映画「デッド・オア・アライブ」うわ、これ馬鹿だよ
こりゃまたケッコーな馬鹿っぷり。ブラボーだ。
ゲーム業界に「乳揺れゲー」という用語がいつ出来たのかは知らないが、現段階で間違いなくその筆頭であるテクモの人気格闘ゲームシリーズ「デッド・オア・アライブ(DOA)」の映画化。DOAは単に揺れるのがいいのではなく、CGで描かれた女性キャラクターがいずれも魅力的なのがいいのだ。格闘は三の次。2003年にXboxソフトとして発売された「DOA XTREME BEACH VOLLEYBALL」に至っては、美女軍団が格闘もせず新しい水着を求めてビーチバレーに興じる。自分はこのソフトのためにXboxを購入したが、結局それ以外のソフトを買うことなく、専用機としてその使命を終えた。このほどXbox360ソフトとしてその続編が発売されたので、また専用機を買うかどうか、悩んでいる。
さてそんなゲームの世界をスクリーンに展開したのは、香港映画の監督の中でも、とりわけ香港映画度の高い監督であるコーリー・ユンだ。ジョン・ウーのようにスタイリッシュな映像作家になるわけでもなく、チャウ・シンチーのように馬鹿馬鹿しさを極めることでひとつの完成された世界を作るわけでもなく、ただ単に馬鹿馬鹿しい映画を作り続けている逸材だ。日本では、1982年に真田広之の世界進出作品「龍の忍者」を監督し、衝撃を与えた。忍者が主役だがいったいどこの国かいつの時代かよくわからず、ぬるいギャグとカンフーアクションが雑然と並べられた本当にひどい映画だった。あれから25年も経つというのに、この監督は全く成長していない。素晴らしい。尊敬に値する。
今回の作品でも、70年代に逆戻りしたような勢いのある香港映画パワーをいかんなく発揮してくれた。主人公(とは言えないかもしれないが)かすみは日本の出身(ちゃんと字幕で「石狩山脈」と出てくる←どこだよ!)なのに、その住居(城?)は明らかに中国の宮殿。欧米の監督ならともかく、香港出身の監督で何でこんなことが起きる?これは確信犯、というより、そのほうが面白いと思っているのか、あるいはどうでもいいと思っているのか、そんな理由なのだ。とにかくほとんど前置きもなく、モモタロスのようにいきなりクライマックスで始まったかと思うと、格闘→下着→格闘→水着→格闘→入浴→格闘という最強コンボの繰り返しで最後まで行ってしまう。しかもビーチバレーのおまけつき。説明的なシーンは皆無に等しいが、それでも一応ストーリーらしきものはできているから恐ろしい。CGを無駄遣いした格闘シーンもそれなりに美しく、飽きさせない。水着や下着はもちろん、全体的に露出度の高い衣裳もグッドだ。上映時間が1時間26分と短いのもいい。だいたい最近の映画は長すぎるのだ。
ゲームの映画化、というと、成功した例もあれば失敗した例もあるからひとくくりにはできない。しかし、格闘ゲームの映画化といえば、「ユニバG」のCMで有名なジャン・クロード・ヴァン・ダム主演の「ストリートファイター」を思い出す。あれは明らかに失敗だった。ゲームの色彩を中途半端に出そうとしたこと、そして「ハリウッド映画」の枠に縛られたことで、どうしようもない駄作になってしまった。それに比べると、今回は映画として無茶苦茶ではあるが、映画の世界観をきっちりと再現することで成功を納めている。まあその世界観が「エッチでファイト」だから再現しやすかったのかもしれないが。だからキャラクター設定が多少異なっていても、あまり違和感を感じない。清楚さのないかすみ、殺し屋ではなく泥棒のクリスティ、天然のエレナ、コスプレ腐女子にしか見えないあやね……。しかしなぜかティナとザックだけは驚くほどゲームのままだった。そこそこ年齢は行っているが、みなかわいらしく、カッコよく、そしてセクシーなファイターになりきっていた。
かすみが中国風になってしまったために、キャラがかぶるから、という理由で(想像)ちょい役に回ってしまったレイファン、そもそも出番のなかったヒトミなどのファンは欲求不満だろうが、ハードなキャラ萌えでなければDOAファンにも納得の出来ではないかと思う。特に、自分のように純粋に不純な気持ちでゲームをしていた者にとっては「分かっているじゃないか、君!」と監督の肩でも叩きたくなるような気分だ。スケベ心は世界の共通語である。
かつて、「お笑いスター誕生」で、でんでんが「オッパイは成功のもと」というギャグで会場の失笑を買い、銀賞(5週勝ち抜き)を逃したことがあった。しかし、テクモはこのソフトの成功によって世界的な企業になったのだから、格言としてはあながち間違っていなかったわけだ。
デッド・オア・アライブ 公式サイト
http://www.doa-movie.jp/
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