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2006年11月12日 (日)

映画「時をかける少女」

今年は「涼宮ハルヒの憂鬱」のおかげで、かつて筒井康隆や豊田有恒、眉村卓らが作り上げられた日本独特のSFジュブナイル文化が現在のコンテンツ産業の根幹にあることを考えさせられた。

そこに、SFジュブナイルの最高傑作とも言われる「時をかける少女」がアニメーションで復活。なにやら時代がひとつの方向を向いているようだ。

「時をかける少女」といえば、大林宣彦監督の映画版が有名だが、それが「ジュブナイル最高」の称号を得たのは、NHKの「少年ドラマシリーズ」で「タイム・トラベラー」として映像化され、それが多くの人の心に残ったことが大きい。今回の映画のパンフレットによれば、同ドラマは最終回以外の映像が紛失しているそうで、もう観ることはできないのだそうだ。なんとも残念だ。

さて、この映画は原作の姪にあたる女子高生を主役に据えたオリジナルストーリーだ。しかし主人公に2人の男子が絡み、そのうち1人が未来からの旅行者であるなど、原作のエッセンスが生かされている。

詩的な映像で綴った大林版とは異なり、貞本義行がデザインを手がけたキャラクターとスピーディーな演出で、アップテンポに楽しく展開していく。「時をかける少女」は、時間航行を素材にした作品では避けて通れないタイム・パラドックスをきちんと整理し、物語の中に破綻亡く収斂させている点において、優れたSF作品である。この映画でも、やや大風呂敷を広げながら、最後にはきちんとつじつまを合わせており、SFとしての折り目を守っている。そして同時に、澄んだ映像と緻密な背景描写、フレッシュなキャストらにより、高校生映画らしいみずみずしさを十分に演出している。これはSFジュブナイルの映画としては大成功ではないか。今年は邦画がなかなかの当たり年だが、これも豊作のラインナップに加えていいだろう。

さて、この映画を見ていて、ある作品との奇妙な符号に気付いた。1980年代後半、家庭用ビデオデッキの普及とともに一大AVブームが生まれたが、数多くのソフトイメージ路線作品でブームをけん引した宇宙企画の88年作品「サイキック・セーラー・ファンタジー 超少女ちゆきが行く」である。多くのエキストラと制作日数を費やしたこの大作AVでデビューした牧本千幸は一躍トップアイドルとなり、その後つかもと友希と名を変えて90年代後半まで活躍することになる。

その「超少女ちゆきが行く」は、明らかに大林宣彦版の「時をかける少女」のパロディーなのだが、その中のいくつかの演出上の要素が、奇妙なまでに今回の映画と一致しているのである。

短期間で何回もタイム・リープを繰り返す主人公や、勢いをつけて登場し、体操選手のように決めポーズをとるあたりにその符合を見て取れるが、決定的なのは物語の重要な場面で何回も登場する「分かれ道」だ。

「超少女~」にも、やはり分かれ道が登場し、主人公は何度もこの分かれ道を通行する。

Wakare

別に今回の作品がAVをぱくったわけではない。調べてみたところ、監督の細田守は「おジャ魔女どれみ ドッカ~ン」の中でも分かれ道を効果的に用いた演出をしているのだそうだ。分かれ道には思い入れのある人らしい。

面白いのは、メディアも時代も全く異なるクリエイティブチームが、同じ原作と映画からインスパイアされ、同じ演出に帰結している点だ。つまり、80年代末のAV界には、現在のコンテンツ界の最前線にいるクリエーターと同じ感性を持っていた人物がいたということである。

周防正行ら、ピンク映画出身の監督が現在の日本映画を支えているように、AV出身のクリエーターが活躍してもいいのではないか。しかしそんな話はあまり聞かないのはなぜだろう。みやすのんき作の「冒険してもいい頃」はAV助監督から映画監督を目差す青年が主人公だったが……。

「時をかける少女」のWEBサイト

http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/

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2006年11月 5日 (日)

