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2005年9月30日 (金)

ホテル到着

那覇市内から約50分、一年ぶりのブセナテラスに到着。nec_0017.jpg

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移動

晴れ間がのぞいたスキにホテルへ移動。連休を過ぎて本数の減ったバスは時間が合わずタクシーを利用。

高速一本で行けるのはいいが、なにしろ距離があるので一万円程度かかる。痛い。

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いよいよ

なんだかスコールみたいなの降ってきました

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ゆいレール

とりあえず、ゆいレールで市内へ。

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那覇空港

予想通りよく曇っている。

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パソコン持参

ブセナではPCブースもあるが、いちいちあけてもらうのが面倒なので今回は持参。でかい。

手荷物検査でこれパソコンです、とPCバッグを差し出すと、すいませんパソコンだけ出してください、と言われた。まさかこのバッグいっぱいにパソコンが入っているとは思わなかったのだろう。

ドカベンで、鷹丘中学時代の山田太郎のカバンには弁当箱しか入っていなかったのを思い出す。

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第二ターミナル

二回目の利用。キレイで快適。

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羽田空港到着

平日だからそれなりに交通量はあるものの、一時間かからず到着。

早朝に入庫すると割引になるというメリットもあるが、こういう空いている時間でないと自分の技術では駐車できないという事情もある。

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夏休み

いつのまにか九月も終わりである。

夏休みを取らないのはプロレタリアートとして許されないことなので、きょう一日休むことにした。

二泊三日だと、海外はちょっときつい。

脳が劣化しているのか、いいアイデアも浮かばないので昨年と同じく沖縄に行くことにした。

ホテルも同じザ・ブセナテラス。夏場は超人気だが、連休を過ぎれば普通にネットで予約できる。

このホテルでやりたいことはあらかたやり尽くしたので、今年はその残りを、あまり欲張らずにつぶしていこう。

ただ、ひとつ問題がある。

台風が、一直線に接近中。

とりあえず行くだけ行こう。空港までは車で。朝四時出発、ということは当然寝ていない。

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2005年9月24日 (土)

検証:群馬 その3~「頭文字D」編

先週「頭文字D THE MOVIE」を観て、自分も秋名の下りを攻めてみたくなった。というわけでそのモデルであり、今回の映画のロケ地でもある榛名山へやってきた。確かに連続するS字、ヘアピンと、レーシングコースさながらの路線である。自分は走り屋どころか、常に法定速度遵守の安全運転だが、ゆっくり走っていても車を運転することの面白さを味わうことができる。

昼間で、しかも雨が降っていたせいか、幸い飛ばしている車もそれをあおるギャル達もいなかったが、ハチロクを1台目撃した。コアなファンなのだろう。

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そういえば、昔「サーキットの狼」で、日光の公道でレースを行い、いろは坂で勝負をかけるというとんでもない設定があった。そのすごさは、読んでいた小学生当時は分からなかったが、今なら理解できそうだ。

また一歩、隼人ピーターソンに近づいた。

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検証:群馬 その2~「ファイト」編

まもなくNHK朝の連続テレビ小説「ファイト」が終了する。その感想を頭の中で整理するためにも、より深く理解しておきたいと思い、舞台となった四万温泉にやってきた。

草津や水上、伊香保に比べると規模もぐっと小さく、山あいの秘湯という趣を残した温泉街である。そこで何を思ったかはファイトの感想と一緒に述べるとして、とりあえずこの一枚。

komanokan

主人公たちが働いた「駒乃館」として、たびたびこのアングルで登場していたのは、元禄時代から続く老舗「積善館」だ。今にも由紀さおりや児玉清が出てきそうな…と言いたいところだが、駒乃館のアットホームな雰囲気とは印象がだいぶ異なる。この玄関部分は重要文化財に指定されているほどの歴史的建造物で、その偉容は圧倒的な存在感を誇っているからだ。手前の橋とマッチして、この光景はほれぼれするほど美しい。一度この宿に泊まってみたいものだ。

そして、なぜかぜひ見学したかった、緒方直人が事故にあった橋。四万温泉の、やまぐち館や鍾寿館のあるエリアと、積善館や四万たむらのあるエリアの間にある「月見橋」である。

