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2005年7月18日 (月)

東京ディズニーシー「レイジングスピリッツ」

東京ディズニーシー、2001年の開業以来初めての新規アトラクションとなる「レイジングスピリッツ」が登場。公式オープンは7月21日からだが、先週末の3連休には稼働していた。一切インフォメーションはせず、オープン前にアトラクションを動かすのは「スニーク」と呼ばれ、東京ディズニーランドでは一般的なことだ。というわけで、3連休の最終日である7月18日に乗ってきた。

<注意! 予備知識なくアトラクションを体験したい、という人は絶対にこの先は読まないでください。激しくばれます>

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TDSで過ごす4時間

上のエントリーのおまけ。この日の行動を時系列で追ってみよう。

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実相寺昭雄「姑獲鳥の夏」

あえて言おう。これは、京極夏彦作品の「初めての映像化」である。

もちろん、それは事実ではない。例えば「巷説百物語」は、WOWOWで2000年にドラマ化され、さらに2003年にはアニメーションにもなっている。

しかし、そのいずれも、「巷説百物語」の真の魅力を伝えるものではない。「巷説」は、その真相をあばくことが難しい事件や、真相をあばくことでより人々を不幸にしてしまう事件を、人の心に住む「妖怪」の力を借りたり、あるいは「妖怪」のせいにして解決するという作品だ。見せ場は犯人に自白を促すための「妖怪」を使った大仕掛けで、これに近いドラマといえば「ザ・ハングマン」である。

だが、WOWOWのドラマは、テレビ朝日で金曜9時から放送していた「ザ・ハングマン」ではなく、テレビ朝日で金曜10時から放送していた「必殺仕事人」のほうだった。出演者、セット、演出、すべて「必殺」へのオマージュとして捧げられ、殺しのテクニック(別の意味での「仕掛け」)を見せることに力を入れていた。いっぽうアニメーションのほうは、人の心に住んでいるはずの妖怪を、そのまま現実に登場させるというホラー・ファンタジーになっていた。もっとも、この2作とも決して失敗作ではなく、もともとそういう意図で制作されたようだ。その証拠に、どちらにも京極夏彦氏自身が嬉々として出演している。

映画「嗤う伊右衛門」も含め、これらは作品としては魅力的でも、京極作品に共通して流れるテーマである「世に不思議なし、世すべて不思議なり」というテーマを正面からとらえていないのである(恐らく意図的に)。

そこを行くと、今回の「姑獲鳥の夏」は、まさしくこの視点で描かれた映画だ。京極作品と四つに組んだ手応えの感じられる、初めての映像作品。だから自分は「初めての映像化」と言った。

作品のイメージをリアルに再現した実相寺

監督は実相寺昭雄。これを聞いたとき、この映画化が、京極作品に真正面から取り組むものになることを確信した。ウルトラセブン「第四惑星の悪夢」など、アクの強い演出のイメージが強いために、斜に構えた演出家と認識している人も多いかもそれないが、それはもう40年近く前の話だ。88年の「帝都物語」を観たとき、自分はあまりにも小説のイメージがリアルに再現されていたことに驚愕した。破壊に執着する加藤保憲の表情、加藤に対峙する土御門の形相、白馬に乗り決戦の地へ向かう辰宮恵子、都市計画を説明する渋沢栄一、そこで突拍子のない提案をする寺田寅彦・・・。すべてが、小説を読みながら思い描いていた通り、あるいはそう思わせる映像だった。また、宝塚歌劇「エリザベート」のビデオ版は、実相寺がその監修を手がけている。これは舞台の魅力を余すところなく伝え、むしろさらにパワーアップさせた舞台収録映像の傑作だ。これらの記憶から、実相寺は「やってくれるだろう」と確信していた。

そして、この予想はほぼ当たっていた。

「この世には不思議なことなど何もないのだよ、関口君。」

「憑きもの落とし」を生業とする男がこのセリフを吐くという逆説。この映画が、執拗にこのセリフにこだわっているのは、「世に不思議なし、世すべて不思議なり」に正面から取り組むという姿勢を示している。まずこの姿勢に大いに満足した。

