新幹線「N700系のぞみ」
東海道・山陽新幹線に7月にデビューしたばかりの新型車両、N700系に乗ってきた。
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<作・演出>
いのうえひでのり
<出演>
宮藤官九郎、木野 花、池田成志、古田新太、勝地 涼、橋本じゅん、高田聖子、小松和重、粟根まこと、逆木圭一郎、右近健一、河野まさと、村木よし子、インディ高橋、山本カナコ、礒野慎吾、吉田メタル、中谷さとみ、保坂エマ、村木 仁、川原正嗣、前田 悟
※役名を書くだけでネタバレになるのでテーブル表記をやめました。
劇団☆新感線の本公演。2004年の「レッツゴー!忍法帳」以来3年ぶりとなる、ギャグ満載というかそれだけしかない「ネタもの」作品の登場だ。
近年の新感線は、中島かずき脚本による時代劇エンターテインメント「いのうえ歌舞伎」を中心に回っているが、数年に一度のペースでただ馬鹿馬鹿しいだけの「ネタもの」を出してくる。いのうえ歌舞伎が大手プロダクションや大物俳優をゲストに迎えた大がかりな舞台になりつつあるのに対し、ネタものは新感線プロパーと気心の知れた役者で構成し、全体的に手づくり感ただようアットホームな公演になる。
自分としては、その2つが未分化でいることこそ新感線作品、という気もする。だが、人はいつか大人にならなくてはいけない。同じスタイルに固執していては劇団として成長できない。実際、この分割を明確にしてからの新感線は破竹の勢いで快進撃を続けている。「いのうえ歌舞伎」は市川染五郎という本物の歌舞伎役者も迎えてパワーアップし、ファン層を飛躍的に拡大してきた。そして、初心を忘れないために、というより童心に帰って徹底的に劇の世界に遊ぶためにネタものに取り組むのだろう。
いのうえ歌舞伎もいいが、ネタものは心の底から大好きだ。ただ馬鹿馬鹿しいことをするためだけに、今や舞台だけにとどまらず、テレビや映画にも活躍の場を広げている人気・実力を兼ね備えた新感線の役者たちが結集し、全力を尽くす。そこにはやはり、笑いを武器に演劇界に旋風を起こしてきた、関西発劇団の意地が感じられる。
もう公演の発表、そしてナイスなタイトルを聞いてから楽しみで楽しみで仕方がなく、東京公演が待ちきれずに大阪まで来てしまった。劇団が全力で馬鹿なことをしてくれているのだ。ファンとしてもそれ相応の姿勢で臨まなくては失礼である。だから一度やってみたかった「新幹線に乗って新感線を観に行く」という夢をここで実現することにしたのだ。
さてその作品はどうだったか。
素晴らしい。その一言に尽きる。観ようかどうしようか迷っている人は絶対に行くべき。チケットの入手は困難だが、どんな手を使ってでも観ておいて損はない。ただし、「いのうえ歌舞伎」オンリーなファンは、足を運ばないほうがいいでしょう。いのうえひでのりも雑誌のインタビューでそう語っている。
あと、観る人は「ウィキッド」同様予習が必要。映画「犬神家の一族」は1976年版を必ず観ておくこと。余裕があれば「悪魔の手毬唄」と「八つ墓村」(野村芳太郎版)も。
というわけでここからはかなりネタバレになるので、観た人と観る予定のない人だけ先に進んでください。
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「ヘアスプレー」来日ツアー東京公演が18日(水)に開幕したので、さっそく足を運んだ。このBunkamuraオーチャードホールでの公演は8月5日まで続き、その後大阪公演が予定されている。
舞台全般の印象は昨年末、ブロードウェーで観たときのレポートに譲るとして、カンパニーの印象をつらつら書き留めておきたい。
どうも来日ツアーというと、何回も来ている「CHICAGO」をはじめ、あまりいい印象がない。手抜きをしているわけではないのだろうが、あまり感動が得られないことが多いからだ。
しかし、今回は米国内ツアーのカンパニーがそのまま来ているからか、全体的にまとまりがあり、息のあった演技に大いに好感を持った。
