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2004年8月30日 (月)

「新選組!」三谷幸喜の実力

2週続けて同じテレビドラマのことを書くというのは、ますます同居人日和に近づいてしまうので避けたいところだが、これは書かずにいられない。

だって、面白すぎるじゃないか。

前回、山南敬助の切腹を描き、日本中の涙を誘った「新選組!」。ここで少し軽いエピソードでも挟んでくれるのだろうな、と期待はしていた。だが、予想はしていなかった。ここで、三谷幸喜が最も得意とする手法で来るとは。

彼の得意といえば、もちろんコメディーだ。それも前に述べたように、緻密な計算によって描くコメディーこそ、その本領である。特に、その計算は、セリフ回しや動作よりも、いかに「コメディー的な状況」を作り出すか、に働いている。

今回の「寺田屋大騒動」はまさにこれだ。近藤勇の妾と本妻がひとつの旅館で鉢合わせしてしまう、というドタバタ劇。何とか2人を会わせまいと奔走する周囲の人間のあわてぶりを絶妙なタッチで描き、これでもか、と観る者を笑わせる。そう、2001年にパルコ劇場で上演された「バッド・ニュース☆グッド・タイミング」を思わせる、上質かつ純粋なコメディーだ。

それを連続ドラマの中の1話として組み立ててしまうなど、並の力量でできることではないが、それを事もなげにやってのけるあたりはさすがという他はない。三谷の脚本はキライ、という人も多いだろうが、今回ばかりはその実力を認めざるを得ないだろう。

またその脚本を、俳優陣がしっかりと受け止めて、実に気のきいた演技をしている。小林隆に戸田恵子、沢口靖子に八嶋智人といった、三谷の薫陶を得た人間はもちろんのこと、藤原竜也や田畑智子、中村勘太郎にオダギリジョー、吹石一恵に優香といった演技センスのいい若手俳優陣も、脚本に刺激を受けてのびのびといい表情を出している。山本太郎や山口智充、中村獅堂といったもともと芸達者な人たちは言うまでもない。

そして最後に一番の笑いをもっていってしまったのは、やはりこの男、土方歳三を演じる山本耕司。ウソをつくために芝居をしながら、自分が登場する前に演じられていたストーリーを一瞬で理解し、自分の演技に修正を加えて、なにやら杉良太郎のモノマネをする旅芸人一座の二枚目俳優のような、いかがわしくて安っぽい笑みを浮かべたあの表情には今週もMVPをあげてしまいそうだ。まあ今回は顔じゅう大福の粉だらけにしてがんばった「ビオラの彼」小林隆氏に一票あげたいところだが。

この小林、山本が大芝居(小芝居?)をうつシーンは、これも三谷の「得意技」のひとつ、劇中劇になっている。

ひさしぶりに、テレビを見て腹がよじれるほど笑った。最近、「特捜戦隊デカレンジャー」や「冬のソナタ」など、質の高いコメディーを見慣れていたが、やはりこのドラマはその上をいく。だから観るのをやめられない。

しかし今回はそれにとどまらず、コメディーとしての計算された構造の上に、大河ドラマとしての構造も積み上げている。妾をめぐってどたばたしている近藤たちと同じ旅館の中で、桂小五郎と坂本龍馬が天下の行く末を語っている、という図式だ。しかも、太夫を身受けした近藤に対し、坂本は自分の恋人を、天下を論じるためにはためらわず手放そうとしている。このあたりの対比のさせ方も本当に巧みだ。

とにかく、今回は三谷幸喜でオナカいっぱい。ちょっと当たりそうだけど。

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2004年8月27日 (金)

負け犬のワルツ

これほどの敗北感を味わったのは何年ぶりだろう。

目の前にある事実を許容できない、アンビバレンツに起因する強烈なストレス。

そもそもこれは事実なのか?逃避への誘いが前頭葉をかすめていった。

それを振り切った先にあるのは、大きすぎる失敗の代償。

金メダルはおろか、銀メダルまでをも逸した野球のオリンピック代表チームは、試合終了の瞬間、ぼう然と立ちすくんでいた。彼らを責めはすまい。その償いをするべき人間は、君たちの他にいるのだから。

だが今、こうして自分の前にある責任に対して、向き合うべき人間は、自分しかいない。

だからあえて問う。これは敗北なのか?では、敗北とは何か?

