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2007年5月 4日 (金)

四季「キャッツ」 追悼 服部良子

「GWは、花見だ!」とばかりに、木村花代目当てで勇んで確保したこの日のチケット。

しかし、この日は悲しい観劇になってしまった。

そのことについては後段に書くとして、まずはこの日の舞台の印象を。

キャストは以下の通り。

グリザベラ 奥田久美子
ジェリーロラム=グリドルボーン 木村花代
ジェニエニドッツ 高島田 薫
ランペルティーザ 王 クン
ディミータ 遠藤瑠美子
ボンバルリーナ 南 千繪
シラバブ 南 めぐみ
タントミール 高倉恵美
ジェミマ 熊本亜記
ヴィクトリア 宮内麻衣
カッサンドラ 大口朋子
オールドデュトロノミー 種井静夫
アスパラガス=グロールタイガー/バストファージョーンズ 村 俊英
マンカストラップ 青山祐士
ラム・タム・タガー キムスンラ
ミストフェリーズ 杜 彦昊
マンゴジェリー 百々義則
スキンブルシャンクス 岸 佳宏
コリコパット 王 斌
ランパスキャット 永野亮彦
カーバケッティ 張 沂
ギルバート 范 虎
マキャヴィティ 赤瀬賢二
タンブルブルータス 張 野

マンカストラップ、ラム・タム・タガーなどは前回と同じだが、ボンバルリーナが熟し切った魅力の松下沙樹から、一部の男性に大人気、プロポーション抜群の南千繪に、ミストフェリーズが前々回初見だった杜彦昊に、カッサンドラには大口朋子が復活、そのほか脇を固める猫の顔ぶれがいくつか変わっている。個性的な松島勇気が抜けた影響か、ややきれいにまとまりすぎたかもしれないが、最近は勢いもなければまとまりもないというケースも少なくない。まとまっているだけで可としなければ、贅沢というものだ。グリドルボーン登場のシーンでは、前回松島ミストフェリーズがはしゃいで大騒ぎしていた分を、スンラタガーがカバーして悪ノリ気味で萌えまくっていたのは最高だった。

さて花ちゃんジェリーロラムはどうだったかというと、ひと月前に比べ、さらに表情が豊かになったような気もする。前回はまだポリーが体内に残っていたか、怒ったような顔が多かった。きっと俺がここで「木村花代は怒った顔がかわいい」とか言っちまったせいだ。すまねえ、と勝手に責任を感じたりしていたのだが、この1カ月ですっかりポリーが抜けたようである。また戻すときも来てほしいけどね。タガーナンバーでは見事なツンデレぶりも披露。スキンブルのナンバーで「青い眼キラリ輝けばシグナルは青!」の振りと表情の可愛らしさには爆沈だ。

また前回、バストファージョーンズさんナンバーのごちそうリレーで、シラバブの後ろから「アンタもらってきなさいよ」とボコボコ頭をこづいていたジェリーロラムだが、最近は飛びだそうとするシラバブを後ろから優しく抱き留めているらしい、と聞き、ほうそんな姉妹プレイがあるなら見てみたいものだ、と劇ヤバな妄想を描きつつ楽しみにしていたのだが、この日はごちそうを欲しがるシラバブに対し「いやしいことするんじゃないのよアンタ!」とばかりにばしばし蹴りを入れていた。どうも俺が見に行くと木村花代の暴力的傾向が促進されてしまうようだ。やはり「怒った顔がかわいい」なんて言うんじゃなかった。

全体を通じ、爆笑する部分はなかったが(いや、本来なくて正解なのかもしれないが)、安定感があったこともあり、ずっと軽く笑いを誘うような、ほんわかとした印象の舞台になった。そのほんわかした印象の一部には、四季の会会報の最新号で、奥田久美子の素顔を見たこともあるかもしれない。あの写真を見ると、なんだかとっても応援したくなるのは俺だけではあるまい。これからも奥田グリザベラは生暖かい目で見守っていきたい。

 

そんな楽しい舞台であり、実際楽しんでいたのだが、この日、自分は心のどこかに寂しさを感じながら観ていた。

 

