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2005年11月30日 (水)

三谷幸喜「12人の優しい日本人」プレビュー公演

言葉が出なかった。

観劇を終えて、その感想を表現できる言葉が見当たらなかった。

いや、これは感想なんていうほんわかしたものではない。

衝撃。

2時間5分にわたる、長い長い衝撃だ。

自分はそれだけの時間、ずっと笑っていた。そして笑いながら震えていたのだ。

極限まで精緻な計算を施した脚本は、開演から終演まで、一度たりとも静止することなく動き続ける舞台を、寸分の狂いもなく支えている。

そして常に舞台上に存在する12人の配置は、刻々と変わるそれぞれの心理状態を、ビジュアルに観客に伝え続ける。

舞台演劇というものは、そして喜劇というジャンルは、ここまで磨き上げることが可能なのか。

これはきっと、芸術とかいうものだ。至高の芸術。

これまで自分は芸術にはとんと縁がなかった。しかしこの「12人の優しい日本人」を観たその日、芸術を解する糸口を、ほんの少し掴んだような気がした。

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ロビーを埋め尽くした花、花、花。今年一番の話題作であることは言うまでもない。そして文句なく、圧倒的な差をつけて2005年のベスト・プレイに輝くだろう。襟を正して笑うべき、この奇跡のような作品を体験できたことに、ただただ感謝したい。

パルコ劇場のホームページ

http://www.parco-play.com/web/page/

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2005年11月28日 (月)

「スター・ウォーズ エピソードⅢ シスの復讐」DVD発売

そういえば、「スター・ウォーズ エピソードⅢ シスの復讐」をロードショーで観た時は先々行オールナイトというタイミングでもあったので、あまり詳しく感想をメモしておかなかった。DVD発売を機に、忘れないうちに書き留めておこう。

この作品で何が嬉しかったかといえば、冒頭の「背景説明」の最初のセンテンスが「War!」のひとことだったこと。公開時の字幕では「戦争激化!」とかになっていたが、いまいちムードが伝わらない。「戦争だア!(青島幸男調)」とか「戦争キター」とか「戦争、フォー!」とか訳すほうが正しい。要するに、まこと不謹慎ながら戦争が始まったことにわくわくしている気持ちが現れていなければいけない。ちなみにDVD版では日本語字幕が「戦争だ!」、日本語音声時の表示が「戦争勃発!」。

そもそも戦争映画というのは、戦争でカタルシスを感じさせるエンターテイメントだから、不謹慎なものだ。社会的、倫理的なテーマの色濃いリアルな戦争を描いた映画は、通常「戦争映画」とは言わない。逆に考えれば、その戦争にリアリティがないほど、より純粋な戦争映画ができあがる、とも言える。

そういう意味で、スター・ウォーズは、間違いなく戦争映画だ。何しろ「昔むかし、銀河のかなたで」行われた戦争である。リアリティーなんてひとかけらもない。戦争絵巻の中で繰り広げられる、血わき肉おどる冒険譚。それこそこのシリーズの本質ではないのか。「暗黒面」に代表される神話的な要素は、後付けされたものだと思う。

その神話的な要素も嫌いではないから、エピソードⅠ、Ⅱも十分に楽しかったことは確かだが、やはり物足りないのはスター・ウォーズらしい宇宙空間でのドッグ・ファイトが少なかったからだ。小学生のとき、映画館でこのシリーズに出会ってもっとも印象に残ったのはクライマックスのデス・スター攻略戦だったし、大学時代に東京ディズニーランドの「スター・ツアーズ」や「キャプテンEO」を体験して、やはりジョージ・ルーカスがやりたかったのはそこだったんだ、と再認識した。

今回のエピソードⅢでは、のっけから大空中戦である。こちらの欲求不満を見透かしたかのようなこの展開。ああルーカスは分かってくれていたんだ、と勝手に感謝した。

メインストーリーは、アナキン・スカイウォーカーの転落の物語であり、ダース・ベイダー誕生秘話だ。その評価については「転落が急すぎる」とか、賛否が分かれているようだが、その部分については、可もなく不可もなく、という感想である。一般的に予想されていたように、アミダラを失うことで暗黒面に堕ちる、というのではなく、それを失うのではないか、という恐れが暗黒面に導いた、というくだりは、いかにも神学的なアプローチだと感心したし、驚きもした。しかし、エピソードⅡの、実はクローン戦争をおっ始めたのがヨーダだった、というほどのびっくり仰天ではなかった。

