映画「春の雪」
何というか、中途半端な作品である。
一般論として、原作と、それを映像化、舞台化したものとは別ものとして考えるべきだと思う。どんなに原作とかけ離れていようが、面白ければそれでいい、と自分は常々考えている。まして三島由紀夫である。それをどういう角度でとらえようと、どういう部分だけ切り出そうと、それが一流のものであるのが三島作品のすさまじいところだ。例えば「憂国」は、純粋に官能小説として読んだとしても、それは超一流の味わいなのである。
おそらくフジテレビやホリプロといった製作者は、韓流ドラマや「世界の中心で、愛を叫ぶ」といった、いわゆる「純愛」ものが受けているから、その流れでいっちょうブンガクでもやってやるか、というぐらいの感覚しかなかったのだと想像される。パンフレットの中で行定勲監督が語っているが、制作側からの注文は「清顕と聡子の恋愛映画を作ってくれ」という間抜けなものだったそうだ。
ならばいっそのこと、その言葉を逆手にとって、徹底的に激甘のメロドラマとして描いたとしても、それなりに面白くなったはずなのだ。しかし、さすがに現場のスタッフは、それではあんまりだと思ったのだろう。端々に「豊穣の海」のテーマへの考察や解釈をセリフや演出に織り交ぜてきた。それが結果的に実に中途半端な印象をこの映画に与えてしまった。
冒頭、綾倉伯爵と蓼科がよからぬ行為にふける向こうで、子供たちがかるた取りに興じている。しかしその子供たちの姿は、情欲に溺れる大人よりもはるかにエロチックである。このシーンには目を奪われた。この映画は、正面から三島作品に、「豊穣の海」に取り組もうとしている。思わず力が入った。ところがその後、青年に成長した清顕と聡子が出てくると、実に普通の恋愛ドラマになってしまう。最初からそうなら、そういうものとして観られたのだが、どうもちぐはぐで、座り心地が悪い。
そして最後まで、その居心地の悪さは直ることがなかった。何が悪いというわけではない。演出やカメラワークは素晴らしかったし、妻夫木聡や竹内結子の演技も良かった。ただただ、中途半端だった。実に残念である。
これを見て、久しぶりに新潮社が1988年に発売したカセットブック「学生との対話」を聞きたくなった。これは自分が生まれた年である昭和43年に、三島由紀夫が早稲田で講演したときの録音である。よく通る声で明快に語り、時に爆笑を誘い、学生の要領を得ない質問にも日本刀のような鋭い切れ味で返してくる。実に貴重な音源だ。しかし、現在我が家にはカセットテープを再生するハードウエアがない。こんど本家に寄ったときにでもデジタル化してこよう。
映画「春の雪」公式WEBサイト
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コメント
はじめまして。TBさせていただきましたのろと申します。本当に中途半端でしたね。聖域を侵された感が否めません。
投稿: のろ | 2005年11月 4日 (金) 17時28分
こんにちは。三島作品の中でも、特に強い思いを抱いている人の多い小説ですから、深く考えたら映画化なんてできっこないんでしょうが、それにしても少し簡単に作りすぎたかもしれません。
投稿: ヤボオ | 2005年11月 5日 (土) 00時01分