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2004年6月27日 (日)

「新選組!」芹沢鴨の最期

6月27日放送「新選組誕生」で、芹沢鴨が出番を終えた。

通常、芹沢という人は新選組の話ではあまり語られないか、語られたしてもあまりいいイメージでは描かれない。それは、水戸の出である自分にとってはちょっと寂しい話である。

しかし、この「新選組!」では、全く新しい芹沢像を造り出した。悪役であることは確かだが、それなりの器量を持ちながら、自分の弱さという殻を打ち破ることができず、結局破滅へ向かわざるを得なかった悲しい男、それが今回の芹沢鴨である。

三谷幸喜の脚本も見事だったが、ここは演じた佐藤浩市をたたえよう。前から好きな俳優ではあったが、この複雑な役どころをうまく、そしてあくまで格好良く演じぬいたことで新たな評価とキャリアを得たといえるだろう。

勝手な憶測だが、芹沢役に佐藤浩市、というのは三谷サイドの意向というより、NHKサイドの意向のような気がする。大河ドラマとしてはあまり視聴率はふるわなかったが、力作だった「炎立つ」でも源義家を好演していたし、何より直感で恐縮だが「三谷っぽさ」がしないキャスティングだからである。

このドラマは近藤や土方の芹沢一派に対する、そして新選組の「時代の流れ」に対する闘いの物語である。そして同時に、これは大河ドラマという日本のテレビのもっとも保守的な部分に対し、三谷幸喜が闘いを挑んでいる試みでもある。

最初はちぐはぐな印象だった。リアリティーに欠けるじゃないか、というのは確信犯だとしても、脚本に仕込まれた笑いをうまく演出でフォローできていなかったり、俳優の「迷い」が感じられることもしばしばあった。

しかし最近はそのあたりがうまくなじんできている。三谷の息のかかった役者はもちろん、それ以外の出演者も脚本の意図を汲んでいきいきと演じるようになった。演出やカメラワークなども、決して三谷に迎合することなく、NHKらしさを守りつつもうまい連携を見せているように思う。

そして今日、最も三谷らしさの薄い俳優が退場した。入れ替わりに、来週からくせ者・武田観柳斎役で三谷の信任が厚い八嶋智人が登場する。物語の中で近藤・土方独裁体制が確立したのと同期するように、今後は三谷色がさらに強まっていく。

近藤が筆頭になるまでの新選組の話は、田舎から出てきた若者たちが、都で一旗揚げるまでの成功譚である。しかし、そこから先は粛正の嵐が吹き荒れ、維新の荒波が押し寄せる中でどう生き残っていくかというサバイバルストーリーになる。

三谷の闘いは、新選組の闘いのように、悲しい結末へと向かうのか。確実に言えるのは、ドラマの内と外で展開する二つのストーリーが、これからも自分をテレビに釘付けにさせるだろうということだ。

もっとも、それこそがこの大河ドラマに三谷が仕掛けた、大きな罠であろう。いやいや、観柳斎顔負けの策士である。来週から、観柳斎に三谷をだぶらせながら観ることにしよう。

ドラマのネタが続いた。また一歩、「同居人日和」に近づいた。

kamo

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「冬のソナタ」のドラマツルギー

「冬のソナタ」は、基本的に結婚を前にした女性(ユジン)と、その婚約者(サンヒョク)と、死んだはずの初恋の人(ミニョン)の3人の三角関係を延々と描いただけのドラマである。

その展開にはいくつかパターンがある。そのひとつはこのようなものだ。

ユジンと一方の男が重大な局面を迎えそうになると、

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必ずもう一方の男がそこに現れる。

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出てくるぞ、出てくるぞ、と思わせておいてやっぱり出てくる。怪傑ズバットみたいだ。

この3人以外は、脚本家(この作品は2人の女性脚本家による合作である)の眼中にない。他の登場人物は、この3人を制御するための小道具でしかない。3人に都合よく行動を促すために必要な情報を与えたり、状況を作り出したりするのが仕事だ。どういう人間なのか、どういう考え方や気持ちを持っているのか、ほとんど描かれていないのである。

