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2006年10月29日 (日)

河崎実×モト冬樹「ヅラ刑事」

「日本以外全部沈没」を観た日に、同じ河崎実監督の「ヅラ刑事」を鑑賞。どちらも単館系、しかもまともな時間に上映していないものだから、「日本以外」はモーニングショー、「ヅラ」はレイトショーという体力的にはきつい2本立てだ。どちらも渋谷で上映中なので、遠方の人はレイトショーで「ヅラ」を観て、一泊してモーニングショーで「日本以外」を観るといいのではないか。

さてこの「ヅラ刑事」は、カツラを投げて敵を倒し、犯罪者を逮捕するという刑事の活躍を描いた刑事ドラマである。特撮マニアである河崎が「カツラをウルトラセブンのアイ・スラッガーのように投げたら面白い」と思いついたところからこの企画が始まったという。

小さいころ「ウルトラセブン」を観ていた人なら、アイ・スラッガーを投げたウルトラセブンがかなり残念な容姿になることはみな知っている。しかしその記憶だけでなく、その残念な印象を大人になるまで保ち続けているあたりが、河崎の非凡さを示すところだ。

この映画は「太陽にほえろ!」をはじめ、数々の刑事ドラマへのオマージュになっており、ヅラ、チビ、デブ、デカチンといった、地上波ドラマではあり得ないアダ名を持つ刑事たちが、チームワークで難事件に挑む。それぞれの肉体的な特性を生かした活躍がみどころのひとつだ。

その中でも、主役の「ヅラ」こと源田初男役であるモト冬樹が素晴らしい演技を見せている。凄腕でありながら、組織になじめず異動を繰り返すアウトロー、しかし決して周囲を威圧するわけではなく、むしろ溶け込もうと努力する中年男の哀愁を、どこか居心地の悪そうな表情と、押さえた演技で見事に表現している。驚いたことには、観ているうちに、だんだんこの男が格好良く見えてくる。最後、犯人をパトカーに乗せるシーンでは、不覚にも少し感動してしまった。

主題歌「悲しみはヅラで飛ばせ」を歌うのももちろんモト冬樹。歌のうまさも手伝って、一度聞いたら頭から離れない名曲に仕上がっている。曲調は「大都会パートⅢ」の「日暮れ坂」を思い出させるバラードだ。

♪人はヅラを かぶるときに 頭に蓋をする~

この映画を見たら最後、このフレーズが少なくとも家に帰るまで、ひどいときには翌朝目が覚めても、頭の中で繰り返されることうけあいだ。

Dura

ヅラ刑事のWEBサイト(主題歌が流れます)
http://www.duradeka.com/

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河崎実×筒井康隆「日本以外全部沈没」

70年代、8mmで特撮映画を作るアマチュア監督として知られ、80年代にプロデビューしてからは「地球防衛少女イコちゃん」「電エース」などの特撮、「飛び出せ!全裸学園」といったお色気作品で鳴らし、近年は「いかレスラー」のヒットによってすっかりメジャーになった、河崎実。その才能があるんだかないんだか分からないカルトの名匠が、筒井康隆が1974年に書いたショート・ショート「日本以外全部沈没」を映画化した。

河崎の作風は、これだけキャリアが長いにもかかわらず、素人っぽさが抜けきらないところに特徴がある。意識的なものだとは思うが、「学園祭の映画にしてはよく出来ている」という雰囲気を20年も保ち続けるのは並の能力ではない。

今回も、原作の世界観~日本以外の国が沈没し、各国のVIPや難民たちで日本中にあふれかえる~をベースにしつつオリジナルストーリーを組み立て、河崎らしいどうでもいいくだらない映画に仕上がっている。全編に散りばめられた、外国人をネタにした毒のある、というより極めて有害なギャグも、爆笑を誘うというより、にやにやさせる程度の中途半端な笑いを提供するにとどまる。実に期待どおりだ。