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主人公の父・木戸啓太が東京で自殺未遂のあと、家族の暮らす四万で精神的に立ち直り、その矢先に交通事故にあってしまう。展開の妙味が際だったシーンで、印象に残っていたのだ。こちらはドラマで見た雰囲気そのままで、今にも向こうからライバル心をあらわにした川崎先生が歩いてきそうだった。

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検証:群馬 その1~「ぐんぐんぐんま」編

群馬に行くことにした。

自宅のある柏からは高速で2時間半ほどの距離だが、行きは連休初日とあって早朝から大渋滞。結局最初の目的地、前橋までは5時間近くかかって到着した。

群馬に足を踏み入れたからはまず「ぐんぐんぐんま」の中の人に挨拶をしなくてはなるまい。最近同ブログにひんぱんに登場している、そばの名店「せきざわ」に連れていっていただいた。

この店はブラボーだ。感動で、言葉が出なかった。そばで感動したのは、人生で2回目。1回目は長野の「安曇野 翁」に行ったときだ。

安曇野翁も、せきざわも、そば自体が日本一クラス、つまり世界レベルのうまさである。しかしそれだけではないところが、これらの店を銀河系レベルにまで押し上げている。安曇野翁は、シンプルだが清潔感と自然光の満ちた店内から、安曇野のパノラマを臨むことができる。それが感動を数倍にするのだ。

ではせきざわはどうか。この店の感動を創り上げているのは「演出」である。演出、という言葉の響きが悪ければ、物語性と言ってもいい。

この店の看板メニューは「三昧そば」。3種類のそばが味わえるというものだ。ノーマルな三昧そば(1300円)のほか、「冷がけ三昧」(1450円)「醍醐三昧」(1550円)などいくつかバリエーションがあって、それぞれ出てくるそばの種類が違う。そして、その3種類をどの順番で、どのタイミングで出すか緻密に計算しているのだ。

自分が頼んだのは「冷がけ三昧」。まず、葛をまぜた更級そばが出てきた。

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真っ白なそのそばを口に含むと、葛のぷるんぷるんとした弾力ある食感が衝撃を与える。これは快感だ。その妖しい恍惚感にひたっているうちに、いつの間にかせいろは空になっていた。

次に田舎そばが出てくる。見た目はさっきとは対称的に、いわゆるひきグルミの黒っぽいそばだ。

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一口食べた瞬間、そばのうまさが激流となって体中をかけめぐる。落語「そばの羽織」では、最後にそばが人間の形をして羽織りを着て座っているという場面がある。その情景のように、自分とそばが一体化したような気がした。

そして冷がけ。文字通り、汁の冷たいかけそばである。

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このつゆがまたいい。見た目は薄味のように見えるが、鰹節を大胆に使ってインパクトのある味に仕立てている。先日京都で「瓢亭」の朝がゆを食べたが、そのかゆにかかっていた鰹エキスを思い出した。そのつゆにのせてそばを飲み込むと、絶妙ののどごしを体験することができる。

三種類のそばが、食感、味、のどごしと、それぞれ異なる感動を与える。しかもその感動は互いに連鎖するように構成されており、ひとつのストーリーが出来ているのだ。

これは「序破急」の手法だ。物語の構成手法というと、全体を四部で構成する「起承転結」がポピュラーだが、これは漢詩にルーツがある。いっぽう全体を3部で構成する序破急は、日本の雅楽や舞踊で古くから用いられてきたものだ。スピード感のある演出をするときにも、序破急は効果的に機能する。

スピード感。せきざわでは、タイミングを見計らってゆであげられたそばを、お店の人がすばやい身のこなしで運んでくる。いわく「そばは秒単位でのびてしまいますから早く召し上がってください」。このスピード感が、ストーリーを一層魅力的なものにしている。

この店は、別に演出で味を水増ししているわけではない。繰り返すが、そばの味だけでも超絶のうまさなのだ。だがそのうまさを適確に表現することは私の語彙では困難だし、いまが9月であることを考えると、1回だけ食べてそばの味を語られるのは店も不本意だろう。

一流の味を持つメニューを用意しながら、そのうまさをより深く味わってもらうために、そこに物語を導入する。それは客へのもてなしの心であり、そばに対する愛情でもあるだろう。物語に抵抗感を持つ人もいるかもしれないが、人類は46億年の歴史を持つ地球の上で、38億年の時をかけて描き出される生命誌という大きな物語を生きているのだ。物語の否定は、人類の、そして自然の否定へとつながる。

