劇団四季「異国の丘」
「異国の丘」を観てきた。今年劇団四季は「昭和の歴史三部作」と称して、「李香蘭」「異国の丘」「南十字星」を連続上演している。
「李香蘭」は、山口淑子という「女」を描き、「南十字星」は保科勲という「男」を描いている。そして「異国の丘」は、九重秀隆と宋愛玲という「男女」を描いた作品だ。つまり、バリバリのメロドラマである。
実は三作品とも、戦争をモチーフにしてはいるが、戦争をテーマにしているわけではない。あくまでテーマは登場人物達の生き様だ。そして、あくまでエンターテインメントとしての枠組みを守っており、ある意味でふつうのミュージカルである。浅利慶太氏は「南十字星」の制作発表で「前の2作品はエンターテインメント性が欠けていた。今度はもっと楽しいものにする」と言ったそうだ。これを考えても、四季(あるいは浅利代表)のスタンスは、作るのはあくまでエンターテインメント作品、その中で戦争の歴史を語り継いでいこう、というもののようだ。
この四季の姿勢は正しい。問題は、その姿勢にブレがあることである。そういうスタンスであれば、今回のように「戦争」「昭和の歴史」を全面に出した宣伝の仕方は間違っている。これを見たら、四季をよく知らない人は言うに及ばず、四季ファンでさえ、エンターテインメント作品だとは思わないだろう。敬遠されて当然だ。「異国の丘」のポスターには、たいていシベリアで抑留された兵士達の写真が掲載されている。確かにこのシーンは圧倒的なインパクトがあるのだが、本来この作品がメロドラマであることを考えれば、そのポスターには九重と愛玲が並んでいるべきだ。今回の公演チラシで、一幕最後の船で2人がすれ違うシーンの写真を使ったものがあるが、これが正解なのである。また作品そのものの中で、戦争について語りすぎるのも気になる。そうしなければ若い世代には伝わらない、という制作側の思いもあるのだろう。しかし、例えば我々が子供のころ、戦争について深く考えるきっかけになった本といったら何を思い出すだろうか。もちろん「はだしのゲン」のように、その悲惨さを徹底的に描いたものも含まれるかもしれないが、ほとんどの人が挙げるのは「二十四の瞳」「ビルマの竪琴」などではないだろうか。それらは、決して戦争についてリアルに描いたものではないが、まず児童文学としてよくできているために強く心に残り、結果的に戦争への考察を促すのである。「はだしのゲン」にしても、原爆投下の様子は一部分に過ぎず、ほとんどは戦中・戦後をたくましく生きる少年たちの姿を描いたものだ。それが少年マンガとして面白かったからこそ、あれほどのブームにまでなったのだと思う。
話がそれてしまったが、四季は基本スタンスに自信を持ち、これらの作品を上演してほしい。それぞれ、演出や脚本はまだまだ未完成という印象がある。戦争ものだからこれでいい、と考えずに、エンターテインメントとしていかに質を高めていくかの努力を怠らないでほしいのである。そうすれば、どの作品も日本のミュージカルの代表的な作品になりうる要素を十分に秘めていると感じている。
さて「異国の丘」である。この作品は、日本の御曹司・九重秀隆と中国要人の令嬢・宋愛玲が、日中戦争のさ中で惹かれ合うという悲恋を綴ったハードなメロドラマだ。構成としては、九重秀隆が晩年を過ごしたシベリアの抑留所のシーンと、その回想としての二人の恋のいきさつが交互に描かれる。異国の丘はシベリア抑留の話だと思っている人が多いと思うが、実はシベリアのくだりはメッセージとしては強調されるものの、ストーリー的にはあまり重要ではない。むしろ、その悲惨な状況の中での回想、ということでメロドラマ部分をより悲しく、美しいものに仕立て上げるフィルターの役割を果たしている。
だがこのフィルターであるシベリアのシーンが、実によく出来ている。実際にあったエピソードを盛り込んだリアルなセリフのやりとりもさることながら、照明が素晴らしく、あまりにも重苦しい空の色が、極寒のシベリアの空気を確実に客席に伝えてくる。
それに対し、本筋であるメロドラマ部分が、演出・脚本とも力不足の印象が否めない。シベリアと対極的に華やかな演出を施したニューヨークのシーンなどは、もっともっとゴージャスに、明るく楽しく見せるべきだ。二人のセリフにも、もっと情感が欲しい。この本筋がメロドラマとしてより魅力的であればあるほど、シベリアのシーンもぐっと生きてくるはずであり、作品全体に厚みが加わるはずだ。それにそもそも、重苦しいシーンばかりが目立つのでは、客席に人を呼ぶことができず、それでは多くの人に戦争の事実を伝えることなど叶うものではない。
この日、主役の九重を演じたのは、当たり役にしている石丸幹二ではなく、四季の怪優、下村尊則。アクの強いヘンな役の似合う男で、このキャスティングについては観た人も観ていない人からもきわめて評判が悪い。しかしその悪評の理由は、役者の個性が役に合っているかということよりも、そもそも下村はこの役を演じるには年を取りすぎているではないか、ということのようだ。
実際のところ、確かに10代の演技は下村には無理がある。体型が、どう見たってオジサンだ。しかし、逆にシベリアのシーンではその独特なオーラが良いほうに作用して、兵士たちが自然と周りに集まってくる魅力ある人物像を形づくっていた。いっそのことシベリアと回想シーンでは別の俳優にしてくれれば、とも思った。
その相手、愛玲を演じたのは言わずと知れた木村花代様である。これはファンのひいき目を差し引いても、実に可憐で、かつ稟とした素晴らしい愛玲だった。休憩や終演後の客席やロビーでも、花ちゃんのホメ言葉が飛び交っていた。ファンならなおさらで、洋服やチャイナドレスを、次々と着替えて登場するたび、花ヲタたちのため息が漏れる。だが今回、女優としての成長が強く感じさせたシーンがあった。問題(?)のラブシーンの前と後で、表情、目つき、声ががらりと変わるのである。その心情的な変化までが説得力のある形で伝わってくるという、見事な演技だ。そのために、その後の第三倉庫でのあのセリフが、よりせつなく、胸に突き刺さってくる。また演技の幅を広げた花ちゃん、これからがますます楽しみだ。
その問題のラブシーンだが、2ちゃんねるで「援助交際のよう」とまで酷評されていたが、ある程度覚悟していたこともあり、それほどひどくはなかった。花ちゃんの姫様オーラと、下村の上流階級オーラどうしが絡み合っているという、言ってみれば「ジョジョの奇妙な冒険」のスタンド戦を見ているような気持ちで眺めれば、受け入れられないこともない。まあ、正直ちょっときつい。
「異国の丘」四季のホームページ
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