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2004年6月 6日 (日)

松浦亜弥コンサートツアー2004春「私と私とあなた」

去年は、俺における松浦年、というぐらいに松浦亜弥に入れあげていたが、今年はなっち卒業ハロプロ、おとめ組ツアー連続参加、そして先日のさいたまスーパーアリーナと、モーニング娘。本隊への回帰が進んでおり、あまり松浦を見ていなかった。

そこで、春ツアーのファイナルとなる、NHKホールに行くことに。

あいかわらず、本当によく動く。見ていて心配になるほどだ。単に動きが大きいだけでなく、舞台中央に投影されている生カメラの映像と絶妙に絡むなど、演出効果を計算した動きになっている。

どこでどう動けば客が喜び、盛り上がるか、17歳にして皮膚感覚で理解している。ありふれた言い方だが、これは非凡な才能と言うよりほかはない。

セットリストは今ひとつだった。これはそもそも最新アルバムである「×3(トリプル)」の出来が悪いからだ。それにアンコール最後の曲が「可能性の道」とはちょっと弱い。いつまでも「笑顔に涙 ~THANK YOU!DEAR MY FRIENDS~」というわけにもいかないだろうが、それを越える曲が出るまでは、いいじゃないか。

ひょっとすると、松浦のピークは去年だったかもしれない。観客を引きつけるオーラパワー(ダンバイン?)が少し弱くなったようにも感じた。しかし、依然強い闘気(ケンシロウ?)をまとっていることは確かで、今日もすっかり満足した。



松浦亜弥は、一種70年代~80年代のアイドルのような雰囲気を持ちながら、その存在は実に現代的であると思う。

東浩紀氏「動物化するポストモダン」によれば、90年代後半以降のテレビアニメーションは、全体としてのストーリー性や世界観によって支持を得ている、というよりも、物語、設定やキャラクターの「萌え要素」など、個別の要因が集合したデータベースとして消費されているのだという。その結果として、作品の構成要素でしかなかった設定や「萌え要素」だけが、作品本体を離れて一人歩きすることも可能になる。

その意味で言えば、松浦亜弥は、まさに「アイドル的なもの」のデータベースだ。

昔のアイドルが着ていたような派手な衣装、お約束のように露出するおへそ、自己顕示欲を前面に出した発言、覚えやすいフリつけ、妙なCM、ポップで明るい曲調、すべてが「アイドルの遺伝子」である。

それらの要素を本人から切り離し、別の人間がその受け皿となれば、別の“松浦亜弥”を作り上げることも可能だ。

どんなに気色悪くても、前田健のモノマネが成立するのには、そうした背景がある。また、紋無らんの「あやや・コス」シリーズが、安来めぐの「あゆ・コス」シリーズより遙かに出来がよく、人気もあるのは、女優の違いだけではない。

しかしだからこそ、松浦亜弥というパーソナリティーの強力さには感服する。同じデータベースから要素を引き出し、身にまとっても、やはり紋舞らんは松浦亜弥にはなれない。それだけの要素を受け止める器量がないからだ。

松浦亜弥という世界を支えている、松浦亜弥本人の器量は、並大抵ではない。それはさながら、「魔法騎士 レイアース」で、セフィーロという世界を精神力によって支えているエメロード姫のようなものだ。エメロードはその孤独さに耐えることができず、セフィーロの崩壊を招いた。アイドルという存在を支えるにも、途方もない忍耐力が必要だろう。松浦亜弥は、「失われた10年」を越えて、久しぶりに登場してきた、真のアイドルである。

iiy

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