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2005年2月27日 (日)

四季「エビータ」(ばれます)
~A・L・ウェバーチャンピオンまつり その3~

 四季による「エビータ」の公演は98年以来。97年にマドンナ主演による映画版が公開され、そのブームに便乗する形で久しぶりに上演したときだ。今回は、A・L・ウェバーが「キャッツもファントムもやっているなら、エビータもやってくれよ」という理不尽な要望をしたために急きょ公演が決まったのだという。単にこっちのほうが受けると踏んだのか、本当にウェバーがそう言ったのかは分からないが、いずれにしても準備期間はさほど長くはなかったはずだ。

今回、注目すべき点は2つあった。

1点は、エビータを誰が演じるのか。7年前の公演では野村玲子、鈴木京子が演じた。しかし野村玲子はその時点でかなり声に力がなく、その後ミュージカルの一線からは退いている。鈴木京子も退団してしまった。このクラスならあとは保坂知寿だが、ご存じのように保坂はもっぱらマンマ・ミーアだ。それに続くクラスを出してくるのか、それとも一気に若手の起用に走るか。四季、というより浅利慶太の判断は後者の方だった。白羽の矢が立ったのは井上智恵。キャッツでシラバブを演じると、いきなりオペラ座の怪人のクリスティーヌに大抜擢。その後数々のヒロインの座を次々射止めて一気に四季の主力に躍り出た女優だ。こうして考えると、エビータを演じるにはふさわしいキャリアなのかもしれない。

この抜擢は、まずまず成功だったと言えるだろう。野村や鈴木のエヴァは、どちらかというと可憐さの陰に野心を秘めた存在だった。しかし今回のエビータは、のっけから野心むき出しの武闘派エヴァだ。最初は面食らったが、観ているうちにその潔さが小気味よくなってきた。また、成り上がっていくうちにキレイにはなっていくが、表情はあまり変化がないな、と感じていたのだが、ラスト近くで、死を前に初めて異なる表情、野心よりも弱さが前面に出てきたときは、思わずはっとした。まだまだ荒削りではあるが、気になるエビータの誕生である。

もう1点は、演出面だ。エビータという作品は、正直なところあまり面白い話ではない。貧しい家の生まれの少女が、男どもを踏み台にしてのし上がり、26歳で大統領夫人にまで上り詰め、権力をほしいままにして33歳でこの世を去る、という、あらすじを聞くとちょっと面白そうなのだが、このあらすじがストーリーの全てであり、一直線すぎて変化に乏しい。まるでゼロヨンのレースを観ているようだ。

だから多くの人は、この作品を最初に見たとき「つまらない」という印象を持つ。自分もそうだった。途中ちょっと寝てしまった。しかし、この作品の魅力は音楽性の高さにある。音楽にあまり詳しくない自分も、観たあと記念品がわりに発売されたばかりのCDを買って、電車の中で聞いているうちに「しまった、なんていい作品なんだ」と後悔した。もう一度観ようと思ったが東京公演はすぐ終わってしまったので、札幌まで観に行き、今度は最初から最後まで集中力を欠かさずに見終え、この作品が大好きになった。うっとりするような美しい旋律あり、遊びごころあふれた愉快な歌あり、心を奮い立たせるような力強い曲ありと、どれをとっても心に染み渡る名曲ぞろいだ。ファントムやキャッツのように、自分のような素人にも覚えやすい旋律ではない。だが何度聞いても飽きないどころか、聞くたびに魅力を再発見できる珠玉の音楽集だ。

この音楽性の高さが、ストーリーの一本調子に遮られて観客まで届かない。となればこれは演出でカバーするしかないだろう。幸い、この作品は演出は各カンパニーに任せられている。浅利慶太は「これまでの演出には満足していない。決定版をつくる」と豪語した。一体どんな手を繰り出してくるか、期待とイヤな予感が入り交じった妙な緊張感をもって臨んだ。

前回の公演から大きく変わった点は、2つある。1つ目は、角から円に、という変化。前回はシンメトリーと幾何学模様をベースにした、セットも役者の配置も直線的で角を重んじたレイアウトになっていたのが、今回は中央に回り舞台をしつらえ、円による構成を中心にしている。これはなかなか効果的に決まっていた。エヴァが死の直前に観たであろう、走馬燈の映像を見ているように、華やかで壮絶な人生をうまく表現できていたように思う。