そんなものは存在しないのだ。あるのは客観的な現象だけであって、それを勝利とするか敗北とするかは、ハイデガーが指摘するところの社会内存在としての自分が、時間的存在としての自分につきつけている評価でしかない。

だから、その評価はいずれ変化するものであり、否、この瞬間も視点を数度ずらすだけで変化するのである。ならばそれは表象に値しないものではないのか。

その通りだ。「にもかかわらず」(マックス・ウェーバー)、敗北感は厳然とした事実として存在する。敗北が存在するかどうかはこの際問題ではなく、問題になっているのはこの敗北感なのだ。

この試練が意味するものは何か。それが分かるなら、試練とはならないであろう。今はただただ、この敗北感にうちひしがれることが、自らに課せられた運命なのか。それを宿命と呼ぶなら、甘んじて受け止めよう。自らの過ちへの悔恨を忘れるために。

いや、忘れてはいけない。

自らに問いたださなくてはいけない。また悲劇を繰り返さないために。


・・・・・・。

なぜ買いのがしたのか?

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紺野あさ美写真集を。

2002年2月、矢口真里ソロ写真集を買い逃して以来の敗北。東京じゅうの書店を探し回ったあの屈辱を、また味わうことになろうとは。

微妙な人気のアイドルほど、写真集は売り切れる確率が高い。版元も書店も、弱気な読みをするからである。分かっていたはずなのに。

慢心。そう、「スクール・ウォーズ」で、地区大会の決勝に惨敗した滝沢先生に対し、名古屋章演じる校長が言い放ったように、慢心以外の何物でもない。

決めた。

俺は明日から生まれ変わる。

「そう・・・たしかにこの男はすでにさっきまでの滝沢ではなかった!
 今、また新たなる滝沢がめざめたのである!

 今までの滝沢が滝沢2であるなら・・・
 またひと段階成長したこの勇者は----

 そうだっ! 滝沢3だっ!!」(島本和彦「炎の転校生」より)

え?その滝沢じゃないんですか?

明日、俺に会ったら背中に「3」の文字が透けて見えるはずだから、刮目して見るように。

また一歩、戦闘フォーに近づいた。

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2004年8月22日 (日)

「新選組!」山南さんが逝く

総長・山南敬助が切腹して舞台を去った。芹沢鴨暗殺以来の、大きな山場である。

この堺雅人が演じた山南の存在感は、極めて大きかった。山本耕史演じる土方歳三とともに新選組を、そしてドラマを支えてきたのがこの両雄である。

特に見せ場があるわけでもなく、おいしい役どころではない。どちらかというと地味な役だ。しかし彼が登場するだけで、場の雰囲気が和むと同時に引き締まる。実に不思議な魅力で、目が離せなかった。

山南は、静かな男である。しかし、その穏やかさの陰に、熱い闘志と剛胆さを秘めている。それを見事に演じぬいた、俳優・堺雅人も、カン高い声に半分にやけたまま固まった顔という飄々とした風貌の陰に、これだけの実力を隠していたわけだ。

役者の実力を見抜く能力については、つかこうへい先生に次いで日本じゃあ2番目だと思っている自分も、それは見抜くことができなかった。脱帽である。

この魅力的な登場人物には、さぞや多くの視聴者から助命嘆願もあったことだろう。しかしいくら三谷幸喜とはいえ、さすがにそこまで史実をひん曲げるわけにはいかない。

たが、正直な気持ちを言えば、ひん曲げてでももっとこのキャラクターを見ていたかった。どうせちょっと脚色しても「史実と違う」「考証がいいかげん」とかぶつぶつ言われるのだ。いっそ大いにねじ曲げて、山南は隊を離れず、沖田の病気も直り、近藤勇は戊申戦争で大勝利を収めて、土方は北海道に王国を作る、というようなパラレルワールドの話にしてもいいじゃないか。どんな手を使っても生かしたかった。この気持ちは、近藤や土方が何とか山南を落ち延びさせようとしたり、永倉新八や原田左之助が非常手段で逃がそうとしたりしたのと、同じ気持ちだと思う。

だが、最初から山南はこういう運命をたどるものとして、描かれ、演じられてきた。今さら、どうしようもないのである。ここで妙なマネをすると、ここまでの複線がパアになる。京に上る最中、宿割りでもめた浪士と一色即発になり、一歩も引かなかったあの表情。あれこそ、山南の生き様を象徴していた。そういえば、あの場を収め、山南を救ったのは土方だった。