ばかばかしい映画のファンにはオススメの秀作だが、反社会的なギャグの嫌いな人は避けたほうが無難。大川興業の「ウィーン電動こけし合唱団」とか好きな人には気に入っていただけるのではないか。

ところで、この原作「日本以外全部沈没」は、小松左京の「日本沈没」が超ベストセラーとなったときに、半ば冗談で書かれたものだが、その冗談を言ったのは、星真一なのだそうだ。日本のSF文化を築き上げた御三家、個人的にも大の親友として知られる3人のインスピレーションの結晶という意味では、貴重な作品だ。

考えてみると、彼らに加え豊田有恒、眉村卓といった先人達が切り開いてきた日本SFは、日本文学のメインストリームを外れた部分、パロディーやエログロ、ジュブナイルといったものを一手に引き受けてきたように思う。かつて筒井はエッセイの中で、作家のパーティーに行ってもSFの面々は隅のほうに集まり「あの人作家、俺たちSF」という雰囲気になる、と語っていたが、よく言えば在野精神、悪く言えばひねくれ根性が、日本SFの底流に流れている。それが何でもどん欲に取り込む、悪食的な性質をもたらしたのだろう。

しかし、それは現在世界的にも注目されている日本のサブカルチャーの形成において、極めて重要な役割を演じてきたのではないか。海外のコミックやアニメーションの素材やモチーフがきわめて貧相なのに比べ、日本のそれは何でもありの世界だ。また、その多くはSF(厳密には、ファンタジーと言うべきなのだろうが)である。「SFなら、何をやってもいい」という意識が、純粋なSFを愛する人達の意向に反して、日本には浸透している。また、もっと直接的な現象として、日本SF界の重鎮の作品で育ったクリエーターが、現在日本のコンテンツ産業を引っ張っていることも見過ごせない。「涼宮ハルヒの憂鬱」(小説・アニメ両方)の中で、主人公が唐突に「少年エスパー戦隊」と口にするシーンがある。言うまでもなく、1976年に豊田有恒が発表したSFジュブナイルの傑作だ。作者が子供のころそのファンだったことは疑いようもない。

SFジュブナイルのオタク文化の中での位置づけについては、また別の機会により深く考えてみたい。

Gat

「日本以外全部沈没」のWEBサイト
http://www.all-chinbotsu.com/

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2006年10月22日 (日)

松雪泰子・蒼井優「フラガール」

公開後、評判が広がり好調な動員を記録している「フラガール」。自分も面白いと聞いて劇場に足を運んでみた。

なるほど、これは秀作だ。

この映画のモチーフであるフラダンス(「フラ」に踊りという意味も含まれているので、こう言うのは間違いらしい)は、そのまま映画のテーマにもなっている。

フラは、動作ひとつひとつが手話のように何らかの意味を表しているという。そして言葉以外で、人はどうやって気持ちを伝えられるのか。それがこの映画のテーマだ。

登場人物たちは、みな決して無口ではない。女も男も、思いついたことをぽんぽんと口にし、理路整然と主張を展開する。なのに、肝心な場面になるとうまく自分の気持ちを伝えられない。その溝を、フラという踊りがきれいに埋めていく。

教室で、駅のホームで、そしてオープンしたハワイアンセンターで、百のセリフよりも説得力のあるフラのシーンが繰り広げられ、映画を観る者の心を動かす。フラの魅力を、うまく映画の中に引き出した構成力が見事だ。

ハワイアンセンターの建設は、閉鎖していく炭鉱の町にハワイを作って雇用を確保するという、起死回生のプロジェクトだった。そこに描きたいことはたくさんあっただろうが、フラと女性たち以外のエピソードの描写は最低限にとどめ、内容を絞り込んだ点にも好感を持った。

「夜のピクニック」とともに、この秋はなぜか常磐線沿線映画が盛り上がっている。水戸→柏市民としては、大いに喜ばしいことだ。

Fg

「フラガール」のWEBサイト

http://www.hula-girl.jp/

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2006年10月15日 (日)