かねがね、エンターテインメントとは何か、ということを考えているが、一面の見方をすれば、それは緻密な計算により感動を与える行為だと思う。となれば、このせきざわのそばも極上のエンターテインメントだ。

ところでこの店は、10月11日で閉店し、12月に長野県小布施町で再開するのだという。よりそばの畑に近いところで店を構えるためだ。長野には安曇野翁だけでなく、うまいそばの店がきら星のごとくひしめいているが、そこでも確実に存在感を発揮するだろう。来年の春には、ひとつ長野そばめぐり、いやそばたぐりの旅に行くことにしよう。

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2005年9月19日 (月)

香港映画「頭文字D THE MOVIE」

これはすごい。

頭文字Dといえば、95年からヤングマガジンに連載されている人気漫画だ。アニメーションにもなっている。自分はマンガもアニメも断片的に見聞きしているだけで、特別ファンというわけでもない。カーマニアでもない。本作のキャストやスタッフも、鈴木杏以外知らない。しかし、何となくこれは面白そうな予感がしたので足を運んだ。直感というのは信じるものだ。

何がすごいって、まず車が本当にダウンヒルでドリフトしている。スピード感だけでなく、その重量感とでも言おうか、質量のある自動車がギュルギュル滑っている、という感覚がスクリーンからひりひりと伝わってくる。

しかしそれを上回ってすさまじいのは、これを創り上げたスタッフ、キャストの映画にかける気概だろう。

ご存じの通り、これは香港映画だ。香港の監督が、日本の漫画を原作に、台湾の歌手を主役に起用し、群馬県でロケして作った香港映画である。その監督とはアンドリュー・ラウ&アラン・マックの「インファナル・アフェア」コンビである。

観に行く前、この作品に期待しつつも、やや複雑な気持ちもあった。なぜ日本の漫画なのに、香港で映画化されなくてはならないのか。日本映画界は、これだけの人気コンテンツを映像化する力が、もうないのか。そう思っていたのだ。

しかし観ているうちに、複雑な気持ちなんていうあいまいなものは消し飛んでしまった。香港映画界の実力は、もう明らかに、日本映画の手の届かないレベルに行ってしまった。比較するのが僭越なぐらいだ。こうなると、もう日本映画界がなんでダメなんだ、という気持ちも起きない。むしろ、香港映画に少しでも近づけるようにがんばってくれ、と暖かい眼差しで応援したくなった。

彼らは、この映画を撮影するためにわざわざ原作に描かれている舞台、群馬の榛名山までロケをしにやってきた。新潟の閉鎖道路での撮影も含め、車のシーンだけで50日もロケをしたのだという。馬鹿か、こいつらは。しかも、かなりの部分で、さして顔も写らないのに俳優自身がその車を運転している。ますます馬鹿だ。スタッフやキャストがそんな馬鹿になれる制作環境は、今の日本映画界にはどこを探したってないだろう。

さらに恐れ入るのは、「インファナル・アフェア」で名声を手に入れ、もはや香港だけでなく世界的に注目されるフィルムメーカーであるアンドリュー・ラウ&アラン・マックらが、「頭文字D」という原作に対し深い敬意を持って臨んでいることである。漫画を全部読んだわけではないので、それがどこまで忠実に再現されているのかは分からないが、少なくともその世界観、描かれている空気感はまさしく原作のそれと同じだ。しかも、原作の「群馬最速を目指す」というローカルさ、北関東の中途半間に素朴な雰囲気まできっちり描き出されているのだ。彼らには頭文字Dだけでなく、日本の漫画文化に対する畏敬の念もあるらしい。それが表現されたのが、主人公・藤原拓海があるシーンで来ているTシャツ。サッカーユニフォームのレプリカらしいそのシャツの左胸には「南葛」の文字が・・・。そう、「キャプテン翼」のチーム名である。彼らは、日本を舞台にした映画を撮るにあたり、この原作に、そしてそれを生んだ日本の文化に、極めて謙虚な姿勢で取り組んでいる。

まずは、日本映画はこの謙虚さから学ぶべきだろう。そして、その謙虚さをもって今回のような海外とのコラボレーションを積極的に行うのだ。自分たちの力だけで再生し、世界の映画界に追いつくことは、もう無理だ。それを痛感した一作だった。