自分がニューヨークで観たときのトレイシー、ペニーはいずれも若い役者で、初々しさ、可愛らしさが先に立つちょと萌え系な二人だった。それに比べると、今回の二人は確かな技術とツアー経験によって、よりじっくりと練り上げられたトレイシー、ペニーであり、安定感がある。個人的に、ペニー役のAlyssa Malgeriは紺野あさ美似の美人さんでいたく気に入った。チューインガムをまるで生き物のように扱うテクニシャンであり、普通にセリフを話すだけで妙におかしさを感じさせる優れたコメディエンヌでもある。すでに地方の劇場でベルやポリーも演じているらしい。ぜひブロードウェーの舞台にも立ってほしいものだ。応援に行くから!前回もペニー役のDiana DeGarmoを気に入ったし、どうも俺はこのペニーというキャラクターに弱いようだ。
トレイシーの両親もなかなかいい味を出している。2幕の二人がいちゃつくシーンは、ブロードウェーに比較すると濃厚さに欠ける(自分が米国で観たときは、派手に何回もキスしていた)が、たぶん日本人にはこのぐらいがちょうどいいかもしれない。あのシーンはこの舞台の土台となったジョン・ウォーターズ監督の映画(88年制作)に満ちあふれている悪趣味さを引きずるシーンで、演じ方次第では相当キモチ悪くなるからだ。
ほか、はつらつさに欠けるリンク、いまいちカッコよくないコーニー・コリンズなど、微妙なキャストも多いが、みな真摯に役に取り組んでいてケチをつける気にならない。最後は大騒ぎのハッピーエンドになるが、大いに観客をハッピーにさせてくれるいい舞台だった。
また会場も大きく、なかなかアメリカ人のようにノリのいい反応ができない日本での公演ということで、観客を巻き込んで盛り上げていく工夫を試みていた。カーテンコールで共にダンスをしよう、と二幕の冒頭で即席ダンス教室を開いたり、といったことなど。アイデアとしては悪くない。
このぐらいのレベルのカンパニーが来てくれるのなら、ツアー公演も大歓迎だ。今後も期待して待つことにしよう。
ロビーに、観光地のような写真撮影スポットが。ちょっと顔出してみたかったかな。
ヘアスプレー日本公演 WEBサイト(音が出ます)
http://hpot.jp/hairspray/
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7月20日、「カリブの海賊」がリニューアルオープン。すでに海外のパークではそうなっている、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」バージョンに変更だ。
とはいっても、ホーンテッドマンションの「ホリデー・ナイトメア」のように全体ががらっと変わるわけではない。基本的にこれまでのアトラクションはそのままで、そこに映画のキャラクターがちょこっとお邪魔している、というだけの話である。だから昔のカリブの海賊が大好きだった人、あるいは映画がどうも気に入らなかった、という人も、安心していただいて結構だ。
具体的にどこがどう変わったか。主なもの、というか気付いたところを挙げておこう。
おっと、ここから先はネタバレだから気をつけな。
Savvy?(お分かり?)
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グリンダ | 沼尾みゆき |
エルファバ | 濱田めぐみ |
ネッサローズ | 小粥真由美 |
マダム・モリブル | 森 以鶴美 |
フィエロ | 李 涛 |
ボック | 金田 暢彦 |
ディラモンド教授 | 武見 龍磨 |
オズの魔法使い | 松下 武史 |
男性アンサンブル | 三宅 克典、脇坂 真人、品川 芳晃、白倉 一成、西野 誠、 清川 晶、上川 一哉、成田 蔵人、永野 亮彦 |
女性アンサンブル | あべ ゆき、石野 寛子、今井 美範、宇垣あかね、遠藤 珠生、 有美ミシェール、長島 祥、間尾 茜、レベッカ ヤニック |
エントリーを上げるのは2回目だが、実は3回目のウィキッド。初日のキャストと比べると、女性アンサンブルが1人替わっただけの不動のメンバーだ。ブロードウェーの公演では、アンサンブルの衣裳もすべて採寸しオーダーメードで作っていたというから、それを日本でも強要されているならアンサンブルも簡単には動かせないだろう。