さらに遡れば、第一回の放送。この冒頭の不逞浪士取り締まりのシーンは、実際のストーリーと直接関係はしないが、全体の人物関係を凝縮して描くという、三谷おとくいの「予告編」的手法で作られた場面だ。軍議に少し遅れて駆けつけた山南がこのドラマで最初に言ったセリフ、それは「申し訳ない、道を一本間違えました」だった。

そう、山南は一本だけ、近藤や土方と違う道を行ってしまったのだ。

両雄は、常に並び立たないのか。田中芳樹の「銀河英雄伝説」でも、主人公ラインハルト・フォン・ローエングラムを支え続けた帝国軍の双璧にして親友、ウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールは物語終盤で激突している。あれもつい「何とかならないのか」と言いたくなる悲しい宿命だった。

この「新選組!」は、毎回、あまり時間の経過を省略せず、なるべく1日に起こった出来事を丁寧に描くという手法をとっている。今回も、切腹までの山南の1日を、丹念に追っていた。

自害するまでの数時間を、ここまでじっくりと映し出すというのは、映画でもドラマでもあまり記憶がない。しかしそれによって、この人物を最後に余すことなく、表現することに成功していた。部下たちに、こと細かに今後の指示を与え、好意で出された膳を「腹を切ったときに見苦しいから」と断りつつも、目で楽しもうとその気持ちを受け入れる。しかし決して楽ではない新選組の台所事情を慮ってか、はたまた死後の供えにしてもらおうとしたのか、握り飯だけは返却を申し出る。と、思ったら、これは井上源三郎が逃げたときの食料として用意したものだった(たるみ姉さんに指摘されて初めて気付いた)。何回か登場した「障子を閉める」動作は、決して心根を人に見られまいとする性分を表現したものだろうか?もっとも、その本心は恋人・明里にあっさり見抜かれてしまうが。女は強い。とにかく、山南という男を徹底して描いた回だった。助命嘆願を受け入れられなかったファンも、本望だろう。

ミッターマイヤーに破れたロイエンタールは、死の淵に立ってなお、冷静な自制心を失わなかった。ゆえにこう証言されている。

「ロイエンタール元帥は、死の瞬間に至るまで、ロイエンタール元帥以外の何者でもなかった」。

山南総長もまた、死の瞬間に至るまで、山南総長以外の何者でもなかった。

山南を失い、初めて声を上げて泣く鬼の副長・土方の姿に、激しく心を動かされない者はいないだろう。結局、おいしいところを持って行くのはこの男か、とちょっとだけやっかみつつ・・・

さて、今後のドラマの展開にも期待したいが、堺雅人の活躍も大いに楽しみだ。ぜひ舞台でも観たいが、じつはひとつ、ぜひ演じて欲しい役がある。それは「ドカベン」実写版のリメイクにおける、微笑三太郎役である。いつも笑っているように見える人間なんて、この世に存在しないと思っていたけど、実在した。「スーパースターズ編」なら、実年齢のまま行けるじゃないか。どうですか?水島先生。

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「冬のソナタ」のドラマツルギー その4

その1  その2 その3

地上波での放送が終了した。

オリンピックを押しのけてまで放送せざるを得なかった、日本国民的韓国ドラマ。

これがただの三角関係、つまりユジン(チェ・ジウ)、チュンサン(ペ・ヨンジュン)、サンヒョク(パク・ヨンハ)のやりとりを描いただけの話であることは前にも言った。だが面白いのは、その三角関係のもつれは、それぞれの親たち、ユジン父、チュンサン母、サンヒョク父の三角関係に起因しているという点だ。つまり、その三人の肉体関係が、子の代になってトラブルを引き起こすのである。

儒教の国なのに、そんなエッチなことをしちゃいけないじゃないか、とも思うが、これは「いやらしいことをすると、子々孫々まで迷惑がかかりますよ」という戒めなのかもしれない。

ところで、このドラマのMVPを1人選べ、と言われたら、やっぱりこの人だろう。





キム次長。

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見ての通り、本当にただのおやじである。

人の色恋沙汰に首を突っ込む、やたら飲みにに行こうとする、すぐ余計なことを口走るで、実に困った人だが、チュンサンのことは大好きで、頼りにしている。以外に鋭いところもあって、さりげなくチュンサンに大人のアドバイスを与えたりもするが、常に聞き流されている。