この割り切り方の潔さこそ、この作品の大きな魅力であり、面白さである。

それが、韓国の国民性によるのか、女性脚本家ならではのドライさによるものなのか、そのあたりはよく分からない。しかし聞けばこのドラマはほとんど撮り溜めをせず、視聴者の反応を探りながら撮影していったのだという。俳優たちにはきつい仕事だろうが、そこまでして客を楽しませようというエンターテインメント精神はあっぱれだ。日本人はとっくにその精神を失ってしまっている。

しかし、チェリン様はかわいい。こんな小道具なら、俺の人生にもほしいものだ。

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2004年6月21日 (月)

深田恭子「下妻物語」

エメリッヒ監督に押井先生、庵野もすまん。

2004年上半期のベストムービーは、この「下妻物語」だ。

理由はもちろん、恭子りんがかわいいからです。

深田恭子演じる主人公「桃子」は、表情があまり動かない。モノローグも淡々としたものだ。それでいて微妙な感情の起伏がきちんと観客に伝わってくる。この子は目の力が強いからだろう。ラオウのような眼光の持ち主である。

だいたいあんな格好で大きな演技をしたら、ただのギャグだ。それをしなかったことで、映画全体のすっきりした味わいを支えている。

そのすっきり感は、やはりCM出身の中島哲也監督ならではといえる。1シーン1シーンとても丁寧に美しく作りこみながら、シーンごとに必要な印象だけを観客に与えて、くどい後味を残さない。登場人物はみんなアクの強い濃いキャラクターなのに、まったく腹にもたれない作品に仕上がったのは監督の手腕だ。

それにしても、舞台が下妻である。

自分は茨城出身だが、県庁所在地である水戸で育った、生粋のシチーボーイである。その自分からすれば、下妻など辺境の地もいいところだ。だいたい常総線沿線だし。県内の鉄道をランク付けすると、

常磐線

水戸線

水郡線

鹿島臨海鉄道

日立電鉄

常総線

となり、その下には石岡~鉾田間を結ぶ鹿島線しかない。来年つくばエクスプレスが出来ればまたひとつランクは下がるが、日立電鉄が廃線になるので順位は変わらない。

とにかく、そういうマイナーなところだ。が、この映画では、下妻は「田舎の茨城の中でも、特に田舎のところ」という描かれ方はしていない。むしろ、「無理すれば、東京にいつでも出られる距離にある田舎」として描かれている。その距離感は、多くの日本人の持つ、都会や“流行の最先端”に対するメンタリティーをそのまま物理的な距離に置き換えたものではないのか。だから多くの日本人にとって、身近に感じることのできる舞台になっていると思う。

もっともやはり自分にとっては筑波山や小貝川の風景が懐かしい。小貝川の堤防が決壊したときは、中学で募金などしたものだ。

ジャスコが町の文化の中心、というくだりがあったが、これは俺が育った水戸市西部でもそうだった。高校時代、下妻よりはちょっとは都市化されている下館(水戸線沿線)の同級生も、「下館の中心はジャスコだ」とスピーチしていた。

となると、ジャスコが中心、というのは茨城に限った話ではないだろう。日本国中で、生活の中心地となっていたジャスコ。イオンがエクセレントカンパニーになるのもうなずける話ではある。

話は戻るが、恭子りんが強烈にかわいい。パンフレットの広告を見ていたら、現在マニア増殖中のリアルドール「スーパードルフィー」の桃子モデルが作られるという。92,400円。一瞬、ぐらついた。危ない、危ない。

joso

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2004年6月17日 (木)

