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2004年10月30日 (土)

トム・クルーズ×ジェイミー・フォックス「コラテラル」

現代のロサンゼルスを舞台に、完璧に仕事をやり遂げようとする殺し屋(トム・クルーズ)と、何とかその殺し屋の運転手という役目を逃れようとするタクシードライバー(ジェイミー・フォックス)が丁々発止の攻防を繰り広げる「コラテラル」(監督:マイケル・マン、脚本:スチュアート・ビーティー)が本日封切られた。

この映画のみどころは、何といってもクルーズとフォックスの演技の応酬だろう。タクシーという限られた空間の中で、2人の男がそれぞれの生き様をかけて火花を散らす。その緊張感は、さながら「モーニング娘。サスペンスドラマスペシャル『三毛猫ホームズの犯罪学講座』」の安倍なつみと保田圭の真剣勝負を観ているかのようだ。

いつしか2人の男の間には、立場を超えた奇妙な友情めいた絆が生まれるが、それを決して押しつけがましい形ではなく、ごく自然に、そして控えめに描いているところに好感が持てる。

一晩という短い時間設定の中で、テンポよく物語が進んでいくのも小気味良く、観る者を飽きさせない。これは「24」でもおなじみの、米国ドラマが得意とする手法だ。

この映画は決してコメディーというわけではないが、どのシーン、どのセリフもどこか笑いを誘う雰囲気にあふれている。特にクルーズの演技は、恐らく本人としては決して笑わせようとしているわけではなく、極めて大まじめに演じているのだが、それが何ともいえずおかしい。「ザ・エージェント」でも垣間見せた、巧まざる笑いのオーラだ。フォックスも「エニイ・ギブン・サンデー」などで決して派手ではないが実に印象的な演技を見せており、今回もクルーズと五分の勝負をしている。しかしその身にまとったオーラだけは、やはりキャリアの差というべきか。

95年に公開され、今なお名優同士の対決を描いた傑作として映画ファンの間で語り継がれている、今回と同じマイケル・マン監督の「ヒート」と後半部分の展開がやや似ているので、ハリウッド的な展開の苦手な人にはちょっと退屈に感じてしまうかもしれない。しかし「インサイダー」でアカデミー賞にもノミネートされたマン監督は、オーソドックスながらところどころに小技を効かせた演出で、役者たちの意気込みをストレートに観客に伝えることに成功している。

トム・クルーズファンにも、そうでない人にもお勧めの一本。

また一歩、「笑の大学」に近づいた。

makizoe

「コラテラル」公式ホームページ
http://www.collateral.jp/

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役所広司×稲垣吾郎「笑の大学」

戦時中の東京を舞台に、娯楽の統制をはかろうとする検閲官(役所広司)と、何とか喜劇の上演にこぎつけようとする喜劇作家(稲垣吾郎)が丁々発止の攻防を繰り広げる「笑の大学」(監督:星護、脚本:三谷幸喜)が本日封切られた。

この映画のみどころは、何といっても役所と稲垣の演技の応酬だろう。検閲室という限られた空間の中で、2人の男がそれぞれの生き様をかけて火花を散らす。その緊張感は、さながら「モーニング娘。サスペンスドラマスペシャル『三毛猫ホームズの犯罪学講座』」の安倍なつみと保田圭の真剣勝負を観ているかのようだ。

いつしか2人の男の間には、立場を超えた奇妙な友情めいた絆が生まれるが、それを決して押しつけがましい形ではなく、ごく自然に、そして控えめに描いているところに好感が持てる。

7日間という短い時間設定の中で、テンポよく物語が進んでいくのも小気味良く、観る者を飽きさせない。これは「新選組!」でもおなじみの、三谷幸喜が最も得意とする手法だ。

この映画は決してコメディーというわけではないが、どのシーン、どのセリフもどこか笑いを誘う雰囲気にあふれている。特に役所の演技は、恐らく本人としては決して笑わせようとしているわけではなく、極めて大まじめに演じているのだが、それが何ともいえずおかしい。「Shall we ダンス?」でも垣間見せた、巧まざる笑いのオーラだ。稲垣も「広島に原爆を落とす日」などで決して派手ではないが実に印象的な演技を見せており、今回も役所と五分の勝負をしている。しかしその身にまとったオーラだけは、やはりキャリアの差というべきか。