もう1つは、観客参加型。観客参加型、というのは別に観客が何かをするわけではなくて、役者が客席に降り立つ機会の多い舞台のことだ。

最初のシーン、エビータの死に市民が悲しんでいる場面で、幕が上がっているのにでかい態度で入場してきた男がいたので、意見してやろうと思って顔を見たら芝清道だった。チェ・ゲバラ役である。この時点で、なるほど「決定版」演出の秘策はこれだったかと納得した。

この作品の登場人物は非常に少ないが、キャスト表には登場しない重要なキャラクターに「民衆」がある。マドンナ主演の映画ではこの民衆を実に効果的に演出に使っていた。しかし、ステージ上に登場させられる人間の数など、たかが知れている。それならば、客席にいる数百人を使わない手はない。つまり、物語の中の「民衆」を、観客に強引に演じさせてしまうという手法だ。特に2幕目の最初、大統領夫人になったエヴァが民衆に「アルゼンチンよ共にいて」と歌いかける一番の見せ場では、ぐっと客席近くにせり出すバルコニーの舞台装置で、「観客=民衆」ということを分かりやすく演出していた。

前回の演出は、どちらかというとダンスを中心にした、スタイリッシュなものだった。しかし、今回はむしろ「芝居」のケレン味を前面に出したものになっている。浅利慶太はこれについてパンフレットに掲載されたインタビューの中で「今回は振付主導ではなく、演出主導でいった」と表現している。

個人的には、今回の演出のほうが好きだし、だいぶ面白さを感じさせるものになったと思う。だがしかし、残念ながら一見して強烈な印象を与えるまでには至っていないのだ。平たんなストーリーというカベをつきやぶり、音楽の素晴らしさに気付かせてくれるまでのパワーは持ち得ていないのである。客席にせり出すパルコニーはなかなかの迫力だったが、さらにその上をいく、しびれるほどの過激な演出がなくては、「エビータ」=面白くない、という印象は覆せない。

そういう意味で、決定版とはいかなかったが、決定版の礎はできたと思う。方向性は示せた。あとは若手や外部の演出家に任せてもいいのではないか。浅利慶太の功罪についてここで語るつもりはないが、彼ももはや70歳を過ぎている。ジーザス・クライスト=スーパースターをカブキメイクで演じさせるような、文字通りかぶいた演出は出てこないだろう。いっそ舞台を江戸時代に置き換えてみるとか・・・いや、それは二番煎じだな。あまり人のことは言えそうにない。

また、演出をもう少し頑張らなくてはいけない、というのにはもうひとつ理由がある。前回も今回も、この舞台では本来演出で感じさせるべきカタルシスを、芝清道の歌によって提供しているという事実があるからだ。この舞台における芝の存在感は突出している。だが芝がずっとこの役を演じられるわけではない。そうなると、彼が欠けても作品全体の感動量の総和を下げないためには、やはり演出のカバーが不可欠となるのである。

また上演される機会があるなら、ぜひ演出面のさらなるパワーアップを期待したい。もっとも今回の演出は、個人的にはだいぶ気に入っているので、千秋楽前にもう一度観ておこうと思っている。

ここでもまたハプニングがあった。エヴァの夫、ペロン大統領役の下村尊則が歌詞をすっとばした。実は「オペラ座の怪人」とこの作品をはしごして観たので、1日に3つものハプニングを観たことになる。珍しいことだと喜ぶべきか、四季の完成度が下がっていると憂えるべきなのか。とりあえずは両方、ということにしておこう。

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「エビータ」 ホームページ
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2005年2月25日 (金)

四季「オペラ座の怪人」
~A・L・ウェバーチャンピオンまつり その2~

 続いて「オペラ座の怪人」。ウェバーの曲もさることながら、ハロルド・プリンスの演出がさえわたる人気作品だ。初演は86年だから、もう20年近くたつというのに、そのスペクタクルな演出はいまだ色あせることがない。
 この作品の場合、世界各国、どのカンパニーが上演しても演出は同じだ。だからこそ役者の力量(分かる人が観れば、オーケストラの力量も)の差が前面に出てくる。
 四季の力量はどうか。ウエストエンドやブロードウェーに比べて大きく劣る、と評する人も多い。自分は東京で4回、名古屋で2回、福岡で2回、ロンドンで2回、ニューヨークで2回観た。その経験で判断すると、確かに劣ってはいるものの、さほど大きく差があるとは言えないと思う。十分合格点だ。