DVD大人買い

もう三年以上前からずっとずっと出して欲しかったタンポポのビデオクリップ集。「たんぽぽ」のビデオがどうしてもフルサイズで見たかったから。

それがやっと発売されたので買いに行くと、同時発売のプッチモニクリップ集が気になる。

そして先週出たばかりのおとめ組初公演のビデオ。言うまでもなく、さくら組のビデオも同時発売だ。

まとめて買わせようという魂胆が見え見えで頭にくる。憤慨のあまり、つい安倍なつみ「だって生きてかなくちゃ」のシングルVも買ってしまった。まったくなんと理想的な消費者だろう。すっかり感心して、まだ買っていなかったなっち卒業ハロプロのビデオも買ってしまう。

さらに勢いで、Berryz工房のシングルVにも手を伸ばしそうになったが、これは思い直してやめた。

また一歩、「新宿界隈」に近づいた。
が、踏みとどまった。

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ローランド・エメリッヒ「デイ・アフター・トゥモロー」(注意!激しくばれます)

エメリッヒはアメリカ人になってしまったのか?

エメリッヒの作品といえば、「ユニバーサル・ソルジャー」に「スターゲイト」「GODZILLA」、そして「インディペンデンス・デイ」。いずれにも、いかにもハリウッド的な、大鑑巨砲型のバカ映画である。

ご存じのように彼はドイツ人だ。その「ハリウッド的なアプローチ」には、どこか誤解がある。日本好きのアメリカ人のように。そういうカルチャーの違いからくる微妙な誤解は、どうしてもチャンチャラおかしいものになってしまうのだが、そのチャンチャラおかしさと、もともとのハリウッドが持つバカバカしさがあいまって、とてつもないパワーを生み出すのが、エメリッヒ作品だ。

しかし、どうも今回はおとなしい。インディペンデンス・デイのように、エイリアンを素手でぶん殴ったり、パワーブックで異星人のコンピューターにアクセスしたり、米大統領が自ら戦闘機でUFOと闘ったりする荒唐無稽さは、ない。

まあテーマが地球温暖化ということで、少し真面目に取り組んだのかもしれない。だがその正面からのアプローチによって、ごく普通の(?)ハリウッドっぽい映画になってしまった。

見所も、ロサンゼルスを襲うハリケーンとNYが水浸しになるシーンは実にスペクタクルで良かったが、CGに頼りすぎという感も否めない。そのほかには、正直いって見所が少ない。

だいたい、北半球だけ凍らせて終わりなんて、生ぬるいじゃないか。これなら小松左京&深作欣二&角川春樹というてんぷくトリオが生み出した伝説の超大作「復活の日」のほうが突拍子のなさで数段上を行く。だって、南極以外の全世界を1本の映画の中で2回も絶滅させてしまったんだから。

もうエメリッヒのカン違いぶりは見られないのだろうか?だとしたら寂しい。いっそ、こんどは日本映画でも撮ってみてくれないだろうか。きっと嬉しいぐらいに誤解してくれると思う。その可能性の片鱗は、今回の映画で垣間見ることができる。(あれは、千代田区じゃないだろう・・・)

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2004年6月13日 (日)

日本、食べ放題

よく見たら、「本日 食べ放題」ののぼりだった。

ハゲタカ・ファンドのこともそろそろ真面目に考えなきゃあな。

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2004年6月12日 (土)

劇団☆新感線「髑髏城の七人」

97年に再演され、いのうえひでのり(演出)が「現時点でのベストワーク」(2000年の「踊れ!いんど屋敷」パンフレットより)と自ら評した「髑髏城の七人」。

それを、今年は古田新太主演版と市川染五郎主演版の2バージョンで上演する。単なるダブルキャストでなく、主演以外の配役も演出も異なる、2つの「髑髏城」を観られることになる。

まずは古太版が登場。東京では、新国立劇場と厚生年金会館の2会場で公演した。自分が観たのは新国立劇場。

敵味方入り乱れ、「七人」どころか10人以上の登場人物が見せ場を競い合う集団劇を、スピーディーな展開で見せていくいのうえひでのりの実力には脱帽だ。

橋本じゅんに河野まさとといった新感線のクセ者たちに加え、WAHAHA本舗の佐藤正宏、「熱海殺人事件・モンテカルロイリュージョン」以来つかこうへい作品の常連となった山本亨といった強烈な個性、それに水野真紀、坂井真紀、佐藤仁美という俺好みの豪華女優陣。