チケットを取ったこの週の初め、ネットに流れた「服部良子、死去」の噂。最初はウソだろうと思っていたが、堀内敬子のブログにこのエントリーが上がったことで、もはやそれを事実と認めざるを得ない状況になった。

それでもまだ公式な発表はないため、誤報であってほしいという一縷の望みもあったが、この日の観劇後、帰宅してネットを開くと、四季のサイトに訃報が掲載されていた。

1983年の日本初演から現在の五反田公演まで、同じジェニエニドッツという役を演じ続けた、恐らく世界一数多くキャッツに出演した女優、服部良子。その回数は四季の発表によれば4,251回に及ぶという。四季は志村幸美に続き、また貴重な人材を病によって失ってしまった。

自分がキャッツを初めて観たのは1995年と遅かったが、何回足を運んでもジェニエニドッツだけは同じ服部良子が演じている。初演から演じているベテランだとは聞いたが、その表情や動き、歌声がとてもかわいらしくて魅力的だった。キャッツのリピーターなら、一度ならず「最初から最後まである猫に注目してみる」という観劇方法を試したことがあるだろう。自分の場合、最初にそれをやった相手が服部良子のジェニエニドッツだった。握手をしたときの観劇は今も忘れない。

キャッツシアターには、服部良子がいて、元気におばさん猫を演じている。それは日本のキャッツにとってごく当たり前のことであり、永遠に変わることがないという錯覚すら感じるほどだった。

だが、永遠というものはもちろん存在しない。そして、永遠どころか、あまりにも早くその錯覚は打ち破られてしまった。

今回の東京公演でも、最初は服部良子がおばさん猫だった。しかしひと月足らずで降板。自分がこの公演に最初に足を運んだのが12月10日で、そのときはすでにキャストが変わっていた。初日のチケットがありながら、出張のためにキャンセルせざるを得なかったのは今にして思えば痛恨の極みだ。

だが、そのあと、「人間になりたがった猫」の全国公演で、トリバーを演じていたのを観ることができたのは幸いだった。トリバーは、人間になったばかりの猫であるライオネルを励まし助ける魚屋さんだ。威勢がよくて行動力抜群だが、優しさにあふれてちょっとお茶目なところもあるトリバーは、どこかジェニエニドッツに重なるものがあり、ひょっとしてトリバーも最近まで猫だったという裏設定でもあるんだろうか、猫なら魚が好きだろうしな、などと阿呆な想像もしていた。元気なおばさん猫から、猫の成長を助ける存在になった服部良子は、今後は天上から猫たちを見守ることになる。

恐らく、「人間になりたがった猫」は闘病しながらの出演だったのだろう。4000回以上もキャッツの舞台に立つことも前人未踏の大記録だが、病を抱えつつ舞台、しかも全国の子供たちに夢を与える全国公演に出演していたことも特筆されるべきではないか。その女優として、人としての生きる姿勢に、改めて頭が下がる思いだ。

 

この日、キャッツという作品が壮大な鎮魂歌であることを改めて強く感じさせられた。最後にグリザベラは天上に昇る。それは「再生を許される」と表現されているが、再生のためには死を迎えなくてはならない。キャッツとは、ひとつの魂を鎮め、天上に送り出す葬送の宴である。

グリザベラを天に返したオールドデュトロノミーは歌う。猫を猫として、犬を犬として、人を人として、すべてのものをありのままに見据え、敬意を持って接するべきだ、と。それが生者に命を与え、同時に死者の魂を鎮める。

服部良子の演技を目の当たりにしたことのある自分が、それをありのままに心の中に焼き付けておくこと。そして服部良子の業績を、日本のミュージカルの歴史にありのままに刻みつけること。それがファンとしてできることの全てだ。

ありのままに、という以上、過剰な賛美の言葉を投げかけてはならないことは分かっている。だが、一度だけ言わせてほしい。

服部良子は、日本演劇界におけるひとつの頂点であり、演劇に携わる者、演劇に興味を持つ者が大いなる尊敬を抱くに値する、偉大な女優であったと。

過去形を使わなくてはいけないのが、本当に悔しい。

四季によるお知らせ

http://www.shiki.gr.jp/navi/news/000804.html

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