 今回の主役トリオは、ファントムに高井治、クリスティーヌに沼尾みゆき、ラウルに違いの分かる男(上質を知る男だったか?)、石丸幹二。高井治はこの数年ファントムのタイトルロールを務めており、評判も上々だ。自分は一昨年に福岡で観て以来2回目。最初に観たときは、あまりいい印象がなかった。歌は確かにうまいが、演技はいまいちで、ファントムの悲哀や作品全体に流れる官能的なムードを伝え切れていない、と感じた。だが今回は、だいぶパワーアップしていたように思う。「ジーザス・クライスト=スーパースター」で悪役・カヤパを演じたのが好影響をもたらしたのだろうか。何かぞっとさせる凄みを帯びたようだ。沼尾クリスは初見。これまで四季で観たクリスティーヌの中では
(野村玲子は観ていない)一番良かった。低音が少し不安定になる以外は、歌には全く問題がなかったし、演技もそつがない。美人だが、目もとに愛嬌があって、娘になったり女になったりして、意識せずに周りの馬鹿な男どもを惑わせるある意味タチの悪いクリスティーヌという役には適した顔だ。そして石丸幹二は、もはや劇団の顔としての風格を備えてきたが、世間知らずのおぼっちゃまというのは彼のアタリ役だ。のびのびと、楽しげに演じていた。
 そして素晴らしかったのが林和男演じるムッシュー・アンドレと青木朗演じるムッシュー・フィルマンのお笑いコンビ。作品全体のムードを重くさせないという使命を帯びた重要な役どころだ。2人の呼吸がぴったり合っていて、べテラン漫才師の芸を見たような思いだ。
 メグ・ジリーの声と足が太いとか、突っ込みたいところもいくつかはあったが、キャスト全体のバランスが非常に良かったことに好感を持った。高井治は、時々壊れたように狂った演技もするらしいが、基本的には抑えめのファントムだ。一方、石丸幹二は陽気に元気にイキイキと、少年倶楽部ののらくろのような、ラウルだ。ふつう、ラウルの印象はどうしても薄くなりがちだが、この組み合わせだと2人の重さがヤジロベエのように均衡を保つ。そのヤジロベエの支柱として、クリスティーヌの存在も引き立つ、というわけだ。

 今回の舞台には非常に満足したし、四季の力量は決して海外に劣っていないことは再認識した。

 しかし、である。力量が劣っていないとはいえ、そこから伝わってくる印象や後味はだいぶ違う。演じる人間によっても違うのだろうが、やはりそこには、決められた演出の中で少しでもオリジナリティを出そうとする、制作サイドの野心が見え隠れする。ロンドンのファントムは、紳士の国だからなのだろうか、どこか良く言えばダンディズム、分かりやすく言うとやせがまんをしていた。ニューヨークのファントムは、多分に幼児性を感じさせる面があり、このファントムが自分としては一番気に入っている。
 それで四季のファントムはどうなのか。いまこの役を演じているのは、高井治と村俊英。どちらも最高レベルの歌唱力だが、海外のファントムと決定的に違うのはハンサムでもないし長身でもない、ということだ。村がファントムに決まったときなど、ファンの間で相当物議をかもしたものだ。たしかに、一見ただのおやじである。
 こうした「おやじファントム」が四季のファントムである。観たことのない人はそれを聞くと「イヤだなあー」と思うかもしれない。しかし、これが実際に触れると意外にいい。中年の悲哀、ではなく、中年だからこそ出せる男の悲哀(なんてものが実在すればだけど)をにじませてくる。これはこれでひとつのスタイルだろう。

 おやじファントムを擁する日本の「オペラ座の怪人」は、“The Phantom of the Opera”に劣るものではないが、違うものであることは間違いない。日本初演から、この作品のキャッチコピーは「劇団四季のオペラ座の怪人は凄いらしい」だ。「怪人が」という格助詞ではなく、「怪人は」という副助詞になっているあたり、当初から違うものにしようという気持ちがあったのかもしれない。