そして小説のイメージそのままに繰り広げられる映像。京極堂も、薔薇十字探偵社も、何もかもがそのままだ。このシリーズを読んだ者にはたまらないシーンが続く。

京極堂シリーズは、最後の謎ときに至るまでに重厚な語り口の膨大な文章を綴り、それを読ませることでクライマックスの衝撃度を高密度にするという構造に特色がある。映画では、その重厚な語り口を実相寺の演出が担当していた。セリフを多くしたとしても、映画の時間は2時間そこそこ。自ずと限界がある。セリフよりも映像に説得力を持たせよう、という判断は正しい。セリフではなく映像が饒舌に語ることで、最後の謎解きがセリフでは理解できずとも、何となく納得できるようになるという効果もある。

そして、おどろおどろしい話でありながら、観ていてつらくない。この味わいも、京極作品そのままだ。

テーマ、イメージ、構成、テイスト、すべてが京極作品に敬意を表し、それを理解し、映画というメディアの上で再構築している。このプロジェクトは成功と言っていいたろう。

キャスティングは賛否両論か

自分のような「京極作品は好きだが、全部読んでいるわけではない」という中途半端な立ち位置の人にはぴったりかもしれないが、全く京極作品あるいは京極堂シリーズを読んだことのない人、あるいはコアな京極堂ファンの人だとどうなるだろう。

全く知らない人でも、楽しい作品になっているとは思う。映像は美しく、テンポもいい。ただ、「世に不思議なし、世すべて不思議なり」を早い段階で理解できないと、「不思議なし」か「不思議なり」の結末を期待して、拍子抜けしてしまうかもしれない。

一方コアなファンの場合はどうか。恐らく、ぽぽんさんの意見が代表している。そこでは、配役をどう受け止めるかが大きな問題のようだ。

阿部寛は素晴らしい。というより、映画化の話を聞く前、京極堂シリーズを読んでいるときから、「榎木津礼二郎は阿部寛だよなあ」と思っていたので、キャスティングが発表されたときは当然すぎて拍子抜けしたものだ。身長の記述さえなければ、及川光博でもいいと思ったのだが。ちなみに、阿部寛の才能を日本で一番早く見抜いたのは、俺である。「はいからさんが通る」という映画の題名はもはや阿部寛のプロフィールからも抹消されているが、あの映画を観たとき、南野陽子のかわいさ、丹波哲郎の見事な演技を押しのけて、阿部の存在感は際だっていた。その後、つかこうへい先生が俺に遅れること5年ほどで彼の能力に目をつけ、「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」が生まれたのだ。阿部寛を発見したのは、俺とつか先生である。

榎木津びいきな自分としては、もっと活躍してもらいたかった(≒もっと馬鹿であってほしかった)ような気もするが、それは京極堂シリーズ外伝である「百器徒然袋」を読んでいるからで、京極堂シリーズ本編では、榎木津は何の役にも立っていない場合が多い。それに短い映画の中では、榎木津が前に出すぎるとバランスが崩れるのだろう。ぜひ、「百器徒然袋」を、阿部寛主演でテレビシリーズ化でもしてほしいものだ。

堤真一の京極堂、永瀬正敏の関口巽については意見が割れるところだろう。自分としては納得。堤は京極堂の人生の大半を占めると思われる不機嫌な表情をきっちりと作っていたし、永瀬はそこに漂う空気感のようなものが、関口にぴったりだった。

しかし拾い物は田中れいな、じゃなかった麗奈の中禅寺敦子だろう。京極堂シリーズ唯一のまともな人物(たぶん、京極堂の妻・千鶴子もたぶんヘンな人だと思うから)、敦子は、ただ1人明るく輝き、それによって読者を安心させるとともに、闇をより深く描き出すという機能を持っている。その機能を、田中は映画の中で存分に果たしてくれていた。