最後、エピソードⅣにどうつなげていくのか、という部分についても、おおよその予想を覆すものではなかった。しかし、ここはある意味でファン・サービスに満ちあふれたものになっており、ここでもルーカスに感謝だ。ベイル・オーガナがC-3POの記憶消去を命じる宇宙船の廊下はエピソード4の最初のダース・ベイダー急襲のシーンに登場するそれだし、ラーズ夫妻がルークを抱いて眺めるタトゥイーンの空には、かつて、いや後にルークが目にするのと同じように、2つの太陽が輝いている。

そこで悪のりして、過剰なファン・サービスに走らなかったのも、ルーカスらしいといえばルーカスらしい。自分だったら、間違いなくこれでもかとエピソード4につながるシーンづくりに走ったところだろう。ラストシーンはこうだ。レイアの船を襲撃するダース・ベイダー。横付けして、壁を破壊し、「行くぞ」とストームトルーパーを率いて颯爽と乗り込んでいくさまを、帝国軍側から描くのだ。

などと勝手な想像ができるのも、このシリーズの魅力。どこかの国ではアンケートの「宗教」という覧に「ジェダイ」と書く人の割合が一定のパーセントを取ったそうだが、そうありがたがる存在ではなく、これからも身近な馬鹿映画であってほしいと思う。これからも?そう、エピソードⅦ~Ⅸだ。ルーカスは「作らない」と言っているが、これだけのドル箱を商売にさといハリウッドが見逃すはずもない。Ⅰ~Ⅲがやや暗いタッチだっただけに、新作は大いに明るい、ど派手なドンパチ映画になることを期待したい。

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ココログがヘン

ココログがヘンである。

特定のエントリーにコメントが入らなくなっていたので、それを直すためにエントリーをコピーしてコメントを移転したりしたため、いただいたコメントの日付がずれていたりしています。申し訳ありません。

しかし相変わらず管理画面の操作が重く、作業に時間がかかるのは何とかならないものか。

ヘンといえば、新たに始まった「フリー版」が有料版より高機能なのはこりゃまたいったいどういうわけだ。世の中間違っとるよ~♪。

先日の大規模なメンテナンスも、既存ユーザーのためではなかったようだ。

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2005年11月23日 (水)

ウルトラセブン12話「遊星より愛をこめて」

休日だが、あいかわらず体調悪く引きこもり生活。なのでヒッキーにふさわしいネタをひとつ。

11月8日に発売された「FLASH」11月22日号に興味深い記事があった。

「総力ルポ! なぜ『スペル星人』は放送禁止になった? 闇に葬られたウルトラ怪獣を追え!」

というもの。

見出しから分かるように、ウルトラセブンの欠番、再放送もDVD化もされず、一切の書籍からもそのタイトルすら消されている「第12話」に関するものである。

セブン12話「遊星より愛をこめて」については、これまでも何回かマスコミに取り上げられている。それ自体珍しくもなく、いつもならスルーするところだが、ちょうど先月、このブログにもコメントをいただいている如兄氏やこのへんの人のおかげで、その比較的高画質な映像を見ることができたばかりだった。奇遇に感じて読んでみたところ、総力ルポの名に恥じない渾身の一遍である。

セブン12話騒動のてんまつについては、多くのサイトやブログでも紹介されているので検索すればいくらでも出てくるが、簡単にまとめるとこうである。「遊星より愛をこめて」は、スペル星という星に住む宇宙人が、超兵器「スペリウム爆弾」の度重なる実験のため放射能で血液を侵され、新鮮な血を求めて地球攻略を謀るという話だ。放送されたのは1967年12月17日。その時には特に問題にならなかったが、1970年10月に発売された「小学二年生」のふろくの怪獣カードに、「スペル星人(ひばくせい人)」という記述があった。これが原爆被害者支援活動を行っていたジャーナリストの中島竜美氏の娘(当時中学生)の目にとまった。女子中学生は父親に相談。中島氏を中心に抗議活動が広がり、円谷プロは同作の封印を決めたーー。これが、今までの自分の理解だった。

ところが、このルポを読むと真相は少し違ったようだ。中島氏は娘からそのカードを見せられ、子供向けの雑誌にこれはない、と考え小学館に抗議の手紙を送った。抗議運動を始めたわけではない。だが中島氏が、自分が参加していた「原爆文献を読む会」のメンバーにこのことを話したところ、それが朝日新聞の記者に伝わり、朝日が「被爆者の怪獣マンガ」という記事を掲載した。これが発端となって全国の被爆者団体などから、小学館ほかの出版社と円谷プロに対する抗議運動が広がったのだそうだ。