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頭文字D THE MOVIEのWEBサイト

http://www.initial-d.jp/index2.html

(音が出ます。職場では注意)

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アイドルコロシアム2005~Road to Break!
生駒エリコ卒業

CSのマニアック番組専門チャンネル「MONDO21」の人気コンテンツ、「アイドルコロシアム」の第3回イベントを観覧する。第2回に引き続いての参加だ。

アイドルコロシアムは、三線~四線級のグラビアアイドルが水着でプロレス(もどき)をするというこの画期的なイベント番組だ。今年のスタートだが、その前身として「女闘美X」という番組があった。女闘美Xがキャットファイト的な、マイナー感の充満したものだったのに対し、アイドルコロシアムはより明るい、さわやかなお色気番組であり、よりメジャーなものに育てていこうという意気込みが感じられる。

実際、今回はこれまでの出演者よりワンランク上の、二線級のグラビアアイドルである沼尻沙弥香、夏目理緒の2人が出演。これにより観客も、前回は100人いるかいないかといったところだったのが、200人近くに膨れあがった。今回のサブタイトル「Road to Break」の通り、着実にメジャーへの道のりを歩みつつある。

そして今回、女闘美時代からこのイベントと番組を支え続けてきた、女王・生駒エリコが卒業することになった。

生駒は2003年、女闘美にベビーフェイスの新人としてデビューし、その後ヒールへ転向。アイドルコロシアムではプロレス初体験のグラビアアイドルに罵詈雑言を浴びせかけ、容赦なくマットに沈めてきた。しかし同時に、他の出演者をフォローし、司会者との軽妙なやりとりでイベント会場を盛り上げ、場の空気を作り出すのも常に生駒だった。アイドルコロシアムに、その存在は不可欠なものになっていた。

その矢先の卒業。「本人が悩み抜いての決断」ということだったが、イベント主催者の判断なのか、番組制作側の判断なのか、事務所の判断なのか、それとも実際に本人の判断なのか、そんなことはもちろん分からない。しかしマイナーからメジャーへイベントが成長する中で、生駒が主役の時代は終わりを告げたということなのだろう。

生駒の所属事務所のプロフィールを観ると、2003年からの活動記録が掲載されているが、実際にはその数年前から芸能活動をしていたようだ。かなりの苦労を積んだものと考えられる。あれだけ強い存在感を発揮しながら、自分ばかりが前に出ず周りを立てることができるのは、苦労人の証左だ。

このイベントでは、試合終了後、ロビーの物販ブースでタレント本人がDVDなどの販売ブースに立ち、サインや写真撮影にも気軽に応じてくれる。自分は迷わず生駒のブースに走った。持っていなかったDVDを購入すると、サインをしてくれるという。「お名前は?」と聞かれたので戸籍上の名前を告げると、丁寧な、小さくてかわいい文字できちんと書いてくれた。

握手をした手が、とても暖かかった。その体温と満面の笑顔を通じて、これまでこの人が経験してきた全て苦労が、一瞬で伝わってきたように思えた。

「あんた、観音力をお持ちだね」

映画「帝都物語」で、坂東玉三郎扮する泉鏡花の、魔人・加藤保憲に対峙する辰宮恵子に言ったセリフが頭をかすめていった。

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アイドルコロシアム 番組ホームページ

http://www.mondo21.net/idol_b_girl/idol-colosseum/

アイドルコロシアム イベントホームページ

http://idol.versus.jp/

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2005年9月12日 (月)

劇団☆新感線・隆慶一郎「吉原御免状」

素晴らしい舞台だった。

8日に開幕した劇団☆新感線本公演、「吉原御免状」。あの隆慶一郎のあの傑作小説を、あの新感線が舞台化する。となれば、俺が観なくては幕が開かないだろう、ということで早速青山劇場へ足を向けた。

不安要素、ことごとく解消

今回の観劇にあたっては、いくつか不安があった。まず、会場が大きいことだ。新感線は主にサンシャイン劇場やシアターアプルなど中規模の会場をメインに活動してきたが、99年1月にこの青山劇場で公演した「西遊記」以来、積極的に大規模会場を使うようになった。だが、大きな劇場での新感線の公演では、新橋演舞場の「阿修羅城の瞳」以外に満足した試しがないのである。大きい会場を使う劇団だからエライ、などと言うつもりはもちろんない。しかし大きな空間を使い切る技術が、まだ新感線には備わっていないのでは、と感じていた。