96年、98年に上演され、今なお自分の中でストレート・プレイのベスト1に君臨し続けている舞台版とセリフはほとんど同じなので、これを観たことのある人はちょっと退屈に感じてしまうかもしれない。しかし「古畑任三郎」などでその手腕を発揮した星護監督は、オーソドックスながらところどころに小技を効かせた演出で、役者たちの意気込みをストレートに観客に伝えることに成功している。

舞台好きにも、そうでない人にもお勧めの一本。

また一歩、「コラテラル」に近づいた。

warai

「笑の大学」公式ホームページ
http://warainodaigaku.nifty.com/

「笑の大学」ブログ
http://warainodaigaku.cocolog-nifty.com/movie/

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2004年10月29日 (金)

キャッツシアター

11月11日の初日をひかえ、最後の仕上げを進めているもよう。

ロンドンの会場は、いまひとつ客席との一体感がなかった。前回の品川公演もそうだった。

地方公演ではそれなりに一体感はあったが、キャッツらしいわくわく感に欠けていた。

ニューヨークの劇場は、「オペラ座の怪人」のシャンデリア、「ミス・サイゴン」のヘリコプターにあたるこけおどしの大仕掛け、回転席がなかった。

この新しいキャッツシアターは、公開された図面を見るかぎり、そうした課題をすべてクリアした、究極のキャッツシアターを目指しているようだ。もちろん回転席はあるし、心配された二階席との距離も、客席との近さで知られる自由劇場よりさらに間合いを詰めたものになるという。

実際にどういう空間になっているのか、楽しみだ。キャッツは、客席の空間演出も作品の重要な構成要素のひとつである。

五反田駅、大崎駅どちらから歩いても公称8分。実際歩いてみたがそんなものだった。


五反田からのほうが道がまっすぐなので分かりやすいが、大崎から推奨ルート以外の細い道を通っていけば、若干の時間短縮はできるかもしれない。近所迷惑にならないように、いろいろ試してみよう。

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また一歩、ジェリクル・ソングに近づいた。

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2004年10月26日 (火)

負け犬ふたたび

この週末は、更新できるネタがなかった。

しかしそれだとなんだかまじめに仕事をしているように思われ、心外だ。だからなんで更新できないのか、言い訳をしておく。

本当はこの週末には、劇団☆新感線「髑髏城の七人(アオドクロ)」を観る予定だった。しかし体調が悪かったのでキャンセルしてしまったのだ。

まあそれは仕方がない。たるみ姉さんのレビューを読むだけで我慢してやろうじゃないか。

しかし、実はもうひとつキャンセルした予定がある。




美勇伝デビュー記念スペシャルイベント。




やはり、這ってでも行くべきだった。梨華ちゃんと握手できるチャンスだったのに。

今年2回目の後悔。もちろん1回目はこれ

悔しさのあまり、しばらくハロー!プロジェクト関連の映像が目に入りそうにない。

・・・あっ「マジカル美勇伝」観なきゃ。

nukegara

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2004年10月17日 (日)

ウィル・スミス「アイ,ロボット」

今さらネタが続いてすいません。

見逃している映画が多すぎて、とりあえず時間の合うのを観よう、ということで「アイ,ロボット」に。

何というか、実にマジメな映画だ。

歪んだ映画ばかり観ていたせいか、真っ当すぎてなんだか考える足がかりが見つからない。

でも、とても良くできた映画だ。ハードすぎない謎解きと、テンポのいい展開、目を見張るSFX、派手な銃撃戦にカーチェイスと、ハリウッド的面白さを詰め込んでおり、しかもそれをちゃんと消化している。いい意味で優等生的な作品。登場人物の個性と世界観の強烈さには欠けるが、そのぶんリアリティーを追ったのだろう。

この映画のMVPは、何と言ってもCGのロボット「NS-5」の“サニー”だろう。テレビCMでもその不気味な無表情ぶりをアピールしていたが、その無表情の中で実に微妙な演技をする。どのくらい微妙かというと、ケンシロウがカサンドラに向かっていることを察知したトキが浮かべた微笑のような演技だ。

