四季「春のめざめ」アンサンブルにも注目
※まだまだばれます。読む前に観ましょう。
ベンドラ | 林 香純 |
マルタ | 撫佐仁美 |
テーア | 有村弥希子 |
アンナ | 松田佑子 |
イルゼ | 金平真弥 |
メルヒオール | 柿澤勇人 |
モリッツ | 三雲 肇 |
ハンシェン | 一和洋輔 |
エルンスト | 竹内一樹 |
ゲオルグ | 白瀬英典 |
オットー | 加藤 迪 |
大人の女性 | 中野今日子 |
大人の男性 | 志村 要 |
女性アンサンブル | 岸本美香、浦壁多恵 |
男性アンサンブル | 伊藤綾祐、玉井晴章 |
はやばやと2回目の「春のめざめ」。「ウィキッド」並みのペースだ。
劇場に向かおうと浜松町駅の改札を抜けたら、キレイな女性2人がいたのでつい目を奪われた。そして驚いた。AKB48チームAの佐藤亜美菜と高城亜樹だった。あみなはメガネをかけていたが一発でそれと分かる。あきちゃはメガネすらなく、そのまんま。無防備すぎだろ。おそらく、文化放送に向かう途中だったものと思われる。
幸せな気持ちで自由劇場へ。メインキャストは変わらず。アンサンブルが変わった。キャスト表をチェックせずに見ていたので、最初は変わったことに気づかなかったが、よく見るとボックが前回上手のステージシートに座っていたのが、下手側に移動している。それで変更があったことを知った。今回は2階席で見ていたので、舞台全体の動きがよく見えたのだ。
この作品のアンサンブルは、ステージシートの中に観客のフリをして座っており、突然舞台に参加するという立ち位置になっている。ステージシートの存在は、舞台と客席という壁を崩し、そこに一体感をもたらす効果があるが、この作品ではさらにそれを一歩進めているのだ。
もっとも、そうした手法は演劇の歴史をぐーんと遡れば、昔からあったものだということが分かる。ギリシャ悲劇における「コロス」は、舞台の上で芝居を眺めながら、必要に応じてその舞台に参加していた。日本でも、能舞台おける地謡が同じような役目を果たしている。
マイクパフォーマンスといい、この作品は「古さ」をうまく使って「新しさ」に結びつけて成功したといえるだろう。
話がそれたが、女性アンサンブルはメンバーが変わったことがすぐ分かった。岸本美香がいたからである。俳優としては短所であろう身長の低さを逆に利用し、「美女と野獣」のチップや「ユタと不思議な仲間たち」のモンゼなどを演じてきた個性派だ。彼女のパフォーマンスは素晴らしかった。「Totally Fucked」では、壁面によじのぼり、パンツが見えそうな勢いで(見えなかったけどね)小さな体を大きく動かしていた。彼女もテーア役に名前を連ねているが、ぜひメインキャストで見てみたい。テーアと言わず、ベンドラだって行けるんじゃないか?というのは主観的っつうか趣味に走ってますかね。
メインキャストでは、男優陣はうまく固さが取れてきた。それが、もっとのびやかな演技につながっていってほしい。この作品は、完成度の高い世界観を持っているが、俳優たちの自由な演技を許容する懐の深さも兼ね備えているように思う。もっともっと弾けてもいいはずだ。それが突き抜けたカッコ良さを生み出してくれるに違いない。
女優陣は、予想どおり全く同じ演技。それぞれの役者のパフォーマンスは、もう完成してしまっている。恐らくこれ以上は変わらない。だから、早めにメンバーチェンジして刺激を与えていかないと、ダイナミックさが売りのこの作品にスタティックさを与えてしまう。新キャスト投入、期待してまずぜ。
それにしても、自由劇場はこの作品にピッタリの空間だ。客席と舞台との一体感をこれほど感じられる劇場もほかにあるまい。つくづく、四季が上演してくれて良かったと思う。そうでなければ、ツアー版がやってきて、Bunkamuraとか厚生年金会館とかActシアターとか、どでかい箱で上演していただろうから。恐らくそれではこの作品の魅力は伝わらない。このぜいたくな演劇空間は、体験してみるだけの価値がある。
そもそも自由劇場は、実験的なワークショップの場になってほしいとかねがね思っていた。それが近年は懐古趣味的な作品や、ファミリーミュージカルの劇場になってしまっていた。それらが悪いというつもりはさらさらないが、それだけではもったいない。春のめざめ終了後も、野心的な取り組みの基地として活躍してほしいものだ。
さて、約束どおり2階席で見てきたので、アレに関するレポート。ちゃんと露出してました。でも一瞬。出してすぐひっこめる、みたいな。ジャネット・ジャクソンのポロリレベルだ。ブロードウェーではかなり長時間露出してたので、差は大きい。これなら無理して出すことなかったんじゃ、とも思うが、オリジナル演出と、日本的倫理観の落としどころがここ、ということなのだろう。がんばった成果なのなら、それにいちゃもんをつけるものではない。むしろ、あの場面はいろんな意味で「ドキッ」とさせることが重要なのに、正直なところ今のベンドラでは「ドキッ」としないことのほうが問題である。
昭和初期に上演されたときのポスター。日本演劇って開明的だったんだな。
「春のめざめ」ウェブサイト
http://www.shiki.gr.jp/applause/springawakening/index.html
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