劇場版「名探偵コナン 水平線上の陰謀(ストラテジー)」(ばれます)
「名探偵コナン」の劇場版は、これが9作目になる。毎年ゴールデンウイークの公開が恒例となった。
コナン劇場版には、3つの重要な要素がある。
(1)謎解き。
(2)アクションや舞台設定など、映画的な面白さ。
(3)工藤新一と毛利蘭とのロマンス。
これら3つがどういうバランスで盛り込まれているかを観るのがひとつの楽しみになっている。
一昨年の「迷宮の十字路(クロスロード)」は、(3)が強く印象づけられた。高校生探偵・工藤新一は、現在小学生・江戸川コナンになっているわけだが、恋人・毛利蘭はそれを知らずにコナンに接している。だから新一と蘭とは直接会うことはできない。この「会えない」という関係の中で、どうロマンスを描くのか、という点は、制作側のクリエイティビティを刺激するのだろう。毎回本当に切なく、涙を誘う場面が展開する。特にこの「迷宮の十字路」では、ほんの一瞬、この2人が再会する。これはシリーズのセオリーからすれば反則なのだが、あえてその反則をすることで、一層悲しく、純粋な2人の想いを強調することに成功した。
昨年の「銀翼の魔術師(マジシャン)」は、(2)である。飛行機の中という密室の中で事件が起こり、事件が解決し、その上で飛行機そのものが事件に巻き込まれる。後半の息もつかせないスリリングな展開は、大人でも思わず手に汗を握る。本当に手に汗を握ったのはシルベスター・スタローンの腕相撲映画「オーバー・ザ・トップ」以来だった。
そして今回は(1)の謎解きに重点を置いていた。決して膝を打つようなアッと驚くトリックではないが、ストーリー全体の構図が「二重」というキーワードになっていて(現在と過去、海と陸、という具合に)、そのキーワードが犯罪の種明かしに結びつくという、よく計算された構成に感心する。ここまで練り込まれた脚本が、今の日本映画界にどれだけ存在するだろう。
とにかくこのシリーズは、どの作品も実に丁寧に作られており、スタッフの意気込みが強く感じられる。伏線の張り方やエピソードの見せ方など、きっちりと基本を踏まえた作りになっていて、映画の面白さの基本を改めて思い出させてくれる。これだけ長寿シリーズでありながら、オープニングでは必ず主要な登場人物、コナン誕生のいきさつなどを説明するなど、観る側のことを第一に考える姿勢も好感度大だ。
そして、多くの登場人物を、決して無駄にせず描ききるあたりも制作側の力量を示している。たくさんの容疑者だけでなく、毛利小五郎、鈴木園子、阿笠博士、灰原哀、少年探偵団の子供たちに至るまで、決してずさんに扱わず、それぞれに見せ場と、事件やその解決へのかかわりを用意している。きちんと扱えないキャラクターは最初から出さない。この作品最大のおいしい役どころ、怪盗キッドが9作品のうち2作品にしか登場しないのも、出し惜しみ以上の理由があるのだ。
来年は10作品目が登場する。アニバーサリーとして超大作になるそうで、今から楽しみだ。
しかし、このコナンや「クレヨンしんちゃん」、1年の休養を経て来年復活する「ドラえもん」、そして「ポケットモンスター」などは、興行的に成功を収めているだけでなく、作品としてのクオリティーも相当に高い。日本のアニメーションというと、すぐに宮崎駿や押井守の名前が挙がる。もちろん彼らは素晴らしいけれど、作品は数年に1本しか出てこないし、彼らの個人的才能は真似できるものでもない。コンテンツ産業の振興と育成を考えるなら、これら毎年コンスタントに面白い映画を作り続けている人達の仕事ぶりに目を向け、それを支えているものは何なのか、検証していくことのほうが大事なのではないか。
コナンを上映している劇場に行くと、子供ももちろんいるけど、中高生のアニメファンに混じり、1人で見に来ている大人(すいません、俺もです)や、若いカップルも以外に多く見受けられる。この人達は、ここに良質なエンターテインメントがあることを知っている。それを自分で見つけようとする姿勢を日本人が失わない限りは、日本のエンターテインメント業界にもまだ少しは望みがありそうだ。
名探偵コナン 劇場版ホームページ
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