↓これ

bisyo

toki

「演技」と言った。

まさにそれは演技のように感じられたのだ。

「トイ・ストーリー」でも、キャラクターは実に微妙な感情を表現していた。しかし、それはあくまでジョン・ラセターという天才が、そのように「描いて」いたのであって、さながら一流の絵画を観るような感覚だった。

しかし、この“サニー”は、「演技」をしている。このロボットは、最後までいい奴か悪い奴かよく分からない。そういうキャラクターを人間が演じている場合、観客は目や声の動きから、なんとかそのキャラクターの本性を見抜こうとする。俳優と観客との勝負どころである。その勝負を、いつしかCGと自分が繰り広げていた。

これは今までになかった、フシギな感覚である。

また一歩、蒙古覇極道に近づいた!

「アイ,ロボット」公式ホームページ
http://www.foxjapan.com/movies/irobot/

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NHK「ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」

脚本、演出、俳優の3拍子がそろった「ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」は、数々の傑作を生んできたNHKドラマの歴史において、「男達の旅路」や「夢千代日記」「なっちゃんの写真館」などと並ぶ出色の出来といっていい。

1話25分で全12回。NHK教育テレビで今年初めに本放送、夏に再放送された。なぜ今さら書くかというと、HDレコーダーがいっぱいになってしまったため、DVDとして発売されているものはそちらを入手することにしてHDからは削除することにしたから。それで消すまえにもう一度ちょっとだけ見ようと思ったが、結局全部見てしまった。

全体を3部構成にしており、ある洋館を舞台にした3つのドラマが現代、高度成長期、終戦直後と時代をさかのぼりながら描かれる。メインの登場人物はそれぞれ異なるが、ある少年が共通して登場する。第一部、第二部は幽霊として、第三部は不治の病を負った患者として。そしてハーモニカで奏でられるあるメロディーが全編を通じた重要なモチーフとなっている。

このドラマはまず脚本が優れている。せりふ回しはいかにもNHK教育テレビ的な部分も多いが、その構成が緻密に計算されており、視聴者を物語に引き込んでいく。前にも引用したが、三谷幸喜の言うように脚本の魅力というの計算された構成力にある。

主人公たちの悩みや悲しみと人間的な成長を描くという基本的な話はそれぞれの章で完結している。しかし第一部で大人だった登場人物が第二部では中学生だったり、謎めいたせりふの種明かしが次の章に託されたり、と、章をまたいで貼られた伏線がスパイスとして小気味よく効いている。第一部から第二部へのつなげ方など、身震いするほどキレのある構成だ。

そして最終章の最後が第一部のファーストシーンにつながり、すべての謎と視聴者の中での心のこりが溶解した上で、実にすがすがしいラストシーンを迎えることになる。

脚本を担当したのは藤本有紀。「東京ラブ・シネマ」など、あまり話題にのぼらない作品を書いた人だが、相当な力量だと思う。今後の活躍を期待したい。

演出は、遠藤理史ら3人。第一部は学園ミステリー、第二部はミュージカル、第三部は正統派の家族ドラマと、テイストを変えながらしつらえている。若者たちを主役にしながら、不良や不純異性交遊を正当化せずにドラマを作るのは、NHKだけにしかできない芸当だ。それは「少年ドラマシリーズ」以来の伝統である。第一部は特に少年ドラマシリーズっぽいな、と思いながら見ていたが、あとで調べたところこの遠藤理史という人は少年ドラマシリーズで育ち、それを自分の手で作りたくてNHKに入ったのだという。さすが俺である。

そしてミニモニ。だ。第一部主演、高橋愛のソツのない演技、第二部における辻希美の強烈なかわいらしさ、そして最終章の加護亜衣が身にまとう圧倒的な存在感。三者三様の魅力がそれぞれの章の演出と奇跡のようにぴたりとはまっている。「あれ、ミカは?」という質問はなしにしてほしい。大丈夫、ミカも(それなりに)重要な役で出てるから。