そうした中にあってもっとも印象的だったのは、商人姿で遊郭を取り仕切る、戦国版“男装の麗人”を演じた水野だ。

実はこの役、もともと男の役で、97年の公演では粟根まことが演じている。粟根の怪しくも格好いい見事な演技は話題になり、彼の役者としてのキャリアを大きく前進させた。

そうした役だから、これを誰が演じるか、大いに興味があった。まさか女の役になるとは思っていなかったから水野が出てきた時にはびっくりである。しかし、これは良かった。怪しさ、格好よさに色気が加わって、強烈なキャラクターができあがった。水野はセリフ回しや身のこなしにも迫力があり、大いに舞台ばえする。今後、彼女の舞台には注目していきたい。もちろん「もっと女の子っぽい美紀ちゃんが観たい…」と嘆く人もいるだろう。その気持ちはとってもよく分かるけど、これほどの実力を見せてくれた以上、今回は納得するしかないですよ。坂井真紀も、佐藤仁美もほんとうにいい演技をしていたのだが、水野に持って行かれてしまった感がある。

いやらしさと生真面目さ、インチキ臭さと誠実さが同居する「当たり役」を演じた古田は、この役に対する情熱が薄れているのか、あるいはどう新しい側面を見せるべきかを悩んでいるのか、迷いの感じられる遠慮がちな動きも垣間見えた。しかしもはやその存在感は圧倒的だ。もっと余裕しゃくしゃくで、ふてぶてしく演じてもいいのではないか。そこが古田の、役者としての生真面目さ、誠実さなのだろうが、困ったことにファンはどちらかというと、いやらしさ、インチキ臭さを期待しているのである。もちろん自分も。

ひとつ残念なことに、個人的にもっとも期待していた山本亨が、今ひとつ存在感を発揮できていなかった。敵軍の強力な剣士という役どころだが、右近健一が演じる悪役と、位置づけがかぶってしまったからだと思う。「蒲田行進曲・銀ちゃんが逝く」で意味もなく槍を振り回していた、あの暴れっぷりをこの作品で見たかった。

さて、今回の「髑髏城」、97年と比べてどうなのか。基本的に演劇を前回公演と比べる、というのは意味がないと考えているが、「ベストワーク」と言われていたものを越えたかどうか、考えてみる価値はある。

自分は、これは越えていないと思う。

決して今回の出来が悪かったわけではない。少なくとも現時点で今年のベストプレイだし、こんなに楽しい時間を過ごさせてくれた舞台はざらにはない。

ストーリーやセリフも、より洗練されており、それを力のある俳優がしっかりと受け止めて演技をしている。作品としては、文句はない。

しかし、観劇中の手応えというか、伝わってくる勢いのようなものが、だいぶ後退しているのだ。

これは何の違いかというと、ひとことで言って劇場の大きさの違いである。前回はサンシャイン劇場という、新感線の東京ホームグラウンドのような中規模劇場だった。

99年に青山劇場で「西遊記」を上演してから、新感線は大劇場での商業演劇に乗り出した。しかしどうも、いくつか観た大劇場での公演では、一様に「迫力不足」を感じるのである。

大劇場に乗り込むことは何の問題もない。むしろ、「小劇場系の劇団」という言葉に卑屈さを感じている自分としては、がんがんでかい劇場に打って出てほしいと思う。しかし、やはり小さな劇場で、至近距離から大音響や下ネタ、ミニスカートという「飛び道具」で攻撃することにより発揮される、新感線ならではの密度の濃いオーラを、大きな劇場で感じさせる手法がまだ確立されていないのではないか。

それを検証するために、厚生年金会館にも行く予定だったのだが、それはやむを得ない事情、不可抗力でキャンセルした。申し訳ない。

もっとも、こうした課題がある、ということは、まだ成長の余地があるということだ。もはや円熟期に入ったとも言われる新感線だが、まだフロンティアは残されている。止まることなく、走り続けてほしい。一生ついていきますぜ。

