橋礼佳
シーラ 高橋佳織
ミッツィー 高倉恵美
スージー 徳江みさほ
ルイーズ 大石眞由
ベッツィー 村上 智
マギー 山崎菜摘
べラ 村上絵里子
エレイン 鈴木真理子

「クレイジー・フォー・ユー」東京公演の幕が開いた。1993年の初演から17年、実はこの作品を観るのはこれでまだ3回目だ。

1回目は1997年。会場は日生劇場だった。ボビーは加藤敬二、ポリーは保坂知寿という鉄板コンビ。2回目はそれから10年経過した2007年の京都劇場で、ボビーに田邊真也、ポリーが木村花代というそれぞれキャスティングされたばかりの2人だった。

そして3回目となる今回、ボビーに加藤敬二、ポリーに木村花代という時空を超えたなかなか面白い組み合わせが実現。演劇の世界はこういうことがあるから面白い。

12年ぶりに見た加藤ボビーは、最初は正直どうなんだろうな、と思ったが、そこはさすがプロの役者、見ているうちに違和感がなくなってくる。すぐにザングラーさんになってしまう、ということもある。さすがに声の張りの衰えとか、恐らく近くで見たら顔のシワとか、隠せないものもあるのだろうが、それを演技力でカバーしている。そしてダンスのキレなど、むしろ昔よりパワーアップしているんじゃないかと思うほどだ。

一方、京都では田邊ボビーと共にほんのわずかな期間しか客の前に姿を見せなかった花代ポリーはどうか。前回は、鼻っ柱は強いが、まっすぐで純粋なポリーを元気いっぱいに演じ、そのツンデレぶりがどえらくキュートだった。笑いも大阪出身の遺伝子だろうか、絶妙の間でこなしていた。それは確実に「ウィキッド」のグリンダ役にも受け継がれている。

その2年前に比べると、ちょっと落ち着いた感じのポリーになっていた。木村花代自身が、この数カ月でぐっと女らしく、しっとりとした色気が出てきていることに影響されているのだろう。なので、「ぶっころす」なんて物騒なセリフも、前回はおてんばの範疇に入るもので「かーわいー」と能天気に大喜びしていたものだが、今回の「ぶっころす」は、一瞬背中がゾクッとした。

個人的な趣味の問題だろうが、自分としては前のツンデレポリーのほうが好きだったかな。やっぱりポリーは、フルスロットルな言動が似合うと思う。

ところで、かねがね疑問だったのは、なぜこの「クレイジー・フォー・ユー」の上演時間は3時間に及ぶ長いものなのだろうか、ということだ。明るいミュージカル・コメディーという性格上、もっと短くてもいいのではないか。さらに、もうひとつ不思議なのは、過去2回とも、上演時間が長いのに、その長さをまったく意識しなかったことだ。

今回、観ていて気付いたのは、この作品の脚本の完成度の高さだ。どうしても、クレイジー・フォー・ユーというと、ブロードウェー全盛時を思わせる、最高に楽しい歌やダンスが凝縮されたショー的な要素に目が向く。それがまぶし過ぎるためにあまり意識しないでしまうが、登場人物どうしの絡み方を実に緻密に計算し、構成しているこの脚本は、実に「演劇的」だ。特に、2幕の序盤のドタバタ劇は、まるで三谷幸喜の作品を見ているようだ。

この「ミュージカル的」な部分と「演劇的」な部分とが、「マンマ・ミーア!」のように完全に融和して一体化しているのではなく、それぞれが形を残したまま共存しているのだ。だから、上演時間が長くなる。しかし決してそこに摩擦が発生しているわけではなく、きれいに連結している。だからその長さを感じないのだろう。

味がきれいに一体化した上質なシチューを味わうのもいいが、ウナ重と天プラそばを一緒に食べるのもまた楽しい。そこには、何かこう贅沢感がある。ミュージカルの醍醐味のひとつは、この贅沢感だと思う。どこもかしこも不景気な世の中、この贅沢な作品を楽しんで突破口を見つける元気を醸成したいものだ。

特に、今回はメインキャスト以外の、アンサンブル的な役どころに人気の俳優、芸達者な俳優がずらりと顔をそろえている。これがまた贅沢感を2倍、3倍にしてくれているのも見どころのひとつと言っていいだろう。変わらなければだけど。

クレイジー・フォー・ユーのホームページ
http://www.shiki.gr.jp/applause/cfy/index.html

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