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2004年10月 2日 (土)

東宝「ミス・サイゴン」(ばれます)

先日、四季の「南十字星」のことをここに書いた際、「ミス・サイゴン」を引き合いに出した。ならばそれも観なければ不公平だろう、ということで行ってきた。93年にロンドンで観て以来、11年ぶりだ。

この公演の場合、どういうキャストで観るかで評価も印象も全く異なると思うので、まずきょうの配役表を掲載しておく。

エンジニア 市村正親
キム 松たか子
クリス 坂元健児
ジョン 岡幸二郎
エレン 石川ちひろ
トゥイ tekkan
ジジ 高島みほ

さて、この配役表を観たとき、何か不安に感じることはないだろうか?歌唱力以外で。

俺は思った。「松たか子のほうが、坂元健児よりでかいんじゃ・・・」

マイケル・ダグラスがシークレットブーツを履いて臨んだ「アメリカン・プレシデント」を思い出す。履かせろ!奴にも。今すぐ。

坂元はその名の通り健康的な肉体が売り物の俳優で、四季時代はライオンキングでシンバのタイトルロールをこなした男だ。がっちりはしているが、背丈が足りない。土方副長の言うように、石田散薬を酒と一緒に飲んでほしいところだ。

しかし、一応二人並んでみたら、ちょっとだけ坂元のほうが大きかった。(履いたのかも・・・)

もちろん歌唱力に不安のある組み合わせではある。松たか子はCDデビューしているので、歌がうまくないことはよく知られている。しかし、臆せずに堂々と声を出すので、ややハズし気味ではあるが何とか聞ける。坂元も音程を気にせずのびのび歌うほうなので、声の相性は実によかった。これでエンジニアがむちゃくちゃ歌える人だったらバランスが悪いが、市村である。当代最高のミュージカル役者でありながら、実は歌唱力があまりないのが、市村のすごいところである。といわけで、この3人の歌は結果的に非常に均整のとれたものとなった。

唯一、むちゃくちゃ歌えるはずの岡幸二郎が、この3人に合わせたわけではないだろうが、あまり歌えていなかった。きょう調子が悪かっただけなのならいいが、少し不安である。岡にはもっともっと頑張って東宝をはじめ「非四季勢力」をもり立ててくれなければ困る。

さて作品について。要するにこの話は、「守るべき小さなアジア人」の女性(キム)と、「アホでマヌケなアメリカ白人」の男性(クリス)の色恋の話だ。かなりアジア人に対する紋切り型のイメージが前面に出ていて、日本人にはちょっとキツい作品だ、と11年前に観たときは感じた。

しかし改めて観て、少し考えを変えた。松の演技がそう感じさせたのかもしれないが、少なくともキムは、信念を持って力強く生きる女性として描かれている。また同じベトナム人であるエンジニアは、何とかアメリカに渡って一旗揚げようという野望にとりつかれた男だ。前回は、エンジニアの印象が強烈すぎて、これがベトナム人であることを忘れていたが、全体の中でその位置づけを考えると、やはりここに描かれているのは「小さなアジア人」ではないことが分かる。

そして、実はアメリカ人の描き方にもかなりクセがあることに気付く。考えてみればこの作品は、「レ・ミゼラブル」と同じ、アラン・ブーブリル(作詞)とクロード=ミッシェル・シェーンベルク(作曲)の手によるものだ。2人ともフランス人である。彼らはどこかシニカルに、しかし強烈にアメリカ人のアホバカぶりを描いて見せる。その最たるところが2幕の中で、クリスとその妻エレンが、キムと、その息子(父はクリス)をアメリカに連れてくるのではなく、タイに住まわせたまま援助をしようと考えるくだりである。彼らにしてみれば合理的な発想だが、実のところ「カネで解決している」という以外の何物でもない。

そうして観ていくと、なかなか面白い作品である。だいぶ好きになった。

しかし、いかんせんこの作品は全体としてどうにも弱い。覚えやすいメロディーのナンバーがないことや、ストーリーに起伏がないこともあるが、最も重大なのは世界観が伝わってこないことだろう。エンジニアやキムの人物像はそれなりによく描けていると思うが、その舞台となるベトナム戦争が一体何だったのか、という部分、それを説明的にではなく、端的に表現する必要があったのではないか。

同じベトナム戦争を描いた、フランシス・コッポラの「地獄の黙示録」は、「狂気」という一言で表現できる強烈な世界観を提示した。だから、あの映画は傑作なのだと思う。もっとも俺はいつもキルゴア騎兵隊の強襲シーンまでしか観ないが・・・余談だが、地獄の黙示録のオープニングは、映画史に残る傑作だと思う。

恐らくこの作品がこの形で上演されることは、ロンドン、ニューヨーク、東京あたりではもうないだろうが、リニューアルするなら小手先の演出を変えるのではなく、根本的な世界観の部分を、いずれかの形で明確化させることが必須だろう。

多くのグランド・ミュージカルは、何らかの原作からそうした世界観を引き継ぎ、その土台の上にオリジナルな部分を構築していく。そういう意味では、原作なしでここまでの作品を組み上げたミス・サイゴンは、かなり健闘していると言ってもいいのかもしれない。うん、やはりもう1回ぐらい観ておこう。

気付いたことひとつ。ロンドンでは、この作品は「ドルリー・レーン劇場」という、市内最大の劇場で上演されていた。実際そこで自分も観たのであるが、確かに巨大な劇場で、舞台も巨大だった。だから、ホーチミンの銅像や、ヘリコプターも帝劇版よりだいぶ大きい。ひょっとすると、制作者はあのばかばかしいほど大きなセットのインパクトによって、戦争や革命の持つ本質的な無意味さを世界観として提示したかったのかもしれない。そうであれば、帝劇版が弱くなるのは当たり前だ。

それにしても、あのヘリコプターの動きはないんじゃないか、という気もする。なんだか玉姫殿のゴンドラのように、すーっと降りてきてまた上がっていく。これがロンドン版では、機体が前に傾いたり、もっと複雑な操演を見せて圧倒的な緊迫感を演出していた。ここで手を抜いたら、この作品台無しではないのか?東宝には、そういう姿勢を改めてほしいと切に願う。

mis

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コメント

ミス・サイゴン、27日に観にいくんですが、とても楽しみになってきました!いろんな意味で(笑)市村正親さん、大好きなんです。鹿賀さんとまた舞台やるみたいですね。こちらも楽しみです。「You Are The Top」は鹿賀さんが急病で降板しちゃいましたからね…。次から次へと見たい舞台が、ミュージカルが…。

投稿: popon-x | 2004年10月 3日 (日) 22時59分

おっ、やはり市村&松の日ですね。市村氏の素晴らしさを堪能できる作品が、もっともっとあったらいいのにと思います。ブログに感想アップされるのを楽しみにしています。

投稿: ヤボオ | 2004年10月 3日 (日) 23時28分

ふぉおおおおお~~!ヤボオさん!姉にミス・サイゴンに行く日にちを確かめたら筧利夫の日だったぁ~(泣)いや、別にいいんだケド…。なんか市村さんが見られるんだと思ってウッキウッキしてたのでとてつもなくがっくりしました…。

投稿: popon-x | 2004年10月 4日 (月) 20時50分

いや、さっきブログ拝見してコメントしようと思ってたところです。筧のエンジニア、いいじゃないですか。私も見たい。いや、行く予定です。それに市村氏は、年末に「クリスマス・キャロル」も待機していることですし。

投稿: ヤボオ | 2004年10月 5日 (火) 00時37分

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