濱田・沼尾のコンビは絶好調である。今思えば、開幕時はややセーブしていたというか、手探り感もあった。しかしもはや完全にエルファバとグリンダになりきった2人は、演技にも余裕が生まれてきた。2幕の2人のかけあいも呼吸がぴったりで、文字通り火花が散るような丁々発止の演技合戦だ。めぐの「Defying Gravity」は客席にびりびりと波動が伝わってきて、鳥肌が立つほどの力強さ。沼尾の「Popular」は客のMPを根こそぎ吸い取りそうなふしぎなおどりになっている。それにしても声に負担のかかるこの役を一体どこまで連続して演じられるのか。2人の挑戦はちょうど1カ月になろうとしている。
さて、3回目ともなると観る側にもだいぶ余裕が出てきて、レベッカたんのパンチラを楽しむことができるほどになり、聞き逃していたセリフや記憶からこぼれていたシーンなどをだいぶフォローできた。それによって、ストーリー的に腑に落ちなかった部分はほとんど解消された。多くを語らず、客に「謎」として提示されている部分も、おおむねこういうことなのだろう、と納得した。
ただストーリー的には合点がいっても、この作品は観たあとは必ず、どうしようもない後味の悪さが残る。その独特の後味の悪さがクセになり、また観たくなるという、まるで性悪女のような舞台である。自分はタチの悪い女にひっかかって人生台無しにするという夢を持っているので、その夢を少しだけ実現できたようで嬉しい。
しかし、そういう夢を持たない人にとって、その後味の悪さの評価は大きく分かれる。さまざまな人のブログを見たり意見を聞いたりすると、どうも今のところは半々、といった感じだ。まだ、四季がその独特の風味を完全に料理し切れていないといったところだろう。しかし今のところは濱田・沼尾の熱演によって全体的には好意的に捉えられているようだ。濱田、沼尾が抜けたあとに、この作品の本当の評価が浮かび上がるかもしれない。それまでに四季は料理の腕を上げることができるだろうか?思えば現在ロングランが可能になっている作品は、どれも四季が「総力を挙げて」練り上げてきたものだ。現在のように多数の演目を同時並行で展開している中で、どこまでこの作品にリソースを割くことができるか、やや不安でもある。正直なところ、ほかのロングラン作品にはかなりクオリティーが下がってきているものもある。だがこのウィキッドに関しては、微妙な味わいだけに、クオリティーの低下は即、作品の崩壊につながってしまう。ぜひ格別の注意を払ってこの作品を日本に根付かせてほしいものだ。
その後味の悪さだが、まだ自分もその正体はまだ完全につかみきれてはいない。しかし大雑把に考えると、まず前回のエントリーでも述べた、ファンタジーとリアリティーが渾然となった世界観だ。魔法の国の話、といかにもメルヘンチックな舞台であるかのように思わせておきながら、そこで繰り広げられるのはドロドロした愛憎劇と陰謀の話。どうも入り込みにくい取り合わせだ。そしてすっきりしない人物描写。誰がいい奴で誰が悪い奴なのか、意図的に判別できないようにしてある。これが連続ドラマのような長時間のものであれば、まあ人って変わるものだしな、と納得もできるが、3時間しかない舞台の中でこれをやられると、頭の中の整理がつかなくなってしまう。おおむねそのようなところから、後味の悪さが醸し出されている。
もっとも人物描写がすっきりしていない点について言えば、その分観る側の解釈の幅がある、ということでもある。2度、3度観ていると、いろいろと空想・妄想も広がってくる。今回、観ながら何となく考えたことをちょっとメモしておこう。ちなみに極度のネタバレになるので、まだ観ていない人は決して読まないでください。
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ジャン・バルジャン | 橋本さとし |
ジャベール | 今 拓哉 |
エポニーヌ | 島田歌穂 |
ファンテーヌ | シルビア・グラブ |
コゼット | 菊地美香 |
マリウス | 石川 禅 |
テナルディエ | 駒田 一 |
テナルディエの妻 | 田中利花 |
アンジョルラス | 岸 祐二 |
さて、今期3回目のレ・ミゼラブルである。
今年からバルジャン役として登場した橋本さとしとついにご対面だ。といっても橋本さとしは新感線時代に何度か見ている。特に「ゴローにおまかせ3」のオカマ軍団の隊長、「直撃!ドラゴンロック~轟天~」の橋本じゅんと対立する悪の組織の首領といったあたりが記憶に残っているが、残念ながら初の主役を射止めた「BEAST IS RED~野獣郎見参!」は見逃している。