カテゴリーを設置しました

最近、記憶はあってもそれがいつの記憶か思い出せなくなってきました。年は取りたくないものです。

そこで、バックナンバーの検索をしやすいように全エントリーをカテゴリー分けしてみました。

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2006年10月 8日 (日)

映画「夜のピクニック」

映画「夜のピクニック」が映画化された。

原作は、「博士の愛した数式」「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」などを選出し、新たな文芸賞として注目を集めている「本屋大賞」の第2回受賞作だ。吉川英治文学新人賞も受賞している。

しかし、自分がこの映画を見に行く動機はほかにある。物語の舞台となるイベント「歩行祭」とは、自分の母校である水戸第一高等学校の伝統行事「歩く会」がモデルなのだ。

原作の作者である恩田陸もやはりOB。だから当然「歩行祭」の描写にはリアリティがある。それを、茨城オールロケで、コースも実際の「歩く会」のコースの1つ(コースは全部で3つある)をベースに組み立てて撮影、もちろんわが母校も登場、と聞けば、これは観にいかない訳にはいかない。個人的には、小説がそのモデルとなった舞台をリアルに描写する必要も、映画が原作に忠実である必要も感じていないのだが、この作品はどうもそのあたりに徹底して力を入れているようだ。

そして実際に上映を観た感想。

予想以上に、「歩く会」の映画だ。「歩行祭」をモチーフとして、高校生たちの心の機微を描いた作品かと思ったら、逆だった。高校生たちは、あくまで脇役。この映画の主役は「歩行祭」である。

とにかく、団体歩行の雰囲気や、小休止、大休止の様子、父兄や近所の方々の応援、実行委員会の活躍、各クラスの先頭の人が持つ「のぼり」や懐中電灯といった小道具まで、実にリアルに再現されている。もちろん、「ジャージの色がタマゴ色じゃない」「深夜の団体歩行は男女が分けられているハズ」と些細な違いはあるが、そんなマニアックな突っ込みを入れたくなるほど、リアルに描かれているのだ。

そして、オールロケだから茨城の風景もリアルだ。茨城には、袋田の滝を除けば、派手な観光名所はあまりない。この県の原風景は、日本全国どこにでもあるような田園風景(といっても、『見渡す限りの~』というほどでもなく、適度に住宅なんかも視野に入るようなもの)とか、小川やそこにかかる橋、鉄道、住宅地といった、何のへんてつもないものだ。それを、必要以上に美化せずにスクリーンに納めているのに好感を持った。それが「歩行祭」のリアルさを一層強調している。

映画の構成も、「歩行祭」のスタートに始まりゴールで終わっており、ストーリーの展開上必要な過去のシーンはすべて会話や回想の中で展開する。

この映画の監督は、堺雅人の演じる奇妙なサラリーマンが印象的だった「ココニイルコト」の長澤雅彦。彼は、一体どうしてここまで「歩行祭」を詳細に描くことに執着したのか。

恐らく、ただえんえんと、夜を通して歩くだけという酔狂の極みのような「歩く会」というイベントに、特殊性以外の何かを見いだしたからだろう。単に主人公たちの心理的動揺のきっかけとしてなら、のべ5000人ものエキストラを動員し、40日間にも及ぶロケを敢行するのは明らかに度を超えている。

その「何か」を観客が感じ取れるかどうかが、この映画のカギだ。残念ながら、自分を含め、「歩く会」にかかわった者はそれを知ってしまっているから、この映画の評価に加わるわけにはいかない。少しでも「歩行祭」に自分も参加したような気持ちを持ってもらえたら、モデルとなった高校の出身者としてはちょっと嬉しい。

主役は「歩行祭」だが、もちろんキャストの演技がつまらないわけではない。そのイベントの雰囲気を伝えるにあたり、もっとも重要な役割を占めるのが、ヒロインを演じた多部未華子を始め、出演者たちであることは言うまでもない。実際に60キロほど歩いてみてからロケに臨んだという彼女たちの表情は、まさしくリアルに「歩く会」の顔だった。

