ウルトラセブン12話「遊星より愛をこめて」
休日だが、あいかわらず体調悪く引きこもり生活。なのでヒッキーにふさわしいネタをひとつ。
11月8日に発売された「FLASH」11月22日号に興味深い記事があった。
「総力ルポ! なぜ『スペル星人』は放送禁止になった? 闇に葬られたウルトラ怪獣を追え!」
というもの。
見出しから分かるように、ウルトラセブンの欠番、再放送もDVD化もされず、一切の書籍からもそのタイトルすら消されている「第12話」に関するものである。
セブン12話「遊星より愛をこめて」については、これまでも何回かマスコミに取り上げられている。それ自体珍しくもなく、いつもならスルーするところだが、ちょうど先月、このブログにもコメントをいただいている如兄氏やこのへんの人のおかげで、その比較的高画質な映像を見ることができたばかりだった。奇遇に感じて読んでみたところ、総力ルポの名に恥じない渾身の一遍である。
セブン12話騒動のてんまつについては、多くのサイトやブログでも紹介されているので検索すればいくらでも出てくるが、簡単にまとめるとこうである。「遊星より愛をこめて」は、スペル星という星に住む宇宙人が、超兵器「スペリウム爆弾」の度重なる実験のため放射能で血液を侵され、新鮮な血を求めて地球攻略を謀るという話だ。放送されたのは1967年12月17日。その時には特に問題にならなかったが、1970年10月に発売された「小学二年生」のふろくの怪獣カードに、「スペル星人(ひばくせい人)」という記述があった。これが原爆被害者支援活動を行っていたジャーナリストの中島竜美氏の娘(当時中学生)の目にとまった。女子中学生は父親に相談。中島氏を中心に抗議活動が広がり、円谷プロは同作の封印を決めたーー。これが、今までの自分の理解だった。
ところが、このルポを読むと真相は少し違ったようだ。中島氏は娘からそのカードを見せられ、子供向けの雑誌にこれはない、と考え小学館に抗議の手紙を送った。抗議運動を始めたわけではない。だが中島氏が、自分が参加していた「原爆文献を読む会」のメンバーにこのことを話したところ、それが朝日新聞の記者に伝わり、朝日が「被爆者の怪獣マンガ」という記事を掲載した。これが発端となって全国の被爆者団体などから、小学館ほかの出版社と円谷プロに対する抗議運動が広がったのだそうだ。
記事は、この騒動の特殊性が放送内容そのものでなく、それを二次利用した著作物によって引き起こされた点にあると指摘している。そもそも、この作品はそこまでされるほど問題のある内容なのか。
記事はその点についても切り込んでいる。原水禁(原水爆禁止日本国民会議)、原水協(原水爆禁止日本協議会)、そして被爆経験のある女性にコメントを求めており、原水禁の担当者が「内容的に特に問題があるとも思えないが、被爆者自身がどう思うかが重要。経緯を説明した上で、番組の公開をすることは可能では」としている。原水協の担当者は番組を観ておらず、その上で「被爆者を冒涜するようなことは許せない」と述べたそうだ。そして被爆を経験した80歳の女性は「内容は問題ない。地球人と宇宙人が仲良くなれたらというラストシーンは印象的」と話している。
そしてこの記事の目玉は、抗議の“発端”となった中島竜美と、12話の脚本を担当した佐々木守氏の対談である。中島氏は、12話の内容にやはり問題点があることを指摘しつつも、「番組を見ずに抗議の手紙を送ったことは問題だった」「表現の自由を潰してしまったという思いがある。簡単に存在をなくすことは怖いことだ」と語っている。まこと失礼ながら、中島氏が存命であることにも驚いたが、その発言内容は衝撃的だった。自分もウルトラセブンのファンとして、氏を敵のように考えていたので、申し訳ない気持ちになった。
記事は、「抗議されるのが面倒」とばかりに作品をなきものにしてしまった円谷プロと、大げさに記事を書き立てた新聞社の無責任さに大きな問題があることを主張して結んでいる。やや「作品は公開されるべき」「大新聞は悪」というバイアスがかかっているきらいはあるが、実に読み応えのある内容だった。
さて、自分は12話についてどう考えているか。
自分の場合、中学生のときにウルトラセブンのムックを読んでいて(←すでに痛い人になりかけ)12話の欠番に気付き、疑問に思っていたが、そういう騒動があったことすら知らなかった。高校でその道の詳しい人たちに出会い(←かなり痛くなってきた時期)、そのタイトルや騒動について知った。大学でかなりディープなダークサイドの住人からそのビデオを借り(←ほぼ完成形)、映像を観ることができた。