日本のドラマなら、この人も終盤一度ぐらい格好いいところを見せたに違いない。

しかし、それはなかった。前にも言ったように、このドラマは主役以外には冷淡なのである。

生涯一おやじ。それはそれでナイスな生き方だ。もう俺に残されている道はそこしかないかもしれない。

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「冬のソナタ」のドラマツルギー その3

その1  その2

「冬のソナタ」の映像の美しさを指摘する人も多いが、よく見ると実はさほどでもない。カメラアングルは単調だし、照明や撮影の技術は日本の映像制作会社から見たら「素人並み」というレベルだろう。むしろ、照明や音響といった技術的な部分に力を入れるより、いかに面白く見せるか、という部分に力を入れた結果、見栄えが良くても面白みにかける日本のドラマにはない、視聴者を圧倒する力強さを得ることができたのだろう。

しかし、確かにこのドラマの映像は印象的だ。それは、ほとんどをロケで撮っていることに理由があるのではないか。

だが、特に風光明媚な場所ばかりが出てくるわけではなく、韓国の日常をそのままに切り取っている。

日本の場合、ロケをしても、その風景にあれこれ手をかけてしまうが、このドラマではそんなことはしない。

第18話における、チュンサン(ペ・ヨンジュン)とユジン(チェ・ジウ)の海辺のデートシーン。初めて2人で海に来たことを喜ぶユジンと、この海で別れを告げようとしているチュンサンが、誰もいない冬の海でひとときを過ごす重要なシーンだ。

その重要なシーンの映像で、最も印象に残るのは、チュンサンの複雑な表情でも、ユジンの無邪気な笑顔でも、飛び入りで参加した子犬でもない。

スルメだ。

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プリティーポーズをとるユジンにカメラを向けるチュンサン。

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民宿(?)の縁側(?)にたたずむチュンサンとユジン。

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チュンサンを探して走り出すユジン、それを追いかけるサンヒョク(パク・ヨンハ)。

常に、そこにあるスルメ。

海だからスルメぐらい干してあるだろう。何が悪いんだ?と言わんばかりの潔さ。

実にあっぱれな態度だが、ここまでしつこく写さなくても、という気もする。

海産物の輸出増加を狙う、韓国の戦略だろうか。

また一歩、いかレスラーに近づいた。

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2004年8月15日 (日)

デザートストーム

うまいデザートが食いたい、と思い、柏そごうの食料品売り場を歩いていると、新宿高野のフルーツが目に入った。

実にうまそうだったので、つい、あれやこれやと買い物をしてしまった。

しかし、明日までだって持ちそうにないこのお菓子を4つも買ってどうするつもりだ、俺。

かつて浩宮さまはお妃選びについて「ニューヨークのティファニーであれやこれやと買い物をするようでは困る」と言っていたが、この程度だって結構困りものだ。

また一歩、砂漠の嵐作戦に近づいた。

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2004年8月14日 (土)

京都駅、復興

仕事で京都へ。

当然、京都劇場の「美女と野獣」を観てくるつもりだったが、体調悪くて断念。そもそも出張で行ってそれはまずいだろ、という考えはさらさらなく。

ところで、ガラス貼りの新しい京都駅は初めて見た。

確か、ここはガメラが対イリス戦で破壊したはずだ。見たところ、あの激戦の爪あとはどこにもなく、きれいに修復されていた。

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ロビーで新撰組展をやっていた。

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2004年8月 3日 (火)

Hello! Project 2004 summer ~夏のドーン!~

加護亜衣、辻希美がモーニング娘。を卒業。

予想どおり、カラっとした卒業式だった。Wとしてある程度今後の活動のレールは敷かれているし、ハロープロジェクトにも参加するだろうし、ハロー!モーニングにだって出続けるだろう。なっちの時は特別として、この2人の卒業に涙する理由はない。

だが、14人で最後に歌ったのが「I Wish」だったのにはちょっと涙が出てきた。後藤真希と、「花の4期」を前面に出したこの曲は、2001年に上演された最初のモーニング娘。ミュージカルでも大いに涙を誘った名曲だ。たしか、当時すさまじいヒット数を誇っていたファンサイト「Good Morning!」で、誰かがうまいことを言っていた。「この曲は、加護亜衣と辻希美の前途を示した歌だ。だって、I(亜衣)Wish(希美)だから」。結果的に、その通りになったわけだ。