 そろそろおやじでないファントムも観たい気もする。だがこのスタイルが定着したのは最近の話だ。これまで、当初は市村正親に沢木順、そして山口祐一郎、今井清隆と、さまざまな人が演じてきた。残念ながら市村ファントムは見逃した。決して歌はうまくないものの、最高のファントムと称する人も多い。沢木順のファントムは、何をするか分からない恐ろしさを感じさせる、それでいてセクシーで、悲哀に満ちたファントムだった。実は、ハロルド・プリンス本人が演技をつけたのはこの2人だけだったと言われている。彼らが、オリジナル制作者の意向を最も忠実にふまえたファントムだったのだろう。山口祐一郎のファントムも、嫌いな人は多いが自分は好きだった。長身でハンサムという、四季にあるまじき(?)ルックスと、傍若無人で尊大な態度は、マンハッタンの怪人が漂わせる幼児性を彷彿とさせていたからだ。そして今井清隆。赤坂でのロングランを任され、大いに期待されたが、当初の出来が今ひとつで、ロングランも盛り上がりに欠けて終わってしまった。だが、公演終了近くに観たときは、かなり理想的なファントムになっていた。最初からこの演技ができていれば、評価も違ったろうに、と残念でならない。いずれ退団、東宝への復帰は避けられなかったにせよ、あのロングランで名声を確立していたならその後の活動も変わっていたのではないか。

 最後にひとつ、これは絶対にロンドンやニューヨークにかなわない、という点がある。それは劇場だ。四季劇場「海」もなかなかいい空間だが、これがハー・マジェスティーシアターやマジェスティックシアターだと、劇場自体が歴史ある建造物なので、ひとたび足を踏み入れると、もうそこにオペラ座の怪人の世界ができあがっている。だから開幕前から観客は物語の中に引き込まれるのだ。こればかりは、どうにもこうにも仕方がない。

 追記。これを観たとき、ハプニングが2つあった。1つは怪人が地下にクリスティーヌを誘うとき、乗せる船がエンコしてしまったこと。1幕では気付かなかったが、2幕目では必死で船を押すスタッフが丸見えになってしまった。もう1つは、カーテンコールでのできごと。手をつないで観客にアピールしたあと、怪人のソデのボタンがクリスティーヌのドレスにひっかかってしまった。何食わぬ顔でボタンをはずし、「どうぞ」とクリスティーヌをはけさせる高井治の姿に観客爆笑。この人、コメディーもいけるんじゃないか。

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オペラ座の怪人 ホームページ
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2005年2月21日 (月)

四季「キャッツ」木村花代スペシャル(ばれます)
~A・L・ウェバーチャンピオンまつり その1~

 さて、この春は四季が「キャッツ」「オペラ座の怪人」「エビータ」と、アンドリュー・ロイド=ウェバー作曲のミュージカルを東京で3本も上演している。映画も絶賛公開中だ。このあたりのことについて、まとめて書いておくことにする。

 まずキャッツだ。12月に1度観ているが、どうしてもまた観にいかなくてはいけない事情ができた。木村花代ちゃんがジェリーロラム=グリドルボーンを演じるというのである。

 これは木村花代私設応援団「花組」の一員として、観逃すわけにはいかない。ちなみにこの花組の活動内容は、花ちゃんの出ている舞台に出かけて熱い視線を送ることと、日常生活においてそれをときどき思い出してニヤニヤ笑うことである。定員は1名で、増やすつもりはないが、勝手に花組メンバーを名乗っていただくぶんには差し支えない。ただくれぐれも「宝塚歌劇団 花組」や、「帝国華撃団 花組」のファンの方々と悶着を起こさないように。

 さっそく話がそれた。そもそも花ちゃんとの出会いは98年の9月にさかのぼる。近所の市民ホールで上演された「エルリック・コスモスの239時間」を1人で観に行ったときだ。これはばりばりのファミリーミュージカルで、会場内は親子連れで一杯だった。その主役を演じていたのが花ちゃん。97年の研究所入所だから、大抜擢である。ストーリーは単純なものの、花ちゃんの透明感あふれる演技と歌声で、とてつもなく感動したのを覚えている。その後、「夢から醒めた夢」のマコ役で再会した。マコといったら、それまで自分にとっては堀内敬子ちゃんだった。彼女が突然結婚、退団というショッキングなことになり、うちひしがれていたところに現れた、清楚でかわいいマコの登場。「富豪刑事」の夏八木勲が深田恭子を称して言うように、まさしく天使に見えた。自分の中に花組が結成されたのは、この時だ。この花ちゃんマコは、NHKが放送しているので映像をいつでも楽しむことができる。最初にHDレコーダーを購入したのは、その放送を録画するのがきっかけだった。もっともこの映像のために、実は結構汗っかき、ということが世間に知られてしまうようになったが、それを口にすることは花組隊士の間では法度で禁じられている。

