紀里谷和明 「CASSHERN」
イカレた映画だ。
最初、この企画を聞いたときはさして食指が動かなかった。キャシャーンの実写化はそれなりに面白いと思ったが、キリなんたらいうろくでなしが作ると聞いては興味も半減だ。
それにちょっと関心が出てきたのは、ブライキング・ボスを唐沢寿明が演じると分かったとき。それはちょっと見たいじゃないか。
関心が一気に加速したのは、この紀里谷なにがしが、最後まで主役に田原俊彦を起用したいとごねて周囲を困らせていた、と週刊誌で知ったときだ。
こいつは、本格的に狂っているに違いない。これは期待できそうだ、と初日に足を運んだ。
この映画の舞台は未来ではなく、第二次世界大戦が50年以上続いている、もうひとつの現代。つまりパラレルワールドだ。
期待どおり、このパラレルワールドは大いに狂っている。最初から狂っており、狂ったままストーリーが進行し、狂ったまま終わる。その見事なイカレっぷりは実に潔く、満足度は高い。
だがそのイカレた世界と、現実の世界とを隔てているのがほんのわずかな差でしかないことが、この映画のテーマであり、メッセージだ。
そしてそのメッセージは、もうひとつの重要な意味を含んでいる。
紀里谷和明という、15歳も年下の未成年と平気で結婚するようなサイコ野郎と、俺たちの違いも実は紙一重でしかないという現実だ。
蛇足だが、映像の雰囲気や音楽の使い方なんかは映画「SPAWN」(97)に似ているな、と感じながら見ていた(あの作品を作るまでは、マーク・デュッペはジョン・ラセターを越えるCG作家になると思っていたのに・・・)。帰りにパンフレット(高い。900円もする)を読んでいたらSPAWNにも参加したスタッフがこの作品の中枢にかかわっていたことが分かった。相変わらず俺の慧眼には頭が下がる思いだ。みんなもっとホメてくれ(by 福田吉兆)。
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