シリーズ化に期待

さて、かなり大金を注ぎ込んだこの映画、シリーズ化はされるのだろうか。ぜひしてもらいたいものだ。自分はキャストはこのままでもいいが、阿部寛以外は別の役者で見るのも悪くはない。そうなると、京極堂は誰だろう?自分が小説を読みながら想像していた人物は、実は京極夏彦本人だったりするわけだが・・・。

 

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「姑獲鳥の夏」ホームページ(音出ます。職場では注意)

http://www.ubume.net/

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2005年7月13日 (水)

再起動

目が覚めたら何とか体が動いたので、渋々出勤。

帰りに柏のラーメン店に寄り、ふらふらとゲームセンターに入る。

400円でデール(もう間違わない)とチャーミーキティを入手。ちゃんとキティの宝石箱のカギがネックレスになっている。

そこでやめておけばよかったのに、大きなモモを獲得しようと1000円投資して失敗。

まあ、俺の人生その程度ということだろう。

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それにしてもチャーミーキティがキティのペット、という設定は、ネズミが犬を飼っているD社の世界観を上回る、デンジャラスな香りが漂っていてナイス。

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2005年7月12日 (火)

が・・・  ま・・・

体が動かなくなった。

土曜の夜、「宇宙戦争」を観た帰り、豪雨に見舞われたので家まで走ろうとしたところ、何気ない段差で足を踏み外し、派手に転んだのだ。「ド根性ガエル」でひろしがピョン吉をシャツにはり付けたときのような体勢で。

日曜はずっと寝ていた。腹筋が痛いな、というぐらいだから、寝ていれば直ると思っていた。

今朝、起きたら足首、ひざが痛くなっている。何気ないカオで出勤したが、だんだん体中が痛くなってきた。

夜になって、腹筋の痛みが本格化してきた。「内村プロデュース」を見ていたが、笑うと苦しいのでやめる。小学6年生のとき、盲腸の手術後で笑うとつらい、という同級生に、わざと「いなかっぺ大将」の単行本をお見舞いに持って行ったことがある。あんなことしなきゃよかった。ごめんなさい。

いちど座ると立ち上がれない。このまま寝たら、一生起きあがれないんじゃないか。これはいけない、とりあえずあたためようと、体を引きずって風呂に入った。

驚いた。きのうはシャワーを浴びただけで気付かなかったが、手足のあちこちにあざができている。茨城弁で言うと「青なじみ」。

これはあたためるのは間違いかも、と感じて早々に風呂から出てきたが、それでもすこし楽になった。たぶん本当に間違っている。

教訓。

30過ぎてから足を踏み外すと、痛い。

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2005年7月10日 (日)

NHK教育テレビ「ツバサ・クロニクル」

NHK教育テレビでこの春から放送している「ツバサ・クロニクル」。何となく見ており、そのうち飽きるかな、と思っていたが飽きずに15回も見てしまったのでこちらにメモしておく。

原作はCLAMPが少年マガジンに連載している「ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-」。「カードキャプターさくら」や「魔法騎士レイアース」ほか、これまでCLAMP作品に登場したキャラクターや設定が形を変えて登場しながらストーリーを織りなしていくという、CLAMP版「大甲子園」だ。

自分はCLAMPのマンガは「ちょびっツ」しか読んだことがなく、アニメーションも「さくら」「レイアース」をそれぞれ半分ぐらい見ている程度だが、それでも「おお、あのキャラクターが」というのが毎回のように出てきて楽しい。コアなファンならなおさらだろう。

また、CLAMPファンにとってだけでない、マニアックな仕掛けも多数用意されている。メインキャラクターの1人、黒鋼(くろがね)の声は稲田 徹。そう、「特捜戦隊デカレンジャー」のドギー・クルーガーである。これだけならただの偶然だけど、レイアースでもおなじみ「モコナ」の声が、菊地 美香。デカピンクだ。明らかに確信犯である。関係ないけどデカイエロー(ジャスミン様)は「ガラスの仮面」に出演中。

先週からは、いつか出てくるだろうと思っていたエメロード姫が登場。何と声が島本須美という豪華キャストである。島本須美は「カリオストロの城」のクラリスやナウシカ、そして「めぞん一刻」の響子さんなどで有名だが、NHKで島本と言ったら「スプーンおばさん」のルウリイである。あの番組を放送していたころ、自分は受験を控えた中学3年生だった。家に帰るとまずスプーンおばさんを視聴して、飯を食い、勉強するという生活だったことを思い出す。