新感線を飛び出した後はあまり目立った活躍もしていないので残ってればよかったのに、と思っていたが、東宝ミュージカルに認められ、ミス・サイゴンのエンジニアに続き、バルジャン役までつかんでしまった。人生分からないものである。
その橋本バルジャン。当然のことながら、若さあふれるバルジャンである。長身を生かしたキレのいい動きで魅了する、これまでにないタイプだ。そして話すような声で自然に歌うのがいい。レ・ミゼラブルのように全編が歌という作品は、力んだ歌い方ばかりでは疲れてしまうからだ。
声量はそりゃ山口祐一郎や今井清隆と比べたらいまいちだが、高音もきれいに伸びるし、十分合格点ではないか。熱のこもった演技も見ていて心地良い。
まだ荒削りだが、今後磨き上げていけばいいバルジャンになるだろう。しかし、現時点では、ある決定的な要素が欠けているように思う。
それは、「敬虔さ」だ。
一幕では、だいたいいいんだけど、でも違う、とムッシュ・レイエのようなことを思いながら観ていた。二幕に入り、「彼を帰して」でようやく分かった。
バルジャンにとって、神に対する姿勢は演技する上で極めて重要だ。あの軽い山口バルジャンですら、「神よ」「主よ」と口にするときには、そこに特別な響きがこもる。しかし、橋本バルジャンにはそれが感じられないのだ。
恐らく、それは今まで彼の経験してきた役の中にはないものなのだろう。日本人には皮膚感覚で理解できないものでもある。それを学ぶには、この作品を徹底的に観るしかない。滝田栄バルジャンがいればいい手本になっただろうが……。東京公演千秋楽までに、ぜひそこをつかんでほしいものだ。歌も演技も合格点なのだから、もうひといきだ。
対するジャベールは今拓哉。アンジョルラスでは見たことがあるが、ジャベールは初見である。このジャベールも、橋本に負けず劣らず「若さ」を感じさせる。生意気な若い役人、という風貌で、ジャベールって若いころはこうだったんですよ、という「ジャベール・ビギンズ」を見ているようだ。セーヌ川に飛び込んだあと、奇跡的に助かって、あのふてぶてしいジャベールができあがるのだ、と変な想像をしながら見ていた。
だから橋本バルジャンとのバランスもぴったりで、若さのぶつかりあう、フレッシュな「対決」はなかなかの見物である。
しかし、この日の主役は、バルジャンでもジャベールでもなかった。スペシャルキャストの石川禅マリウスと、島田歌穂エポニーヌである。
今季からジャベールを演じている石川が、かつての当たり役マリウスを演じる。年齢的にはかなりきつい。最初出てきたときには、「うっ」と思うほど、無理矢理感が漂っていた。特に生え際あたり。
しかし、表情や演技、声は明らかにマリウスである。それも現役マリウスが束になってかかっても太刀打ちできないほど完璧な、150%のマリウスだ。生真面目で、不器用で、優柔不断で。まるでマリウスがおじさんの体に乗り移っているようにも見える。しかしだんだん、(慣れてくるのか)姿形もマリウスそのものに見えてくるから不思議だ。演技とはかくあるべし。おじさんが演じることで、マリウスの本質のようなものが逆に見えてくるのだろうか。女形が女より女らしいように。浄瑠璃の人形が表情とは何かを教えてくれるように。
でもときどき、「おじさんがいるなあ」と思ってしまう場面もないではない。ABCカフェに、ひとりだけおじさんが座っている。しかし、それが妙な違和感ではなく、ほほえましさを呼んでしまうのは石川のキャラクターの強みだろう。まあ、「彼を帰して」で橋本が「若い~彼を~」とか「まるでわが子です~」と歌ったとき、不謹慎にも脳内で吹き出していたことは認めよう。
美香ちゃんコゼットとのバランスは、「異国の丘」での下村ボチと花代愛玲のバランスより悪い。だがこれも石川のキャラクターが生きて、「援○交際」ではなく、父と娘のように見えるのは幸いだ。結婚式のシーンは、なんだか「マンマ・ミーア!」のサムとソフィのように見えた。うん?禅サムってなんだかとってもぴったりじゃないか?ぜひ博多座の公演のあと、そのまま福岡にとどまり、かなり厳しい状況になりつつあるサマー・ナイト・シティ・タヴェルナを助けてあげてほしい。