内容的に、やはりいくつか問題はある。スペル星人の造型には、ケロイド状の皮膚のただれが表現されており、原爆被害者ならずともそれを見て不快に感じる人は多いだろう。
だが、基本的にはこの作品は核兵器の脅威を描きつつ、信頼の大切さを訴えかける内容であり、有害なものではない。むろん原爆被害者を侮辱しているわけではない。ただ、その描き方において、小学館の謝罪にもあるように「配慮が足りなかった」の一言に尽きるだろう。
その罪は、「万死に値する」ほどのものではない。地上波での放送ができないとしても、DVDや、CS、CATVでの放送は差し支えないのではないか。
少し日和ってはいるが、それがこの問題に対する自分のスタンスである。
また、「放送禁止」であるがゆえにこの作品を神格化し、「名作」と主張する声もあるがそれには疑問だ。確かに「ウルトラマン」のヒロインである桜井浩子が出演していることから見ても、それなりに力の入った作品であることは確かだろう。同じ原水爆を扱ったウルトラセブンのエピソードでも、第26話「超兵器R1号」(地球が無人だと思って新型ミサイルを撃ち込んだら実はそこには生物がおり、その生き残りが地球に復讐にやってくる、という物語)に比べれば、核の問題を前面に出さず、あくまでラブストーリーの中にそうした教訓を織り込んだこの作品のほうが、より高度であるとも言える。しかし、当時油の乗りすぎていた実相寺昭雄の演出は、逆光やアップの多用、物陰から盗撮したようなカメラワークなど、キテレツすぎて視聴者を置き去りにしている。ファンとしての評価をすれば、力作ではあるが名作ではない、といったところだ。
いずれにしても、この問題はいずれ解決されるような気がしている。すでにエンターテインメントの主役は、「自主規制」の呪縛から逃れられない地上波テレビから、CSやCATV、そしてネットへと移りつつあるからだ。円谷プロが頑なな姿勢を貫いているのも、いまだ地上波のおかげで生き続けているという事実があるからだろう。その体質が変わったとき、この問題は自然に解決するはずだ。そして、円谷プロがかつての作品の劣化コピーではない、全く新たなコンテンツを生み出す日を、われわれファンは願ってやまない。
光文社「フラッシュ」のサイト
http://www.kobunsha.com/CGI/magazine/hyoji.cgi?sw=index&id=007&date=20051108
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コメント
なんでもよくご存知ですねー。またまた感心してしまいました。
私は世代ですがそれほどハマらなかったため知りませんでした。
時代背景とかもあるんでしょうかね?
私はマンガ・アニメに関しては詳しくないので個人的に思うことですが、手塚治虫、宮崎駿等作品にも何かを訴えかけるようなところがあり、それと似ている気もしたんですが、どうでしょう?それとはまた別なのでしょうか?
投稿: フドウ | 2005年11月28日 (月) 00時13分
手塚氏にしても宮崎氏にしても、メッセージを伝える前にまずエンターテインメントとして良質のものを創る、という姿勢がいいですよね。
そうした傑出したクリエーターを見いだすためには、日本のコンテンツ産業のすそ野は狭すぎるかもしれません。ネットの時代になって、そこが変わると世の中面白くなってくると思いますが・・・。
投稿: ヤボオ | 2005年11月28日 (月) 00時15分
ご無沙汰しております♪
ウルトラセブンでさまよってましたら、お名前発見!さっそくお邪魔にあがりました。
幻の「第12話」についての、とても貴重な考察、興味深く拝見いたしました!
時間がたってからでも、こうして真相がわかり、また対立していた存在が歩みよれるということに感動しました。
ちょっと脱線しますが、21日にルパン三世の作曲をなさっていた 山下毅雄氏が亡くなられ、「そういえば、学校で禁止されてたのを、ちょっと青い反抗心で観ていた自分が、すっかり虜になったのはあの音楽も影響大だなぁ」と思い出していました。
なにがマイナス評価基準になるのか、時代や世相の影響は大きいですが、一度封印して「開かず」にするのではなく、再評価すべきものもある。とこの記事で強く思いました。
ネット依存等、ネット批判も増える一方ですが、円谷プロの単眼発想の方々から
情報やメディアを解放するのもまた、ネットであるような気もする今日この頃です。
※なんとリンクしてくださっている!!!!感動!!(し、師匠って…;;恐れ多いです!)こちらにもぜひぜひ遊びにいらしてくださいませ。切望!