 どんどん話がずれてきた。キャッツの話である。今回花ちゃんが演じるジェリーロラム=グリドルボーンという役。かつては舞台俳優で、今はただの老猫であるアスパラガスの昔話に付き合うのが心優しいジェリーロラムで、その昔話の劇中劇に登場するのが悪女グリドルボーンである。正反対のキャラクターながら、女性の中に存在する二面性を演じる難しい役どころだ。しかしそれゆえに実に魅力的なキャラクターで、最初にこの作品を観たときから、この猫が一番好きだった。97年の夏には、堀内敬子ちゃんがこの役を演じるというので、日帰りで札幌まで観にいったこともある。もうこのときは最初から最後まで敬子ちゃんしか見ていなかった。それと同じようなことを今回しているわけで、成長のない人間だと言われても仕方がない。ちなみに花ちゃんの前はこの敬子ちゃんにぞっこんで、大阪に「アスペクツ・オブ・ラブ」を観に行ったりしていた。

 またあさっての方に向かいそうなので話を戻す。そういう風に1人(一匹?)のキャラクターに注意して観るのは、動機が不純とはいえこの作品を楽しむひとつのやり方ではある。というのも、スポットを浴びている猫以外は、それぞれ勝手な(もちろん演出なのだろうが)小芝居をしていて、これがなかなか面白い。各キャラクターの性格や、位置関係も見えてくる。こういう側面も、キャッツにリピーターが多い理由のひとつだ。

 今回は、徹底的に花ちゃん演じるジェリーロラムだけに注目していた。気付いた点を並べておく。

<ジェニエニドッツ~おばさん猫>
「3ガールズ」として解説役を務めているため、ネズミやゴキブリの扮装はしない。ずっと素顔が見られて、幸せな気分に。

<ラム・タム・タガー~つっぱり猫>
引き続き「3ガールズ」。しかし最後の、「ご無う~う~う~う~用」のところでシビれる猫たちには加わらず、一歩引いて眺めている。昔はジェリーロラムも一緒にはしゃいていたような気がするのだが、どうだったろう。

<グリザベラ~娼婦猫>
純真無垢なシラバブがグリザベラに近づこうとすると、すっとそれを制止するジェリーロラム。シラバブのお姉さん的なポジションが確定するシーンだが、ここで冷たい印象を残すと二幕のメインの出番に影響してしまうので、あくまでシラバブを思って、という雰囲気を前面に出さなくてはならない。そこはさすがに花ちゃん、見事にやり遂げていた。

<バストファージョーンズ~大人物?>
バストファージョーンズが政治の話で演説を始めると、最初は聞くふりをしているが、そのうち飽きてしまい、隣にいたシラバブと遊び始める。これがなんともかわいい。また宴会でみんながうまい料理を食べるシーンでは、自分は席には加わらないが、脇のほうから端の席に座っていた猫(ランパスキャットかな?)にねえねえ、と合図をして、少しだけ料理を分けてもらうしぐさをする。萌えた。

<オールドデュトロノミー~長老猫>
みんながデュトロノミーにすり寄っていく中、意外になかなか近寄らないジェリーロラム。クールなのか、引っ込み思案なのかよくわからないが、感情をストレートに出すタイプではないことがよく分かる。

<ガス~劇場猫(1)>
いよいよメインイベントである。はきはきとして、笑顔のやさしい素敵なジェリーロラムだ。ちょっと可愛らしすぎて、なんだかアスパラガスの孫みたいに見えるのはご愛嬌。客に拍手を強要するところは、ちょっとぎこちないがそれがまたいい。しまりのない顔になっているのが自分でも分かる。