記事は、この騒動の特殊性が放送内容そのものでなく、それを二次利用した著作物によって引き起こされた点にあると指摘している。そもそも、この作品はそこまでされるほど問題のある内容なのか。

記事はその点についても切り込んでいる。原水禁(原水爆禁止日本国民会議)、原水協(原水爆禁止日本協議会)、そして被爆経験のある女性にコメントを求めており、原水禁の担当者が「内容的に特に問題があるとも思えないが、被爆者自身がどう思うかが重要。経緯を説明した上で、番組の公開をすることは可能では」としている。原水協の担当者は番組を観ておらず、その上で「被爆者を冒涜するようなことは許せない」と述べたそうだ。そして被爆を経験した80歳の女性は「内容は問題ない。地球人と宇宙人が仲良くなれたらというラストシーンは印象的」と話している。

そしてこの記事の目玉は、抗議の“発端”となった中島竜美と、12話の脚本を担当した佐々木守氏の対談である。中島氏は、12話の内容にやはり問題点があることを指摘しつつも、「番組を見ずに抗議の手紙を送ったことは問題だった」「表現の自由を潰してしまったという思いがある。簡単に存在をなくすことは怖いことだ」と語っている。まこと失礼ながら、中島氏が存命であることにも驚いたが、その発言内容は衝撃的だった。自分もウルトラセブンのファンとして、氏を敵のように考えていたので、申し訳ない気持ちになった。

記事は、「抗議されるのが面倒」とばかりに作品をなきものにしてしまった円谷プロと、大げさに記事を書き立てた新聞社の無責任さに大きな問題があることを主張して結んでいる。やや「作品は公開されるべき」「大新聞は悪」というバイアスがかかっているきらいはあるが、実に読み応えのある内容だった。

さて、自分は12話についてどう考えているか。

自分の場合、中学生のときにウルトラセブンのムックを読んでいて(←すでに痛い人になりかけ)12話の欠番に気付き、疑問に思っていたが、そういう騒動があったことすら知らなかった。高校でその道の詳しい人たちに出会い(←かなり痛くなってきた時期)、そのタイトルや騒動について知った。大学でかなりディープなダークサイドの住人からそのビデオを借り(←ほぼ完成形)、映像を観ることができた。

内容的に、やはりいくつか問題はある。スペル星人の造型には、ケロイド状の皮膚のただれが表現されており、原爆被害者ならずともそれを見て不快に感じる人は多いだろう。

だが、基本的にはこの作品は核兵器の脅威を描きつつ、信頼の大切さを訴えかける内容であり、有害なものではない。むろん原爆被害者を侮辱しているわけではない。ただ、その描き方において、小学館の謝罪にもあるように「配慮が足りなかった」の一言に尽きるだろう。

その罪は、「万死に値する」ほどのものではない。地上波での放送ができないとしても、DVDや、CS、CATVでの放送は差し支えないのではないか。

少し日和ってはいるが、それがこの問題に対する自分のスタンスである。

また、「放送禁止」であるがゆえにこの作品を神格化し、「名作」と主張する声もあるがそれには疑問だ。確かに「ウルトラマン」のヒロインである桜井浩子が出演していることから見ても、それなりに力の入った作品であることは確かだろう。同じ原水爆を扱ったウルトラセブンのエピソードでも、第26話「超兵器R1号」(地球が無人だと思って新型ミサイルを撃ち込んだら実はそこには生物がおり、その生き残りが地球に復讐にやってくる、という物語)に比べれば、核の問題を前面に出さず、あくまでラブストーリーの中にそうした教訓を織り込んだこの作品のほうが、より高度であるとも言える。しかし、当時油の乗りすぎていた実相寺昭雄の演出は、逆光やアップの多用、物陰から盗撮したようなカメラワークなど、キテレツすぎて視聴者を置き去りにしている。ファンとしての評価をすれば、力作ではあるが名作ではない、といったところだ。

いずれにしても、この問題はいずれ解決されるような気がしている。すでにエンターテインメントの主役は、「自主規制」の呪縛から逃れられない地上波テレビから、CSやCATV、そしてネットへと移りつつあるからだ。円谷プロが頑なな姿勢を貫いているのも、いまだ地上波のおかげで生き続けているという事実があるからだろう。その体質が変わったとき、この問題は自然に解決するはずだ。そして、円谷プロがかつての作品の劣化コピーではない、全く新たなコンテンツを生み出す日を、われわれファンは願ってやまない。

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光文社「フラッシュ」のサイト
http://www.kobunsha.com/CGI/magazine/hyoji.cgi?sw=index&id=007&date=20051108

