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~A・L・ウェバーチャンピオンまつり その2~
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2005年2月27日 (日)

四季「エビータ」(ばれます)
~A・L・ウェバーチャンピオンまつり その3~

 四季による「エビータ」の公演は98年以来。97年にマドンナ主演による映画版が公開され、そのブームに便乗する形で久しぶりに上演したときだ。今回は、A・L・ウェバーが「キャッツもファントムもやっているなら、エビータもやってくれよ」という理不尽な要望をしたために急きょ公演が決まったのだという。単にこっちのほうが受けると踏んだのか、本当にウェバーがそう言ったのかは分からないが、いずれにしても準備期間はさほど長くはなかったはずだ。

今回、注目すべき点は2つあった。

1点は、エビータを誰が演じるのか。7年前の公演では野村玲子、鈴木京子が演じた。しかし野村玲子はその時点でかなり声に力がなく、その後ミュージカルの一線からは退いている。鈴木京子も退団してしまった。このクラスならあとは保坂知寿だが、ご存じのように保坂はもっぱらマンマ・ミーアだ。それに続くクラスを出してくるのか、それとも一気に若手の起用に走るか。四季、というより浅利慶太の判断は後者の方だった。白羽の矢が立ったのは井上智恵。キャッツでシラバブを演じると、いきなりオペラ座の怪人のクリスティーヌに大抜擢。その後数々のヒロインの座を次々射止めて一気に四季の主力に躍り出た女優だ。こうして考えると、エビータを演じるにはふさわしいキャリアなのかもしれない。

この抜擢は、まずまず成功だったと言えるだろう。野村や鈴木のエヴァは、どちらかというと可憐さの陰に野心を秘めた存在だった。しかし今回のエビータは、のっけから野心むき出しの武闘派エヴァだ。最初は面食らったが、観ているうちにその潔さが小気味よくなってきた。また、成り上がっていくうちにキレイにはなっていくが、表情はあまり変化がないな、と感じていたのだが、ラスト近くで、死を前に初めて異なる表情、野心よりも弱さが前面に出てきたときは、思わずはっとした。まだまだ荒削りではあるが、気になるエビータの誕生である。

もう1点は、演出面だ。エビータという作品は、正直なところあまり面白い話ではない。貧しい家の生まれの少女が、男どもを踏み台にしてのし上がり、26歳で大統領夫人にまで上り詰め、権力をほしいままにして33歳でこの世を去る、という、あらすじを聞くとちょっと面白そうなのだが、このあらすじがストーリーの全てであり、一直線すぎて変化に乏しい。まるでゼロヨンのレースを観ているようだ。

だから多くの人は、この作品を最初に見たとき「つまらない」という印象を持つ。自分もそうだった。途中ちょっと寝てしまった。しかし、この作品の魅力は音楽性の高さにある。音楽にあまり詳しくない自分も、観たあと記念品がわりに発売されたばかりのCDを買って、電車の中で聞いているうちに「しまった、なんていい作品なんだ」と後悔した。もう一度観ようと思ったが東京公演はすぐ終わってしまったので、札幌まで観に行き、今度は最初から最後まで集中力を欠かさずに見終え、この作品が大好きになった。うっとりするような美しい旋律あり、遊びごころあふれた愉快な歌あり、心を奮い立たせるような力強い曲ありと、どれをとっても心に染み渡る名曲ぞろいだ。ファントムやキャッツのように、自分のような素人にも覚えやすい旋律ではない。だが何度聞いても飽きないどころか、聞くたびに魅力を再発見できる珠玉の音楽集だ。

この音楽性の高さが、ストーリーの一本調子に遮られて観客まで届かない。となればこれは演出でカバーするしかないだろう。幸い、この作品は演出は各カンパニーに任せられている。浅利慶太は「これまでの演出には満足していない。決定版をつくる」と豪語した。一体どんな手を繰り出してくるか、期待とイヤな予感が入り交じった妙な緊張感をもって臨んだ。

前回の公演から大きく変わった点は、2つある。1つ目は、角から円に、という変化。前回はシンメトリーと幾何学模様をベースにした、セットも役者の配置も直線的で角を重んじたレイアウトになっていたのが、今回は中央に回り舞台をしつらえ、円による構成を中心にしている。これはなかなか効果的に決まっていた。エヴァが死の直前に観たであろう、走馬燈の映像を見ているように、華やかで壮絶な人生をうまく表現できていたように思う。

