« 2005年3月 | トップページ | 2005年5月 »

2005年4月23日 (土)

NHK「ファイト」

この方の強い薦めもあり、毎日NHKの連続テレビ小説「ファイト」を視聴している。

残念ながらこの方はリタイヤしてしまったようだが。

この枠では、「ちゅらさん」より後、どうも自分としては気に入った作品がなかった。「さくら」の野口五郎は最高だったし、「こころ」も仲村トオルが生きていたころは面白かった。「天花」ちゃんも可愛いかった。だがいずれも作品としての吸引力に欠けていた。

まだ第4週を終えたところで、ドラマ全体の構図もおぼろげにしかわからないし、その展開はもちろん未知数だ。しかし、大いに期待が持てる手応えが感じられるのは、俳優達の力によるものだろう。

ヒロイン・本仮屋ユイカは爽やかな笑顔が売りである。実際、ほとんどのシーンで笑っている。スマイル0円状態だ。しかし、ごくまれに見せる泣き顔や怒った顔の演技が、実にシャープで強烈な印象を残す。笑顔のイメージがあるだけに余計にそう感じるのだろう。佐々木のフォークが打てないのは、速球があるからだ。速球の投げられなくなった佐々木は、やはり引退を考えるべきだ。

加えて緒方直人。NHKに買われすぎて俳優としての可能性を狭めてしまった感はあるものの、独特の存在感は中井貴一にも通じるものがある。朝のドラマとしては濃い味付けかもしれないが、かつて「走らんか!」では朝から丹波哲郎と木の実ナナという夫婦だった。それに比べればなんでもない。

そして酒井法子である。どこぞのブログで指摘されたから言うわけではないが、実は俳優としての酒井法子はあまり好きではなかった。もちろんアイドルのりPはとてつもなく好きだったわけで、茨城県民文化センターの最前列で観たときのことは今でも鮮明に覚えている。しかし女優としての評価はできなかった。「ひとつ屋根の下」も「星の金貨」も、なんだか上滑りしているような気がしていた。「利家とまつ」は痛くて見ていられなかった。

だが今回は違う。離散していく家族の中で、自分をしっかりと見据えながら夫や子供たちに愛情を注ぐ若い母親を好演している。

ご存じの方も多いと思うが、彼女の育った家庭環境は極めて複雑である。しかしその数奇な運命を自力で乗り越え、アイドルスターの座を確立し、家族の安定した暮らしを手に入れたと同時に父を失った。そうした背景があるからこそなのだろうか。彼女の演じる「家族」の肖像には、鬼気迫るほどのリアリティーがある。

もともと、彼女には演じる才能があったのだろう。これまでのドラマ出演では感じられなかったが、それ以前、つまりアイドル時代には、のりPというキャラクターを見事に演じていたのだから。あれはまさにプロの仕事だった。

アイドルというのは、基本的にキャラクタービジネスである。自分を素材としてキャラクターを作り、作られたキャラクターを本人が演じる。キャラクターと本人とは密接な関係があるけれど、本質的には別ものだ。だから、恋人が発覚して「もうモーニング娘。の矢口を演じることができない」と言った矢口の言い分は、間違っていない。問題なのは、「本人」のプライベートを流出させて「キャラクター」のブランド価値を落とした周りの大人たちである。松浦のときといい、いったい何をしていたのか。そのキャラクターでビジネスをしているのだから、そこを管理できなくてどうする。ディズニーは、ミッキーマウスの中に人が入っている、ということを絶対に認めないし、中に人が入っているということを示す写真などは絶対に漏れない。それがヌイグルミであることは誰もが知っているにもかかわらず、である。キャラクタービジネスとはそうして価値を維持するものではないのか。

そして、松浦のケースでも矢口の場合でも、付き合っていた男も悪い。これは俺が何を言っても僻みにしか聞こえないだろうから、ひとつ宗方コーチにびしっと言ってもらおう。

todo munakata

そうだそうだその通りだ!