そのマリウスと絶妙に呼吸を合わせていたのが島田エポニーヌ。この人のエポニーヌは、初演以来ずっと見続けていたわけだが、レギュラー出演していた最後のころは、実はちょっと避けていた。本田美奈子のエポニーヌに心を奪われていたこともあったが、どうも貫禄がつきすぎてエポニーヌらしくないように思えていたからだ。だが2005年に2000回記念キャストとして復帰したとき、島田はすっかり変わっていた。引き締まった体と演技で、エポニーヌの悲しさを痛いほどに表現していた。
そして2年ぶりに見た島田エポニーヌは、一層研ぎ澄まされていた。舞台に登場しただけで、空気が変わってしまうほどの存在感。「オン・マイ・オウン」を歌い始めると、全ての観客の神経がすっと一点に集まり、異様なほどの緊張感が劇場全体を包み込んだ。
正直なところ、声量はピーク時に及ぶべくもない。しかし、そんなことは全く気にならないほど、いやむしろ昔以上に、感動を引き起こしてくれるエポニーヌだった。石川が150%マリウスなら、島田は200%エポニーヌだった。
この2人が演じた「恵みの雨」。死を迎えるエポニーヌと、それを見守るマリウス。お互い消え入りそうな声で、歌い続ける。誰もが耳をそばだてて、その息づかいを感じようとしている。このシーンで涙が出そうになったのは何年ぶりのことだろう。素晴らしい演技を見せてもらった。
カーテンコールでも、ひときわ大きな拍手を集めていたのはやはりこの2人。テナルディエに背中を押され、真ん中に出てきた2人が、「こんな若い役やっちゃってスミマセン」とばかりにぺこりとおじぎをしたのがかわいかった。そして最後は石川が島田をおんぶする大サービス。すると負けじとばかりに橋本が今を背負う。会場は大爆笑だ。
この2人の安定感によって、この日の舞台は支えられていた。そして、ほかのスペシャルキャスト登場公演はいつも以上に緊張感が漂うものだが、この日は2人のキャラクターのなせる業か、ずっと和やかなムードに包まれていて、終演後はあたたかい気持ちで帰途につくことができた。こんなレ・ミゼラブルも、たまにはいいかもしれない。
レ・ミゼラブルのホームページ
http://www.tohostage.com/lesmis/top.html
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マーティン・ダイサート | 日下武史 |
アラン・ストラング | 望月龍平 |
フランク・ストラング | 維田修二 |
ドーラ・ストラング | 木村不時子 |
へスター・ソロモン | 中野今日子 |
ハリー・ダルトン | 緒方愛香(劇団昴) |
ジル・メイソン | 田村 圭 |
ナジェット | 田島康成(劇団昴) |
看護婦 | 岡本結花 |
馬たち | 岡本繁治 芹沢秀明 徳永義満 渡邊今人 森健太郎 |
「エクウス」である。四季のストレートプレイは久しぶりだ。
6頭の馬の眼から次々に光を奪った少年と、その「異常な」性格を「正常へ」と戻そうとする精神科医の苦悩と葛藤を描くという、現代風に言えばサイコ・サスペンス。「アマデウス」でお馴染みの人気作家、ピーター・シェーファーの作で日本初演は1975年。当時としては、こうした精神病棟を舞台にしたサスペンスというのは珍しかっただろうから、四季が「問題作」とうたうのも故無きことではない。
しかし最近ではこうしたテーマの作品は演劇に限らず映画やドラマ、小説などで大量に生産されており、京極夏彦の「京極堂」シリーズのような、精神の闇の奥底をぎりぎりまで掘り下げるようなすさまじいものまで登場している。それらに比べれば、そうした面での衝撃度は薄い。一幕は少年がなぜそうした犯罪に走ったのか、どのような状況で犯罪が行われたのかを追っていくことになるが、二幕が上がる前におおよその検討はついてしまう。
もっとも、この作品にとって、そうした精神分析的な文脈はメインディッシュではない。この作品の醍醐味は、精神科医・マーティン・ダイサートの内面の変化にある。その変化とは、「狂気」への恐れが、次第にあこがれに変わり、やがて嫉妬となり、最後には絶望になっていく、というものだ。特に狂気へのあこがれは、かつて筒井康隆がエッセイ「狂気の沙汰も金次第」の中で何度となく言及しており、小学生時代からそんないかがわしい本を読んでいた自分にとって、懐かしいフレーズでもある。