すべての章に登場するメロディーは、各章の中では主人公の成長や、友達、家族との絆を支える応援歌として使われている。しかし、最後まで見終えると、このドラマが壮大な鎮魂の物語だと気づく。生きる人を楽しませると同時に、死者の魂を鎮めるという、音楽の持つ陰陽2つの側面と全体の構成とがオーバーラップしていく。

さらに、各章に登場している家族が、判で押したようなサラリーマン生活に見切りをつけ、夢を追い始める夫婦(現代)、順調な生活を送りつつ、一億総中流という保守的な様式に向かって突っ走る夫婦(高度成長期)、日本の復興のために家族や自らの生活を犠牲にすることもいとわない夫婦(終戦直後)と、それぞれ時代を映し出しているあたりも興味深い。ほかにも特筆すべき点が数多くあり、よく25分×12回でここまで描ききれたものだと感心するばかりだ。

こうした優れたドラマが、子供向け番組、アイドル番組として認識され、それは間違ってはいないが、多くの人の目に触れることなく埋もれてしまうのは実に惜しい気もする。だが、おそらく子供時代にこの番組を見た人が、また大人になっていいドラマを再生産してくれることだろう。少年ドラマシリーズを見て育った人材が、この「ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」を生んだように。

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「ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」公式ホームページ
http://www.nhk.or.jp/drama/archives/minimoni/

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2004年10月12日 (火)

マイケル・ムーア「華氏911」

なかなか近所の映画館で上映してくれないなあ、と思っていたらどんどん上映館が減ってきているので、あわてて駆け込み鑑賞。

今さらでもあるし、きょうもホテル住まいでYahoo!Cafeで更新しており、PCの使い勝手が悪いこともあるので(実は既に1回書き上げたとことで消している)、くどくど書くのはやめておきます。

それに、俺の感想も、世の中の人の大多数とたぶん同じだろうから。

その感想を代表しているのが、カンヌ審査委員であらせられる、クエンティン・タランティーノ先生のお言葉。

「政治は受賞には何の関係もない。単に映画として面白かったから、君に賞を贈ったんだ」(パンフレットより)

まったく、ドキュメンタリー映画が大のニガ手な自分がアクビひとつせずに最後まで観られるんだから、その構成と編集の技術にはただただ感服するばかりだ。

だけど、やっぱり自分はドキュメンタリーよりも、実は宇宙人が裏で操っていたりしれくれたほうが好きである。いや、実はこの映画もその事実を隠すためにニビル彗星の人達が仕組んだ罠なのかもしれない。俺の目はだませないぞ。
こんなことを書くと危険か?だいじょうぶ、足がつかないようにネットカフェで更新してるから。

この記事で更新が止まったら、スカラー波の攻撃を受けているものと思われます。白い服を着て救出に来て下さい。

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2004年10月10日 (日)

那須博之「Devilman」(今日もどこかでばれてます)

他人にはお勧めできないが、自分としてはそれなりに満足だ。

ご存じの通り、永井豪の漫画「デビルマン」(72年~)は、20世紀に描かれた最高の漫画と評する人も多い傑作だ。そして、恐らく日本で最初にハルマゲドンを描いた作品である。自分が読んだのは連載終了から10年以上経った84年。当時ハンサムな高校一年生だった自分も、とてつもない衝撃を受けた記憶がある。その2年ほど前、りんたろうの映画「幻魔大戦」でハルマゲドンという言葉は覚えたものの、その本当の意味を知ったのはこのときだろう。

「デビルマン」は、まさしく現代の黙示録[Apocalypse Now]だ。黙示録を映画化しようというのだから、それはうまくいかないのが当たり前だ。断片的にでも、その福音を自分たちなりに解釈して伝えることができればそれでいい。

しかし今回の「Devilman」を監督した那須博之は、そのほぼ全てを1本の映画に収めようとした。実に果敢というか、無謀な試みだが、その意気や良しである。印象的なシーンやセリフは律儀に押さえているし、キャラクター構成も多少の組み替えはあるものの、かなり原作に忠実である。