そんなわけで卒業公演としてはなかなか良かったが、Hello! Projectとしての全体の構成には疑問が残った。

今年はシャッフルユニットがない。毎年夏のハローでは、まずシャッフルが総出演して大いに盛り上げるのが定番だったから、今年はどうするんだろう、と不思議だった。

そのオープニングは、意表をついて松浦亜弥の「GOOD BYE 夏男」。それもMCぬきでいきなりだ。なるほど、こういう手もあったか、と大いに驚いたが、いささか不安にもなった。

どうもその手法は、山田太郎が2年のときの夏の甲子園、対弁慶高校で土井垣監督が山田を1番に起用するという奇策に出たのに似ている、と直感的に感じたからだ。

その采配が裏目に出て、明訓高校は山田の入学以来初めて敗北するのである。

そしてその予感は的中した。シャッフルもなく、ぐっとユニット数が減ったハローのラインナップでは、娘。と松浦という2枚のカードが群を抜く強さだ。その1枚を切ってしまったため、後半への期待感が極端に落ち込んだ。しかも、松浦以外、ということは、娘。と娘。OB、ということである。もちろんメロンやBerrysもいるけれど、基本的には娘。コンサートの拡大版を観ている感じになる。こうなると、ハローらしい、お祭り気分は味わえない。

しかし他にどういう手があった、と聞かれても、確かに困る。この人が言うように、後藤真希の動きは実に良かった。冬のハローでもそれは感じたので、真希ちゃんトップでも良かったかもしれない。しかし、場を盛り上げる実力を比較すれば、やはり松浦の方が安心感がある。ハローは、途中盛り上がらない人も出てくるので、最初に極限まで会場のボルテージを上げる必要がある。それをできるのは、確かに松浦しかいない。

だが、別にソロにこだわる必要はないだろう。アンコールで、「Yeah!めっちゃホリディ」を出演者全員で歌ったが、それを最初にやっても良かったのではないか。

もっとも、今回の構成は、松浦に対する配慮でもあったかもしれない。いつも娘。の前に出て、会場をぐっと盛り上げる「セットアッパー」としての役割に、松浦としては不満だったろうから。

しかし、そういう贅沢な起用こそが、ハローの醍醐味なのである。

ベイスターズだって、佐々木をセットアッパーに使うぐらいのことをすれば、相手に与える脅威も増すし、年俸の高い選手を使う機会なく遊ばせる必要もなくなるから、一石二鳥のはずなのだ。なのに、どうもヘンな裏契約をしているせいか、そんな思い切ったこともできないようだ。

とにかく、構成の面白さを考えられないようなら、もうハローに興業としての価値はない。冬のハローでは制作の奮起を期待したい。あるいは、俺に任せて欲しい。

ところで、エコモニ復活したんだな。

また一歩、愛・地球博に近づいた。

2004summer

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「冬のソナタ」のドラマツルギー その2

前回の続き。

「冬のソナタ」のテイストが何に似ているか、というと、多くの人が「大映ドラマ」というのだが、どうも違うような気がする。だって大映ドラマは、泥くさくて汗くさい。冬のソナタには、そのどろどろ感がなく、どこか清潔感が漂う。これはむしろ、日本の少女漫画のテイストに近いのではないか。だとすれば、35歳-45歳ぐらいの、マンガ世代の女性に人気があるのもちょっとうなずける。

冬のソナタの第1回目は、主人公の女性・ユジンが、学校に遅刻しそうになるシーンから始まる。これはまさに、少女漫画の始まり方の王道ではないか。

相原コージ・竹熊健太郎「サルでも描けるマンガ教室(サルまん)」のLesson9「ウケる少女まんがの描き方」でも、竹熊博士は「ウケるストーリー展開」の出だしとして、「主人公が『ちこくちこく』と叫びながらあわてて家を飛び出すのだ!!これ以外ウケる出だしはあり得ない!!」と断言している。(下図参照)

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ユジンの登場シーンは、口にトーストこそくわえていないが、この指摘どおりである。

また一歩、松井の義兄弟に近づいた。

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