秋には、染五郎版が登場する。

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九州じゃんがららあめんのつけ麺

内閣総理大臣も訪れた、九州じゃんがららあめん赤坂店。

「じゃんがららあめん」か、濃厚な味の「ぼんしゃんらあめん」が定番だが、今回はつけ麺である「つけちゃん」をいただいた。750円。

しょうゆ味で、ベースはとんこつだが野菜のうま味が前面に出たスープは意外にオーソドックス。じゃんがらにしては、クセがない印象だ。池袋大勝軒のそれと同じカテゴリーの味だと感じたが、それは人それぞれだろう。なかなかうまかった。

「替え玉」はできないので、ボリューム感を求める人はあらかじめ大盛り(100円増)にしておくか、めんたいごはんなどを頼むといいだろう。

また一歩、野望に近づいた。

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2004年6月 6日 (日)

佐藤江梨子「キューティーハニー」(ばれるわよ)

こりゃまたケッコー! な映画である。

韓国映画「火山高」を観たときは悲しかった。どうしてこういう、マンガ的な破天荒さを映像でダイナミックに表現した作品が最近の日本では生まれないのだろう。日本のコンテンツ産業は、もうアジアでも後塵を拝することになってしまうのか?そう懸念したからだ。

しかし、この作品はそんな懸念を吹き飛ばしてくれた。何よりも面白さ、痛快さを優先して作られたようで、90分楽しく観ることができる。アニメーションを混ぜたり、マンガ的に見える視覚効果を研究したりもしたようだが、何よりスタッフ、キャストが永井剛の世界観をある程度正確に理解できていることが、「マンガ、アニメーションの実写化」を成功させている。

監督は言わずとしれた庵野秀明。しかし今回は「ラブ&ポップ」のように、庵野イズムが前面に出た演出はあまり感じられない。むしろ役者にある程度自由に演技をさせているようにも見えた。

ただ、庵野らしさが出た部分といえば、「ハニーの孤独」を描いた、という点だろう。実はハニーの孤独、というアプローチは、アニメーションでもマンガでも、さほど描かれてはいない。しかし、日本アニメーション史に残る天才音楽家、渡辺岳夫(巨人の星、アルプスの少女ハイジ、機動戦士ガンダム、キャンディ・キャンディなどの音楽を担当)が作曲した、アニメーションのエンディング曲「夜霧のハニー」には歌われている。だから、どこにも描かれていないのに、ハニーにはどこか「孤独」なイメージが残っている。

もっともハニーの孤独さを正面から描いたのは、1シーンしかない。それはそのものずばり、「夜霧のハニー」をBGMに、ハニーが街を徘徊するという象徴的なシーンだ。だが、その孤独さをより強く印象づけるのは、それ以外の、いつも脳天気にふるまうハニーの姿、そして市川実日子演じる公安の警部、秋夏子との他愛ないやりとりである。そのぎこちない心情の表現が、ハニーの孤独さを逆説的にではあるがひりひりと伝えてくる。

これは監督の手腕も見事だし、佐藤・市川の見事な演技の成果だともいえる。3人に拍手を送りたい。

まあ確かにkunedog氏が言うように、もっと露出してほしかったし、もっといろんなコスプレが見たかった。後半の展開にももう少し起伏が欲しかったような気もする。

全体としては満足できた。ぜひ、第2作を期待したい。

honey

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松浦亜弥コンサートツアー2004春「私と私とあなた」

去年は、俺における松浦年、というぐらいに松浦亜弥に入れあげていたが、今年はなっち卒業ハロプロ、おとめ組ツアー連続参加、そして先日のさいたまスーパーアリーナと、モーニング娘。本隊への回帰が進んでおり、あまり松浦を見ていなかった。

そこで、春ツアーのファイナルとなる、NHKホールに行くことに。

あいかわらず、本当によく動く。見ていて心配になるほどだ。単に動きが大きいだけでなく、舞台中央に投影されている生カメラの映像と絶妙に絡むなど、演出効果を計算した動きになっている。