四季「キャッツ」キヨミチ軍団総攻撃

何と、5カ月もキャッツシアターに行ってなかった。しかし今週のキャストはなかなか魅力的である。

グリザベラ 奥田久美子
ジェリーロラム=グリドルボーン 井上智恵
ジェニエニドッツ 鈴木由佳乃
ランペルティーザ 磯谷美穂
ディミータ 滝沢由佳
ボンバルリーナ 南 千繪
シラバブ 八幡三枝
タントミール 高倉恵美
ジェミマ 王 クン
ヴィクトリア 金井紗智子
カッサンドラ 井藤湊香
オールドデュトロノミー 種井静夫
アスパラガス=グロールタイガー/バストファージョーンズ 村 俊英
マンカストラップ 芝 清道
ラム・タム・タガー 福井晶一
ミストフェリーズ 蔡 暁強
マンゴジェリー 萩原隆匡
スキンブルシャンクス 李 涛
コリコパット 王 斌
ランパスキャット 永野亮彦
カーバケッティ 劉 志
ギルバート 張 文瀟
マキャヴィティ 満 寧
タンブルブルータス 岩崎晋也

未見の福井タガーを観なくてはなあ、と思っていたところ、比較的レアな芝マンカストラップが登場。ちょうど今年3月に観たときと役を入れ替えた格好だ。ロングラン公演にはこういう楽しみもある。またその時に観た井上智恵のジェリーロラムも帰ってきた。奥田久美子のグリザベラも観たかったし、佐野正幸ファントム登場で五反田登場回数の増えた村俊英のアスパラガスも久しぶりだ。というわけで前日予約でキャッツシアターへ。

さてその芝マンカストラップ。タガーではあまりにも芝そのもので笑ってしまったが、マンカストラップのメイクはタガーよりも濃い。今度は大丈夫だろうと思って油断していたのがいけなかった。

やっぱり芝清道そのものじゃん。

プッと吹き出しそうになったが、マンカストラップは笑わせる役じゃない。そこで笑うのはマナー違反だ。続いて福井タガー登場。あれ?阿久津タガー以降タガーメイクは薄くなったのか?これまたラダメス将軍が変な化粧をしている感じだ。さらに村ガス、蔡ミスト……。

おまいら、素顔さらしすぎですよ?

まあ豪華なキャストだから、顔見世興行ということで納得しよう。

しかし芝のマンカストラップは、どうも笑わせようという下心がありありで、リーダー猫としての品格に著しく欠ける。ジェニエニドッツナンバーでは、「横着しすぎた罰だ~」と歌い上げてすぐ3ガールズに「いえー」と否定されると、おいおい、違うのかよ、とズッコケてみせる。グロールタイガーの劇中劇ではどう見てもタガーのときと同じ演技。スキンブルシャンクスのナンバーでは、これまで見た中でもっとも「ヤクザな奴」だったし、ガラクタを集めて汽車を作るあの名シーンでは、前にいた猫の毛繕いを始める。ラストのラインダンス(?)では左右にグリザベラとジェニエニドッツの二大熟女を従えてご満悦。しかもあいさつに出るときにわざとジェニエニドッツに肩をぶつけるというセクハラまがいの行動に出て、鈴木由佳乃に可愛く怒られる始末。

最高だ、芝清道。

でも、明らかに間違ってるぞ!

一方福井タガーはどうか。これは聞いていた評判どおり、どうにも真面目なタガーである。高学歴のエリートが、職場で上司に「お前はカタすぎるんだよ、ちったあ遊ぶことも覚えてきやがれ」とか言われ、無理してハジケている社会人デビュー予備軍な雰囲気だ。タガーが一生懸命でどうする。ひょっとしたらひねくれ者だから、ひねくれぶりを見ようとするなら真面目に振る舞ってやるぜ、ということなのだろうか。

奥田久美子はまだ早水小夜子のような迫力も、金志賢(なぜ四季を去ってしまったのか…)のような色気もないが、歌、風貌、演技のバランスのとれた、なかなかの人材だ。メモリーには涙する観客も多かった。言葉ひとつひとつをとても丁寧に歌っているように感じられ、この曲の歌詞の美しさと重みを再認識できた。今後も楽しみだ。