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2005年11月20日 (日)

Berryz工房「ギャグ100回分愛してください」

きょうは良く晴れた日曜だったが、体調がすこぶる悪いので、家でおとなしくしていた。

朝から「交響詩篇 エウレカセブン」「魔法戦隊マジレンジャー」「仮面ライダー響鬼」「ふたりはプリキュアMax Heart」などを視聴し、大人の休日を過ごす。

ふたりはプリキュアといえば、冬休み映画「ふたりはプリキュアMax Heart2 ~雪空のともだち~」のテーマ曲である、Berryz工房の新曲「ギャグ100回分愛してください」が、ハロー!モーニングのスタジオライブで公開された。

石村舞波が卒業し、7人体制となったBerryz工房。どのようなフォーメーションで来るのかと注目していたところ、驚きの嗣永桃子1トップである。

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あまりに嗣永ばかり写すので、いったい何秒ぐらい1ショットで出ているかストップウォッチで計測したところ、実に36秒にも及んだ。ついでにほかのメンバーの秒数も計り、グラフにしてみた。いかに今回の嗣永が突出しているかお分かりいただけるかと思う。

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参考までにこの前の局、「21時までのシンデレラ」も、同様に8人全員の1ショット秒数を計ってみた。

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この時は、菅谷、嗣永、夏焼、熊井と、それ以外のメンバーがあまりにも差がありすぎて、これじゃ辞めたくなる奴が出てきてもおかしくないな、と思ったら本当に1人辞めてしまったのだ。

まあ要するに何だ、人間暇を持て余すとろくなことに時間を使わないという教訓である。

ハロー!モーニングのHP

http://www.tv-tokyo.co.jp/haromoni/

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2005年11月13日 (日)

山崎貴「ALWAYS 三丁目の夕日」(ばれます)

堀北真希見たさに映画館に足を運ぶ。「ジュブナイル」「リターナー」などを監督し、東宝・円谷プロ系とも、樋口真嗣らのグループとも違う、独自の特撮映画監督として名を馳せている山崎貴が、VFXによる昭和30年代の再現に挑んだのが「ALWAYS 三丁目の夕日」だ。

「少林サッカー」を観たとき、ハリウッド映画ではもっぱらスペクタクルの演出に使われるCGが、香港映画では馬鹿馬鹿しさを増幅するための演出に使われていたのに衝撃を受けた。同じ映像技術でも、使い方は無限にあるものだ。では日本映画なら、これを何に使えるだろう?とも考えた。

その疑問に対するひとつの答えが、この映画だ。そう遠くない過去の、限られた時間の中にしか存在しなかった町並みをCGで再現する、というのは、都市の様変わりが急速に起こる日本では不可欠の手法になるかもしれない。

今回、その技術は見事に目的を達成していた。路面電車が行き交う表通りのシーンなどは、どう見ても巨大なオープンセットだが、実際にはCGで合成されたものだという。

CGだけでなく、ミニチュアやモーションコントロールカメラを使った合成など、多くの技術を巧みに組み合わせて次々に展開する映像には力がある。2時間13分という長編だが、全く飽きさせないのはこの映像の力によるところが大きい。CGや合成は人工的な感じがして嫌い、という人も多いだろうが、この監督には素材をそのまま出すのではなく、あえて一手間加えることでうまさを創造すようとする、江戸前寿司職人の心意気を感じる。ぜひ食わず嫌いにならずに味わってみてほしい。

脚本や演出はやや平凡という気もするが、監督の「キャスティングができた時点で、今回の演出の仕事はある程度終わり」という言葉どおり、堤真一や薬師丸ひろ子、三浦友和といった主役をはじめ、芸達者な役者をきら星のごとく顔をそろえ、見事な演技を披露しているため、あのぐらいでちょうど良かったのかもしれない。

西岸良平の原作とはだいぶキャラクターなどの設定を変えているが、あのマンガが持つ世界観は、うまく伝えていたように思う。それは、単に町並みのことだけではない。マンガ「三町目の夕日」は、懐かしさの中に、どこか悲しさ、さびしさを漂わせているのがポイントだ。

この映画のラストシーンも、実に美しく、そして悲しい。竜之介(吉岡秀隆)は、またヒロミ(小雪)の作ったカレーを食べられるさ、と淳之介に明るく言うが、その内心ではもうヒロミとは会えないのだ、と知っている。完成した東京タワーごしに夕日を眺めて、まだ小学生の一平は「50年先だって夕日はずっときれいだよ」と言うが、その父親(堤真一)は、これから東京は空を失っていくのだと予期している。