<グロールタイガー~海賊猫の最後>
だらしなく笑いながら鑑賞しているうちに、あっという間に劇中劇に突入。グリドルボーン様専用のピンクのお部屋から登場。いきなりソプラノで「ソノーーーーーーーークウイーーー」と歌って大見得を切る。しかしこれは他の出演者と比較するとちょっと迫力不足か。でも許す。花組だから。こうやってファンは贔屓の役者をダメにするんだろうな。しかし、真っ白でフワフワした衣装に身を包んだ花ちゃんは、とにかくかわいいグロドルボーンである。ハロー!モーニングで亀井絵里が自分の写真集を宣伝するときに「もうとにかく、かわいいかわいいかわいいかわいい……」と連呼していたが、そんな感じで声が出てしまいそうだった。口を押さえて必至に我慢した。そうやって口を押さえていないと、よだれも出てきそうだった。しっぽを踏まれたときのコミカルな反応も、人一倍オーバーで爆笑を誘っていた。こうした一挙手一投足のかわいらしさで、ソノクイの失点を完全に挽回し、会場内をがっちりつかんでいる。難点を言えば、あまり悪女な感じがしないところだろう。そこは本人としては不本意かもしれない。

<ガス~劇場猫(2)>
劇中劇を終えて、ジェリーロラムに戻る。ここで嬉しいことがあった。自分が最初にキャッツを観たとき、一番気に入ったのはこのジェリーロラムだが、そのきっかけとなったある仕草がある。ガスが「俺の時代は 語りぐさ」と歌い終えたあとに、ジェリーロラムがすっと顔をガスに近づけるというものだ。ジェリーロラムのやさしさを端的に示す、実に印象的な無言の演技だ。その後、何回か観たときには、この動作がなかったか、あまり目立たなかったので残念に思っていた。しかし、花ちゃんは俺の期待に応えてくれた。ちゃんと顔を近づけて、というより、ほとんど押しつけて、ガスを包み込む大きな愛情を表現していた。もう感動で放心状態だ。

<スキンブルシャンクス~鉄道猫>
出番を終えてほっとしたのか、一幕では固めの表情が多かったジェリーロラムだが、ここでははじけたような明るい表情を見せてくれる。雄猫たちが寝台になって、その背中に雌猫たちが寝そべる、というシーンがあるが、花ちゃんのベッドになっていた羨ましい猫は、あれマキャビティーかな?よく確認できなかったが、背中に顔を押しつける動作もあり、とってもとっても羨ましかった。今からでもオーディションを受けられないか真剣に考え始めた。

そして、ゴミをかき集めて機関車を作るシーン。みんなが次々に機関車のパーツになりそうなゴミを見つけていく中、一歩出遅れてしまい、「えーあたしはどうしよーう」とまごつくジェリーロラムに撃沈。けっきょく、ほかの猫が見つけてくれたシャフトをちゃっかり一緒にかついで戻ってくる。

<マキャビティとの闘い>
マキャビティの繰り出す攻撃の中、シラバブをかばう優しいジェリーロラム。やがて引き離されてしまうのだが、その後もシラバブをずっと気にかけている。グリザベラのシーン同様、ジェリーロラムとシラバブの関係を印象づける。

<ミストフェリーズ~マジック猫>
ミストフェリーズの呼ぶ雷に素直に驚くジェリーロラム。「きゃっ」というかわいい声が脳内にコダマする。さらに、ミストフェリーズに喝采を送っていると、突然「ストップ!」というかけ声をかけられたかのように、動きがぴたりと止まって周囲をあわてさせる。数秒そのままの状態で、やがて動き出す。ミストフェリーズが何らかの術をしかけたらしい。このあたりの小芝居は、注意していないと見られないし、演じる人によって変わってくると思うので、これからも注目してみたい。

<カーテンコール>
皆さんもご存じのとおり、ジェリーロラムはカーテンコールになると、グリドルボーンのフワフワした尻尾をつけてくる。エンディングで舞台からはけているとき、ソデ付近で尻尾を固定するベルトに手をかけるのが見えた。なんだかいけないものを見た気がして、ドキドキした。

そのフワフワ尻尾にちゅっとキスをして客に向かって振るのがジェリーロラムのファンサービスなのだが、いったい何回キスしたろう。あの尻尾は、役者ごとに作られるのだろうか?だとしたら、あの尻尾をオークションに出したら数十万はくだらない値がつくはずだ。

残念ながら自分のところに握手には来てくれなかったが、輝くような笑顔で握手をしている花ちゃんを見ていたら、最高に幸せな気分になった。




メモを取りながら観ていたわけではないので、そのすべてをここに書くことはできないが、強く印象に残ったのはこれぐらいか。次に花ちゃんがまたこの役を演じたとき、補完することにする。