どこでどう動けば客が喜び、盛り上がるか、17歳にして皮膚感覚で理解している。ありふれた言い方だが、これは非凡な才能と言うよりほかはない。

セットリストは今ひとつだった。これはそもそも最新アルバムである「×3(トリプル)」の出来が悪いからだ。それにアンコール最後の曲が「可能性の道」とはちょっと弱い。いつまでも「笑顔に涙 ~THANK YOU!DEAR MY FRIENDS~」というわけにもいかないだろうが、それを越える曲が出るまでは、いいじゃないか。

ひょっとすると、松浦のピークは去年だったかもしれない。観客を引きつけるオーラパワー(ダンバイン?)が少し弱くなったようにも感じた。しかし、依然強い闘気(ケンシロウ?)をまとっていることは確かで、今日もすっかり満足した。



松浦亜弥は、一種70年代~80年代のアイドルのような雰囲気を持ちながら、その存在は実に現代的であると思う。

東浩紀氏「動物化するポストモダン」によれば、90年代後半以降のテレビアニメーションは、全体としてのストーリー性や世界観によって支持を得ている、というよりも、物語、設定やキャラクターの「萌え要素」など、個別の要因が集合したデータベースとして消費されているのだという。その結果として、作品の構成要素でしかなかった設定や「萌え要素」だけが、作品本体を離れて一人歩きすることも可能になる。

その意味で言えば、松浦亜弥は、まさに「アイドル的なもの」のデータベースだ。

昔のアイドルが着ていたような派手な衣装、お約束のように露出するおへそ、自己顕示欲を前面に出した発言、覚えやすいフリつけ、妙なCM、ポップで明るい曲調、すべてが「アイドルの遺伝子」である。

それらの要素を本人から切り離し、別の人間がその受け皿となれば、別の“松浦亜弥”を作り上げることも可能だ。

どんなに気色悪くても、前田健のモノマネが成立するのには、そうした背景がある。また、紋無らんの「あやや・コス」シリーズが、安来めぐの「あゆ・コス」シリーズより遙かに出来がよく、人気もあるのは、女優の違いだけではない。

しかしだからこそ、松浦亜弥というパーソナリティーの強力さには感服する。同じデータベースから要素を引き出し、身にまとっても、やはり紋舞らんは松浦亜弥にはなれない。それだけの要素を受け止める器量がないからだ。

松浦亜弥という世界を支えている、松浦亜弥本人の器量は、並大抵ではない。それはさながら、「魔法騎士 レイアース」で、セフィーロという世界を精神力によって支えているエメロード姫のようなものだ。エメロードはその孤独さに耐えることができず、セフィーロの崩壊を招いた。アイドルという存在を支えるにも、途方もない忍耐力が必要だろう。松浦亜弥は、「失われた10年」を越えて、久しぶりに登場してきた、真のアイドルである。

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2004年6月 5日 (土)

「おっぱいプリン」の戦慄

長崎でたくさん買ってきたおみやげも、残り少なくなってきた。なので、今後渡す予定のあるもの以外は会社から自宅に持ち帰って食べることにした。

「グラバー園クッキー」「文明堂カステラ」、そして普通のお土産では納得してくれない人たちのための「おっぱいプリン」(注:長崎名物でもなんでもありません。全国の観光地で買えます)の3点をスターバックスの紙袋に入れる。

もう電車がなくなっていたので、タクシーで帰ることになった。ちょうど近所に住んでいる、同じ部で仕事をしたことはないが、ときどき道すがら一緒になっている部長がいたので、相乗りで行くことに。

ひとしきり長崎の話で盛り上がったので、その部長が車を降りるとき、せっかくだからお土産をあげようと思った。無難だけど、文明堂のカステラがいいだろう。紙袋からクッキーとおっぱいプリンを取り出し、紙袋ごと「部長、よろしかったらお持ちください」と差し出す。「いいの?わるいねえ」と喜んでくれたので、いいことをしたと思った。

部長の家の近くに来た。ドアが開いて、社内が明るくなった。ふと手元を見ると、残ったクッキーとカステラがある。



・・・・・。ん?カステラ?