とにかく、相変わらずNHKのプロデュース力と財力には脱帽するばかりだ。それで良質なコンテンツが作れるのなら、受信料ぐらい喜んで払おう。

ところで、CLAMPが1人の漫画家ではなく、4人の合作ペンネームであるということはごく最近知った。この方式は他にもどこかで聞いたことがあるな。何だっけ。

あっ、「どおくまん」だ。

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「ツバサ・クロニクル」のページ

http://www3.nhk.or.jp/anime/tsubasa/

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スティーブン・スピルバーグ「宇宙戦争」(ばれます)

世の中には、2種類の映画ファンがいる。スピルバーグが好きな映画ファンと、スピルバーグが嫌いな映画ファンだ。スピルバーグを嫌う人は、彼の映画には知性がないと言う。でも、映画に知性なんてクソクラエな自分としては、当然スピルバーグが大好きなんであります。

一時期、嫌いになっていたときもあった。妙に社会的な作品を作っていた頃である。しかし「シンドラーのリスト」でアカデミー賞を獲ってからは、またこっちの世界に戻ってきてくれた。そして、それ以降は作るたびに馬鹿映画の巨匠として不動の地位を確立しつつある。

そして今回の「宇宙戦争」。また一歩、その階段を上ったような気がする。スピルバーグの最高傑作として誰もが認める「1941」には一歩及ばなかったかもしれないが、出色の出来と言っていいのではないか。

何が驚いたかって、H.Gウェルズの原作、そして1953年の映画「宇宙戦争」のイメージをそのまま受け継いだことである。通常、著名な監督が原作のある映画やリメイクに取り組む場合、独自の視点でイメージを再構築するものだ。

だがこの映画で見た光景は、小学2年生のときに読んだ「

宇宙戦争

うちゅうせんそう

」に描かれていた挿絵や、東京12チャンネルで土曜日の午後に放送していた1953年製作の映画を観たときに、印象に残った映像そのままである。「3本足ロボット」の攻撃や、家の中に入り込んでくるホースのような触手など、大部分の構図が共通している。あまりに唐突な終わり方も忠実になぞった。相違しているのは宇宙人がタコじゃなかったことぐらいだ。もちろん、映像的には最新の技術で格段に迫力あるものとなっている。スピルバーグは、この映画で「イメージを創り上げる」ことは放棄し「イメージを映像化する」ことに注力したようだ。そのねらいは十分達成されている。

CGなどの技術的な進歩はもちろんだが、スピルバーグ自体も進歩している。それは、モンスターの描き方だ。97年の「ロスト・ワールド」の後半、高級住宅街を練り歩くティラノサウルスを見て「スイピルバーグは怪獣の撮り方を知らねえなあ(恐竜だけど)。日本の怪獣映画のビデオを10本も送りつけてやろうかな」と思ったものだ。しかし、どうやら誰かが本当に送りつけたらしい。今回の3本足ロボットの見せ方など、随所に日本の怪獣映画、それも黎明期の、怪獣が恐怖の対象として描かれていたことの作品の影響が強く見て取れる。押しも押されぬスター監督なのに、ちゃんと勉強しているところが泣かせるではないか。

もっとも、「父と子」の絆などを描いた人間ドラマは、ロスト・ワールド同様ぜんぜんダメで、これは全く進歩していない。それでこそスピルバーグというものである。

人には全くもってお勧めできない映画であるが、自分としては大満足。最近、観る映画がどれも満足度が高くて嬉しい限りだ。

ところでこの映画に、ひとつだけ大きな疑問が残る。

いったい大阪ではどうやって3本足ロボットを何体も撃破したのだろう?