だが、それはすぐに払拭された。1幕2場の吉原の風景。シンプルだが、盆をうまく使ったセットで再現された色街で、二人の花魁道中が交錯する。舞台にみなぎる緊張感と華やかさは、劇場全体の空気を一変させた。大空間を使いきるということは、豪華なセットを作るということではない。大量の空気、つまり観客を取り巻く雰囲気を変えるための力強い演出を施す、ということなのだ。

公演パンフレットで、座長であり演出家のいのうえひでのりは「この作品から、自分たちは大人になる」と宣言している。そのあと、それはすぐに変わるものではないけれど、と加えているが、使える空間が劇的に広がったという意味において、新感線は確かに新しいフェーズに入りつつある。

2番目の不安。それは原作をうまく料理できるか、という点だ。座付き作家・中島かずきの持ち味は、ストーリーテラーとしての抜きん出た力であり、オリジナルの創作においてその力は如何なく発揮される。だが、今回は原作のストーリーをうまくまとめ、しかも登場人物間の関係と時間的なつながりを実にきれいに整理し、きれいに構図を描いて見せた。中島の職人としての資質を垣間見た思いだ。

3つめは、ギャグの封印だ。しかし、これは新感線的な、ふざけた冗談をしないということで、舞台の構成に最低限必要な笑いは、きちんと織り込んである。「ドラゴンロック」や「踊れ!いんど屋敷」「レッツゴー!忍法帳」といった、そのふざけた冗談だけで構成されている作品をこよなく愛している身としてはいささか残念ではあるが、「いのうえ歌舞伎」の場合はそうしたギャグがもともと少なく、中途半端な印象もあったので、これはなくして正解だったかもしれない。

このように、観劇前に心配していたことはすべて杞憂に終わった。

隆慶一郎と新感線の接点

隆慶一郎「吉原御免状」は、宮本武蔵に育てられ剣の手ほどきを受けた孤児・松永誠一郎が、その超人的な強さで裏柳生と対峙していく剣豪小説である。そしてその舞台となるのが不夜城・吉原だ。息もつかせぬスピーディーな展開と、脚本家出身の隆らしいビジュアルな文体、歴史上の人物とオリジナルキャラクターの邂逅、自由なイマジネーションによる奇抜なエピソード、主人公・誠一郎の胸のすく大活躍と、とにかく面白い要素が詰め込めるだけ詰め込まれた一大エンターテインメントだ。隆は脚本家・池田一朗として30年近いキャリアを積んだあと、この吉原御免状で84年に作家デビューした。そして89年に他界しており、作家として活動していた期間は5年ほどしかない。だがこの短い間に、「鬼麿斬人剣」「影武者徳川家康」「一夢庵風流記」など数々の傑作を残し、今も多くのファンがいる。自分が読み始めたのは、他界した翌年のことだった。

各界のクリエーターにも影響を与えたようで、「一夢庵~」は「北斗の拳」の原哲夫の手によって「花の慶次」として少年ジャンプに連載される。そして中島かずきも、隆がこの世を去る直前に吉原御免状に出会い、大いに影響を受けたのだという。

隆慶一郎と劇団☆新感線。最初は単に自分の好きなものが両方出てきた、とカレーとラーメンが一緒にテーブルに並んだ子供のように喜んでいたものの、食べ合わせが悪くては腹を壊してしまう。だが、この組み合わせは最高の舞台というハッピーな結果を残した。

考えてみれば、スピーディーな展開とビジュアルの重視、奇抜さ、超人的なキャラクターなどは、いずれも新感線の売りものばかりだ。そして何より、徹底してエンターテインメント性あふれる作品を創る姿勢が、隆と新感線には共通している。この食べ合わせが、悪いわけはないのである。

虐げられる者たちを描く

今回、実は不安に感じていたことがもうひとつある。吉原御免状には、そのストーリーの重要な部分に差別というテーマが横たわっている。これを果たして描けるのかどうか、という懸念だ。しかしこれも全く心配する必要がなかった。若干マイルドな語り口にはなったものの、このテーマにも正面から取り組み、堂々と表現していた。