いや、「ファイト」の話だった。まだ全体の評価を下すには時期尚早であるが、本仮屋、緒方、酒井の3人に加え、由紀さおりと児玉清演じる力のぬけた夫婦をはじめ、興味深い人物が次々に出てくる。これからますます楽しみだ。

「ファイト」のホームページ

http://www.nhk.or.jp/asadora/

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2005年4月18日 (月)

四季「夢から醒めた夢」
その8 北澤裕輔見参

※今回のシリーズは激しくネタバレしますのでご承知おきください。

まだやるのか、と言われるかもしれませんが、はい。やります。 実は先日のトリプルヘッダー以降、もう1回観ているのでこれが5回目。キャストが4回目、5回目と同一だったのでまとめてアップする。

ピコ 吉沢梨絵
マコ 紗乃めぐみ
マコの母 早水小夜子
メソ 有賀光一
デビル 光枝明彦
エンジェル 藤原大輔
ヤクザ 野中万寿夫
暴走族 吉原光夫
部長 田中廣臣
老人 武見龍磨
老婦人 斉藤昭子
夢の配達人 北澤裕輔

ピコ、マコは吉沢梨絵×紗乃めぐみ。共演陣がだいぶ入れ替わった。目玉は「ライオンキング」で長年シンバを演じていた北澤裕輔が夢の配達人として参戦したことだ。 どうもアクの強い下村配達人に慣れきってしまったため、ほかの役者を受け入れられるかどうか不安だったが、なかなかいいキャスティングだった。若く、ハンサムな配達人はそれだけで目を引く。そして立ち姿が非常に美しい。下村に比べると動きの少ない表情が、最後までいい奴か悪い奴かわからない、つかみどころのなさを感じさせる。下村の場合はつかみどころがないというより、ぬるぬるしててつかみにくそうだ。

ただ、やはりセリフ回しは下村が数枚上手で、例えば終盤でマコを迎えにきたときに「マコ。もう時間だよ」と声をかけるあたりは、下村がその残酷な発言を精一杯の優しさに包み込んで放っているのに対し、すっと流してしまっているように聞こえる。だがそれは演技の解釈の問題かもしれないし、場数を踏めばさらに良くなっていくだろう。

また、彼のルックスをうまく生かしているのが、帽子のかぶり方だ。すこし目深にかぶり、照明の関係で常に顔が半分ぐらいしか見えなくなっている。

↓ちょうど「ドカベン」の不知火のような感じだ。

shiranui

この雰囲気が、ますますつかみどころのなさを増幅させている。

ほか、部長も広瀬広瀬明雄から田中廣臣にかわった。広瀬の巧まざる(本当は計算している)笑いのセンスとはまた違うが、こちらも若さを生かした大きな動きでなかなかの好演だ。

吉沢ピコは絶好調である。赤塚不二夫のまんがに出てくる女の子のような、元気なピコを力強く演じている。確かにラストの歌い上げなどでの声量不足は感じるが、「四季メソッド」の歌い方よりも、三木たかしの曲には彼女のようなナチュラルな歌い方のほうが似合うのではないか。花組としては木村ピコを、四季ヲタとしては樋口ピコを評価しなければいけないところだが、すっかり吉沢ピコが気に入っている。

紗乃めぐみは自信がついたのか、演技にも力が入ってきた。ただあまり自信満々になると、マコの性格と相容れなくなってくる。まあ役者に謙虚になれというのもナンセンスか。一度壁にぶつかったとき、どうなるかがポイントだろう。きれいな声なので、残ってほしい人材だ。

きょうのハプニング

ピコ、メソがマコを迎えにくるシーン。転換で降りるはずの暗幕が降りなかった。手動でおろしたり、代わりの幕を下ろしたりしたが混乱と音が漏れてしまった。舞台にハプニングはつきものなので、いちいち目くじらを立てるつもりもないが、どうもこう頻発するとやはり多作品同時公演のひずみが出ているような気がしてならない。

きょうの過ち

パスポート忘れた。4回目も、5回目も。

おもわず他の客のカバンからパスポートを抜き出して「僕のだ!」と叫びたくなった。

おかげでまだスタンプ1個だ。5回も見とるのに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ゴーゴーカレーオフに参加