「世界最強の国」の軍隊もかなわない敵を、関西人だけはいとも簡単に倒してしまったという伝説だけが映画の中で語られる。きっとスピルバーグは来日したとき、大阪でとてつもなく恐い経験をしたに違いない。

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「宇宙戦争」ホームページ

http://www.uchu-sensou.jp/

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2005年7月 5日 (火)

心して読め! 「DEATH NOTE」7巻(Lや月ならこれでもバレ)

と意気込んではみたものの、週刊少年ジャンプの連載ではとっくに第2部が始まってるわけで。しかも第2部開始のとき、松戸駅前のam/pmで、うっかりジャンプの表紙が目に入ってしまい、第1部の結末ははっきりと分かってしまった。

それにしてもこの7巻、これまでの中で最も難解だ。上野駅で買って、待ちきれずに常磐線の中で読み始めてしまったのだが、通常は柏駅に着くまでの30分で、コミックス1巻など楽に読み終える。松戸まで持たない事も多い。ところが、きょうは柏に着いてもまだ70ページほどしか読み進めていなかった。

ともあれ、第一部完結。そして4年後に時を移して第二部スタートだ。

ミサミサがなんだかオトナになってしまったのが、ちょっとさびしい。

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2005年7月 3日 (日)

クリストファー・ノーラン「バットマン ビギンズ」

「アメリカン・コミックスの映画化」を高いレベルで成し遂げた作品。

ティム・バートン監督のバットマンや、「スパイダーマン」「X-MEN」といった作品は、確かにコミックスが原作ではあるけれども、実に映画的な創りになっていためにその原作をあまり意識することなく観られる。一方で、コミックスを映像化する、ということに優先度を高く置いた作品もある。最近では「デアデビル」なんかがその典型だ。これらはひとつ間違うと「○○の映画化」という以外に何も語るべきことのない作品、「アメコミもの」というまこと失礼な呼び方しかできない映画になってしまうリスクもある。

今回の「バットマン・ビギンズ」は、どちらかというと後者に分類できる。前半のチベットの展開(日本、アジアへの誤解も含む)は実にアメリカンコミックス的だし、後半の舞台となるゴッサム・シティの、アメリカの都市のにおいが伝わってくるようなリアルな描写はどこか無国籍な雰囲気だったこれまでのバットマンシリーズに比べて、生の「アメリカ」を伝えてくるからだ。

これまでの映画とは方向性が違うのは宣伝を観て分かってはいたが、自分が最も違いを感じたのはそこだ。あとは好みの問題だが、これまで「デアデビル」にも「SPAWN」にも「ザ・フラッシュ」にもいまひとつのめりこめなかった自分は、ちょっと壁を感じた。しかしこのテイストが好きだという人も多いだろうし、映画自体は力の入った秀作で、とても「アメコミもの」などと呼ぶ気にはなれない。

渡辺謙やモーガン・フリーマンにリーアム・ニーソンと、きら星のごとく豪華共演陣をそろえているのはこれまでのバットマン映画と同じ。個人的には「えーこれがあの人?」とびっくりさせてくれたゲーリー・オールドマンとルドガー・ハウアーに拍手だ。

今回観たのは柏の小さな映画館。そこには小さいながら3つのスクリーンがある。今上映しているのが「バットマン・ビギンズ」「ミリオンダラー・ベイビー」「ダニー・ザ・ドッグ」の3本。お気づきだろうか?この全てにモーガン・フリーマンが出演しているのである。まさにハリウッドの長門裕之。「スケバン刑事」をハリウッドでリメイクするなら、暗闇指令はモーガン・フリーマンに決定だ。

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スター・ウォーズ 旧3部作連続鑑賞

この土曜日は歯医者のキャンセル待ちをしており、自宅待機だった。することがないので「スター・ウォーズ」旧3部作を通して観ることにした。

旧3部作「特別編」トリロジーBOXはビデオで持っていたのでDVDは買っていなかったのだが、「シスの復讐」を観てむしょうに旧三部作が観たくなったのでアマゾンで購入。税込み6,480円とはお得だ。