驚いたのは、井上智恵のジェリーロラム=グリドルボーン。前回の時より、ジェリーロラムとしての可愛さが30%アップで、ジェリクル・ソングから目が釘付けだ。アイーダ、エビータとこなしてきたことで、強烈なオーラを身にまとったのか。そしてグリドルボーンとしての小悪魔ぶりが一挙に70%アップ。シッポを踏まれたときの表情も合格。前回はジェリーロラム>グリドルボーンだったが、今回はややジェリーロラム<グリドルボーンだった。これはエビータの影響がより強く出ているのだろう。この井上ジェリーロラム、もっと観たいがそうもいかないのだろうな。

安定感抜群の村も含め、全体的に歌唱力のレベルが極めて高いキャストだ。いろいろ言ってはいるが、実はこの五反田公演の中でも1、2を争うすばらしい出来映えであり、今とっても満たされた気持ちでこのエントリーを書いている。オールデュトロノミーナンバーにおける、芝と福井の男っぽい歌の競演、グロールタイガーでの村と井上の贅沢なユニゾン。そして奥田のメモリー。観劇中、こんなに何度も歌でぞくぞくさせられたことはない。

こういう良キャストが次に集まるのは何カ月後になることやら。しかしキャッツはほかの演目に比べればまだいいほうで、「マ○マ・ミーア!」あたりは厳しい状況が長期間続いている。すべての作品を常にベストキャストで、というのは物理的に無理だが、各作品とも、時にはリピーターをぐっと引き寄せる顔見世興行をお願いしたいものだ。

ところで、高倉恵美のタントミールは美しさにますます磨きがかかり、神々しいほどだ。もう他の女優によるタントミールは受け入れられそうにない。

「キャッツ」のWEBサイト

http://www.shiki.gr.jp/applause/cats/index.html

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2006年11月 3日 (金)

映画「デスノート the Last name」(大バレ)

実に残念だ。

自分はマンガや小説を映画化した作品を観ても、なるべく「原作に忠実かどうか」という尺度では測らないようにしている。メディアが異なれば作品も変わるのは当然で、比較するのがナンセンスだ。

しかし、それでもなお、外してはいけない原作の要素、というものがあるだろう。

いよいよ公開された映画「デスノート the Last name」。言うまでもなく春に公開され大ヒットとなった映画「デスノート」の後編だ。前編の出来が良かっただけに、期待は大きかった。

問題は弥海砂(あまね・みさ=ミサミサ、戸田恵梨香)が初めて夜神月(やがみ・らいと=キラ、藤原竜也)の家を訪れ、階段を上がっていくシーン。

パンツが見えていないではないか。

これには激しい怒りを覚えた。前編から楽しみにしていたのに。別に戸田恵梨香のパンツが見たくて言っているわけじゃない。満島ひかり演じる夜神粧裕(やがみ・さゆ)の「パンツ見えちゃってるし……」というセリフが聞けなかったことが極めて残念だったのだ。

 

 

 

しかし、それ以外は完璧な作品。

傑作である。

原作の圧倒的な情報量に支えられた、“予測不可能”のストーリーをギュッと凝縮し、それでいて破綻なく、かつ映画という途中で止めて考えることのできないメディアでも無理なく理解できるように仕立て上げた脚本がまずお見事。原作に敬意を表し、その世界観を尊重しつつも、映画独自の視点-金子修介監督によれば「大人の視点」ということなのだそうだが-を加えているが、そのバランスがよく、原作ファン、映画ファン双方に満足のいく仕上がりになっている。

前編のラスト、見事な切り返しでドローに終わった月とLとの対決。後編は期待どおり、冒頭から2人の丁々発止の心理戦が炸裂し、観客は瞬間的に映画の世界に、そしてデスノートの世界に引っ張り込まれる。

戸田、藤原、そしてLを演じた松山ケンイチ。この主役3人の演技が前編にも増してすばらしい。それぞれの役に求められる要素を消化し、表現として人物像を明確に描き出している。当然、原作とは微妙にずれることになり、「こんなのLじゃない」という声も上がるだろう。しかし、いずれも原作に劣らない魅力あふれるキャラクターになった。