今にして思うと、「歩く会」は、実にキツい行事だった。45キロ歩き、25キロ走る(映画では合計80キロだが、実際には70キロ)という、もはや奇祭の域に達しているこのイベントのために、夏休み明けから体育の授業はすべてマラソン。受験を控えた3年生も例外ではなく、この期間は家に帰っても勉強どころではない。しかも10月のこの行事が終わってからようやく本腰を入れて受験に取り組む人も多いために、現役進学率を確実に押し下げているのだ。

自分の場合、あれが楽しい思い出か、つらい思い出かと問われば、迷うことなく「つらい思い出です」と答えるだろう。しかし、あってよかった思い出か、なくてもよかった思い出かと聞かれれば、それはあってよかった、というほうにマルをつける。

それは、この映画の印象に重なると思う。面白かった映画か、そうでもなかったか、と聞かれれば、「そうでもない」と感じる人はかなりいるだろう。しかし観てよかったか、観なくてもよかったか、と聞かれれば、それは観てよかった、が多数派になるような気がする。

それで、この映画は成功なのだ。思い出というのは、きっとそんなものだろうから。

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「夜のピクニック」公式WEBサイト
http://www.yorupic.com/

水戸第一高等学校のWEBサイト
http://www.mito1-h.ed.jp/

Wikipediaで「水戸第一高等学校」を検索する

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「夜のピクニック」地元舞台挨拶

先週、生まれて初めて映画の舞台あいさつというものを見学したのに(しかも2回)、今週も、また別の作品で舞台挨拶だ。

今度は「夜のピクニック」の地元あいさつ。上のエントリーにあるように、多少自分もかかわりのある題材なので、ひたちなかのTOHOシネマズまで遠征を決意。

15時半からの上映とのことだった。遠征と言ったって、現在住んでいる柏からは、車で2時間もあれば余裕の距離。きょうは大阪、明日は福岡、と全国四季劇場めぐりをしている自分にとっては、楽勝である。

という油断が、思いもかけないボウケンを招いた。

11時に家を出た。しかし、車のエンジンがかからない。またバッテリーが上がっている。今年はもう4回目だ。2カ月乗らなかったぐらいで上がってしまうとは、何という軟弱さだろう。ソニーの電池回収といい、日本の電池産業はいったい何をしているのだ。

しかし、これはおりこみ済み。だから早めに家を出たのだ。いつものようにJAFを呼ぶ。すると1時間かかるという。ちょっと厳しくなったが、まだ余裕はある。そのまま待機することに。

1時間10分かかっても作業車が来ない。また電話すると「あと20分」とのこと。これではいつ来るか分からないので、電車で行くことにしてJAFはキャンセル。わがまま会員だ。

だが、駅に行くと電車が動いていない。昨日の大雨の余波だ。携帯で運行状況をチェックしたとき、常磐線不通と出ていたが、早朝のアラートだったのでもう動いていると信じて疑わなかったのは失敗だった。

すでに12時半。復旧のめどは立っていない。電車は断念。そこでもう一度JAFに電話。「あと1時間かかります」。車も断念せざるを得ない。

これが仕事なら、この時点で諦める。だって不可抗力じゃん。しかし遊びである以上、手抜かりは許されない。それに今回は現地で高校時代の同級生、電機大手に勤めるK主任技師と落ち合う約束になっている。男の約束は簡単に破棄してはいけない。たかだか100キロ先のところに、2時間以内に行ければいいのだ。物理的に不可能ではない。

タクシー。これは金がかかりすぎる上、そのへんを走っている車に「ひたちなかまで」と告げたら乗車拒否されても文句は言えない。無線で呼べば手配できるだろうが、時間がかかってしまう。

さすがにあせってきた。ふと、「ブラック・ジャック」第17巻「助け合い」で、飛行機を使わずに半日で北海道まで行かなくてはならなくなった(東北新幹線もまだ走っていない時代)ブラック・ジャックを思い出した。

あのとき、ブラック・ジャックはどうしたっけ。

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そ れ だ!