旧三部作が観たくなる、というのはこの「エピソード3」が成功だったことの何よりの証左だろう。「ジェダイの帰還」のラスト、ダース・ベイダーを荼毘に付すシーンは、新3部作を観てからだと感動が一層深まる。そのあとの、物議を醸しているあのデジタル処理は、自分としては許容範囲。どうせならクワイ=ガン・ジンも出してほしかったぐらいだ。

結局、歯医者から電話はなかった。

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映画「逆境ナイン」(それはそれ、バレはバレ)

思いがけず面白かった。

「逆境ナイン」は、マイナーながら個別の作品に熱狂的なファンの多かった「少年キャプテン」(97年に廃刊)で89年から91年まで連載された、島本和彦のマンガだ。当時、島本は自らを題材にした「燃えよペン」も連載しており、「炎の転校生」以来突き当たっていた壁を破ったのがこの2作品だったといえる。この後しばらくして、島本マンガの名セリフを集めた「炎の言霊」が出版されて人気を集めたが、この中に「逆境ナイン」のセリフが多数収録されていたことから「もう一度読みたい」という要望が強く寄せられ、コミックスがワイド版で再版となる。自分が逆境ナインを読んだのはこのタイミングだ。作品的には、「炎の転校生」ほどの衝撃はないものの、島本独自のセンスを、ひとつのスタイルとして確立したという点では注目に値するといえるだろう。

それが突然映画化されるという。なにを今さら、と思ったが、「地獄甲子園」の思いがけない高評価や「少林サッカー」「火山高」といった海外のハチャメチャ(死語)映画のヒットにも触発されたのだろう。あるいは「タッチ」へのあてつけか。しかしやはりこの作品の根幹は島本スタイルのマンガ的表現である。それを無理に映像化してもさほど面白くはならないだろう、と感じたので、期待はしていなかった。

しかし6月にオープンしたばかりの「MOVIX三郷」で上映することが分かり、シネコンの見学がてら行ってみることにした。

という心理状態で観たのであるが、存外よく出来た作品である。島本スタイルをどう映像化するのか、あるいはしないのか、という点にまず興味があったのだが、頑張って映像化していた。だが、それは必ずしも成功とは言い難く、2時間弱の映画全体を引っ張るほどの要素には至らなかった。

そこを埋めていたのは、「高校生映画」の遺伝子である。

高校生映画についてはこのエントリーでちょっと触れたけれども、最近で言えば「ウォーターボーイズ」や「がんばっていきまっしょい」のような、ぬるめの温度で高校時代を描いた、多少ノスタルジックな映画のことだ。日本の高校生映画にはいくつか共通する特徴があって、その1つが「地方色を出す」ということだ。

この映画でも、舞台となった三重の風景が、リアルに描き込まれていた。美しい自然や、煙をもくもくと出すいかにも地方にありそうな工場の煙突などを、ロングショットの多用で巧みにスクリーンに落とし込んでいる。また、さりげなく挿入されている夕方のヒグラシの声、明け方に鳴く虫の声、といった効果音も、サブリミナルにノスタルジーを刺激する。こうした小技の部分にも手を抜かない、丁寧な姿勢に好感を持った。

そしてもう1つ、高校生映画になくてはならない共通要素といえば清楚でかわいいヒロインだ。これを演じたのが堀北真希。監督の強い要望で実現したというが、大成功である。目に力のある堀北に、あえてボケた演技をさせることで何ともいえない妙味が生まれた。

基本的には漫画的技法を映像化した作品でありながら、そこに高校生映画の甘酸っぱさで膨らみを持たせ、しかもそこに逃げることなく最後までギャグ映画であり続けた。制作スタッフの「不屈の闘志」が伝わってくる佳作である。

 

と、いろいろ述べてはみたが、ちょっと分かりにくいかもしれない。以前から、自分の文章は整理されていなくて何を伝えたいのかよく分からない、と指摘されてきた。これは自分も大いに反省しているところである。

そこで今回は、グラフを使って自分の感じたところをよりクリアーに伝えてみたいと思う。この映画で受けた感動を分析すると、下記のようになる。

gyakkyo

・・・世の中、分かりにくくしといたほうがいいこともあるわけで。

「逆境ナイン」のホームページ

http://www.gk9.jp/

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