元来、自分は「原作に忠実」という評価軸は持っていない。メディアが違えばもはや別物であって、原作のある/なしは誰が出演しているか、というのと同じように、興味を持つか否かを分ける一要素に過ぎない。だから何かが映像化されるたび「原作のほうが面白い」「原作はこうじゃない」とヒステリックに叫ぶ人たちには辟易している。

しかし「デビルマン」に関しては例外を認めてほしい。この作品の真価は世界観やストーリーを越えたところにある。やはりその言葉にならない何かを伝えられなければ「デビルマン」とは言えないであろう。

那須は、全てを描こうとしつつも、それは根本的に不可能であり、作品としては中途半端に終わることをよく承知していたのだろう。映画人として、未完成の作品を世に出すことはその矜持が許さなかったのに違いない。だから彼の最も得意な分野の映画として外枠を作り、その中のモチーフとしてデビルマンを描いた。彼の得意な領域、それは「ビーバップ・ハイスクール」に代表される「高校生映画」である。そう、「Deviman」は、パッケージとしては「ウォーターボーイズ」や「青春デンデケデケデケ」と同じような、高校生のみずみずしい感性を描いた映画なのである。その中で扱われているデビルマンのくだりは未完成であるが、高校生映画としては完成している。

ただ、出来自体はあまり評価できるものではない。好感は持てるが下手な演技、美しいがぎこちないCG、どれをとってもVシネマ的な安っぽさが漂っている。俺のようにVシネマ好きならいいが、完成度を求める人にはつらいだろう。もっとも現在の日本映画界の現状(資金力、技術力、人材)では、正直これが限界、よく頑張った、という気もする。

また、那須の演出は、あまり芝居がかった演出や二重三重に貼った伏線などは用いることなく、比較的たんたんと展開させていくタイプのものだ。スペクタクルな演出を期待した人はこれにまずがっかりするのではないか。自分の場合、「セーラー服百合族」(83年、当時中学三年生)から「ピンチランナー」(2000年、当時社会人10年目)に至るまで、ずっと那須演出とともに人間的成長を遂げてきたため抵抗感はなかったが…。

そういったわけで、他人にはお勧めできないが、自分としては満足している。そして何より、この現代の黙示録に、逃げることなく真っ向から取り組んだ姿勢には敬意を表したい。

この作品自体は駄作に終わっても、また誰かが必ず映画化するだろう。それはハリウッドかもしれないし、ずっと先のことになるかもしれない。そうして語り継がれていくのが「デビルマン」だ。

おまけ:残念なこと2つ。

1)ミキちゃんが緑川蘭子にしか見えないのは俺の勝手だとして、冨永愛のシレーヌは、ただのコスプレお姉さんにしか見えなかった(まあ、それはそれでいいのだけど)。これで観客、特に女性客の85%ぐらいは席を半分立ちかけると思う。

2)パンフレットの「人物相関図」に「飛鳥了/○○○」と書いてある。いかに多くの人が原作を読んでいるとはいえ、こりゃないだろう。

silene

「Devilman」のホームページ
http://www.devilmanthemovie.jp/
「Deviman」のブログ
http://devilman.cocolog-nifty.com/movie/
「ぐんぐんぐんま」のレポート
http://futennochun.cocolog-nifty.com/gungungunma/2004/10/_.html

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2004年10月 9日 (土)

ヤヌスの鏡

今朝、目が覚めると枕元にあった目覚まし時計のフタがこじあけられ、中の電池が引きずりだされていた。

眠っている間にもうひとりの自分が破壊活動を繰り広げているのだろうか。

また一歩、杉浦幸に近づいた。

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2004年10月 6日 (水)

東映特撮ヒロイン写真集「PINK」

99年末に発売された「BLUE」以来、5年ぶりに発売された東映特撮ヒロイン写真集(徳間書店)。

ハリケンブルーの長澤奈央、デカイエロー(ジャスミン)の木下あゆ美、そして爆竜戦隊アバレンジャーでアバレブラックと壮大なロマンスを演じた破壊の使徒・ジャンヌの桜井映里と、立て続けに魅力的なヒロインが生み出されているために、非常に充実した内容となった。

ジャスミンのセーラー服や、ハリケンブルーの和服、そしてタイムピンクの水着など、必要なポイントは確実に押さえている。編集者の非凡な才能と緻密なマーケティング戦略の成果と言えるだろう。

例え妻子がいようと、買わなければならない一冊だ。

ところで、戦隊に限らず、特撮ヒロインが萌え対象になったのはいつからだろう?