次は何を演じるのだろう。「夢から醒めた夢」への再登板があるのかが焦点になるが、マコ役かピコ役か、という興味もある。どうせなら「レ・ミゼラブル」の初演のように、日替わりで両方演じてくれればいいのに。そうすれば全国の花組たちが押し寄せるので、チケットの確保が大変になってしまうだろうが。「美女と野獣」も花ちゃんベルは未見なのでぜひ一度、という気がする。京都でだめなら、福岡でもいい。どこでも行くぞ!

というわけで、単なる花組日記になってしまったが、今後も精力的に活動を続けていく予定だ。このA・L・ウェバーシリーズを、きょう一気にアップしてしまおうと思っていたが、ここまで書いたらすっかり満足してしまったので、続きは明日以降ということでご勘弁を。

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「キャッツ」劇団四季の公式サイト
http://www.shiki.gr.jp/applause/cats/index.html

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2005年2月16日 (水)

茨城県南部で震度5弱

ほぼ自宅の直下が震源だったため、P波とS波の差をほとんど感じることがなかった。

荒れた部屋の様子が揺れの激しさを物語っている。


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地震の影響でゴミが散乱し、荒れ果てた状態になった独身男性の自宅=16日早朝、千葉県柏市

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2005年2月 6日 (日)

「特捜戦隊デカレンジャー」これにて一件コンプリート

2004年2月から1年にわたり放送された「特捜戦隊デカレンジャー」が終了した。

スーパー戦隊シリーズをほとんど欠かさず観たのは、1981年の「太陽戦隊サンバルカン」以来か。放送が日曜朝に移動した「星獣戦隊ギンガマン(98年)以降は、比較的よく観てはいるし、新感線の高田聖子が出演した「忍風戦隊ハリケンジャー」(02年)、ネーミングが圧倒的だった「爆竜戦隊アバレンジャー」(03年)とスマッシュヒットが続いていたこともあり、ほぼ習慣化はしていたが、録画してまで熱心に観たのは本当に久しぶりだ。

一般的にも、評判は上々のようだ。東京ドームシティのデカレンジャーショーも連日満員が続いている。この成功を支えたのは何なのだろう。

それは番組冒頭、古川登志夫が名調子で語るナレーションに集約されている。

「S. P. D. Special Police Dekaranger。燃えるハートでクールに戦う5人の刑事たち。彼らの任務は、地球に侵入した宇宙の犯罪者たちと闘い、人々の安全と平和を守ることである――」

この番組をこれほどの人気作品に仕立てたのは、文字通り東映スタッフの、特撮番組にかける熱い思いと緻密な計算によるものだった。

燃えるハート

とにかく今回の作品は、どの話も制作側の意気込みがヒリヒリするほど伝わってきた。

様々な名作映画や人気ドラマを下敷きにしたストーリーは東映のお家芸だが、デカレンジャーではその数が異様に多い。「羊達の沈黙」に「ファイト・クラブ」、「スピード」と縦横にトリビュートしてみせた。もっとも「スピード」はもともと東映の「新幹線大爆破」が下敷きになっているわけだけれど。ほかに「名探偵コナン」や「新選組!」「古畑任三郎」なんかも対象に。「コナン」のときにはコナン役の声優、高山みなみが出演するという力の入れようだ。それも安易なパクリやパロディーに終わらず、それらをきちんと消化して、毎回楽しい話を作り上げた。

荒唐無稽さも東映の得意分野の1つだが、今回は輪をかけて無茶苦茶だった。だいたいボスが犬である。というより犬のヌイグルミである。「電子戦隊デンジマン」(80年)のアイシーの例はあったが、あれは本物の犬で、吹き替えで声をつけていただけだ。今回は違う。どう見ても犬のヌイグルミが、冷静な判断力を備えつつ、親分肌で部下たちに慕われるボス役を見事に演じてみせる。ちゃんちゃらおかしいけど、そのセリフや声の演技があまりにも見事で、だんだん立派な人物に見えてくるから不思議だ。もはや人形浄瑠璃の域に達している。