もちろん大量の保証金で事実上買い上げるようなマネはしないが、柏駅前のニッポンレンタカーに飛び込むと、運良く1台すぐに乗れるという。

なんとか12時40分に出発。渋滞もなく、14時すぎには現地に着いて、「COCO’S」でお昼ご飯を食べることもできた。

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そうそう、舞台挨拶の話だった。

今回も、錦糸町TOHOシネマズ同様スポットライトはなし。しかも先週より暗くて、表情はだいぶ見えにくかったものの、売り出し中の多部未華子を間近で見られたのはよかった。デビュー当時の洞口依子を思わせる透明感のある女優だ。今後応援していこう。

それぞれのコメントは下記のとおり。

多部未華子(甲田貴子役)
「茨城のみなさんはロケのたびに本当に心温かく迎えていただけるので嬉しい。この作品では、夜のロケでみんなテンションが上がってきて、合唱したりしたのを思い出す。エキストラのみなさんが、休みの少ない厳しい日程の中で、すごいパワーを生んでくれた。これからも、茨城にはお世話になります」

石田卓也(西脇融役)
「この映画がいいと思ったら、ぜひ友達にも教えてあげてほしい。撮影ではつらいこともあったが、本当に高校に行ったような雰囲気が味わえて楽しかった。撮影に参加したエキストラのみなさんも、いくつかカップルが誕生したりしていたので、楽しんでいただけたのかもしれない」

長澤雅彦(監督)
「この映画は、茨城のみなさんに支えられて作った映画。そのうえこうして観に来ていただいて観劇している。エキストラとして参加いただいた方も、本当に元気に、いい表情をしてくれた。こんなに多くの人からパワーをもらって映画づくりができたのは初めてだ」

ちなみに、司会の人が「この中に水戸一高出身の方いらっしゃいますか?」と聞いたら自分を含め20人ほどが手を挙げた。イベント好きの校風は健在のようだ。

終了後、やはり同級生で水戸でITビジネスを手がけているU社長と合流。みんな自分と違って責任ある仕事と家庭を両立しており素晴らしい。どっちもできてない自分は、ほとんど人間失格だ。

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2006年10月 1日 (日)

松浦亜弥×石川梨華「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」(少しばれます)

非常にいい出来の映画である。

冒頭の、渋谷を舞台にした衝撃的なシーンから強制送還、脱出、拘留、スケバン刑事任命まで、息もつかせない展開で大いに引き込まれる。

「探偵物語」で有名な大ベテラン・丸山昇一の脚本には無駄がなく、その後もいいテンポで物語が進み、だれるところがない。どこまで自分の力で演出しているかは疑問ながらも、深作健太は自分なりに父親の作風を受け継ぎ、それをよりスピーディーに、そしてポップに繰り広げていこうとする姿勢が垣間見えて好感が持てる。

松浦亜弥の演技は期待どおり、100%役を飲み込み、そこに自分なりの解釈を加え、全く新しい麻宮サキ像をつくりあげた。石川梨華も、これは期待以上に悪役を見事にこなしている。もはやテレビ版第一部で「ゲームなんだよ!」の名セリフを残した河合その子を軽く越え(低すぎるハードルか?)、海槌麗巳を演じた高橋ひとみをも凌駕しているではないか。美勇伝の三好絵梨香、岡田唯もいじめられっ子を好演。竹内力はさすがの存在感で、映画全体を引き締めた。窪塚俊介も、あっちの世界に行ってしまった兄ほどではないにせよ、不可思議なオーラを放って映画全体の雰囲気づくりに貢献した。

アクションシーンもCGやワイヤーを駆使して意外なほどの迫力に仕上がっている。石川と松浦のタイマン勝負は、石川のセクシーなボンテージファッション(フィギュア化きぼう)とあいまって、目がスクリーンにクギづけだ。