もちろん特撮ヒロインといっても数限りなくいるわけで、正確に検証するのは困難だが、それが萌え対象として商品化されるようになったのは、俺の知る限り1984年の「宇宙刑事シャイダー」のアニー(森永奈緒美)からではないかと思う。同年、数人の特撮ヒロインを集めた写真集「夢翔女」が朝日ソノラマから発売されており、その表紙を飾ったのが森永奈緒美だった。その本を書店で初めて見たとき、こういう写真集が出る時代になったのか、と驚いたのをよく覚えている。

アニー以前の特撮ヒロインは、強くて頼りになるお姉さんを目指しており、ビジュアル的にもそのベクトルは「かわいい」より「キレイ」を目指していた。その代表とも言えるのが、「人造人間キカイダー」でビジンダーを演じた志穂美悦子である。彼女らはあくまで、キレイでカッコいい存在だったのである。

もちろん、特撮番組にはかわいいヒロインも登場していた。しかしその場合は主人公と一緒に闘っているわけではない。「帰ってきたウルトラマン」の坂田アキ(榊原るみ)にしても、「太陽戦隊サンバルカン」の嵐山美佐(根本由美)にしても、どちらかというと萌え系キャラだが、それぞれ主人公のガールフレンド、長官の娘、という存在であり、物語の中心には位置づけられていない。

アニーの登場は衝撃的だった。それまでのヒロインとはイメージが根本的に違う。彼女もジャパンアクションクラブの出身なので、番組の中では志穂美悦子ばりのアクションをこなしていたのだが、どうも頼りなさが感じられて、それがあのベビーフィエスとあいまってすさまじい萌えパワーを生み出していた。(当時、まだ「萌え」という言葉はなかったけど)。あれ以来、特撮ヒロインの路線が確実に変わってしまった。もちろん、素晴らしいことだ。

その傾向が戦隊シリーズに見られるようになったのも、やはり1984年の「超電子バイオマン」からではないかと思う。これは偶然の一致だが、遅かれ早かれそういう傾向になったのだ、という歴史の必然も感じさせる。「バイオマン」は、シリーズで初めて女性隊員が2人になった。当然、その性格づけを変えることになるわけで、イエローフォー(ミカ→ジュン)は伝統的な強いヒロイン、そしてもう1人のピンクファイブ(ひかる)はぐっと女の子らしさを前面に出したキャラクターだった。アニーが鮮烈すぎてあまり話題にはならなかったものの、牧野美千子演じる「桂木ひかる」は勝るとも劣らない萌えキャラだったと思う。その後、戦隊ヒロインは萌え路線を突っ走り、日本一女性に嫌われる女、さとう玉緒もそこから生まれてくるわけだ。

それにしても、タイムピンクはもう少し評価されてもいいのではないか。タイムピンクはチームのリーダー格で、強さ、頼りがいを前面に出したキャラクターだった。しかし萌え路線を捨てたわけではない。結局萌え要素というのは矛盾、非整合性に発生するのだから、既定路線と逆方向を行ったタイムピンクは、結果的に、一層強烈な萌えキャラになってしまっていた。

というわけで、今日はまた一歩、後楽園ゆうえんちに近づいた。

toei

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2004年10月 2日 (土)

東宝「ミス・サイゴン」(ばれます)

先日、四季の「南十字星」のことをここに書いた際、「ミス・サイゴン」を引き合いに出した。ならばそれも観なければ不公平だろう、ということで行ってきた。93年にロンドンで観て以来、11年ぶりだ。

