負け犬のワルツ
これほどの敗北感を味わったのは何年ぶりだろう。
目の前にある事実を許容できない、アンビバレンツに起因する強烈なストレス。
そもそもこれは事実なのか?逃避への誘いが前頭葉をかすめていった。
それを振り切った先にあるのは、大きすぎる失敗の代償。
金メダルはおろか、銀メダルまでをも逸した野球のオリンピック代表チームは、試合終了の瞬間、ぼう然と立ちすくんでいた。彼らを責めはすまい。その償いをするべき人間は、君たちの他にいるのだから。
だが今、こうして自分の前にある責任に対して、向き合うべき人間は、自分しかいない。
だからあえて問う。これは敗北なのか?では、敗北とは何か?
そんなものは存在しないのだ。あるのは客観的な現象だけであって、それを勝利とするか敗北とするかは、ハイデガーが指摘するところの社会内存在としての自分が、時間的存在としての自分につきつけている評価でしかない。
だから、その評価はいずれ変化するものであり、否、この瞬間も視点を数度ずらすだけで変化するのである。ならばそれは表象に値しないものではないのか。
その通りだ。「にもかかわらず」(マックス・ウェーバー)、敗北感は厳然とした事実として存在する。敗北が存在するかどうかはこの際問題ではなく、問題になっているのはこの敗北感なのだ。
この試練が意味するものは何か。それが分かるなら、試練とはならないであろう。今はただただ、この敗北感にうちひしがれることが、自らに課せられた運命なのか。それを宿命と呼ぶなら、甘んじて受け止めよう。自らの過ちへの悔恨を忘れるために。
いや、忘れてはいけない。
自らに問いたださなくてはいけない。また悲劇を繰り返さないために。
・・・・・・。
なぜ買いのがしたのか?
紺野あさ美写真集を。
2002年2月、矢口真里ソロ写真集を買い逃して以来の敗北。東京じゅうの書店を探し回ったあの屈辱を、また味わうことになろうとは。
微妙な人気のアイドルほど、写真集は売り切れる確率が高い。版元も書店も、弱気な読みをするからである。分かっていたはずなのに。
慢心。そう、「スクール・ウォーズ」で、地区大会の決勝に惨敗した滝沢先生に対し、名古屋章演じる校長が言い放ったように、慢心以外の何物でもない。
決めた。
俺は明日から生まれ変わる。
「そう・・・たしかにこの男はすでにさっきまでの滝沢ではなかった!
今、また新たなる滝沢がめざめたのである!
今までの滝沢が滝沢2であるなら・・・
またひと段階成長したこの勇者は----
そうだっ! 滝沢3だっ!!」(島本和彦「炎の転校生」より)
え?その滝沢じゃないんですか?
明日、俺に会ったら背中に「3」の文字が透けて見えるはずだから、刮目して見るように。
また一歩、戦闘フォーに近づいた。
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コメント
明日に向かって滝沢国電パンチ。
っつうか、最寄のエロ本やエロDVDを売っている新宿の本屋では、普通に平積みにされて売ってましたよ、紺野の写真集。
それよりハロプロ関係で気になるのは、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002IJMRM/">http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0002IJMRM/
なんでBerryz工房の新しいシングルがアマゾンで売り切れているのか。やっぱりみんな店頭では買いにくいからアマゾンで、ってことなんでしょうか。
投稿: kunedog | 2004年8月27日 (金) 05時07分
えーそういうお店行ったことないからわかんなーい。
ああ、満来の近くのとこ?
投稿: ヤボオ | 2004年8月27日 (金) 10時58分
>ああ、満来の近くのとこ?
違います。西口ヨドバシカメラの近くになりますが。。
投稿: kunedog | 2004年8月27日 (金) 17時04分