スケバン刑事という作品へのリスペクトも忘れず、ヨーヨーやセーラー服といった記号はもちろん、時代錯誤の決めゼリフまでもきちんと折り込み、現代風にアレンジはされているものの、まがうことなきスケバン刑事、と映画になっている。また、原作の和田慎二がテレビ版第3部で「サキが自分のために闘っている」と激怒して、以来映像化の道が絶たれてしまったことに配慮してか、孤高ながらも友のために命を賭けて闘う麻宮サキ、という構図が明確に描かれていた。

そして言うまでもなく、斉藤由貴と長門裕之の出演は、旧作を愛してやまない自分のようなファンにとって、涙が出るほど嬉しい。しかもそれに頼り切らず、あくまで盛り上げ要素と割り切っているとことも高く評価できる。

とにかく、スケバン刑事テレビ版・劇場版のファンとしても、原作のファンとしても、単に映画ファンとしても、全く非のうちどころがない。なんくせつけようにも、最初の爆破シーンがちょっと合成しょぼかったとか、何で大谷雅恵なんだとか、些細なことしか思いつかない。お涙頂戴のぬるい恋愛映画一辺倒になっている日本映画界に活を入れるには十分な快作、いや傑作と言っていい。

だが、それでもなお、どうもこの作品には何かが欠けているような気がしてならない。それは主に旧作との比較によって感じられるものなので、この作品の評価に何ら影響するものではない。ここからはスケバン刑事ファンのつぶやきと思って(よろしければ)読んでいただきたい。

その足りないものは何か。旧作では、まだ新人の斉藤由貴や南野陽子といったアイドルが、演技もろくにできないのにアクションに挑み、その上時代錯誤の啖呵まで切らされる、というその姿に萌えていた(当時その言葉はなかったけど)という側面があり、そこをいくと松浦亜弥は既にアイドルとしては中堅以上であり、しかもどんな仕事も着実に成果を残すプロ根性の座った存在である。明らかに似つかわしくない仕事をけなげにこなしている、という感情はとうてい持てない。そういう足りなさはある。

また、上記のようにほとんどの面で及第点を取っているために、優等生的にまとまってしまい、原作者を激怒させてまで暴走して作ったテレビ版第三部のような、とんがった魅力に欠けている、ともいえる。

しかし最大の点は、この作品には「怒り」が感じられないという点ではないか。

テレビ版スケバン刑事は、田中秀夫ら、東映のテレビシリーズを長年支えた気鋭の職人たちが作り上げた作品である。しかし、彼らはみな、映画の世界にあこがれてそこに身を投じた人たちである。いつかは本編を、という気持ちは常にあっただろう。スケバン刑事には、彼らの映画へのあこがれが色濃くにじみ出ており、映画黄金期のさまざまな作品へ、多くのトリビュートがなされている。それは同時に、「なんで俺たちがアイドル主演のテレビ番組なんか作らなきゃいけないんだ」という怒りの裏返しでもある。

だが、第二部あたりからこのスケバン刑事をいう素材を生かして、単なるアイドル番組ではない、自分たちの作りたいものを作ってしまおう、という雰囲気が出てくる。原作とはどんどん離れていくが、その制作姿勢が「怒りをバネに、闘いを挑む」というサキのキャラクターに奇跡的に符号したことで、結果的にテレビ史に残る傑作を生んだのだ。それがいささか暴走したのが第三部で、これは映画ファンにはたまらない出来だったが、もはや「スケバン刑事」ではなかった。

今回の映画には、そうした怒りが感じられない。助監督経験もそこそこに、いきなり監督デビューしてしまった深作健太に、それは臨むべくもないだろう。もちろん、それを責めるつもりはない。

作品への評価が決まるのはこれからだが、世間の雰囲気としては、この往年の名作のリメイクを歓迎しているように思える。ビジネス的にみても、高校生当時にスケバン刑事を応援していた世代は、いま30代後半であり、一番カネを使いやすい世代になっており、追い風が吹いている。

そうなると続編の制作も十分ありうる話だと思うが、シリーズとして走り続けるためには、スケバン刑事を支えてきた大きな原動力である、「怒り」を取り戻せるかどうかが、カギではないか。