この公演の場合、どういうキャストで観るかで評価も印象も全く異なると思うので、まずきょうの配役表を掲載しておく。

エンジニア 市村正親
キム 松たか子
クリス 坂元健児
ジョン 岡幸二郎
エレン 石川ちひろ
トゥイ tekkan
ジジ 高島みほ

さて、この配役表を観たとき、何か不安に感じることはないだろうか?歌唱力以外で。

俺は思った。「松たか子のほうが、坂元健児よりでかいんじゃ・・・」

マイケル・ダグラスがシークレットブーツを履いて臨んだ「アメリカン・プレシデント」を思い出す。履かせろ!奴にも。今すぐ。

坂元はその名の通り健康的な肉体が売り物の俳優で、四季時代はライオンキングでシンバのタイトルロールをこなした男だ。がっちりはしているが、背丈が足りない。土方副長の言うように、石田散薬を酒と一緒に飲んでほしいところだ。

しかし、一応二人並んでみたら、ちょっとだけ坂元のほうが大きかった。(履いたのかも・・・)

もちろん歌唱力に不安のある組み合わせではある。松たか子はCDデビューしているので、歌がうまくないことはよく知られている。しかし、臆せずに堂々と声を出すので、ややハズし気味ではあるが何とか聞ける。坂元も音程を気にせずのびのび歌うほうなので、声の相性は実によかった。これでエンジニアがむちゃくちゃ歌える人だったらバランスが悪いが、市村である。当代最高のミュージカル役者でありながら、実は歌唱力があまりないのが、市村のすごいところである。といわけで、この3人の歌は結果的に非常に均整のとれたものとなった。

唯一、むちゃくちゃ歌えるはずの岡幸二郎が、この3人に合わせたわけではないだろうが、あまり歌えていなかった。きょう調子が悪かっただけなのならいいが、少し不安である。岡にはもっともっと頑張って東宝をはじめ「非四季勢力」をもり立ててくれなければ困る。

さて作品について。要するにこの話は、「守るべき小さなアジア人」の女性(キム)と、「アホでマヌケなアメリカ白人」の男性(クリス)の色恋の話だ。かなりアジア人に対する紋切り型のイメージが前面に出ていて、日本人にはちょっとキツい作品だ、と11年前に観たときは感じた。

しかし改めて観て、少し考えを変えた。松の演技がそう感じさせたのかもしれないが、少なくともキムは、信念を持って力強く生きる女性として描かれている。また同じベトナム人であるエンジニアは、何とかアメリカに渡って一旗揚げようという野望にとりつかれた男だ。前回は、エンジニアの印象が強烈すぎて、これがベトナム人であることを忘れていたが、全体の中でその位置づけを考えると、やはりここに描かれているのは「小さなアジア人」ではないことが分かる。

そして、実はアメリカ人の描き方にもかなりクセがあることに気付く。考えてみればこの作品は、「レ・ミゼラブル」と同じ、アラン・ブーブリル(作詞)とクロード=ミッシェル・シェーンベルク(作曲)の手によるものだ。2人ともフランス人である。彼らはどこかシニカルに、しかし強烈にアメリカ人のアホバカぶりを描いて見せる。その最たるところが2幕の中で、クリスとその妻エレンが、キムと、その息子(父はクリス)をアメリカに連れてくるのではなく、タイに住まわせたまま援助をしようと考えるくだりである。彼らにしてみれば合理的な発想だが、実のところ「カネで解決している」という以外の何物でもない。

そうして観ていくと、なかなか面白い作品である。だいぶ好きになった。

しかし、いかんせんこの作品は全体としてどうにも弱い。覚えやすいメロディーのナンバーがないことや、ストーリーに起伏がないこともあるが、最も重大なのは世界観が伝わってこないことだろう。エンジニアやキムの人物像はそれなりによく描けていると思うが、その舞台となるベトナム戦争が一体何だったのか、という部分、それを説明的にではなく、端的に表現する必要があったのではないか。

同じベトナム戦争を描いた、フランシス・コッポラの「地獄の黙示録」は、「狂気」という一言で表現できる強烈な世界観を提示した。だから、あの映画は傑作なのだと思う。もっとも俺はいつもキルゴア騎兵隊の強襲シーンまでしか観ないが・・・余談だが、地獄の黙示録のオープニングは、映画史に残る傑作だと思う。

恐らくこの作品がこの形で上演されることは、ロンドン、ニューヨーク、東京あたりではもうないだろうが、リニューアルするなら小手先の演出を変えるのではなく、根本的な世界観の部分を、いずれかの形で明確化させることが必須だろう。