監督は「まず、団塊の世代の人に懐かしい、と思ってもらうことをクリアしなければ、この映画は成立しない」と語っている。その言葉は読み方を変えれば「懐かしさだけの映画ではない」という意味にもとれる。その懐かしさの先に何を感じさせるか、がこの映画の真価であることを忘れてはいけないだろう。そうした視点から言っても、なかなかの秀作である。

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ALWAYS 三丁目の夕日のWEBサイト

http://www.always3.jp/

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信州手打蕎麦 玉川

どうせなら三食麺で行こう、と馬鹿なことを考え、夜は北柏の自宅から歩いて2分のそば屋「玉川」へ行く。

柏のそば屋というと「竹やぶ」が全国的に有名だが、個人的にはあまりいい印象がない。むしろこの玉川のほうが(近いこともあり)好きな店だ。

玉川は長野県の渋温泉に本店があり、北柏と、茨城の守谷に支店がある。洗練されたそばではないが、一生懸命手打ちしたという雰囲気の漂う、暖かみのあるそばだ。昔、田舎で祖父が打ってくれたそばがこんな味だった。つゆは、もう少し辛いほうがいいんじゃないかな、というぐらい薄味だ。

今回は、寒かったので鍋焼きうどんを注文。

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しかし普段注文しているのは、もっぱら「辛大根そば」だ。辛味大根といえば京都近辺で栽培されている野菜というイメージがあるが、最近は京都の農家でこれを栽培している農家はほとんどないらしい。「美味しんぼ」23巻の「薬味探訪」では、京都市内の老舗そば屋「晦庵河道屋」だけに卸している1軒だけ、と紹介している。となると、他の地域で生産された同種の野菜は、厳密には「辛味大根」ではないということか。この店が「辛味大根そば」と書かずに「辛大根そば」と書いているのもそのあたりの事情かもしれない。

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ともあれ、この辛大根そばは実にうまい。容赦なく辛い大根おろしに、挽きぐるみの腰の強いそばがぴたりと合う。何度食べても飽きないメニューだ。

ところで、その美味しんぼ「薬味探訪」には、辛味大根と並んでもう1つの薬味が紹介されている。「暮坪カブ」だ。辛味大根は大根でありながらカブのように丸い形状なのに対し、この岩手県遠野で栽培されている暮坪カブは、カブでありながら大根のように長細い。

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その暮坪カブとやらも一度食してみたいものだ、と思っていたが、今年の夏、この店は辛大根そばに変えて「暮坪おろしそば」を出した。どうやら、ここの店主は美味しんぼの読者らしい。

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カブの実物も店内に展示されていた。

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食べてみると、なるほどカブで、土くさい味が印象的だ。大根のように汁気がないので、おろすとややパサパサする感じではある。辛さは強く、そばの薬味としては申し分ない。

もう暮坪カブの提供は終わってしまったので、残念ながら食べ比べはできないが、柏に来ることがあればぜひ立ち寄っていただきたい一軒である。

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中華料理「パミールチャチャ」

関やどのそばはうまかったが、やはりちょっとボリュームに欠ける。なのでそれは朝ごはんということにして、引き続き昼ごはんにした。訪れたのは駅からすぐの中華料理店「パミールチャチャ」だ。

今回はチャーシュー麺(800円)を注文。ここのラーメンは、麺がうまいので気にいっている。その塩味の効いた麺に、あっさりとしたしょう油味のスープと、やわらかくてこくのあるチャーシュー。バランスが非常にいい。

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近年ラーメン界はスープ偏重の傾向だが、これには大いに疑問だ。やはりラーメンという料理は、麺のうまさ、小麦のうまさを味あわせる料理だろう。そのためのスープである。

さすがにお腹いっぱいになって店を出る。

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そば処 関やど

松戸は今ひとつ自慢できる食べ物屋さんが少ない。その数少ない中のひとつが、「そば処 関やど」である。常連客も多い有名店だ。

駅から歩いて3分ほど。店構えはご覧の通りの立派な造りだ。

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店内に入ると、中庭も見える。

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ここはそばは風味が生きており、つゆも辛めの味で気がきいている。きょうは鴨せいろの大盛りを注文(1260円)。久しぶりだったが、変わらぬ味でうまかった。

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なお近くには「天丼 関宿屋」もある。こちらもおすすめだ。