そうしたダイサートの内なる葛藤こそが見所である以上、これをサイコ・サスペンスと呼ぶのは適当ではないのかもしれない。しかし同時に、少年犯罪や精神病に対する偏見などを描いた社会派の演劇でもない。ダイサートの葛藤はあくまで主観的なものであり、別にこの精神科医は「ブラック・ジャックによろしく 精神科医編」に登場した伊勢谷先生のようにジャーナリストを巻き込んで世の中を変えていこうなどとは考えない。一瞬考えるのかもしれないが、最終的にそれは「絶望」によって打ち消され、単なる苦悩として終わる。
精神を病んだ少年の猟奇的犯罪、といういかにも劇的なモチーフを前面に出しながら、実はある中年男の心象風景を描いているにすぎない。これは「アマデウス」が、モーツァルト暗殺という衝撃的な素材を使いながら、最終的にはある男の「神への挑戦」というささやかな生き様を描いたのと同じ構造だ。そのあたりの手法が、ピーター・シェーファー作品の大きな魅力なのかもしれない。
精神科医を演じるのは日下武史。年齢的に、舞台俳優としては限界に来ているであろう日下だが、その存在感には鬼気迫るものがある。微妙な動きや声の変化だけで、舞台の空気を一変させてしまう圧倒的な演技力の前にはもはやひれ伏すしかない。ところどころ、セリフがつかえたり、手紙を落としてしまうようなこともあったが、そんなことは全く気にならないほどだ。もう多くは演じられないことを見据えた上で、一作一作、一公演一公演を大切に演じているのだろう。それが全身から発するオーラをさらに濃い光に変えている。
対する少年、アラン・ストラングには望月龍平。自分としては「マジョリン」のダビットのイメージが強いが、印象的な顔立ちで一度見たら忘れないタイプの役者だ。一度劇場で観客として来ているところを見かけたことがあるが、えらくカッコよかった。後輩らしい役者があいさつにさわやかな笑顔で応えていたのも好感度大で、すっかりファンになった。この役では少年の純粋さ、残酷さ、「内なる声」とさまざまな表情や声を次々に繰り出し、非凡な技量を示している。
少年の心に不安定さをもたらす女性、ジル・メイソンに田村圭。たぶんどこかで観ているのだと思うが明確な記憶がない。ちょっと木村花代似のかわいい感じの女優だ。演じることに抵抗があるかもしれないジル役に、文字通り体当たりで挑んだことで、今後大きな成長が期待できそう。
なかなかお目にかかれなかった、10代目ミニスカポリス特別鑑識班、岡本結花が看護婦役で登場。さすが端正な顔立ちとナイスバディで、いっそジルでも見たかったような。
この作品は、演出も独特だ。舞台上にも客席があり(ステージシート)、精神科医と少年の丁々発止のやりとりを見守っている。思い出すのは、北島マヤがアカデミー芸術祭で最優秀演技賞を受賞した「忘れられた荒野」だ。
これ
また、そのシーンで出番のない役者も、ソデに引っ込むのではなく、やはりステージ上に腰を下ろして舞台の進行を見守っている。これは、ミュージカル「CHICAGO」でも採用されているが、「ハロー!プロジェクト」のコンサートでも同様の試みをしたことがある。
そして何といっても演出上の目玉は、クライマックスとなるアランとジルの厩舎でのデートシーンだ。二人は一糸まとわぬ姿での演技に臨む。
どうもこの作品では、この全裸シーンばかりが話題になりがちだ。しかしそれはあくまで全体の演出構成の中での一部にすぎない。そこだけを取り出して言及するのは、この素晴らしい作品を生み出したスタッフ、キャストに失礼というものだ。まして、それを目当てに劇場に足を運び、見えたとか見えなかったとか盛り上がるなど、演劇全体に対する冒涜と言わざるを得ない。嘆かわしい限りだ。
あくまで芸術的な視点から、以下にこの問題のシーンについて分析を試みたい。ただどうしてもきわどい言葉も使わざるを得ないため、大変恐縮ではあるがここから先は18歳以上の方のみが閲覧可能ということにしたい。
18歳未満の方はここから退出してください。
18歳以上であり、かつ、どんな文章を読んでも不快にならない、大人の余裕を心に持った方のみ、続きをどうぞ。
10年ぶりのダイ・ハード最新作。シルベスター・スタローンといい、ハリウッドのオジサンたちはすこぶる元気な今日このごろだ。