昼に「思い出を売る男」を観て、夜の部はまたもや「夢から醒めた夢」を観よう、と思ったが、「思い出を売る男」が1時間20分しかないため、インターバルが3時間もある。

仕方ないので、この不埒な企画に参加することにした。

キャベツ追加の声がつい石丸幹二風になってしまったが、店の人には分かってもらえなかったようだ。

gogo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年4月17日 (日)

四季「思い出を売る男」(ばれます)

92年の初演、2003年の再演、ともに見逃していたストレートプレイ「思い出を売る男」を自由劇場で上演するというので出かけていった。

主役は違いの分かる男、石丸幹二。共演にも下村尊則、芝 清道、五東由衣、そして日下武史と、主役級をずらりとそろえた。浅利慶太や日下武史ら、劇団四季創設メンバーの恩師にあたる加藤道夫の作品ということで、力の入りようがうかがえる。

戦後の混乱期、「思い出を売る」という奇妙な商売を始めた青年と、クセのある登場人物との軽快なセリフのやりとりを通じて描き出す人間模様。1時間20分ほどの小品で、あっという間に終わってしまうが、そのぶん強烈に印象に残る作品だ。

セリフや主人公以外の人物設定は極めて具体的で、抽象的な部分は少ない。しかし見方によってそのテーマも、主人公の設定も、そしてこれがリアリティーを追求したものなのかファンタジーなのか、というジャンルまでも、様々な解釈ができる。そして何も考えずに、短編ドラマとして観ても十分に楽しい。四季が「珠玉の作品」と胸を張るだけのことはある。

だがそれだけに納得がいかないのは、冒頭の日下武史の「口上」だ。スーツ姿で登場し、加藤道夫と四季の関係や、この脚本が書かれた背景などをとうとうと語る。知って欲しいという気持ちは分かるが、本来その気持ちは作品の中で表現すべきことだろう。スピーチで片づけてしまうのは、反則技である。

日下がはけたあと、本当のオープニングシーンでは、軍服に身を包んだ石丸が、サックスを吹きながら客席の中をゆっくりと舞台に向かって歩いていく。自由劇場という演劇専用空間と、よくできた舞台装置ともあいまって、観客を一気に戦後の混乱期にタイムスリップさせる、力のあるオープニングになっている。これがあれば、口上など不要だ。

四季は今後もこの作品を記念碑的に上演していくのだろう。しかし、そういうセレモニーにしてしまうには惜しい作品だ。もっと脚本に手を入れればより多くの人に刺激と感動を与えられるだろうし、あるいは映像化などしても面白いかもしれない。そうしても、この作品のもつ世界観は揺らぐことはないだろう。

大事にしすぎるあまり「角を矯めて牛を殺す」ことにならないようにしてほしい。自分はこの作品を、もっと観たい。

きょうのおみやげ

会員証を提示すると、特製ピンバッチがもらえる。

omoide

思い出を売る男 公式サイト

http://www.shiki.gr.jp/applause/omoide/index.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年4月12日 (火)

劇場版「名探偵コナン 水平線上の陰謀(ストラテジー)」(ばれます)

「名探偵コナン」の劇場版は、これが9作目になる。毎年ゴールデンウイークの公開が恒例となった。

コナン劇場版には、3つの重要な要素がある。

(1)謎解き。

(2)アクションや舞台設定など、映画的な面白さ。

(3)工藤新一と毛利蘭とのロマンス。

これら3つがどういうバランスで盛り込まれているかを観るのがひとつの楽しみになっている。

一昨年の「迷宮の十字路(クロスロード)」は、(3)が強く印象づけられた。高校生探偵・工藤新一は、現在小学生・江戸川コナンになっているわけだが、恋人・毛利蘭はそれを知らずにコナンに接している。だから新一と蘭とは直接会うことはできない。この「会えない」という関係の中で、どうロマンスを描くのか、という点は、制作側のクリエイティビティを刺激するのだろう。毎回本当に切なく、涙を誘う場面が展開する。特にこの「迷宮の十字路」では、ほんの一瞬、この2人が再会する。これはシリーズのセオリーからすれば反則なのだが、あえてその反則をすることで、一層悲しく、純粋な2人の想いを強調することに成功した。