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マリンちゃん、松戸に降臨

ドライブがてら、埼玉県羽生市の「ハロ☆プロ パーティ~!2005 ~松浦亜弥キャプテン公演NEO~」に行こうと思ったが、朝起きたらあまりに寒いので断念。

代わりに松戸のパチンコ店で行われるミスマリンちゃんイベントに参加することにした。

来店したのは2003年のマリンちゃんを探せオーディションで準ミスになった三宅梢子と阪本麻美。三宅は12代目ミニスカポリスメンバーだ。このイベントは全国のパチンコ店で開催されており、近くに来たら三宅梢子を見に行こうと思ってスケジュールを小まめにチェックしていたものだが、最近はそれを怠っていて、松戸で実施されるのは知らなかった。たまたまきのう会社帰りに松戸でごはんを食べようと途中下車して、看板でその開催を知った。

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イベントは開店前の9時から始まるというので8時40分ごろ店に到着。すでにマリンちゃん目当ての客が20人ほど、イベントで設定が甘くなることを見越した一般のパチンコ愛好者が20人ほど並んでいた。9時を回ってマリンちゃん登場。まずポラロイドカメラによる記念撮影会、続いてサイン会が行われる。もちろん色紙は持参した。だんだん自分もグラビアアイドルのイベントに慣れてきた。ソーデンジャラス。ここで開店となり、マリンちゃんルックで2人が入場者を迎え入れる。

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三宅梢子が独特の声で「ご遊技開始でございまーす!と宣言して一斉にプレイがスタート。さすがに無料で写真やサインをもらっておいて、そのまま帰るのも礼を失するので、自分も「大海物語」の台に座る。最近はめったにパチンコ店にも出入りしていない。大海物語だけは三宅梢子見たさに何回かトライしたが、一度も当たったことがないので、今回も早々に引き上げようと考えていた。

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しかし、4500円ほど投入したところで大当たり。しかも確変。大海物語は1回ループだが、その後2回も確変で当たった。かなりいい気持ちでいると、サンタ姿の阪本麻美がドリンクサービスをしている。「当たりましたね!」と声をかけられ、最高にいい気分に。

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4回目に通常大当たりが出たのでそこで終了。コアなパチンコファンならそこからが勝負だろうが、パチンコ店のあの空気に長時間は耐えられないので退散する。

相当キモチよくなって店を出たのは、まだ11時すぎだった。久しぶりに松戸で昼ごはんを食べることにする。

きょうのおみやげ

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サイン色紙2枚、ポラロイド写真(サイン入り)。

また一歩、梁山泊に近づいた。

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2005年11月 6日 (日)

本田美奈子さん、死去

日本の演劇界にとって、とてつもない喪失。自分自身にとっても、あまりにも悲しい出来事だ。

本田美奈子が、38歳でこの世を去った。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051106-00000071-kyodo-ent

本田は「ミス・サイゴン」以来、ミュージカル女優としての地位を確立し、多くの舞台に立った。彼女が「レ・ミゼラブル」で演じたエポニーヌが、自分は好きだった。その声量も素晴らしかったが、薄幸ながら強く生きるエポニーヌを、けなげに、可愛らしく演じていた。今年はファンティーヌを演じると聞いて楽しみにしていたのだが、その公開前に病に倒れてしまった。

今年の「レ・ミゼラブル」公演で、帝劇にはファンが彼女への応援メッセージを書き込むためのボードが用意された。すぐに一杯になってしまうので、何回も新しいボードに差し替えられた。自分も「ファンティーヌ姿を楽しみにしています」と、ぐりぐりと大きく書いてきた。公演終盤では、彼女からの返信メッセージが拡大コピーして掲示されていた。内容も、文字も元気に満ちていて、これならきっといつかまた舞台に立ってくれる、と信じていたのに、ファンティーヌ姿を我々に披露する機会は、ついに訪れなかった。

エポニーヌは、マリウスの手の中で息絶えるまで、ずっと笑顔で歌い続ける。

 大丈夫 ムッシュ・マリウス 痛くないわ
 静かな雨も つらくないわ
 マリウス これでいいの
 安らかだわ いつも雨は 花を育てるわ

 何も言わないで 抱いてほしい

 雨は過去を洗い流すでしょう
 安らかだわ
 いてねそばに 抱かれて眠るわ
 めぐり逢えた この雨
 雲は晴れて安らか 遠い道のりをたどり着いた

 大丈夫 ムッシュ・マリウス 痛くないわ
 恵みの雨 つらくないわ

 これでいいの
 安らかだわ
 そして 雨は
 花…
 花 そだ…て…

この雨で、私たちはどんな花を育てればいいというのだろう。すべての演劇にたずさわる人、それを楽しむ人へ残されたこのメッセージは、あまりにも重く、そして深い。

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劇団四季強化月間

「異国の丘」のあと、実は4本も四季の舞台を観ている。初見の作品はないので、まとめて感想をメモしておく。

 