隆の小説は、多くが歴史に名を残したヒーローではなく、その陰に隠れた存在や、弱い立場にある者を主役にしている。吉原御免状では、社会的に虐げられた、差別される者たちが描かれている。隆は、差別が引き起こす悲惨な状況を恐れずに伝えながらも、彼らの逞しさ、自由を守ろうとする生き様を明るく、高らかに歌い上げることで、差別の無意味さを訴えることを忘れなかった。今回の公演も、その手法を引き継ぐことで、舞台の中に自然にこのテーマを組み込むことに成功している。

だが、小説と舞台は違う。その作業は、言うほど簡単ではなかったのではないか。新感線がそれを何なくやってのけられたのは、その素地があったからだ、と自分は考えている。

劇団☆新感線は、旗揚げしてからしばらくはつかこうへい作品を上演していた。その後、いのうえが「つか作品は演歌だけれど、俺たちのやりたいのはロックだ」と言ってつか作品から離れていくのだけれど、その精神は遺伝子レベルで深く根ざしていたのではないだろうか。

つかの作品は、差別をストーリーの中に組み入れていることが多い。決して差別反対、と声高に叫ぶことはないが、重要なモチーフとして描かれるのだ。そして、そこに登場する差別された者達は、正面からその境遇に向かい会い、力強い意思でその境遇に打ち勝っていく。そのスタイルは、隆小説の主人公たちの姿にオーバーラップするような気がする。つか自身も在日朝鮮人だが、強く生きることで差別といういわれのない不当な感情をはねのけてきた人物だ。ある人は「つかこうへい」のペンネームの由来は「いつか公平」ではないかと考え、本人に尋ねたところ笑って答えなかったという。そんなつか作品を上演した経験が、今回このデリケートなテーマを扱うのに大きな支えとなったように思えてならない。いのうえひでのりは、97年・98年の稲垣吾郎主演「広島に原爆を落とす日」でふたたびつか作品の演出に挑んでいる。

両方のファンなら楽しみは4倍

いろいろと書いてきたが、結論としては「隆慶一郎ファン」も「劇団☆新感線ファン」も大いに楽しむことができる舞台だ。ついでに言うなら、両方のファンなら楽しみは2倍、いや2乗で4倍になる。俺のためにこんな舞台を創ってくれて本当にありがとう、という気持ちで一杯である。

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劇団☆新感線の公式サイト

http://www.vi-shinkansen.co.jp/

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2005年9月11日 (日)

今井叶美 1stDVD「かなミラクル」発売記念イベント

12代目ミニスカポリス、今井叶美のDVD発売イベントに参加してきた。実は6月の「アイドルコロシアム」以来すっかり入れあげているのだ。グラビアアイドル特有のビジネスモデルである、「撮影会」にも2回ほど参加している。

今回の会場は秋葉原のラオックス・アソビットシティ1番館。参加者は意外に多く、40人ほど。

約1時間のイベントだが、握手あり、撮影会あり、サインあり、ジャンケン大会ありの充実した内容だった。

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「出動!ミニスカポリス全国版」の公式サイト

http://minisukapolice.com/

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トレイ・パーカー&マット・ストーン「チーム☆アメリカ ワールドポリス」

大人のアニメーションとして人気の「サウスパーク」シリーズは、日本でもWOWOWで放送され人気を呼んでいる。制作をリードしているのはトレイ・パーカーとマット・ストーンというクリエーターだ。この2人の手によって作られた人形劇映画が「チーム☆アメリカ ワールドポリス」である。7月末からシネ・アミューズで公開されていたが、そろそろレイトショーのみの上映になるので慌てて観に行ってきた。

シネ・アミューズに来たのは96年の「アトランタ・ブギ」以来。山本政志監督のこの作品は、古田新太やベン・ジョンソンが出演し、大企業の資本力をバックにつけた一丁目チームと、不法滞在の外国人労働者を中心にした三丁目チームが、町内運動会で死闘を繰り広げるというとんでもない馬鹿映画だ。その大馬鹿ぶりにいたく感動した記憶がある。そして今回も、それと同じ、あるいはそれ以上ともいえる感動を手にすることができた。