多くのグランド・ミュージカルは、何らかの原作からそうした世界観を引き継ぎ、その土台の上にオリジナルな部分を構築していく。そういう意味では、原作なしでここまでの作品を組み上げたミス・サイゴンは、かなり健闘していると言ってもいいのかもしれない。うん、やはりもう1回ぐらい観ておこう。

気付いたことひとつ。ロンドンでは、この作品は「ドルリー・レーン劇場」という、市内最大の劇場で上演されていた。実際そこで自分も観たのであるが、確かに巨大な劇場で、舞台も巨大だった。だから、ホーチミンの銅像や、ヘリコプターも帝劇版よりだいぶ大きい。ひょっとすると、制作者はあのばかばかしいほど大きなセットのインパクトによって、戦争や革命の持つ本質的な無意味さを世界観として提示したかったのかもしれない。そうであれば、帝劇版が弱くなるのは当たり前だ。

それにしても、あのヘリコプターの動きはないんじゃないか、という気もする。なんだか玉姫殿のゴンドラのように、すーっと降りてきてまた上がっていく。これがロンドン版では、機体が前に傾いたり、もっと複雑な操演を見せて圧倒的な緊迫感を演出していた。ここで手を抜いたら、この作品台無しではないのか?東宝には、そういう姿勢を改めてほしいと切に願う。

mis

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市村正親のこと、そして

銀座2丁目に、「ニューキャッスル」という小さなカレーのうまい店がある。「カライライス」として有名なそのカレーは、確かに独特の味わいでリピートして食いたくなるが、量が少ないのが難点だ。

その店のレジに、市村正親が店の人達と納まっている記念写真が貼ってある。日比谷などで公演があるとき、よく訪れているのだそうだ。店の主人いわく「実に気さくで、いい方ですよ」。

ふつう店の人は芸能人を評してそう言うものだが、恐らくそれは本当だ。別の人からもそう聞いた。ある都内の劇場を担当していた、Iさんの話である。

Iさんとは、彼がその前の職場にいたときに一緒に仕事をした関係で、ときどき入手困難な公演チケットを何とかしてもらったりしていた。

ある日、やはりIさんに取っていただいた公演を観終わったあと、劇場の出口にIさんが立っていた。お礼を言おうと思ったが、あいさつをしそびれてしまった。

その数か月後、Iさんが急病でこの世を去ったと聞いた。あのとき、あいさつをしなかったことは、今となっては痛恨の極みである。

市村正親は、そのIさんを「今、○○で飲んでるから来なよ」などと呼び出したりして、一緒に飲んだりしたのだという。これは、市村の気さくさを伝えていると同時に、Iさんの人柄を示すエピソードでもある。

温厚で実直な性格のIさんは、誰からも好かれ、信頼されていた。告別式では、その劇場で公演したキャストやスタッフも、多数かけつけたという。

今はただ感謝することしかできないけれど、Iさんのことは一生忘れてはいけないと思う。

Iさんはいま、合羽橋道具街近くの美しい寺院に眠っている。訪ねると、いつも新しい花が供えられている。

eng

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帝国劇場のしきたり

「ミス・サイゴン」を観るために帝国劇場へ。

帝劇に来たら、観劇前に地下2階の「神田 きくかわ」日比谷店でうなぎを食べる。

もう10年以上も続いている、ならわしというか、しきたりというか。

おかげで、「レ・ミゼラブル」と聞くと腹が減ってくるという、ビクトル・ユーゴーが聞いたら殴られそうな条件反射まで備わってしまった。

kikukawa

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定期券の帰還

火曜日から行方しれずになっていた、定期券が戻ってきた。JRの定期券センターから連絡が来た。

どうも日比谷駅か、その付近で落としたらしい。親切な方が拾って、届けてくださったのだろう。

本当に感謝しています。この場を借りてお礼を申し上げます。

何しろ、2月末までの6カ月定期。まだ1月しか使っていない。田舎から通う者にとっては、買い直しになったら致命的な経済的ダメージだ。

どうもありがとうございました。

nec_0140

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