「マンマ・ミーア!」

早水小夜子ドナ×吉沢梨絵ソフィ×鈴木涼太スカイ。

早水ドナはこの2カ月ほどで相当良くなった気がする。最初の青い衣装はまだちょっと違和感があるが、それ意外の服装は「決まっている」感じだ。歌も、情感があふれていて心に響く。保坂ドナと双璧、と言われる日も近いのではないか。

吉沢ソフィ、実は初見。かねてよりソフィは吉沢がいちばん、という評価も聞いていたが、なるほど納得。やはりコメディエンヌとしての才能は確かだ。だが一方で、ソフィがこんなに風格があるのもどうなのかな、とも感じた。個人的には、ソフィには透明感のあるイメージが強い。このあたりは観る側の好みの問題だろう。樋口麻美ソフィ、木村花代ソフィ、五十嵐可絵ソフィ、そして吉沢梨絵ソフィ。4人それぞれカラーが違っていて楽しい。だから無理に全員に横はねヘアーを強要するのはやめれ。

涼太スカイ、いいですねえ。いかにも証券会社を辞めて島に流れてきた雰囲気だ。阿久津陽一郎スカイも観たことがあるが、どうも本島で悪さをして、島に身を隠している雰囲気だった。

ロビーの写真に、吉沢ソフィ、八田亜哉香アリ、五十嵐可絵リサという組み合わせがあった。考えてみれば、ちょっとした贅沢なキャストだ。と思ったら自分の観た次の週から可絵ちゃんリサ復活。八田さんのバベットも観に行きたいぞ!

 

「アイーダ」

井上智恵アイーダ×シルビア・グラブ アムネリス×阿久津陽一郎ラダメス。

うーむ、 井上アイーダいいじゃないか!前回観たときはヘンなメイクばかりに気をとられていたが、今回はその稟とした立ち居振る舞いと、自信に満ちあふれた歌声が実に印象的で、非常に魅力的なアイーダだった。こりゃラダメス将軍も惚れるわい。

前回観たときは、まだ井上に迷いがあったのかもしれない。成り上がり者の「エビータ」とは正反対の、生まれながらの王女をどう演じればいいのか。しかし、今回は何かふっきれた感じだった。たとえ正解ではなくても、とりあえず力一杯演じよう、という姿勢が前面に出ていた。「もっと歌に強弱をつけたほうが…」という意見もあるだろうが、そのひたむきさこそ井上智恵の最大の持ち味である。女優の魅力を引き出すことが、結果的にキャラクターの魅力を増すことになるのだと再認識した。

シルビア・グラブは相変わらず素晴らしい。ファンティーヌ姿を見に「レ・ミゼラブル」遠征も考えなくては。

この2人が良かったおかげで、阿久津陽一郎も良くなったように思えた。おそらく3人のバランスが良いのだろう。

まとまりと迫力のある、いい公演だった。他のディズニー作品に比べ地味で、ニューヨークでも苦戦している作品だが、このレベルを保てれば日本で今後も再演を続けられるのではないか。

この日メレブを演じていたのは有賀光一。腹に一物ありそうな中嶋徹に比べて、情けなさ炸裂の雰囲気がグッド。きっとあのあと、霊界空港で何年もボランティア活動を強いられているに違いない。

 

「ライオンキング」

待望の名古屋弁バージョン。野中万寿夫スカーのおまけつき。

野中スカーはいい。最初に下村スカーを観たとき、これは決定版だな、と思ったのだが、そのあと野中スカーを観て、本来のスカーはこういうキャラクターなのかもしれないな、と感じた記憶がある。もちろん下村スカーも大好きだが。

さて名古屋弁だが、容赦なく名古屋弁だった。

「りゃーおんじゃにゃーきゃ」「しんぴゃーにゃーて!」

何を言っているか分からない。

日本で、日本人が、日本語で演じている芝居なのに、セリフが理解できない。新鮮な感覚だった。

 

「オペラ座の怪人」

数年ぶりの村俊英ファントム。あれ? 村ファントムを観るのは何年ぶりだろう。おそらく、98年の名古屋公演以来だ。村ファントムは確かに見た目は中年の「おやじファントム」だけれど、内面からは強烈な男らしさを感じさせる、硬派な「おとこファントム」でもある。高井治のファントムが、中性的な妖しさを漂わせるのと対称的だ。山口祐一郎のファントムが少年ジャンプなら、今井清隆のファントムは少年マガジン。高井治のファントムは少年サンデーで、村俊英のファントムはもちろん少年チャンピオンだ。