投稿: なるもにあ | 2005年11月28日 (月) 00時16分
ルパン第1期のBGMは、オリジナルの音源が紛失してしまっていて、純粋なBGM集のサウンドトラックが作れない、という話を聞いたことがあります。氏が存命中に実現できればよかったんですが、音源の捜索は継続して、ぜひその作品の真価を後世に伝えていってほしいものです。
投稿: ヤボオ | 2005年11月28日 (月) 00時35分
いずれは解禁されると思う。
投稿: | 2005年12月 5日 (月) 14時08分
一番よくないのが、情報そのものを封印してしまうことだ。これは全体主義への道といっても差し支えなかろう。検証する対象そのものの正しい情報が欠落していれば、どんな評価でも下せる。
はっきりいって、12話自体は平凡作。もちろん問題点もあるが、それを封印して済ますというやり方は、あとでかえって重大な問題を巻き起こす可能性がある。というか、裏ビデオやら海賊版DVDが流通しているありさまを見れば、既に問題は起こっているといっても仕方がない。
いずれは解禁されるでしょう。これだけネットで話題になり、タイではチャイヨ-が、日本でスペル星人が封印されていることを知っているため、わざとライブショーに出現させたりもしているわけだから。
何年先かは今のところわからないが、隠そうとすればするほど、人々は見たがるものです。
投稿: ??? | 2005年12月25日 (日) 16時49分
客観的に観て、地上波では放送できなくても、DVDやCSで放送することに問題はないと思います。
なのに未だ封印が解かれない、ということは、封印したという事実を今度は封印しようとしているのかもしれません。
投稿: ヤボオ | 2005年12月25日 (日) 20時37分
表現をするものである円谷自身が封印ですか。皮肉なものです。
「本を焼くものは、やがて人を焼くものとなろう」とは、ハイネの言葉ですが、自信がそうなってどうするネン!
ま、海外でも12話は普通に放映されていたわけですし、海外版ですが、ビデオなどにも収録されているようですから、いつまでもあがいていないで、いい加減腹を据えろ!といいたくなりますね。
まさか海外版のものまで封印しろとはいえないでしょうに。そんなことをしたら、海外のファンですら呆れますよ、ほんと。
大変な事情はわかるが…。
投稿: ??? | 2005年12月26日 (月) 18時11分
連続投稿で申し訳ない。
あくまで個人的な意見ですが、どちらかというと、当初デザインされていた「昆虫型スペル星人」よりも、「ヒューマノイド型スペル星人」の方が、私個人としては話にあっているかなぁと。
確かに昆虫型にしておけば、もしかしたら封印されることもなかったかもしれないですが、しかし「やぶ蚊みたいな宇宙人」があからさまに血を吸いに来るという内容では、原水爆の悲劇や危険性みたいなものは表現し切れなかったのではないかと思うんです。だから監督もヒューマノイド型にこだわったんじゃないでしょうか?
あくまで人間に模した姿をしているからこそ、原水爆の危険性を訴えかけるという試みが成功したのであって、「やぶ蚊宇宙人が被曝しました」では、あまりその危険性が伝わらないのでは?と考えてしまいました。
確かにおっしゃるとおり、スペル星人の容姿には問題がありますけどね。露骨なケロイドとか。あと、のっぺりした顔とかね。
長々とすいませんでした。
投稿: ??? | 2005年12月26日 (月) 18時36分
確かにそうですねえ。
しかし今回のFLASHの記事で、抗議活動のきっかけを作った人が実に真っ当な思考の持ち主だったことを知って少し救われた気持ちです。対談記事そのものも、あまり偏らずによく書けていました。写真週刊誌もがんばってますね。
投稿: ヤボオ | 2005年12月27日 (火) 00時52分
全くそう思います。
投稿: ??? | 2005年12月27日 (火) 18時56分
ウルトラセブン
スペル星人について。
結果論になりますが、大伴昌司はどうして「ひばく星人」と銘を打ったのでしょうか。
大伴昌司がそんな銘を打たなければ、封印されることはなかったと思います。
どうして当時は大伴昌司が設定を勝手に考えいたのですか?
また、それを突っ込む人もどうかしていたのでは?
投稿: | 2018年3月 8日 (木) 10時47分
スペル星人の件ですが朝日新聞が記事を載せたなどと書いていますがこれはどこかの同人誌が書いたデマです
それを本当だと思った情弱者が広めた結果朝日新聞が叩かれることに
投稿: 匿名 | 2019年1月19日 (土) 03時06分
情報をただ封印すればいいんだという考えだと
結果として中島氏に対しても不名誉を与えているのではないだろうか
投稿: | 2019年5月 9日 (木) 20時34分