「原作にはない衝撃の結末」も、原作の3人ならああいうことにはならないような気がするが、この映画の中の3人ならなるほど、と納得できるようになっている。好き嫌いはあるだろうが、どちらかというとベタな演出をこのむ自分としては大満足だ。

ちょっと仕事のできそうな出目川や、清楚ではない高田清美など、脚本段階で原作とは違った位置づけになっているキャラクターも、実にきれいにはめ込まれていて感心した。

ベテランの味を十二分に発揮し、「出色の出来」と評された(俺から)鹿賀丈史は、ちょっと美味しいところを持ってき過ぎか?しかしそれこそが金子監督の狙いなのだから仕方がない。あの敬礼は心に響いた。敬礼、というのは日本映画の重要な感動アイテムである。代表的なのは「八甲田山」で、部隊を救ってくれた案内人(秋吉久美子)に徳島大尉(高倉健)が敬礼をするシーンだ。最近では昨年の土曜ワイド劇場「火災調査官・紅蓮次郎 燃える雪と燃えない死体! 工場大爆発が暴く灰の中の嘘?」で蓮次郎(船越英一郎)が連行されていくかつての恩師(小林幸子)の背中に向けた敬礼も印象的だった。金子修介もここぞという時に敬礼を用いる。マニア受けはいまいちだったが、高い評価を下す人もいる「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」のラストシーンでは、宇崎竜童演じる自衛隊幹部が、怪獣と闘って命を落とした兵士たちのために海に向かって敬礼する。あれは感動的だった。

主題歌は前編に続きレッド・ホット・チリ・ペッパーズ。前編の「ダニー・カリフォルニア」は何かが始まる予感を促す名曲だったが、今回のラストに流れる「スノー」は、物語の結末ときれいにマッチするやや悲しさを秘めた曲だ。これも印象的で良かった。

あえてケチをつけるなら、上映終了後、わずかな違和感が自分の中に残った。それは、「エヴァンゲリオン」の劇場版(『THE END OF EVANGELION Air / まごころを、君に』)を観たときと同じものだ。大いに満足し、納得しながらも、「傑作」に終わってしまったことへのぜいたくな不平だ。エヴァの場合は、テレビ版のでたらめな終わり方があったからこそ「伝説」になりえた。それをわざわざ修正して「傑作」に戻さなくてもよかったかな、と思ったのだ。

駄作を凡作に、凡作を佳作に、佳作を傑作にするのは、ひとつひとついいものを積み上げていけばいい。しかし傑作が伝説に突き抜けるためには、積み上げたものから足を踏み外さなくてはならない。この映画も、前編で大いに期待させ、後編がハチャメチャ(死語)なものになったら、それが伝説になったかもしれない。そのほうが、リューク的には「面白!」だろう。

しかし、そんな死神の目で映画を観るよりも、いいものはいい、と素直に受け入れたほうが楽しい。ひとつ厳しい評論でもしたほうがブログらしいのだろうが、ここは日本のコンテンツ産業がこれほど良質なものを生み出せたということに、快哉を叫びたい。ちょうど、ラストシーンで何かに笑い続けるリュークのようにだ。

昨年は「頭文字D」を観て、歯ぎしりほどの悔しさを味わった。日本のマンガを原作に、日本でロケして創られた傑作映画が、日本映画ではなく香港映画という現実。あのときは本当に暗鬱とした気分になった。しかし、この「デスノート」は香港でも大ヒットしているという。香港映画大好きな自分としてはケンカを売るつもりはないが、ちょっとだけうっぷんを晴らすことができた。今後、こうした作品に刺激されもっと面白い作品が様々なジャンルで出てきてくれることを心から願う。

最後に、パンフレットを読んで感じた、ちょっと期待を込めた予感。

来年あたり、日本テレビがスペシャルドラマとして松山ケンイチ主演の「ロサンゼルスBB連続殺人事件」を放送するような気がする。

Dnln

映画「デスノート the Last name」のWEBサイト

http://wwws.warnerbros.co.jp/deathnote/

前編についてのエントリー

http://kingdom.cocolog-nifty.com/dokimemo/2006/06/40_ed59.html

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