最近、クリスティーヌ役が新たに二人誕生した。高木美果と苫田亜沙子である。この日、苫田クリスを初めて見た。この人の歌声は、個人的にクリスティーヌにぴったりのように思える。うっとりするほどの美声だ。まだ表現力という点では見劣りするのも否めないが、今後が楽しみ。ビジュアル的には、2ちゃんねるで「ちちクリス」と言われているように、肉感的なクリスティーヌである。

北澤裕輔ラウルも初見。雰囲気としてはばっちりなのでは。演技があまりに平板だとは思うが、まあラウル役だから雰囲気重視でいいのではないか。

しばらく、ラウル×クリスティーヌはフレッシュな組み合わせでお願いしたい。もちろん、新ファントムの登場にも期待している。

ところで、自分はこの作品のカルロッタというキャラクターが大好きだ。「プリマドンナ」のシーンは思わず一緒に歌いたくなってしまう。2幕で、なぜピアンジは殺されたのに、カルロッタは殺されなかったか。それは、カルロッタは怪人の指示どおり「演技をまじめに」やっていたからだと考えている。「せめてやせてくれなくては…」という注文を守れなかったピアンジは悲惨なことに。…明日からダイエットしよう。

 

「役者ではなく、作品を観ろ」と怒られそうな感想ばかりになってしまった。しかし、俳優の個性が感じられない舞台など、観ても面白くはないだろう。劇場リピーターが求めているものと、東京ディズニーリゾートのリピーターが求めているものは、根本的に違うということに気付いてほしいものだ。

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2005年11月 2日 (水)

映画「春の雪」

何というか、中途半端な作品である。

一般論として、原作と、それを映像化、舞台化したものとは別ものとして考えるべきだと思う。どんなに原作とかけ離れていようが、面白ければそれでいい、と自分は常々考えている。まして三島由紀夫である。それをどういう角度でとらえようと、どういう部分だけ切り出そうと、それが一流のものであるのが三島作品のすさまじいところだ。例えば「憂国」は、純粋に官能小説として読んだとしても、それは超一流の味わいなのである。

おそらくフジテレビやホリプロといった製作者は、韓流ドラマや「世界の中心で、愛を叫ぶ」といった、いわゆる「純愛」ものが受けているから、その流れでいっちょうブンガクでもやってやるか、というぐらいの感覚しかなかったのだと想像される。パンフレットの中で行定勲監督が語っているが、制作側からの注文は「清顕と聡子の恋愛映画を作ってくれ」という間抜けなものだったそうだ。

ならばいっそのこと、その言葉を逆手にとって、徹底的に激甘のメロドラマとして描いたとしても、それなりに面白くなったはずなのだ。しかし、さすがに現場のスタッフは、それではあんまりだと思ったのだろう。端々に「豊穣の海」のテーマへの考察や解釈をセリフや演出に織り交ぜてきた。それが結果的に実に中途半端な印象をこの映画に与えてしまった。

冒頭、綾倉伯爵と蓼科がよからぬ行為にふける向こうで、子供たちがかるた取りに興じている。しかしその子供たちの姿は、情欲に溺れる大人よりもはるかにエロチックである。このシーンには目を奪われた。この映画は、正面から三島作品に、「豊穣の海」に取り組もうとしている。思わず力が入った。ところがその後、青年に成長した清顕と聡子が出てくると、実に普通の恋愛ドラマになってしまう。最初からそうなら、そういうものとして観られたのだが、どうもちぐはぐで、座り心地が悪い。

そして最後まで、その居心地の悪さは直ることがなかった。何が悪いというわけではない。演出やカメラワークは素晴らしかったし、妻夫木聡や竹内結子の演技も良かった。ただただ、中途半端だった。実に残念である。

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これを見て、久しぶりに新潮社が1988年に発売したカセットブック「学生との対話」を聞きたくなった。これは自分が生まれた年である昭和43年に、三島由紀夫が早稲田で講演したときの録音である。よく通る声で明快に語り、時に爆笑を誘い、学生の要領を得ない質問にも日本刀のような鋭い切れ味で返してくる。実に貴重な音源だ。しかし、現在我が家にはカセットテープを再生するハードウエアがない。こんど本家に寄ったときにでもデジタル化してこよう。

映画「春の雪」公式WEBサイト

http://harunoyuki.jp/

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