チーム☆アメリカは、「サンダーバード」でおなじみの特撮人形劇である。暗躍するテロリスト退治のために、アメリカに本部を置く国際警察(自称)が世界各地に出動し大活躍をする、という設定は、もちろんポスト冷戦時代のアメリカをおちょくったものだ。そして、この映画自体が80年代以降大量に生産されている、いわゆる「ハリウッド超大作」、つまり冗談のような資本を投入し、内容よりも見た目の派手さで勝負する映画のパロディーになっている。どちらかというと力点が置かれているのは後者のほうで、ジェリー・ブラッカイマーやローランド・エメリッヒなどのスタッフ、政治に口を出す俳優達、そして彼らが生み出したクソ映画が次々とおちょくられることになる。

そのおちょくり方は徹底的で、まるで容赦がない。だからこうした大作映画を真面目に愛している人は不快に感じるかもしれない。だが、多くの「ハリウッド超大作」ファンは、その馬鹿馬鹿しさを楽しみにしている。もちろん自分もその1人だ。そういう人にとって、この映画は最高に楽しい作品と言える。逆に、最初から超大作に一切目を向けず、通好みの単館上映作品ばかり観ている人には、おちょくられている内容が理解できないだろうから、あまりお勧めできない。

米国で「パロディー映画」がジャンルとして確立しているということは、「おちょくる文化」があるということだ。そこで鍛え上げられた技術が、この作品や、「華氏911」といった傑作を生んでいる。日本はどうだろう。「国民新党」の悲惨な4コママンガを引き合いに出すまでもなく、日本ではあまりその文化が育っていない。もっとも、2ちゃんねるを見ていると日々ブラックな笑いの攻撃が展開されており、日本人にその技術の素養がないわけではなさそうだ。かつては「滑稽新聞」の宮武外骨(1867~1955)のような優れたパロディー作家もいた。ということは、それらがあくまでアンダーグラウンドなものと理解されているために、表に出てきていないだけなのかもしれない。

ところで、この映画はハリウッドだけでなく、俳優つながりでブロードウエーもヤリ玉にあげている。主人公ゲイリーが出演していたエイズ・ミュージカル「LEASE(リース)」は言うまでもなく「RENT(レント)」である。また、とんでもないところで出てくる「キャッツ」の話題。「マキャビティ」とか「ランペルティーザ」といった猫の名前を出すあたり、相当マニアックである。マニアックといえば、「ミストフェリーズ」だけは、「ミスター・ミストフェリーズ」と言っていたように聞こえた。

映画についての攻撃も、いずれも観ていなければ分からないポイントを突いている。この作品のクリエーターが、いかにおちょくる相手をよく研究しているか、ということがよく分かる。それは、もはやひとつの愛の形と言えるかもしれない。

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音楽も出色の出来。サントラCDを迷わず購入した。

「チーム☆アメリカ ワールドポリス」公式サイト

http://www.teamamerica.jp/

(追記)

映画を見ながら、ところどころでハル・ニーダム監督による世紀の珍作「メガフォース」を何となく思い出していた。あとで調べたら、マット・ストーンはこの作品を「生涯のベストワン」というほど評価しているのだそうだ。改めて自分の目の確かさに感動した。

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ダグラス・アダムス「銀河ヒッチハイク・ガイド」

1978年にラジオ・ドラマとして誕生し、その後小説として出版されベスト・セラーとなったダグラス・アダムスのSF作品「銀河ヒッチハイク・ガイド」の映画化。アダムス自身が脚本を執筆したが氏は2001年に急逝。その遺稿をもとに制作された。

突然宇宙に放り出された主人公が、キテレツな宇宙人達にほんろうされながらもたくましく冒険を続ける様を描き、そこに社会や人間の本質に迫る考察を散りばめていく。

要するに、「21エモン」(藤子・F・不二雄、1968-69)だ。

どうも21エモンという同ジャンルの傑作マンガを読んでいるために、今ひとつこの映画はピンとこなかった。ギャグも、そこに隠されたメッセージも、どうも鋭さが足りないように思えてしまったのである。原作は読んでいないが、ひょっとしたら原作はもっと英国人らしい皮肉にあふれたものになっているのかもしれない。それが、ハリウッドによって(しかも配給はブエナ・ビスタ)、皮肉のエッジが丸くなってしまったのだろうか?