ダイ・ハードシリーズは一作目で築いたいくつかのお約束をきっちり守っている。限られた空間と限られた時間で事件が起き、それを解決する。悪役はただのドロボウ。かならず主人公にクセはあるが頼りになる相棒がつく・・・といった具合。それらがいずれも独特の面白さにつながっていて、アクション映画としての面白さとうまくからみあうところにこのシリーズの魅力がある。
今回、監督に大抜擢された新鋭レン・ワイズマンも、そのメソッドを忠実に守ろうという姿勢が強く感じられた。「限られた空間」は、ダイ・ハード3ではニューヨーク全体をひとつの空間としてとらえていたが、今回はサイバー空間でつながった全米がひとつの空間になる。それでは「限られた」にならんだろう、という人もいるかもしれないが、映画の中でそういう見せ方をしている、ということが肝心なのだ。
しかしプロデューサーの意向か、アクションはもちろん、交通システムの麻痺によるパニックやヘリコプターのみならず戦闘機まで出てくる空中戦など、ど派手なシーンが満載で、どうもその「ダイ・ハードらしさ」が影に隠れてしまった印象がある。一作目の、実は装甲車を破壊するシーン以外あまり派手なシーンがないのにゴージャスな印象をもたらしていたあのうまい映画づくりの手法をもっと見たかった自分にとってはやや残念だった。しかし、逆にダイ・ハードといえばアクション、という印象のファンには、十分以上に期待に応えてくれる作品だ。2時間10分、ノンストップで素晴らしいアクションを見せてくれる。
ブルース・ウィリスの年齢を考えれば、アクション控えめ、演出重視のほうが作りやすかっただろうに、あえてその逆を行ったチャレンジ精神は高く評価したい。続編ものが多いことは、ますますハリウッドが保守化しつつある証明ではあるが、そういう中でもこうした意欲作が生まれてくるあたりは、さすがハリウッドと言うべきだろう。
「ダイ・ハード4.0」のWEBサイト(いきなり奴がしゃべります)
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エンターテイメント好きの大先輩に導かれ、六本木にあるショーレストラン「香和」へ。
ニューハーフのショーパブだと思っていたらちょっと違う。出演者の構成は、おおむねニューハーフ、女性、男性がそれぞれ3分の1ずつ、というところだ。だからニューハーフには抵抗感が、という人にも敷居が低い。
まあショーが始まってしまえばそんなことは気にならない。それほどすばらしい内容だ。約1時間、次々と舞台転換を繰り返しながら文字通り息もつかせぬハイスピードで展開する高密度な和風テイストのダンスショー。照明も音響も高品質なものを使っていて、舞台は何分割できるか分からないぐらい細かく上下移動しさまざまな場面を演出する。和洋取り混ぜた艶やかな衣裳にも目を奪われるが、ショーパブ専門の衣裳製作会社があるのだそうだ。なるほど、ある程度近くの距離で見て、しかも密集したときに最も美しくなるように工夫されている。
この規模にしては、相当に金のかかったショーだ。ショーというのは金をかければ面白くなるわけではないが、金をかけなければ面白くすることは難しい。思い切って金をかけることは、心意気にもつながってくる。それが客を楽しませるのもまた事実だ。座長のムーミンさん(ニューハーフ)は、衣装代が馬鹿にならないと嘆いていたが・・・。
そうした心意気を、エンターテイメントの大手も忘れかけているこの時代、こうした小さなショーパブが心意気を示しているのは実に頼もしい。日本のエンターテイメント界ではブロードウェーにあたる層も薄いが、オフブロードウェーにあたる層はもっと薄い。そこをこうしたカンパニーが担ってくれることを大いに期待したい。
ショー終了後には、出演者たちが各テーブルを訪れる。その飲み物は客の負担だが、キャバクラと違ってばかすか頼んだりはしないのでご安心を。むしろ出演者へのご祝儀のつもりで喜んでご馳走しよう。この日は大先輩の強い意向で男優の飯嶋歡久氏を招請。自分と同じ茨城県は水戸出身のナイスガイだ。キレのいいアクションが売りの肉体派。きっと彼は大成すると思うので今後も応援していきたい。
六本木香和のWEBサイト
(ショーの模様などはこちらで)
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