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2005年3月12日 (土)

ジョエル・シュマッカー「オペラ座の怪人」
~A・L・ウェバーチャンピオンまつり その4~

これは傑作だ。

なぜアカデミー賞の作品賞にノミネートされなかったのか?なんてことはどうでもいいと思えるほど面白い。天晴れなり、ジョエル・シュマッカー。

ミュージカル「オペラ座の怪人」を、ハロルド・プリンスが施した演出も踏まえながら映画化した。だいぶ前に企画され、主演は一時はアントニオ・バンデラスで決まりいう噂も流れたが、二転三転したのちやっと実現。しかしウェバーは監督については当初からシュマッカーで決めていたのだという。

シュマッカーと言えば比較的好き、嫌いの分かれる監督だ。自分は支持派。理屈ぬきに面白い映画を作ってくれるからだ。シュワルツェネッガーが悪役に扮した「バットマン&ロビン」は、この作品から完全に名前を消したティム・バートン監督の残像を求めるファンからは総スカンを食ったが、コミック調で痛快な一作だった。

そのシュマッカーが監督すると聞けば、嫌が応にも期待は高まる。そしてその期待に十二分に応えてくれた。

ところで、この映画はジャンルで言うと「高校生映画」だと思う。

これは自分が勝手にそう呼んでいるジャンルなので耳慣れないはずだ。「青春映画」より絞り込んだ概念で、エッチなシーンとかはもちろん、それが暗示的に描かれることもなく、人間的な成長が描かれ、効果的に音楽を使っており、見終わった後に清涼感の残る映画のことを言う。その最高傑作は大林宣彦の「青春デンデケデケデケ」であり、最近のヒットは矢口史靖の「ウォーターボーイズ」だ。菊池桃子主演の「パンツの穴」はちょっと違ってて、少女隊主演の「クララ白書」はその範疇に入る。なんとなくおわかりいただけただろうか。

なぜこのジャンルに位置づけたのかというと、主役3人(ファントム、ファントムに懸想されたクリスティーヌ、クリスティーヌに岡惚れているラウル)が、みな子供として描かれているからだ。

ファントムは、奇形であるために見せ物小屋で少年期を過ごし、そこを逃げ出して以来ずっとオペラ座の地下室で暮らしてきた。彼にとってオペラ座の中が世界の全てだ。そこでは精神的な成長など望むべくもなく、子供の心のまま、体だけが大人になっている。

恋敵となるラウルは、子爵家という裕福な家庭で、何不自由なく育ったために、ファントムとは正反対の境遇ながら、これも子供のまま大人になってしまった。

クリスティーヌは実際に子供なのだが、これも父親べったりで育ったためか精神的にはお子サマだ。

この中でも、やはりファントムの幼児性は群を抜いている。クリスティーヌをラウルに取られそうになると、感情を激発させて殺人まで起こしてしまう。とばっちりで殺された大道具係には気の毒だが、基本は子供っぽい行動だ。

「ガラスの仮面」で「嵐が丘」の出演が決まった北島マヤは、ヒースクリフから引き離されるキャサリンの心情を掴みきれずに苦心していた。それを、ふだん遊び相手のいない子供が、偶然出会って遊んでくれたマヤと分かれたくない、と泣き叫ぶ姿から読み取ったのである。

↓このシーン。
maya1

「素朴で、自分の感情に正直で、だからこそわがままで…………激しい!」

これこそ、ファントムの心情そのものではないか。

そしてこの映画のクライマックスは、3人の誰が先に大人になるか、という競争だ。最初に抜けるのはクリスティーヌ。やはり女性のほうが精神的な成熟が早いのか。ファントムの思いを受け入れる決心をすることで、少女は大人の女に変わる。そしてファントムにキスをするわけだが、このキスの衝撃が、ファントムを一気に大人にしてしまう。それはさながら、北島マヤが「奇跡の人」で「ウオータアアアア」と叫ぶシーンのヒントになった、顔面で水ヨーヨーが破裂したような感覚だったのだろう。

↓ちなみにこれ。
maya2

そして大人になったファントムはあっさりと身を引く。これを見て、クリスティーヌは女から母へと二段階変身を遂げる。サナギマンからイナズマンへ、超力招来だ。母になると、こんどは大人のファントムよりいまだ子供のラウルに関心が向く。だからクリスティーヌはラウルのそばにいようと考えたのだ。

ラウルはその後もずっと子供であり続け、年老いていく。しかし、さびれたオペラ座のオークションで若かりしころの三角関係を思い出し、その記憶をたどることでやっとクリスティーヌの、そして恐らくファントムの心情を理解することになる。このとき、初めてラウルは大人になったのだ。この映画は、全体としてラウルが大人になる課程を描く、という構図になっている。

3人がめでたく大人になったところでジ・エンド。決してハッピーエンドではないけれど、実にさわやかだ。まさしく高校生映画の後味である。

これは、基本線としてはミュージカル「オペラ座の怪人」と同じだと思う。キャラクター設定や人物関係をジョエル・シュマッカーなりにぐっと明確にした結果がこうなのだろう。

しかしそんなにさわやかでは、肝心な雰囲気が違うではないか、と言われるかもしれない。ミュージカルではもっと官能的な雰囲気が漂っている、と。

違わないのである。高校生映画は、十分に官能的だからだ。

エッチなシーンなんかなくても、頭の中はエッチなことで一杯なんだろうな、という年代の若者が、それを感じ取られないようにぐっとこらえている様子を見るだけで、観客側にはエッチな雰囲気が十分伝わってくる。官能的なムードを出したいのなら、むしろエッチなシーンは邪魔になるのだ。

ハロルド・プリンスはミュージカルの演出にあたり、障害を持つ人たちの性生活について調査研究したと言われている。そして、そこには実に豊かな性の世界が存在していることを知ったのだという。逆に考えれば、性を無駄に消費している人間には、真に官能的な世界は味わえないのだろう。

みうらじゅんも「正しい保健体育」(理論社刊)で「20歳になるまでセックスは禁止」と繰り返し強調している。若いうちから性をぞんざいに扱っていると、官能的な世界を味わうために必要な感受性が発達しないからだ。

ファントムについてシュマッカーは、インタビューの中で「生まれから一度もキスをしたことがない男だ」と明言している。ファントムが何歳なのか知らないが、その内部には極大化した甘美な世界への憧れが充満していたはずだ。ジェラルド・バトラーはそれを正確な演技によって表現することで、映画全体にセクシーなムードを漂わせることに成功した。

さわやかで、官能的。

映画版「オペラ座の怪人」は、ほとんどの人が高校生当時に味わい、そして大人になるにつれて忘れてしまったその感覚を思い出させてくれる。もっとも自分は日頃からその感覚を失わないために、モテないようにしているから思い出すまでもなかった。

「オペラ座の怪人」のホームページ
http://www.opera-movie.jp/

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