あるいは、セリフを英語で理解できると少し印象が変わったかもしれない。今回、六本木ヒルズのヴァージンTOHOシネマで観たのだが、場所がら外国人客も多く、彼らは自分達が笑えないシーンでもゲラゲラ笑っていた。

映画全体のテイストは嫌いではないし、テンポのいい展開、サム・ロックウェルの強烈な演技、美しい映像など、作品の出来としては悪くないと思うので、興味のある人は観てソンはない。ただ、「21エモン」が今読み返しても新しさを感じるのに比べ、この映画にはどうも古さを感じてしまったのがいかにも残念である。

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「銀河ヒッチハイク・ガイド」公式サイト

http://www.movies.co.jp/h2g2/

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2005年9月 4日 (日)

かつしか区民ミュージカル「うちの猫がいなくなった」

「みそしれる歌舞の会」の中の人が、今週は役者として別の公演に出るから来いというので出かける。(財)葛飾区文化国際財団主催のファミリーミュージカル「うちの猫がいなくなった」だ。この財団はもともと相当豊富な資金力があったらしく、コンサート施設「シンフォニーヒルズ」や劇場「かめありリリオホール」などを所有している。しかし最近は区の補助も削減されがちで、自主公演は減ってきているらしい。その一方で、区民の手作りによる公演などを企画しているようだ。窮余の策なのかもしれないが、人材育成、そしてすそ野を広げるという意味でこうした取り組みは評価していい。今回の公演もその一環であり、この財団が設置した「かつしかドラマスクール ミュージカルコース」の受講者が中心になっている。

会場はシンフォニーヒルズの「モーツァルトホール」。1階席、2階席合わせて1000席もある立派なホールに驚く。四季劇場「秋」より大きい。当然舞台も巨大である。さらにオーケストラピットに演奏者がいてびっくり。なんと生オケだ。見習え、四季。そしてその編成の大きいこと。オペラでもできそうだ。彼らは葛飾フィルハーモニー管弦楽団で、やはり財団がサポートしている。こんな立派なオーケストラのミュージカルなんて、ブロードウェーでもウエストエンドでも観たことがない。ついでに言えば、ミュージカルでオケピの演奏者が全員正装しているのも初めて観た。三谷幸喜の「オケピ!」でコンダクターが解説しているように、オケピの住人は、たいがいラフな格好をしているものである。

「うちの猫がいなくなった」は、ゴミ捨て場ではなく、下町の屋根の上に集まるキャッツたちを人間の視点でとらえながら、人と動物、人と人との心の交流を描くという作品である。この公演自体が文化政策の一環である以上、構成に制約も多かったものと想像するが、そうした制約をうまく脚本や演出の中に取り込んで、口当たりのいい作品に仕上げている。

外部からの客演として、和田圭市が参加。「五星戦隊ダイレンジャー」のリュウレンジャーである。ダイレンジャーは、5人全員が中国拳法の達人という設定で、気合いの入った登場人物と演出に特徴があった。熱さで言えば恐らくシリーズナンバーワンで、比較的評価も高い作品だ。その和田だが、最初はなんだか池田成志のようにうさんくさい雰囲気で登場したものの、長身と、スーツでは隠しきれない体格の良さで実に見栄えがする。しかも動きにはキレがあり、実に舞台映えする役者だ。演技も自然で説得力があり、歌声もよく伸びていた。まだまだ日本の演劇界も捨てたものではない。ぜひ、次の「レ・ミゼラブル」公演ではアンジョルラスに挑戦してほしい。今年、アンジョルラスにキャスティングされた岸祐二は「激走戦隊カーレンジャー」のレッドレーサーだ。さらに、日本の初代アンジョルラス、内田直哉は「電子戦隊デンジマン」のデンジグリーンだ。アンジョルラスは、スーパー戦隊枠なのである。

さて、「みそしれる歌舞の会」の中の人は、あつかましくも主役で登場。いきなりソロナンバーを披露して度胆を抜いた。だが歌声には十分な張りがあり、話すセリフもきれいに届く。母音法だけが発声ではないのだ。見習え、四季。小さい体でめいっぱい大きく演技して、舞台の大きさ、共演者の長身に負けていなかった。恐れ入りました。

愛猫トラのマジックで出現した豪華なプレゼントを目にするシーンでは、ちょっと「美女と野獣」のベルを思い出した。そういえば、沼尾みゆきがベルを演じているらしい。しかし来週以降、ダークサイドなイベントが続くので、今年2回目の福岡はもう少し先になりそうだ。

katsushika

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