そして次々起こるサプライズ。デスクワークの人だと思われていたボスは、いきなり「俺をなめるな!」と叫んで変身し、「デカマスター」になってしまう。デカレンジャーロボを上回る超巨大な敵が現れたかと思うと、デカレンジャーの基地である「デカベース」が、まるで「戦闘メカ ザブングル」(81年)のアイアン・ギアよろしく変形して超巨大ロボットに。あげくのはては石野真子まで変身するという悪ノリまであった。

いかに子供番組とはいえ、あまりにも突拍子のない展開だ。しかしそれらがちゃんと作品の中に収まっていたのは、やはり「刑事ドラマ」の世界観を移植し、それが全体の味を整える役割を果たしていたからだと思う。作品全体が、「刑事ドラマ」への壮大なトリビュートになっていたとも言える。

クールに闘う

今回は「電磁戦隊メガレンジャー」(97年)以来、久しぶりのヒロイン2人体制だ。通常、ヒロインが2人という場合はそのキャラクターを異なる設定にして、どちらかにかならずなびくようにする。今回もキャラクターは対称的だったが、実はキャラクターだけでなく、なびかせる対象も異なっていた。デカピンク(ウメコ)は、明らかに子供を意識したヒロインである。「ドラえもん」のしずかちゃん、「水戸黄門」の由美かおる並に入浴シーンが多かったが、あれに興奮するのはやっぱり子供だろう。それに対して、デカイエロー(ジャスミン)は完全にお父さん世代を狙った設定だ。公式HPの掲示板は、いつもジャスミン萌えの30代男性でにぎわっていた。ジャスミンのセリフに無意味に散りばめられる70年代~80年代の流行語は、2ちゃんねるで「ジャスミン語録」のスレが立つほど盛り上がった。もっともその中には「ダイナマイトどんどん」なんていう東映マニアックネタも含まれていた。

仮面ライダーが主婦層を引き込んだことに影響され、最近は戦隊シリーズもイケメン路線に向かいつつある。だが今回はそれに加え、お父さん層、ヲタ層も引き込むことを狙ったわけだ。その作戦は、ものの見事に当たったわけである。

仮面ライダーの影響といえば、ワンパターン展開からの脱却という傾向も近年の作品では感じられた。基本はワンパターンなのだけれど、そこにサイドストーリーを絡ませていく手法である。ハリケンジャーにおけるゴウライジャー、シュリケンジャーの存在や、アバレンジャーにおけるアスカとマホロのロマンスなどがそうだ。しかし、デカレンジャーではそれらは一切なし。放送開始当初は「後半はジャスミンの出生の秘密が明らかになる」とか「エージェント・アブレラは実はもと宇宙警察の刑事だった」とか、様々な憶測が飛んだが、結局最後まで、1回完結のワンパターンは崩れることがなかった。この原点回帰によって、構成が非常にシンプルになった。

構成をシンプルにしたのは、原点回帰だけではない。この作品では重要な新しい試みをしている。それはデカレンジャーの敵となる「悪の組織」が存在しなかったことだ。毎回登場する宇宙の犯罪者たちは、勝手に地球にやってきて悪さをしかける。その手助けをするのが、武器商人エージェント・アブレラ、という図式だ。アブレラは黒幕ではあるけれど、別に全てを仕切っているわけではない。これは大きなチャレンジともいえる。悪の組織内のいざこざを描いて興味を引きつける、ということができないからだ。

これらによって、「ひたすらデカレンジャーたちを描く」ことに徹した今回の作品。これは、多くのキャラクターを次々と登場させ、それらの重ね合わせで面白いドラマを作ろうとしている仮面ライダーシリーズとは対極的だ。差別化を狙っているのだろう。実に冷静に、全体の構成を計算している。

中途半端なエンターテイメントはデリート許可だ

面白いものを作ろうとする情熱と、緻密に計算した構成という、エンターテイメントの基本をしっかりとおさえたことが、今回の作品の成功の最大の要因だ。ひるがえって、その基本のどちらか、あるいは両方とも無視した作品が、日本のエンターテインメントコンテンツ界になんとあふれていることか。それを是正するためには、それを楽しむわれわれが、本当の面白いものを見分ける目を持つことにつきる。宇宙最高裁判所に頼るわけにはいかない。そのために、これからもこのページではさまざまなジャンルのエンターテイメントを独断でジャッジメントしていきたいと思う。

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特捜戦隊デカレンジャー 公式ホームページ

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