もう1つは、観客参加型。観客参加型、というのは別に観客が何かをするわけではなくて、役者が客席に降り立つ機会の多い舞台のことだ。

最初のシーン、エビータの死に市民が悲しんでいる場面で、幕が上がっているのにでかい態度で入場してきた男がいたので、意見してやろうと思って顔を見たら芝清道だった。チェ・ゲバラ役である。この時点で、なるほど「決定版」演出の秘策はこれだったかと納得した。

この作品の登場人物は非常に少ないが、キャスト表には登場しない重要なキャラクターに「民衆」がある。マドンナ主演の映画ではこの民衆を実に効果的に演出に使っていた。しかし、ステージ上に登場させられる人間の数など、たかが知れている。それならば、客席にいる数百人を使わない手はない。つまり、物語の中の「民衆」を、観客に強引に演じさせてしまうという手法だ。特に2幕目の最初、大統領夫人になったエヴァが民衆に「アルゼンチンよ共にいて」と歌いかける一番の見せ場では、ぐっと客席近くにせり出すバルコニーの舞台装置で、「観客=民衆」ということを分かりやすく演出していた。

前回の演出は、どちらかというとダンスを中心にした、スタイリッシュなものだった。しかし、今回はむしろ「芝居」のケレン味を前面に出したものになっている。浅利慶太はこれについてパンフレットに掲載されたインタビューの中で「今回は振付主導ではなく、演出主導でいった」と表現している。

個人的には、今回の演出のほうが好きだし、だいぶ面白さを感じさせるものになったと思う。だがしかし、残念ながら一見して強烈な印象を与えるまでには至っていないのだ。平たんなストーリーというカベをつきやぶり、音楽の素晴らしさに気付かせてくれるまでのパワーは持ち得ていないのである。客席にせり出すパルコニーはなかなかの迫力だったが、さらにその上をいく、しびれるほどの過激な演出がなくては、「エビータ」=面白くない、という印象は覆せない。

そういう意味で、決定版とはいかなかったが、決定版の礎はできたと思う。方向性は示せた。あとは若手や外部の演出家に任せてもいいのではないか。浅利慶太の功罪についてここで語るつもりはないが、彼ももはや70歳を過ぎている。ジーザス・クライスト=スーパースターをカブキメイクで演じさせるような、文字通りかぶいた演出は出てこないだろう。いっそ舞台を江戸時代に置き換えてみるとか・・・いや、それは二番煎じだな。あまり人のことは言えそうにない。

また、演出をもう少し頑張らなくてはいけない、というのにはもうひとつ理由がある。前回も今回も、この舞台では本来演出で感じさせるべきカタルシスを、芝清道の歌によって提供しているという事実があるからだ。この舞台における芝の存在感は突出している。だが芝がずっとこの役を演じられるわけではない。そうなると、彼が欠けても作品全体の感動量の総和を下げないためには、やはり演出のカバーが不可欠となるのである。

また上演される機会があるなら、ぜひ演出面のさらなるパワーアップを期待したい。もっとも今回の演出は、個人的にはだいぶ気に入っているので、千秋楽前にもう一度観ておこうと思っている。

ここでもまたハプニングがあった。エヴァの夫、ペロン大統領役の下村尊則が歌詞をすっとばした。実は「オペラ座の怪人」とこの作品をはしごして観たので、1日に3つものハプニングを観たことになる。珍しいことだと喜ぶべきか、四季の完成度が下がっていると憂えるべきなのか。とりあえずは両方、ということにしておこう。

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「エビータ」 ホームページ
http://www.shiki.gr.jp/applause/evita/index.html

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コメント

お久しぶりです!ウェバーで盛り上がってますね。昨日のアカデミー賞受賞式のレッドカーペットに、ウェバーの姿を見つけました。久しぶりに彼の姿を見ましたが、トシとったなーって思いました。テヘ。(その分私もトシとってるっての…!)

投稿: ぽぽん | 2005年3月 1日 (火) 17時59分

その作品を演出している劇団の芸術総監督はもっと年をとっているわけで。
もうこの人たちに頼らないエンターテイメントの制作体制を考えていかなければですね。俺が考えたところでどうなるものでもないんですが。

投稿: ヤボオ | 2005年3月 2日 (水) 12時18分

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