昨年の「銀翼の魔術師(マジシャン)」は、(2)である。飛行機の中という密室の中で事件が起こり、事件が解決し、その上で飛行機そのものが事件に巻き込まれる。後半の息もつかせないスリリングな展開は、大人でも思わず手に汗を握る。本当に手に汗を握ったのはシルベスター・スタローンの腕相撲映画「オーバー・ザ・トップ」以来だった。

そして今回は(1)の謎解きに重点を置いていた。決して膝を打つようなアッと驚くトリックではないが、ストーリー全体の構図が「二重」というキーワードになっていて(現在と過去、海と陸、という具合に)、そのキーワードが犯罪の種明かしに結びつくという、よく計算された構成に感心する。ここまで練り込まれた脚本が、今の日本映画界にどれだけ存在するだろう。

とにかくこのシリーズは、どの作品も実に丁寧に作られており、スタッフの意気込みが強く感じられる。伏線の張り方やエピソードの見せ方など、きっちりと基本を踏まえた作りになっていて、映画の面白さの基本を改めて思い出させてくれる。これだけ長寿シリーズでありながら、オープニングでは必ず主要な登場人物、コナン誕生のいきさつなどを説明するなど、観る側のことを第一に考える姿勢も好感度大だ。

そして、多くの登場人物を、決して無駄にせず描ききるあたりも制作側の力量を示している。たくさんの容疑者だけでなく、毛利小五郎、鈴木園子、阿笠博士、灰原哀、少年探偵団の子供たちに至るまで、決してずさんに扱わず、それぞれに見せ場と、事件やその解決へのかかわりを用意している。きちんと扱えないキャラクターは最初から出さない。この作品最大のおいしい役どころ、怪盗キッドが9作品のうち2作品にしか登場しないのも、出し惜しみ以上の理由があるのだ。

来年は10作品目が登場する。アニバーサリーとして超大作になるそうで、今から楽しみだ。

しかし、このコナンや「クレヨンしんちゃん」、1年の休養を経て来年復活する「ドラえもん」、そして「ポケットモンスター」などは、興行的に成功を収めているだけでなく、作品としてのクオリティーも相当に高い。日本のアニメーションというと、すぐに宮崎駿や押井守の名前が挙がる。もちろん彼らは素晴らしいけれど、作品は数年に1本しか出てこないし、彼らの個人的才能は真似できるものでもない。コンテンツ産業の振興と育成を考えるなら、これら毎年コンスタントに面白い映画を作り続けている人達の仕事ぶりに目を向け、それを支えているものは何なのか、検証していくことのほうが大事なのではないか。

コナンを上映している劇場に行くと、子供ももちろんいるけど、中高生のアニメファンに混じり、1人で見に来ている大人(すいません、俺もです)や、若いカップルも以外に多く見受けられる。この人達は、ここに良質なエンターテインメントがあることを知っている。それを自分で見つけようとする姿勢を日本人が失わない限りは、日本のエンターテインメント業界にもまだ少しは望みがありそうだ。

strategy2

名探偵コナン 劇場版ホームページ

http://www.conan-movie.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年4月10日 (日)

本館リニューアルのごあいさつ

このたび、本館を改装し、再オープンいたしました。

旧来のコンテンツはそのまま引き継ぎましたが、URLと記事のIDは変わっております。

これまでコメント、トラックバックなどをいただきました皆様、ありがとうございました。今後ともご指導ご鞭撻を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年4月 5日 (火)

ジャッキー・チェン「香港国際警察 NEW POLICE STORY」(ばれ)