もっともこの歓迎ムードの中で、それは非常に厳しい注文かもしれない。ならば、また別の原動力を探すことだ。それが何かは、深作監督らに大いに悩んでもらいたい。

Yoyogirl

「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」のホームページ
(このURL、よく取れたなあ)
http://www.sukeban.jp/

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「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」初日舞台挨拶×2

9月30日(土) 11時30分

先週、歌舞伎町に朝5時半から並んで入手した、新宿トーアの初日舞台挨拶つき上映の回に入場。通路側の良席を確保だ。

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新宿トーアはいかにも新宿、というレトロさ満タンの映画館で、薄暗い中ピンスポットだけで行われた舞台あいさつはどこかアングラ劇場のようないかがわしさが漂い、なかなか味わいがある。

登場は松浦亜弥、石川梨華、三好絵梨香、岡田唯、深作健太監督。

気合いの入ったファンが狭い劇場内をぎっしりと埋め尽くし、いきなり客席のボルテージは最高潮だ。松浦は開口一番「今日ってファンクラブのイベントでしたっけ!?」と微妙なボケで応じ、さらにヒートアップする。

それぞれ緊張気味、特に深作監督が何を言っているのかわからないほどガチガチになっていたが、松浦の落ち着き払ったソツのないコメントで無事終了。

10分ほどで舞台あいさつが終了、上映となったが、映画は観ずに退出

映画を見ていると、このあとTOHOシネマズ錦糸町で行われる次の舞台あいさつに間に合わないからだ。

同日 14時

TOHOシネマズ錦糸町に入場。これは数日前にネット発売され、運良く入手できたものだ。

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TOHOシネマズ錦糸町は、錦糸町駅から5分ほどのところに出来たばかりのショッピングモール「オリナス」の中にある。

こちらはシネコンなので劇場内が明るく、ピンスポットなしで進行。照明が当たっていなくても、アイドルはやっぱりアイドルだ。

どうも気合いの入った連中は厚木の「モーニング娘。 コンサートツアー2006 秋 ~踊れ!モーニングカレー~」に移動したようで、こちらの会場はだいぶおとなしめ。出演者もやや慣れてきたようで、多少の掛け合いなども入りなごやかに進んだ。こちらも妙な空気になるとすかさず松浦が場を盛り上げ、大人の貫禄を示す。

以下、各出演者のコメントを適当にかいつまんで紹介。

松浦「ミニスカートはいつも履いているので長いスカートのほうがよかった。アクションシーンはスタントマン相手なら思う存分動き回れたが、石川や窪塚俊介相手のときは怪我をさせてはいけないと緊張した」

石川「相手が亜弥ちゃんでよかった。仕事で一緒だし、やりやすかったと思う。最初は悪役と聞いて『なんで?』と思ったが、監督から楽しんでやれと言われ、鏡で表情の練習をして臨んだ」

三好「演技そのものが初めてで、大変だった。寒いなか石川にいじめられているので、そこを観てほしい」

岡田「撮影期間内に高校を卒業し、スタッフに祝っていただいたのが嬉しかった。自分の関西弁もみどころのひとつだ」

深作「前二作は映画人として尊敬すべき先輩の仕事。それに負けないようにいいものを作りたかった。タイトなスケジュールの中でみんなよく頑張ってくれた。ぜひパート2も作りたい。石川さんのボンテージ姿は情熱的だった」

松浦まとめコメント「それぞれ松浦亜弥、美勇伝という存在を捨てて、私は麻宮サキという役になりきって取り組んだ。完成した作品を観たがとても面白い。展開が早いので瞬きもしないぐらいの勢いで観てほしい。この映画にはテロやネット犯罪、いじめといった今日的な問題も描かれている。ぜひ楽しむだけでなく、そこから何かを得てもらえれば」

松浦のコメントの、なんとしっかりしていることか。ますます実年齢が知りたいものだ。

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