締まりかけたドアにがんと片足を挟み、こじあける。「マルサの女」のガサ入れみたいだ。

「部長!ちょっとまってください!」

「え?」

「いや、その紙袋をちょっと」

有無を言わさず奪回すると、瞬時にカステラとおっぱいプリンを入れ替える。映画「麻雀放浪記」を観た人は、最終局で真田弘之演じる坊や哲が一瞬で配稗と自分の前の山とを入れ替えたシーンを思い出してほしい。

「いや、こっちのカステラのほうが上等なもんで」

人間、せっぱ詰まるとわけのわからないセリフが出てくるものだ。郷ひろみの「ダディ」の表現を借りれば、血液の中でアドレナリンが「お嫁サンバ」を踊り出した。

「いやいや、そんな気にしないで」

気にするんです、こっちは。

あのまま渡していたらどうなっていただろう?奥さんの前で「カステラもらっちゃったよ」と取り出してくれたら。

しかし、何とか事なきを得た。

だからおっぱいプリンは、俺の部屋にある。

pudding

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サンフルーツの生ジュース

さて、トルコライスのあとはミルクセーキをいただいたが、今回はどうするか。

日本橋ということで、やはり三越の地下1階、サンフルーツのジュースを飲むことにした。

今日はいちごミルク。いちごオンリーのがあれば、そっちを飲みたかった気もする。

うまいので一気のみしたところ、頭と腹が同時に痛くなった。

よい大人のみなさん、注意しましょう。

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レストラン丸善のハヤシライス

長崎のトルコライスのことを報告したところ、都内でカツハヤシ(の・ようなもの)がトルコライスとして売られていた、という情報をいただいた。

違う。それはぜんぜん違う。

でもカツハヤシもうまいよな。そう思っているうちに食べたくなってきたので、久しぶりに日本橋は丸善屋上にあるレストラン丸善でカツハヤシを食べる。

ご存じのとおり、ここはハヤシライス発祥の地だ。丸善の初代社長、早矢仕有的が名付けたとされるハヤシライス。しかしこのレストランはあいかわらず小さくて貧相で、かといって歴史の趣を感じさせるわけでもなく、なんだかビニールハウスみたいなところである。別に汚いわけではないし、店員さんの態度が悪いわけでもないので、いちゃもんをつける気はさらさらないが、もっとこざっぱりした店にしてもよさそうなものだ。

さてそのハヤシライスは、とりたててうまいというものではないが、ソースの味がきつすぎず、野菜の甘みが前面に出てきているのがいい。そのひかえめな風味が、やわらかく炊いたライスとよく合って、さらに甘みを増幅する。

洋食でありながら、素朴な野菜の甘みを大事にするという日本料理の精神を感じる元祖ハヤシライス。それは明治の世に世界とわたりあった元祖ジャパニーズビジネスマンの気概なのだろうか?敬意を表しつつ、一度ぐらいは食べてみてもいいだろう。

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2004年6月 1日 (火)