うーむ、面白い。面白いぞ!偉大なり、ジャッキー・チェン。

もう50歳だというのに、過激なアクションに真っ向から取り組む姿勢には本当に頭が下がる。しかしそれだけではない。今回は、冒頭から中盤すぎまで、ずっとジャッキーはアルコール浸りのすさんだ生活を送っている。悲惨な事件のショックからだが、ここまで落ち込んでいる演技を見せるのは初めてではないだろうか。50を過ぎてなお、新たな領域を切り開こうとするその心意気が実に天晴れだ。

そしてジャッキーと共に、香港映画の成長ぶりも目を見張る。この国の映画は、この20年ほどの間、昨年より今年、今年より来年、という具合に着実に面白くなってきた。ポリス・ストーリーシリーズだけを見てもずいぶんと進化している。昔はマフィアやギャングといった、いかにも悪党が相手だったのに、今回の相手は暇つぶしに犯罪を起こす金持ちのボンボンという、完全な都市型犯罪者だ。

香港映画の強みは、ハリウッド映画も、日本映画も、そして最近めきめきと実力をつけてきた韓国映画も、いいところはまるでベムスターの腹のようにどんどん吸収してしまうことだ。今回も、青島刑事のようなコートを着た若い刑事が出てきたり、こりゃ「シュリ」だよな、というアクションシーンなどが次々と登場してくる。だが、それでいて絶対に香港映画らしさは失わない。どんなにいい武器を持っていても、どんなに大人数で包囲しても、最後は1対1の殴り合いで決着をつける。

それにしても、ハリウッドならニコニコして適当にカンフーでも見せておけば何百万ドルという金をまたたく間に稼げるというのに、それに飽きたらずまた香港に帰ってきてこんなにも熱い映画を作ってくれるとは、何とも格好いい。格好良すぎるぞ!

ジャッキー・チェンとは香港の映画スターの名前ではない。偉大な男の生き方を示す言葉なのだ。

jc
公式ホームページ
http://www.hongkong-police.com/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

W(ダブルユー)「ふしぎ少女探偵 キャラ&メル~魔のバイオリン盗難事件~」

W主演ミュージカル。子供向けの作品だが、客席には子供の姿はあまり見あたらなかった。

モーニング娘。ミュージカルは毎年恒例になっている。初年度の「LOVEセンチュリー~夢はみなけりゃ始まらない~」はミュージカルのメソッドを教科書通りに守った、これぞまさしくミュージカルというような傑作だったが、翌年以降、ただのイベントになってしまった。しかしそれはそれでいい。

今回は両者の中間といったところだろうか。

基本的に、小さな子供が観ても、大きな友達が見ても楽しいミュージカルにしようという姿勢は感じられた。だがいかんせん脚本に力がなさすぎである。演出面では、楽器を手にしたマネキン(生き人形?)が動き出すシーンなど、はっとさせる場面も何回かあっただけに、残念だ。

そして、加護亜衣、辻希美という芸達者の2人にとって、この脚本では弱すぎる。力余ってか、アドリブ全開である。結果、イベントとしての色が濃くなってしまった。何度も言うように、それはそれでいいのだけれど、「ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」で見事な演技をしていただけに、もっと真剣に2人が取り組む舞台を観たかった気がする。

加護亜衣の存在感は相変わらず大きい。モーニング娘。ミュージカルでも、加護が出てくると舞台の空気も、客席の雰囲気も一変する。あいぼんのことは誰もが好きなのだ。石川梨華が嫌いな人はいても、加護亜衣の嫌いな人はいない、というのは俺の名言である。

また、辻希美の身体的能力の高さには、改めて圧倒させられた。舞台の上で暴れ回るところはもちろんだが、これだけミュージカル公演を重ねれば、普通声が多少はかすれてくる。実際加護の声は少し弱っていた。ところが辻の声はまったく勢いを失わない。恐らく声帯も頑丈なのだろう。ミュージカル界に欲しい人材だ。どうですか、東宝さん。コゼット役として・・・

脇を固めるのは「仮面ライダー555」の半田健人と、「天花」ちゃんにも出ていた大島宇三郎。実は劇団四季出身だ。

cm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年3月 | トップページ | 2005年5月 »