「冬のソナタ」のドラマツルギー
「冬のソナタ」は、基本的に結婚を前にした女性(ユジン)と、その婚約者(サンヒョク)と、死んだはずの初恋の人(ミニョン)の3人の三角関係を延々と描いただけのドラマである。
その展開にはいくつかパターンがある。そのひとつはこのようなものだ。
ユジンと一方の男が重大な局面を迎えそうになると、
必ずもう一方の男がそこに現れる。
出てくるぞ、出てくるぞ、と思わせておいてやっぱり出てくる。怪傑ズバットみたいだ。
この3人以外は、脚本家(この作品は2人の女性脚本家による合作である)の眼中にない。他の登場人物は、この3人を制御するための小道具でしかない。3人に都合よく行動を促すために必要な情報を与えたり、状況を作り出したりするのが仕事だ。どういう人間なのか、どういう考え方や気持ちを持っているのか、ほとんど描かれていないのである。
この割り切り方の潔さこそ、この作品の大きな魅力であり、面白さである。
それが、韓国の国民性によるのか、女性脚本家ならではのドライさによるものなのか、そのあたりはよく分からない。しかし聞けばこのドラマはほとんど撮り溜めをせず、視聴者の反応を探りながら撮影していったのだという。俳優たちにはきつい仕事だろうが、そこまでして客を楽しませようというエンターテインメント精神はあっぱれだ。日本人はとっくにその精神を失ってしまっている。
しかし、チェリン様はかわいい。こんな小道具なら、俺の人生にもほしいものだ。
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