ツル茶んのミルクセーキ

長崎のミルクセーキは、他地域のそれとは違う。

卵や練乳と一緒に、氷も混ぜてミキサーにかけるようだ。だからシェークというよりむしろシャーベット、いやカキ氷に近い。

そのため、ストローではなくスプーンが一緒についてくる。「飲むのではなく、食え」という無言の圧力である。

食べてみると、アイスクリンな感じのさっぱり味。トルコライスのボリューム感を洗い流すのは、やはりボリュームのあるミルクセーキに限る、ということか。

今回は、10歩ぐらい「ぐんぐんぐんま」に近づいた。

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ツル茶んのトルコライス

ちゃんぽんと、もう1つ長崎で食べておきたかったのがトルコライスだ。

関東でも全く見ないわけではないが、メニューとしては少数派だ。それが、長崎ではスタンダードになる。1皿にスパゲッティー、ピラフ、トンカツを盛りつけたこのメニューが、なぜトルコライスというのかは諸説があって定かではないそうだ。様々な国の料理が組み合わされていることから、東西文化の交流地トルコになぞらえたのだ、という説もあるようだが、個人的にはスパゲッティー、ピラフ、トンカツの3要素が並んだ様子を「トリコロール」に見立てて、それが「トルコライス」になったという説を信じたい。何となく、前者の説明は無理があるような気がする。東西文化の交流地、ということなら、「名古屋ライス」だっていいはずだ。だめか。

もちろん、トルコの人々がこれを好んで食べた、ということではない。これ以上トルコの習俗を誤解するのはやめよう。

さて入ったのは大正14年創業の「ツル茶ん」。一大商店街である浜市アーケードから少し外れたところにある。帰りの飛行機の時間が迫っていて、ガイドブックを頼りにとりあえず近いところに入ったのだが、後で調べてみるとかなり有名な店だったようだ。いつもながら俺の才能には頭が下がる。

味は、見た目ほどしつこくなく、さすがにボリューム感はあるものの、胃にもたれるほどではない。それぞれの要素はごく一般的な洋食屋のメニューだが、それがひとつに合わさるだけで、別の料理に思えてくるからフシギだ。もっともそれぞれの味のバランスを調整するのが、トルコライス職人の腕の見せ所なのだろう。さすが老舗、という見事な仕事ぶりである。

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いけす割烹「恵美」

長崎フェローであるT氏の案内で、長崎市街から一山越えたところにある、茂木町に向かう。茂木港に面したいけす割烹「恵美」で海鮮料理をいただくためだ。

活け作りと刺身の盛り合わせは写真の通りだ。これで2人ぶん。これだけ食べても腹一杯になるが、ほかにエビのおどりと塩焼き、唐揚げ、鯛の塩焼きと煮付け、旭かにの塩がま、天ぷら、赤だし、ごはんと、冗談のように次から次へと料理が登場する。

こりゃ東京で食ったら1人2万円コースだ。まあ安いと聞いていたので、「1万5千円ぐらい?」と尋ねたところ、T氏はこともなく答えた。「6000円」

コースはその上に1000円きざみで1万円ぐらいまであるらしい。ただお店の人いわく「7000円を超えると、まず食べきれないからやめておいたほうがいい」

満足度250%の店。東京の基準で計ると、おそらくそのぐらいの評価になる。

megumi

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江山楼の特上ちゃんぽん

うまいちゃんぽんが食いたいと思い、長崎に出かけた。

「江山楼」は長崎中華街にある、高級中華料理店である。しかしちゃんぽんをはじめ、リーズナブルな一品料理も多数用意されていて、気軽に入れる感じだ。何しろ店に入ったら白ベストの女子高生3人が円卓を囲んでいた。一瞬ゼントラーディー軍の兵士のようにカルチャーショックを受けたが、あとで考えると修学旅行生だったかも。

ちゃんぽんには並、上、特上とあった。せっかくだから特上(1500円)を頼む。これにはフカヒレが入っている。なぜ分かるかというと、店員さんが運んできたときに「フカヒレ乗ってますので」と言ったからだが、まあ言われなくても気付くだろう。近海の海産物を中心に、面白いほどたくさんの具が入っている。

しかし驚愕すべきは見た目の豪華さではない。その味わいだ。

うまい。

これだけ個性的な具がどっさり入っているのに、ばらばらな印象はない。クリーミーで、意外にあっさりした味わいのスープが、きれいに全体の味をまとめ、一つの方向性に調えているのだ。

するするっと一息に食べた。もし「もう一杯食え」と言われたら、たぶん食べられた。

しかしこの中華街だけでも、もっとうまいちゃんぽんがあるのだという。

長崎で育ったら、関東のちゃんぽんなど、ちゃんちゃらおかしくて食べられないだろう。

changpong

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