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2005年9月12日 (月)

劇団☆新感線・隆慶一郎「吉原御免状」

素晴らしい舞台だった。

8日に開幕した劇団☆新感線本公演、「吉原御免状」。あの隆慶一郎のあの傑作小説を、あの新感線が舞台化する。となれば、俺が観なくては幕が開かないだろう、ということで早速青山劇場へ足を向けた。

不安要素、ことごとく解消

今回の観劇にあたっては、いくつか不安があった。まず、会場が大きいことだ。新感線は主にサンシャイン劇場やシアターアプルなど中規模の会場をメインに活動してきたが、99年1月にこの青山劇場で公演した「西遊記」以来、積極的に大規模会場を使うようになった。だが、大きな劇場での新感線の公演では、新橋演舞場の「阿修羅城の瞳」以外に満足した試しがないのである。大きい会場を使う劇団だからエライ、などと言うつもりはもちろんない。しかし大きな空間を使い切る技術が、まだ新感線には備わっていないのでは、と感じていた。

だが、それはすぐに払拭された。1幕2場の吉原の風景。シンプルだが、盆をうまく使ったセットで再現された色街で、二人の花魁道中が交錯する。舞台にみなぎる緊張感と華やかさは、劇場全体の空気を一変させた。大空間を使いきるということは、豪華なセットを作るということではない。大量の空気、つまり観客を取り巻く雰囲気を変えるための力強い演出を施す、ということなのだ。

公演パンフレットで、座長であり演出家のいのうえひでのりは「この作品から、自分たちは大人になる」と宣言している。そのあと、それはすぐに変わるものではないけれど、と加えているが、使える空間が劇的に広がったという意味において、新感線は確かに新しいフェーズに入りつつある。

2番目の不安。それは原作をうまく料理できるか、という点だ。座付き作家・中島かずきの持ち味は、ストーリーテラーとしての抜きん出た力であり、オリジナルの創作においてその力は如何なく発揮される。だが、今回は原作のストーリーをうまくまとめ、しかも登場人物間の関係と時間的なつながりを実にきれいに整理し、きれいに構図を描いて見せた。中島の職人としての資質を垣間見た思いだ。

3つめは、ギャグの封印だ。しかし、これは新感線的な、ふざけた冗談をしないということで、舞台の構成に最低限必要な笑いは、きちんと織り込んである。「ドラゴンロック」や「踊れ!いんど屋敷」「レッツゴー!忍法帳」といった、そのふざけた冗談だけで構成されている作品をこよなく愛している身としてはいささか残念ではあるが、「いのうえ歌舞伎」の場合はそうしたギャグがもともと少なく、中途半端な印象もあったので、これはなくして正解だったかもしれない。

このように、観劇前に心配していたことはすべて杞憂に終わった。

隆慶一郎と新感線の接点

隆慶一郎「吉原御免状」は、宮本武蔵に育てられ剣の手ほどきを受けた孤児・松永誠一郎が、その超人的な強さで裏柳生と対峙していく剣豪小説である。そしてその舞台となるのが不夜城・吉原だ。息もつかせぬスピーディーな展開と、脚本家出身の隆らしいビジュアルな文体、歴史上の人物とオリジナルキャラクターの邂逅、自由なイマジネーションによる奇抜なエピソード、主人公・誠一郎の胸のすく大活躍と、とにかく面白い要素が詰め込めるだけ詰め込まれた一大エンターテインメントだ。隆は脚本家・池田一朗として30年近いキャリアを積んだあと、この吉原御免状で84年に作家デビューした。そして89年に他界しており、作家として活動していた期間は5年ほどしかない。だがこの短い間に、「鬼麿斬人剣」「影武者徳川家康」「一夢庵風流記」など数々の傑作を残し、今も多くのファンがいる。自分が読み始めたのは、他界した翌年のことだった。

各界のクリエーターにも影響を与えたようで、「一夢庵~」は「北斗の拳」の原哲夫の手によって「花の慶次」として少年ジャンプに連載される。そして中島かずきも、隆がこの世を去る直前に吉原御免状に出会い、大いに影響を受けたのだという。

隆慶一郎と劇団☆新感線。最初は単に自分の好きなものが両方出てきた、とカレーとラーメンが一緒にテーブルに並んだ子供のように喜んでいたものの、食べ合わせが悪くては腹を壊してしまう。だが、この組み合わせは最高の舞台というハッピーな結果を残した。

考えてみれば、スピーディーな展開とビジュアルの重視、奇抜さ、超人的なキャラクターなどは、いずれも新感線の売りものばかりだ。そして何より、徹底してエンターテインメント性あふれる作品を創る姿勢が、隆と新感線には共通している。この食べ合わせが、悪いわけはないのである。

虐げられる者たちを描く

今回、実は不安に感じていたことがもうひとつある。吉原御免状には、そのストーリーの重要な部分に差別というテーマが横たわっている。これを果たして描けるのかどうか、という懸念だ。しかしこれも全く心配する必要がなかった。若干マイルドな語り口にはなったものの、このテーマにも正面から取り組み、堂々と表現していた。

隆の小説は、多くが歴史に名を残したヒーローではなく、その陰に隠れた存在や、弱い立場にある者を主役にしている。吉原御免状では、社会的に虐げられた、差別される者たちが描かれている。隆は、差別が引き起こす悲惨な状況を恐れずに伝えながらも、彼らの逞しさ、自由を守ろうとする生き様を明るく、高らかに歌い上げることで、差別の無意味さを訴えることを忘れなかった。今回の公演も、その手法を引き継ぐことで、舞台の中に自然にこのテーマを組み込むことに成功している。

だが、小説と舞台は違う。その作業は、言うほど簡単ではなかったのではないか。新感線がそれを何なくやってのけられたのは、その素地があったからだ、と自分は考えている。

劇団☆新感線は、旗揚げしてからしばらくはつかこうへい作品を上演していた。その後、いのうえが「つか作品は演歌だけれど、俺たちのやりたいのはロックだ」と言ってつか作品から離れていくのだけれど、その精神は遺伝子レベルで深く根ざしていたのではないだろうか。

つかの作品は、差別をストーリーの中に組み入れていることが多い。決して差別反対、と声高に叫ぶことはないが、重要なモチーフとして描かれるのだ。そして、そこに登場する差別された者達は、正面からその境遇に向かい会い、力強い意思でその境遇に打ち勝っていく。そのスタイルは、隆小説の主人公たちの姿にオーバーラップするような気がする。つか自身も在日朝鮮人だが、強く生きることで差別といういわれのない不当な感情をはねのけてきた人物だ。ある人は「つかこうへい」のペンネームの由来は「いつか公平」ではないかと考え、本人に尋ねたところ笑って答えなかったという。そんなつか作品を上演した経験が、今回このデリケートなテーマを扱うのに大きな支えとなったように思えてならない。いのうえひでのりは、97年・98年の稲垣吾郎主演「広島に原爆を落とす日」でふたたびつか作品の演出に挑んでいる。

両方のファンなら楽しみは4倍

いろいろと書いてきたが、結論としては「隆慶一郎ファン」も「劇団☆新感線ファン」も大いに楽しむことができる舞台だ。ついでに言うなら、両方のファンなら楽しみは2倍、いや2乗で4倍になる。俺のためにこんな舞台を創ってくれて本当にありがとう、という気持ちで一杯である。

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劇団☆新感線の公式サイト

http://www.vi-shinkansen.co.jp/

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